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空中軍艦  作者: ほうぼう
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防空戦隊

 〈大鳳(たいほう)〉を始めとする第三艦隊。その第一次攻撃隊が目指すのは、偵察機が早朝に発見した「丁」艦隊だ。

「甲」「乙」は昨日見付けた艦隊だが、現在行方知れずとなっている。「丙」「丁」は今朝発見したばかりの新たな艦隊だ。

「丙」を見付けたのは自己の位置が分からなくなった彩雲であった。大洋で迷子など気が気でなかったであろうが、機長は努めて冷静に判断を下した。

 まず電文で現在自ら位置を失ったことを報告した。それに対し、なんとサイパン島が「誘導電波を発する」ことを提案する。第一艦隊は快諾し彩雲は九死に一生を得たと思われた。

 電波が強い方位を目指して直進するだけの単純明快な飛行であったが、その中途で軽空母と多くの揚陸艦で構成された敵部隊に遭遇したのだ。

 彩雲は直掩機に襲われつつも編成と位置を打電、たかが一機と見捨てなかった司令部に対する感謝を末尾に添えて沈黙した。

「丙」は上陸部隊の直掩と考えられ、その位置がサイパン島の至近であることもその説を補強していた。軽空母といえども四隻もいれば一〇〇機近くにはなるが、取り敢えずは捨て置く判断が下された。

「丁」はその後に見付かった、正規空母を含む大型の機動部隊だ。大小二隻ずつの空母を含む艦隊で、構成が「甲」「乙」とは大きく異なることから別艦隊として「丁」の符牒が与えられた。

 前日の深夜まで行われた補充により、航空機の数は前日と変わらない。むしろ「甲」との戦闘により士気が高まり、補充された搭乗員にもそれが波及している様子であった。

 前日F6Fとの戦闘を繰り広げた菅野直(かんのなおし)大尉も、列機と如何にしてF6Fを翻弄し、相手がどのような行動に走るかを熱弁したのは記憶に新しい。

「管制より全機、管制より全機。敵機あり。敵機あり。我より右一五。我より右一五」

 板谷茂(いたやしげる)中佐の声が機上無線を通して全攻撃隊に伝わる。

「管制より全機、反応大」

 無線のつまみを弄り列機七機に発破をかけた。

加賀(かが)屋より丁稚。全員一機以上落とすまで着艦を禁じる」

「そんな無茶、番頭に怒られますよ」

「なぁに、丁稚がチクらなきゃあバレやしねえよ」

 加賀屋は〈加賀(かが)〉所属、番頭は飛行隊長の事である。

 ちなみに〈大鳳〉はおおとり屋。〈雲龍(うんりゅう)〉は「雲龍図」で有名な相国寺から相模(さがみ)屋。残り三隻は建造された造船所から〈蒼龍(そうりゅう)〉は(くれ)屋、〈翔鶴(しょうかく)〉は横須賀(よこすか)屋、瑞鶴(ずいかく)川崎(かわさき)屋であった。

「管制より、おおとり屋、加賀屋、相模屋。増速し戦闘に入れ。おおとり屋、加賀屋、相模屋──」

「加賀屋の番頭から戦闘機隊、先鋒を任された。菅野、お前も一機落とすまで着艦禁止だ」

 飛行隊長の村田重治(むらたしげはる)中佐の一言に列機の翼が揺れる。

「お任せあれ!」

 菅野が愛機の出力を上げ、フットバーを軽く踏んだ。

 蒼空に微かに濃紺の滲みが現れ、徐々に正面から見た航空機の形に定まっていく。数はこちらを若干上回るか。

「かかれ!」

 攻撃隊に目を奪われているF6Fの上方に占位すると、〈加賀〉戦闘機隊は逆落としで襲い掛かった。あっという間に速度計が七〇〇キロを超え、雷電でも応力外皮に皺が寄りかねない無茶な軌道を描く。

 菅野が放った二〇ミリは狙いを過たず先頭のF6Fに吸い込まれた。風防を砕かれたF6Fが破片を太陽光に煌めかせながら、ぼんやりとした降下に入る。操縦手の意思ではない動きに菅野は撃墜を確信した。

