第46話 夕日に染まる帰り道
日が完全に落ちてしまう前に、俺たちは湖畔のベンチを立ち、帰路についた。
夕日に照らされた長い坂道を、俺たちのシルエットが並んで歩いていく。
並んで歩く俺の左手と、舞衣の右手が、歩調を合わせるたびに微かに触れ合う。
足元を見ると、かつて俺たちの自由を奪い、尊厳をゴリゴリと削り合ってきたあの忌まわしい赤い紐は、当然ながらもう存在しない。
もう「呪い」によって強制された繋がりではない。
それでも俺たちは、自分たちの意志で並んで歩き出している。
「いっち、にっ」という掛け声も、もう必要ない。
互いの呼吸を感じ取り、コンマ一秒の狂いもなく歩幅を揃えて進むこの感覚は、どんな呪いよりも強く、俺たちの体に、そして心に深く刻み込まれている。
坂道の途中で、俺はふと足を止めた。
「……駿? どうしたの?」
少しだけ前を歩きかけた舞衣が、不思議そうに振り返る。
夕日を背に受けた彼女の姿が、オレンジ色の光の輪に包まれているように美しく見えた。
ノースリーブのワンピースの裾が、初夏の風に揺れている。
俺は、小さく深呼吸をして、自分の右手を彼女の方へと不器用に差し出した。
「……これからは、紐の代わりに、共に手を取っていこう」
少しだけ声が上ずってしまったかもしれない。
照れくさくて、顔から火が出そうだった。
でも、これはどうしても、言葉にして伝えておきたかった。
呪いで強制されたからじゃない。俺自身の意志で、お前の隣にいたいということを。お前と、同じ歩幅で未来を歩いていきたいということを。
舞衣は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた。
そして、すべてを理解したように、心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……ええ。もちろん」
彼女は一歩だけ俺に近づき、俺の差し出したその手を、両手で包み込むようにしっかりと握り返した。
弓を引き続けた彼女のマメだらけの手と、皿洗いや深夜バイトで荒れた俺の手。
決して綺麗とは言えない二人の手が、隙間なく、強く絡み合う。
指と指を深く交差させ、相手の温もりを直接感じ取る。
繋いだ手をそっと引き寄せると、舞衣の体が自然と俺の胸元へと近づいた。
見上げられた瞳と、至近距離で交差する視線。
夕暮れの柔らかい光の中、お互いの顔がすぐ目の前にある。
雨上がりの屋上で交わした、あの切羽詰まった涙のキスじゃない。
今の俺たちの間にあるのは、ただ純粋な愛おしさと、互いを完全に信頼し切った穏やかな幸福感だけだった。
俺たちは、示し合わせたように自然と微笑み合った。
「好きだぞ、舞衣」
「私も好きよ、駿」
夕日に溶け込むように、静かに唇を重ね合わせた。
笑みを含んだままの、優しくて、どこまでも甘い口づけ。
触れ合った唇から、彼女の少し高めの体温と、心地よいシャンプーの香りが伝わってくる。
世界中がオレンジ色に染まる中、俺たちはただ静かに、互いの存在を確かめ合うように、長い時間、口づけを交わした。
ゆっくりと唇を離すと、舞衣の顔は夕日よりも赤く染まっていたが、その表情は今まで見たどの瞬間よりも輝いていた。
俺たちは照れ隠しに笑い合い、再び指を強く絡ませた。
「さあ、帰ろうか」
「ええ。門限の十八時に遅れたら、お父さんが本当に水鏡署のパトカーを総動員してあなたを指名手配するかもしれないわよ」
「うわ、それはマジで勘弁してくれ……急ぐぞ!」
俺たちは手を繋いだまま、再び坂道を歩き始めた。
足元を縛るものはもう何もない。
俺たちは、自分自身の足で、同じ歩幅で、未来へ向かって進んでいく。
二人の「本当の歩み」が始まる、その確かな足音が、夏の夕暮れの空にいつまでも響いていた。
呪いの紐がもたらしてくれた、最悪で、そして俺の人生で最高の青春。
紐が解けた今でも、俺と彼女の心は、決して解けることのない見えない糸で、きつく永遠に結ばれた夏となった。
第1章 完
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