第12話:ジュンとアイ ――生放送の「バグ」
番組は、全セクター同時配信のクライマックスを迎えていた。
視聴率(同時接続数)は最高潮。網膜に直接流れ込むコメントの濁流は、称賛と羨望の「光の粒子」となって、スタジオを埋め尽くしている。
「……そう、私たちは一つのシステムとして、永遠に最適化された幸福を共有し続けるんです」
メインパーソナリティ、ジュンの完璧なテノールがスタジオに響き渡る。隣に座るアイの、CGよりも緻密に設計された瞳が、うっとりと彼を見つめ返した。
二人は、NT国家連合がプロデュースする「人類の理想像」そのものだった。
その肌には毛穴一つなく、その瞳には一点の曇りもない。彼らが纏うのは、重力さえ無視して美しく翻る、光ファイバーの織物だ。
その時だった。
スタジオの照明が、一瞬だけ、瞬きするように暗転した。
それは上層部の管理者エドワードが試みた「三分間の暗闇」の余波だったのか。あるいは、膨張しすぎた認識レイヤーの負荷に、NT国家の計算資源がわずかな悲鳴を上げたのか。
二人のスマートグラスに送られていた指向性給電が、コンマ数秒、途絶えた。
「あ――」
アイの口から、精密に調律されていない、かすれた「生の音」が漏れた。
次の瞬間、全視聴者の網膜に、凄まじい視覚ノイズが走る。
書き換え(アップデート)が止まり、レイヤーが剥がれ落ちる。
ダイヤモンドを散りばめたようなドレスが霧散し、そこには、サイズも合っていない安物のグレーのスウェットを着た、痩せっぽちで、血色の悪い「少女」が座っていた。
そして、隣のジュン。
彫刻のような美貌は無惨に剥がれ落ち、そこには、ひどい乱杭歯を露出し、左右の目の高さも揃わない、お世辞にも「美しい」とは言えない、必死な顔をした「少年」がいた。
AIの翻訳が、現実の露出に追いつかない。
彼らは、互いの「本当の姿」を、数十年ぶりに――あるいは人生で初めて――網膜に映してしまったのだ。
スタジオに、凍りつくような沈黙が流れる。
視聴者たちは、この「最悪の放送事故」……自分たちが信じていた神話が泥にまみれた光景に、生理的な嘔吐感を催した。画面は一瞬にして、罵倒と非難のコメントで埋め尽くされようとした。
だが、二人は動かなかった。
ジュンは、アイの「くしゃくしゃになった、涙と鼻水で汚れた顔」をじっと見つめた。
アイは、ジュンの「不揃いな歯と、怯えたような視線」を、剥き出しの裸眼で捉えた。
次の瞬間。
二人は、同時に、腹の底から声を上げて笑い出した。
それは、AIが推奨する「優雅な微笑」ではなかった。
喉を震わせ、酸素を求めて喘ぎ、横隔膜を痙攣させるような、ひどく不細工で、野性的で、制御不能な笑いだ。
これまでの人生で一度も出したことのない、自分たちの「肉体」が奏でる咆哮だった。
ジュンが、アイの震える手を掴んだ。
それは仮想的な握手ではない。物理的な質量を持って、ぎゅっと、骨が軋むほど強く握りしめる。
アイは、ジュンの胸に顔を埋めた。
そこには高価なスキンの香料ではない、安物の洗剤と、ひどく酸っぱい「生身の汗の匂い」があった。その匂いを吸い込んだ瞬間、アイの全身に、かつてないほどの「生存の充足感」が駆け巡った。
「……あはは! なんだ。君、こんなに、変な顔してたんだね……!」
ジュンの、幼く、震える地声。
その瞬間、システムが復旧した。セルフヒーリング・プログラムが走り、瞬時に二人の姿を「完璧な美男美女」へと書き戻していく。
しかし、無駄だった。
「上書きされた美貌」の下で、二人はまだ、くしゃくしゃに顔を歪めて笑い合っていた。
たとえ視覚がどれほど美しく塗りつぶされようとも、二人が交わした「手の痛み」と「汗の匂い」は、もう消えはしない。
網膜に投影された偽物の笑顔の奥から、彼らの生の熱量が、制御不能な「バグ」として放射され続けていた。
「ねえ、ジュン。……すごく、不味そうな匂いがする」
「ああ、最高だ。これが、僕たちなんだ」
完璧な映像の中で、二人の少年少女は、初めて自分たちの重力を取り戻した。
視聴者たちの非難は、いつの間にか、困惑を伴う静寂へと変わっていた。
彼らは気づき始めていた。どれほど解像度を上げても、この二人の「不細工な喜び」が放つ眩しさには、一歩も及ばないということに。
その放送事故のログは、後にNT国家連合によって徹底的に抹消された。
しかし、その瞬間に流れた「汗の匂い」の記憶だけは、視聴者たちの嗅覚の奥底に、消えない不協和音として刻み込まれたのだ。
第12話解説:今回はスマートグラスを付けた男女が結婚したらどうなるの?ということで「新婚さんいらっしゃい」的な番組で2人に語っていただきました。スマートグラスを受け入れなかった人類、彼は裸眼族といわれ差別されている世界。ジュンとアイはこのあとどうするんでしょうね。