「上昇、合わせ!せー……の!」

 八機が糸で繋がれたように宙返り機動に入る。離脱する紫電改を追おうとしたF6Fが、入れ替わるように降下していく。

「引っ掻き回せ!二機編隊(エレメント)だ!」

「了解!」

 コンビを組むのは宮崎勇(みやざきいさむ)飛行曹長、現場叩き上げの下士官で、模擬空戦で菅野を軽く捻る程度には()()()()()()だ。安心してエレメント戦法の後背を任せられる。

 速度を殺さず降下(ダイブ)上昇(ズーム)を繰り返す。翼を翻し追い掛けるF6Fだが、運動エネルギーは徐々に失われる。急旋回で失った速度のまま菅野達を追い掛ければ、気が付かない間に失速手前にまで陥る。

 F6Fの性能を活かしきれない若い搭乗員が罠に引き込まれたところを、別空母の紫電改が襲い掛かった。たちまち幾条もの黒煙が海面に落ちていく。

 しかし何度も死線を潜り抜けてきた熟練(ベテラン)はそう簡単にいかない。菅野の戦法を見抜くと、引っ掻き回す〈加賀〉戦闘機隊を後続に任せた。

 一旦、戦闘機の渦から飛び出す菅野。

 交差するように機銃を閃かせる紫電改とF6F。彼我問わず黒煙を曳く機体が出る。

 二〇ミリが誘爆し主翼が千切れ飛んだ紫電改は、錐揉み状態で落ちていく。胴体部分も破損し、落下の勢いそのままに真っ二つに裂けてしまった。

 全身を満遍なく十二.七ミリで包まれた紫電改もいた。発動機が咳き込み、排気筒から不規則に黒煙を吐き出し始める。応力外皮も穴だらけになり、細かなジュラルミンの欠片がひらひらと舞い落ちていた。

 そのまま慎重な操縦を心掛けてれば、もしかしたら帰投出来ていたかもしれないが、風防を白濁させた弾片が操縦手の意識を絶っていてはどうしようもない。

 やがて力尽きた紫電改はひっくり返り、蒼海に飛び込んでいった。

 F6Fが発動機から炎を噴出させる。驚いた操縦手が動力降下で逃げようとするが、ダブルワスプ・エンジンがそれより早く根を上げて動きを止めた。操縦手は潔く風防をこじ開けると落下傘の花を咲かせた。彼は潜水艦か水上機かに救助される幸運を、波間に揺られながら待つことになる。

 翼面を削り取られながらも果敢に旋回するF6Fもいた。自機を傷付けた紫電改を追い掛けんと横倒しに操作した直後、主翼がぐしゃりと折れ曲がった。主桁を砕かれていたことに気が付かずに行った機動により、機体が水平錐揉みに陥り落下していく。遠心力に振り回された操縦手が風防から飛び出すことはなかった。

 敵編隊を散々引っ掻き回した菅野だが、彼自身は一機も撃墜していない。菅野を追い掛けたF6Fを一機、宮崎が撃墜したのみだ。

「もう一回掻き回すぞ、宮崎!」

「自分も弾残ってますからね」

 今敵機を叩けば叩くほど、主隊の艦上爆撃機と艦上攻撃機が助かる率が上がるのだ。無理を通す価値はある。

 菅野の機影に気が付いたF6Fが、その鈍重そうな見た目からは想像し難い機敏さで正対した。本隊を狙わずこちらとの空戦を所望するらしい。

 挑戦状を叩き付けられたのだ。乗らない訳にはいかない。

 水星発動機の出力を最大にすると、菅野は野蛮な笑みを浮かべたのだった。


 二日目の早朝。

 偵察機を多数展開させた日米艦隊だが、日本側が一方的に複数の米艦隊を発見した初日に対して、此度は平等に攻撃の機会が与えられた。すなわち、彩雲が「丙」「丁」の二個艦隊を発見したように、SB2Cが第一、第三、第六艦隊を発見したのだ。

