第2話:上書きできない指先
潮の香りと、古い木の匂い。
朝日が差し込む理髪店は、激変する時代に取り残された、凪のような場所だった。
床には、切り落とされたばかりの白髪の束。
店主の佐伯は、今日も無言でハサミを動かしている。
◇ 銀色の塔:見下ろす監視者
「おう、マスター。今日もさっぱり頼むわ」
常連のシゲさんが入ってきた。
七十を過ぎて頭頂部は寂しくなったが、彼は毎朝ここに来ては、他愛もない世間話を置いていく。
「シゲさん。今日は港の話、それとも相撲かい」
「いやさ、あの窓の外のデカい塔だよ。ありゃ一体なんだい?」
シゲさんが指さした先には、鈍く光る銀色の塔。
かつてのひなびた港町の景色をあざ笑うかのように、傲然と空へそびえ立っている。
「あれは『電子メガネ』の給電塔らしいよ。街中に電波を飛ばして、常にメガネを充電してるんだってさ」
「怪電波でも流してるんじゃねえだろうなぁ。おっかない時代になったもんだ」
「全くだよ」
◇ 嘘をつけない「手触り」
佐伯はハサミを止め、鏡越しに自分の手を見つめる。
そこには、若い頃の修業時代に負った小さな火傷の痕があった。
「で、その『電子メガネ』とやらは、一体何ができるんだい」
「……ゴミ溜めがラウンジに見えたり、肌の荒れを綺麗にしたり。なんかそんな事ができるみたいだよ」
佐伯の言葉に、シゲさんは不思議そうに首を傾げた。
「ふうん。で、散髪はどうなるんだ。そいつがあれば、髪の形なんて自由自在なんだろう?」
「……要はメガネの中で化けてるだけなんで、そのままだよ」
佐伯はハサミを再び動かし、シャキリ、と硬質な音を響かせた。
「ハゲはハゲ、坊主は坊主そういうこった。――」
その言葉に、シゲさんは得心がいったように大きく頷いた。
「なんだい、結局は見せかけだけか。それのどこが便利なのかねぇ……ちーともわからん」
「まあ、あっちも俺たちのような人間に分かってもらおうとは思ってないわな」
「違えねぇ」
世界中で、急ピッチで給電塔が建てられているという。
目に見えない電波が網の目のように世界を覆い尽くしていく。
佐伯は、そんな無機質な光景こそ、あのメガネで消してしまえばいいのに、と皮肉めいた思考を巡らせた。
彼は指先の火傷の痕を、そっと撫でる。
火は、人類の文明の原初だ。
この小さな痛みの記憶だけは、どんな高度なアルゴリズムでも書き換えられない。
窓の外では、今日も巨大な給電塔が、不気味に低いハミング音を響かせていた。
佐伯はハサミを丁寧に拭き、明日の客のために、世界に一つしかない「手触り」を静かに研ぎ澄ませた。
◇
第2話解説:ここではスマートグラスの給電システムについて。
このグラス、とんでも技術で通信中に給電される仕組みになっていましてそのための新しい給電塔が立っている。古い港町に違和感が半端ありませんね。
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