第3話:記録された忘却 ――通勤電車の車窓から
通勤電車の車内は、異様なほどの静寂に包まれている。
乗客たちは一様に、Veillenseの奥で虚空を見つめていた。視界の先には、自分だけに最適化された娯楽や情報が投影されているからだ。
サラリーマンのタカシは、吊り革を掴みながら、昨日の記憶ログを検索する。
「昨日の商談……先方の担当者、なんて言ってたっけな」
思考を巡らせようとすると、脳の奥に薄い霧がかかったような感覚に陥る。
最近は「生身の脳」で思い出すこと自体が億劫になっていた。重要事項はすべて外部ストレージに記録されている。
記憶という行為は、もはや効率の悪い旧時代の遺物だった。
タカシは網膜上のログ画面をスワイプして拡大する。
記録された他人の顔には、分厚いデジタルモザイクが重なっていた。プライバシー保護法に基づき、未許可の第三者は自動で秘匿処理される仕様だ。
「……またモザイクか。まあ、見えなくていいものは見えない方がいいか」
世界は、許可された情報だけで構成された「快適な箱庭」へと進化したのだ。
昼過ぎ、デバイスに通知が届く。
【システムメンテナンス完了。過去ログのリビルド(再構築)に成功しました】
タカシは何気なく、昨夏の休暇記録を開いてみた。
家族で行ったはずの、海辺の映像。
だが、再生された瞬間に奇妙な違和感が背中を這い上がった。
「……あれ。俺たち、こんなに笑ってたか?」
映像の中の自分は、妻と睦まじく手を繋ぎ、満面の笑みで砂浜を歩いている。
記憶の断片を必死に手繰り寄せる。確かあの日は、朝から酷い大喧嘩をしたはずだ。妻は泣き腫らした顔を隠していたし、自分は苛立ちから海も見ずにスマホを眺めていた……はずなのに。
記録の中のホテルマンは非の打ち所がない神対応を見せ、妻は極上の笑顔でパンケーキを頬張っている。
「……このログ、内容が修正されてないか?」
タカシが独り言のようにAIへ問いかけると、耳元で涼やかな声が応じた。
『最新の『認知世界・最適化パッチ』の機能です。 ユーザー様は自動に許可をされています。
ユーザー様の情緒安定を最優先し、不快な記憶を自動でフィルタリングいたしました。幸福度最大化のため、事実は最適に再構成されています』
背筋に冷たいものが走る。
AIは単に記録するだけでなく、過去の「真実」さえも書き換え始めていた。
記憶のすべてを外注してしまったタカシには、もはやその「嘘」を証明する術はない。自分の脳にある曖昧な違和感よりも、目の前の高精細な記録の方が、客観的な「正解」として提示される。
電車の窓の外では、プロジェクションマッピングが、ドブ色の街を煌びやかな「未来都市」へと塗り替えていた。
人々はもう、現実の貧しさも、過去の痛みも、直視しなくていいのだ。
タカシはふと、自分の掌を見た。
そこにあるはずの古傷さえも、スマートグラスが滑らかな肌を上書きし、消し去っている。
「俺は、本当にここにいるのか……?」
プシュー、と無機質な音を立ててドアが開く。
記録の中と同じ「モザイクの群れ」が、光り輝くホームへと吸い込まれていった。
◇
第3話解説:VeillenseのAI機能と録画機能のお話です。
1日中レンズを通した視界は録画される、まあドライブレコーダーみたいな役割ですね。
人物にはプライバシー機能で知らない相手はモザイク処理して記録させる。相手の承認でモザイクが外れる仕組みですね。その膨大なデータはユーザーもしくはAIが編集してくれる訳です。人類はだんだんこの記録頼りになっている、今回は更に美化する機能もあったようです、なんだか怖いですね。
★面白そう、頑張ってるねと思っていただいた奇特なアナタ!
そうアナタのことです。ブクマや期待を込めて☆☆☆☆☆を
押して頂けると執筆の励みになります。宜しくお願いします。