 各艦隊は直掩機を射出し来たる敵機に備えていた。

「宜候」

 航海長である新堀昌夫(しんぼりまさお)少佐が告げる。〈阿賀野(あがの)〉はこれで〈隼鷹(じゅんよう)〉の直掩として並走する形となった。

 〈阿賀野〉艦長である松原博(まつばらひろし)大佐の脳裏には、数多の敵機が客船改装空母に殺到する様子が浮かんでいた。

 第六艦隊に配属された空母は〈隼鷹〉と同型艦の〈飛鷹(ひよう)〉、潜水艦母艦を改装した〈瑞鳳(ずいほう)〉と〈祥鳳(しょうほう)〉の四隻だけ。弱小と舐めて掛かってもおかしくない。

 しかし〈阿賀野〉型のみで構成された防空戦隊が二個も配されたように、こちらも第一艦隊と同じく囮の艦隊であった。少しでも敵機を誘引するのが仕事だ。

 〈阿賀野〉型は〈大淀〉型とほぼ同じ艦体に、対空砲を山のように積んだ巡洋艦だ。水雷重視の日本海軍としては珍しく全水雷兵器を廃し、歩留り高く量産された十二.七センチ両用砲七基と二五ミリ機銃多数を槍衾の如く装備した。統一規格化された区画を組み合わせるブロック工法により量産性に優れた〈阿賀野〉型は一〇隻が建造され半数近くが戦力化されている。

「直衛機、戦闘に入りました」

「〈吹雪(ふぶき)〉、打ち方始めました。〈叢雲(むらくも)〉も打ち方始めました」

 外輪部の駆逐艦が発砲するが、特型駆逐艦は主砲が水上戦を想定したものだ。あまり効果的ではないだろう。むしろ水雷戦隊の旗艦である〈大井(おおい)〉や〈鬼怒(きぬ)〉の方が、主砲を全て高角砲に換装している分防空戦闘には与しているのではなかろうか。

「敵機、距離二〇〇〇〇メートル!」

「打ち方始め」

「うちーかた始め!」

 松原の命令を今泉正次(いまいずみしょうじ)砲術長が履行した途端、〈阿賀野〉は全艦が燃え上がったかのように火箭を飛ばした。

 単体の衝撃では戦艦の主砲斉射に遠く及ばない両用砲だが、恐るべきはその速射だ。毎分六発が連装で七基。砲塔要員により徐々に射撃にばらつきが生まれると、常に砲声が響き渡ることになる。目標を声で伝達していた以前の方式では、確実に射撃統制は不可能に陥っていたはずだ。

 二個防空戦隊は空母群を挟み込むように展開しており、今は右舷側から接近する敵機を釣瓶打ちにしている。後方故に艦橋からは窺えないが、僚艦である〈能代(のしろ)〉も甲板を砲煙で包まれているはずだ。

「降爆、接近!右一二〇度!高度三〇〇〇!」

 圧倒的な対空砲火を前にして、敵機が〈阿賀野〉を獲物として選んだようだ。

 ちらりと第一防空戦隊司令官の中津成基(なかつせいき)を見遣ると、中津は松原に対して大きく頷いて言う。

「このまま。全機撃退してみせよ」

「了解!」

 今泉が電探のスコープを注視し射撃の時期を窺っている。二五ミリ機銃は五〇〇〇メートル程度の最大射程を誇るが、有効な射弾を送り込むのは三〇〇〇メートル前後が限界だ。

「待てよ、待て……よーい……てっ!」

 両用砲の爆音の中に、連続した破裂音が混ざり込む。二五ミリが数条交差するように黒点へと延びた。黒点から炎が噴き出すと落下。白い波飛沫を立てて海面へと吸い込まれた。

「三機撃墜。残りが反転していきます!」

「よくやった」

 松原の賞賛に対して今泉は首を振る。

「機銃手と電探手の手柄です」

「だとしても、だよ」

 高角砲の射撃が止まる。どうやら敵攻撃隊は撤退したようだ。輪形陣をただ形だけ模したのではなく、機能面から真似したのは正解であった。

「被害は確認出来るか?」

 電信室に詰める平田太郎(ひらたたろう)副長に問う。

「特型に至近弾。若干の浸水被害との事」

 初戦は完勝と言っていい。

 しかし空襲は二回、三回と反復するものであり、こちらも徐々に疲弊し弱体化するものだ。

 続いて砲術長にも声を掛けた。

「主砲弾、どれほど残っている?」

「派手に撃ちましたが、九割弱いったところです」

 主砲を駆逐艦と同じことにした副産物として、弾薬の豊富さがある。一五センチから一二.七センチといえども、数百発にもなると馬鹿にならない。ただし高角砲弾と通常弾の二種を載せた結果、総数としては減っているので注意は必要だ。〈阿賀野〉は搭載弾の八割が対空用の時限信管となっている。

「アメリカは三年前にはこの能力を有していたのだな」

 中津が不意に発した呟きに松原の背筋に冷たいものが伝った。

 今年に入り最新鋭の装備を搭載し強力な防空力を持つに至った〈阿賀野〉だが、米海軍の〈アトランタ〉級が戦場に現れたのは昭和一七年頃だ。同じ頃の〈阿賀野〉は高角砲を多数積み込みこそすれ、電探と連動した射撃など不可能であった。

 贔屓目に見積もって同等の能力を持つとしても、アメリカの技術力に三年も経ってやっと追い付いたのだ。

「指揮運用の妙にてその差を埋め、こうして〈阿賀野〉に至ったのですから」

「……そうだな。今あるもので最善を尽くす。前線指揮官の常だった」

 松原の慰めに応える中津であったが、その顔はまだ物憂げな様子が隠れていない。松原自身も不安から心臓の鼓動を速めているのだ。そのような空虚な慰撫が届くはずもなく、艦橋に浮ついた雰囲気が漂うことはなかったのだった。


 第一防空戦隊の古豪〈五十鈴(いすず)〉と〈長良(ながら)〉は、第三艦隊において初めての防空戦闘に突入せんとしていた。

 水雷戦隊を率いる五五〇〇トン級軽巡洋艦の一翼としてではないが、〈長良〉艦長の神重徳(かみしげのり)大佐はこれぞこの艦の面目躍如と顔を紅潮させていた。

 以前の〈長良〉の主砲は五〇口径一四センチ単装砲を七基に六一センチ連装魚雷発射管四基を主とし、四〇口径八センチ単装高角砲二基と六.五ミリ機銃二基を対空装備という空寒いものであった。

 防空巡洋艦への改装に際して、主砲と高角砲を全て降ろした上で、跡地に四〇口径高角砲を四基設置した。魚雷発射管も酸素魚雷に対応したものを四連装二基と大幅に強化されているが、今日はドンガラのみだ。誘爆を恐れて装填されていない。機銃も三連装二五ミリに換装し、新規に拵えた艦橋にある電探との同期も可能となった。

 五五〇〇トン級でも半数程度しか行われていない徹底的な改装は、新規建造に比べれば少ない資源と期間で済むという試算故だった。しかしながら実際のところ、自分が指揮していた艦を屑鉄にしたくない将官による策動だったのではないか。神はそう考えていた。

 しかし大改装の実務に関わった人間として、神は何の蟠りも持っていない。むしろ艦を人質に自由な行動を勝ち取った成功体験である。

「機銃は五〇〇〇メートルで射撃せよ。敵の耳目を集めるのだ」

 積極的な攻撃こそ防空戦闘の真髄である。

「距離二〇〇〇〇メートル。主砲打ち方始めます!」

 雷鳴のような戦艦とは違うが、破裂音が強烈な高角砲が射撃を始めた。周囲の駆逐艦も次々と黒い砲煙を甲板からばら撒き始める。

 周囲は〈秋月(あきづき)〉型防空駆逐艦ばかり。長一〇センチ砲は景気良く砲弾を送り出し続けている。その中でいて〈長良〉の射撃は一歩劣るものかも知れない。しかし帝国海軍の古参兵としての意地と練度が、兵器としての差を埋めると神は信じている。

「〈山雲(やまぐも)〉被爆!」

 外縁に位置する駆逐艦が攻撃を受けた。アメリカも戦術を変えてきた。面倒にも此方のやり方を真似してきたようだ。

「一時より降爆六!距離五〇〇〇!」

「機銃打ち方始め!」

 神の背後から機銃の軽い連続音が響く。

「面舵一五度に当て!」

「面舵一五度、宜候」

 屋根がない防空艦橋ならば、飴色の火箭がSB2C目掛けて殺到している様を仰ぎ見られただろう。だが今は電探の時代。直視せずとも防空戦闘は可能だ。

「敵機撃墜!」

 防空艦橋からの朗報が伝声管を通じて戦闘艦橋に響く度、神の自信は深まっていく。嗚呼、自分が推進した計画は正しかったのだ。

 しかし三度の報告の後、遂に凶報が飛び込んだ。

「敵機、投弾!」

「面舵一杯!」

 〈長良〉の艦体は機敏に反応した。老嬢は左舷に大きく傾きながらも、高射砲の射撃を止めることはなかった。

 日本海軍の規格ならば五〇番程の爆弾が、つんざくような風切音を増大させていく。神経に爪を立てる不快な音が突如止み、一拍置いて海面が大きく湧き上がった。

 白波に黒い火薬の色をぶちまけた水柱が〈長良〉を包み込む。神も堪らず手近なものに縋り付いたが、腰を低く落とさねばならなかった。幾人かが堪え切れずに床に転がり、声にならぬ呻き声が上がった。

 神は耳鳴りが止まぬ中、どうにか届かせようと怒鳴り声を艦橋に響かせた。

「損害報せ!」

 無様に裏返った声ではあったが、航海長が振り返ったので伝わったのだろう。

「損害は?」

「操舵異常無し!」

「こちら機関室!若干の浸水あれども機関に異常無し!」

「砲術です。左舷側機銃の給弾員が五名転倒。交代させ医務室に向かわせました」

「高射、異常無し!」

「水雷、異常無し!」

「通信、新たな敵機!一二時方向!」

「応急、機関室へ派遣済み!」

 硝子に付着した飛沫を無視して、窓に張り付くように空を窺う。

 高度が低く単機。戦闘機だ。

「機銃掃射だ、伏せろ!」

 発動機の音が一層強まると、二五ミリより軽いが絶え間ない射撃音と金属の打撃音が艦橋を包み込んだ。いち早く伏せた神の背中に硝子の破片が降り注ぐ。

「一番高角砲、射撃不能!」

「艦橋前の機銃、破損!」

 辛くも爆弾を避け切った〈長良〉であったが、間隙を突くように襲い掛かったF6Fの射弾に痛撃を受けた。前方に指向出来る火砲を失ったのだ。

「艦長、頬を切っております」

 副長の指摘に驚き手を当てると右手が赤く染まる。

「擦り傷だ、ガーゼか何かを当てておけば良い」

 それよりも防空網に穴が空くことが気掛かりだ。司令部に報告しなければなるまい。

「〈大鳳〉に繋がねばな」

「艦長、空中線(アンテナ)を破損。電測不能です!」

「後檣の電探に切り替えろ!」

 電探が使えない〈長良〉は防空艦としての牙を折られたに等しい。

「電路切り替えに五分!」

 空襲にも関わらず五分もの間、〈長良〉が担当する空域は阻止出来る蓋然性が著しく低下してしまう。防空戦隊の名折れである。各個射撃は続けるが操作員の技量頼みだ。

「敵機接近、一一時方向!」

 明らかに砲火が弱まったのを認めたのだろう。敵機は〈長良〉を好餌と狙ってきた。

 本来の護衛任務は果たせないが、囮として空母を守れるのであれば本望である。神は闘志を新たにした。

「〈五十鈴〉頼むぞ……!」

 神は左舷側で砲火を絶やさず、敵機を阻止し続ける僚艦に視線を送った。投下された爆弾は神の視界を遮るように海面を大きく湧き立たせ、〈長良〉は水柱に包み込まれたのだった。


 〈大鳳〉の作戦室では重苦しい空気が流れている。参謀長の阿部俊雄(あべとしお)少将が口火を切る。

「〈山雲〉〈峯雲(みねぐも)〉〈村雨(むらさめ)〉〈若櫻(わかざくら)〉〈野分(のわき)〉〈長良〉を喪失」

 艦艇に斜線が引かれていく。

「防空網が大きく弱体化した。どうするか」

 第三艦隊司令長官の山口多聞(やまぐちたもん)中将は幕僚を見渡した。誰も彼もが表情の硬い様子の中、首席参謀城英一郎(じょうえいいちろう)大佐が挙手した。

「いずれかの艦隊と合流し、防空能力を回復するべきかと存じます。一番近い第六艦隊ならば昼間の内に合流出来ます」

 単純だが分かりやすい手だ。しかし航空甲参謀の源田実(げんだみのる)大佐が反対意見を述べた。

「合流すれば空母の数だけで一〇隻となります。また昼間の合流後に空襲を受ければ漫然と巡洋艦と駆逐艦を配することになり、輪形陣を有効に展開出来ません」

「ならば、源田参謀はどうすべきだと思う?」

「一旦全ての艦隊を後退させ、戦力を再編するというのはどうでしょうか?」

 一理ある意見だ。現在戦域に展開する艦隊はどれもが攻撃を受け、全くの無傷である部隊はない。ここらで一度息を溜めるというのも悪くはない。

「意見具申」

「情報参謀、どうした」

 情報参謀として敵情を探っていた内藤雄(ないとうたけし)大佐が挙手していた。サイパン島の近くにいた艦隊を「上陸支援に徹する艦隊」であると見抜いた男だ。

「攻撃隊の帰還後、合流する案に賛同します。米軍の動きは依然活発です。力攻めが出来る戦力差ではない以上、長期戦に備えて後退も止むなしかと」

「だが、その隙に米軍は戦力を補充するという可能性もあるぞ」

「それなのですが、昨日まで活発に傍受していたサイパン北東部を発信地とする電波が、今日になり全くといっていいほど捉えられません。一昨日、潜水艦が捕捉したその一部は小型空母──補充を目的とした艦隊でした」

「補充部隊が後退……ふむ……」

 山口の脳裏にいくつかの可能性が浮かぶ。

 判断材料となる情報は少ない。しかし米軍は今、戦力回復が困難となっている。ここで攻め潰すべきか。しかしこちらも余裕はない。

「長官。度重なる空襲により、護衛艦艇の弾薬の補充が必要です」

「ならば仕方あるまい。主導権を握ったと思ったが……」

 猛将山口には不満が残る判断だ。

 だが幕僚の意見には一定の合理性がある。見渡せば、全員がその作戦案に賛意を示している。

「GF司令部に上申する。同時に第一、第二、第四、第六艦隊にも通知せよ」



連合(コンバインド・)艦隊(フリート)はどこに消えた!」

 エニウェトクの司令部で怒声が響いた。

 声の主はジョン・ヘンリー・タワーズ太平洋艦隊総司令官だ。彼の怒りに通信担当の士官は冷や汗が止まらない様子だった。

 参謀長を務めるチャールズ・マクモリスは上司を宥めるしかない。このままでは若い士官が参ってしまう。

「マリアナを放棄して撤退したのでは?撃沈したのは小型空母のみですが、連合艦隊は艦載機に多くの損害を出しています。マリアナを捨て石に時間稼ぎに走った可能性が──」

「ありえん!」

 マクモリスの意見を一顧だにせずタワーズは切り捨てた。若干不快感が湧き出すが、タワーズの怒りに油を注ぐような真似はしない。

「奴らは空母が全滅しても戦艦だけで突っ込んでくる。戦艦戦力で劣勢であっても、だ。マーシャル諸島で痛感したはずだぞ」

「ではやはり、戦力回復のために後退したのでは?」

 こちらもテニアンとサイパンで損耗した戦力の回復に、ローテーションを組んで補給を受けさせている。そのため攻撃回数を大きく減らしたが、連合艦隊も同様に再編成を行ったのではないか。

「貴重な一日を失うミスをツカハラが命じたと?」

「作戦を遂行するためなら、その作戦が長期化することも厭わないのでしょう。日本海軍は全体としては短期決戦を好みますが、各作戦において、長期間の準備や作戦自体は長期に渡るものが多いです。海兵隊を沿岸部で攻撃せず、内陸部に要塞を構築した点からも推察されます」

 ホワイトハウスから得た事前の情報では、日本軍は短期決戦を希求しているはずだ。未訓練の空母を引っ張り出してまで作戦を強行したのも、その情報を裏付けている。

 だが、それが誤りであったとすれば。

 ホワイトハウスが偽の情報を掴まされていたのだったら。

 この作戦は全面的見直しを迫られる。

 マクモリスとしてはその必要性を感じているが、ホワイトハウスからの圧力を受け憔悴しているタワーズにその判断は下せるだろうか。

「…………ホワイトハウスからの情報が間違っているはずがない。ツカハラは短期戦を目論んでいる。だがそれが行えないほどに、艦隊がダメージを負った可能性がある。そのため当初の作戦から方向修正を強いられたのではないか?」

 タワーズの質問は質問ではない。そう感じたマクモリスであったが、今から自分達が取れる手は無いに等しい。

「その可能性は大いにあります」

「あともう一押しだということだな。雄牛(ブル)の尻を叩いてやろう」

「そこまでする必要はないのでは……?」

「臆病風に吹かれた彼を元気付けるためだよ」

 タワーズは積年のライバルへの激励と考えているのだろう。しかし当人からすれば、対立気味な上司からの督戦として圧力を受け取るかもしれない。

 だが機嫌を好転させたタワーズに反論する勇気はマクモリスにはない。彼もまたこの作戦に去就が掛かっている。作戦が失敗すれば無論のこと、成功したとしても上司の口添えがなければ、太平洋艦隊司令部のチーフ・オブ・スタッフから左遷されかねないのだ。

 不健全な空気が醸成された司令部は、現場との信頼関係を喪失していたのだろう。タワーズからの電信は黙殺されるのであった。


 〈筑紫(ちくし)〉の高角砲が取り外される。弾路が大きく歪み、焦げ付いた鋼板はそこで爆弾が炸裂したことを示していた。

 巨大なクレーンが装甲板を吊り上げ、継ぎ目に赤熱したリベットが打ち込まれていく。

「いやあ、壮観だなあ」

 工藤俊作(くどうしゅんさく)大佐の横で感嘆の声を上げるのは、〈浅間(あさま)〉の艦長である川井巌(かわいいわお)大佐だ。海兵四期上の先輩だが、気さくな態度で話し掛けるような上下関係に緩い。空中艦の指揮が初めてだった工藤も、〈浅間〉やその他の空中艦の経験が豊富な川井に多くを教授してもらった。

「川井大佐、ご経験は?」

「流石に初めてだよ。わざわざこんなことするなら、横須賀や所沢で修繕するよ」

「私は乗ったことはあります。こんなヘンテコな船がこの世にあるのかと驚きましたね」

「おっと。浮きドックだから船じゃないぞ」

 二人が笑い合うのは〈川崎一号〉と呼ばれる巨大な浮きドックの上であった。

 超弩級戦艦を覆えるほどの全長と、そびえ立つクレーンの基礎部分。正面から見るとカタカナのコを転がしたような形をしている。

 川崎重工が進水させた浮きドックは二隻。どちらも硫黄島近くまで第四艦隊によって牽引されてきた。

「〈筑紫〉の装備を〈相模〉に付け替える。〈厳島〉〈橋立〉〈浅間〉の三隻と〈相模〉の四隻で空中挺身隊を編成する」

 草鹿任一(くさかじんいち)の作戦案には度肝を抜かれたが、今こうして〈筑紫〉から取り外される部品を見ていると嫌でも認識させられる。〈筑紫〉の無念を晴らすことが〈相模〉には求められているのだ。

 工藤の自棄っぱちともいえる笑いには、その重圧から目を逸らす意味もあった。川井が話を合わせてくれるのも、それを理解した上での行動だろう。

「硫黄島に海上鎮守府あり、と喧伝したいほどですな」

「摺鉢山には電探が据えられているし、硫黄島航空隊は精強無比。警備府よりも格上となれば鎮守府だね」

 マリアナ諸島防衛に駆り出され船腹を空にした油槽船が、数隻の海防艦に連れられて硫黄島から離れていく。これから横須賀や京浜の油を取りに行くのだろうか。

「マリアナの前に硫黄島を狙われていたら、こうは上手くいきませんでした」

 未だ作戦がぎりぎりの綱渡りなのには変わりはない。自分たちが前線に到着するまでに、全てがひっくり返されていてもおかしくない。

 少しでも早く。

 工藤の思いとは裏腹に、クレーンは吊り荷をゆっくり降ろすのだった。

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