早朝の食堂
明け方くらいからソワソワして、いつもより1時間も早く目が覚めた。
まだ5時前だよ。
学校までは馬車で30分。
始業は8時。
いつもなら2度寝するところだがね。
俺は勢いよく起き上がる。
今日からしばらくベアドがいないからな!
早く学校へ行かないといけない。
1人で登校するのは初めてだ。
俺は朝から気合十分、やる気に満ち溢れていた。
こっちの世界は夜更かしの誘惑がほぼないからな。
寝るのも早いし、早起きはそれほど辛くない。
枕元のベルを鳴らしてメイド達を呼び、さっそく朝の支度にとりかかる。
フラボワーノの使用人達は優秀だ。
早朝の呼び出しにもかかわらず、嫌な顔一つせず働いてくれる。
この前、オレオンにつっこまれたからな。
口紅も忘れずにヌリヌリしてもらった。
広い食堂にて、今朝はぼっち飯だ。
こっちに来てから初めてかもしれない。
1人で飯食うの。
おっさんは居たり居なかったりだが、ベアドが必ずいた。
まあ、今も使用人が沢山ウロウロしてるからな。
純粋な1人じゃないんだが。
メニューは、チーズ入りの小さなオムレツと、小ぶりのパンを1個。
薄味の野菜スープを少しと生オッパイオだ。
パンはドライフルーツが入った焼き立てで、めっちゃいい匂いがする。
この体は胃が小さいし、コルセットもしてるのであんまり食えない。
少ないがこのくらいの量が適当だ。
小食だよなぁ。
だからパイパイが育たないんだよ。
アーニャちゃんとか、朝は何食ってんのかな?
あの巨乳を維持するには、相当なカロリーが必要そうだ。
今日、さっそく聞いてみよう。
ルジンカはまだ16歳。
俺のパイには、まだ成長の可能性が残されている。
胸なんて大きい方がいいに決まってるからな!
できる努力はしておきたい。
使用人に給仕されながらセカセカと飯を食う。
なるべく早めに家を出たかった。
食後の熱々リゴーには冷たいミルクをガッツリ入れて冷ます。
一気飲みしようとした時、おっさんが食堂に現れた。
まだ寝間着にガウンだ。
「おはようございます。パパ」
「あれ?ルジンカちゃん、今日はずいぶん早いね?」
俺の前にあるのが食後のリゴーだと気づき、驚いている。
「はい。今日はベアドがいないので早く行かないと!・・・・・どうしました?」
おっさんが奇妙な顔で俺を見ていた。
「・・・ベアドから何か言われたの?」
「え?特になにも」
「じゃあ、なんでこんなに早く行くの?」
「え?・・・なんか目が覚めちゃったんで・・?」
まあ、1人で学校へ行くのは初めてだしな。
人が多い時間より、少ないうちに教室に入ってた方が気が楽だろ。
俺、めっちゃ注目されてるし。
ラッシュの時間に行くから、余計ジロジロ見られんだよ。
・・・いや、変だな?
だって、これは今思いついた理由だ。
“なんか目が覚めちゃったんで”
俺は自分の言葉の矛盾に気づく。
俺が早く学校へ行くのは、目が覚めたからじゃない。
“ベアドがいないから”だ。
しかし、なんでベアドがいないと、早く学校へ行かなくちゃならないんだ??
己の不可思議な思考に、頭がフリーズする。
「そうか・・全部思い出したわけじゃないんだね」
おっさんがちょっと興奮したように呟きつつ、俺の隣のイスに腰を下ろす。
「ルジンカちゃんは、いつもそうしてたんだよ。ベアドがいない日は早めに学校へ行ってね。今日も、もしかしたらと思って一応見に来たんだけど」
なるほど。
「俺の意思じゃないのか・・ルジンカちゃんの習慣だったとは!」
思わず声に出す。
使用人達が「は?」という顔になった。
おっさんに会わないまま学校へ行ってたら、最後まで気づかなかったかもしれない。
俺は自分の記憶とルジンカの記憶を完璧には区別できていない。
頭は1個しかないからな。
過去の知識として記憶を思い出す分にはいいんだけどさ。
こういうのはビビるからやめて欲しい。
思い出してるなら、今思い出してますよ!って合図しろよな。
「気づいてなかったの?」
言いながら、おっさんは頭の横まで持ち上げた手をヒラヒラ振る。
それを合図に、食堂にいた使用人達が小さく礼をし、一斉に退出していった。
すげぇ。
「はい。ルジンカちゃんは何やってたんですかね?学校で」
俺の質問に、首を横に振るおっさん。
「わからないね。むしろ、思い出したら教えて欲しいな。以前のルジンカちゃんは、私とはあんまり話してくれなかったんだ。お年頃になってからはさ・・・今が一番会話が多いね。ここ数年の中で・・・」
よく聞く話だけど、めっちゃ悲しいな。
父子家庭みたいなもんなのに。
「でも、なんでお兄さんのいないときだけ?」
「さあ?ルジンカちゃんはもともと出発が早かったよ。ムラはあったけど。ベアドが一緒に住むようになってから遅くなったね。いないときだけ元に戻してたのかもしれないけど・・・」
そんなつまんない理由で、あんなに焦るか?
ベアドは何か知ってんのかな?
そう考えた瞬間だった。
「ベアドには言わないでもらえません?このこと」
はっきりとした理由も自覚もなく、なんとなく口止めをする。
そうすべきだと思った。
「それはいいけど・・・前も同じこと言ってたよ。ベアドに言うなって・・」
「学校に早く行くことを・・?」
「うん。まあ、彼は知ってたっぽいけどね・・」
「なんでルジンカちゃんはそんなコソコソと?」
学校くらい堂々と行こうぜ。
「わからないね。というか、今もなんで口止めしたの?」
「え?なとなく??」
そうとしか言えない。
「まあ、ちょっとづつ思い出せてるのはいい事だよね・・」
そう言うわりに難しい顔をしている。
「そういえば、今日はベアドなんだね?」
「え?」
「いつもはお兄さんか、お兄様じゃない」
なんだ、呼び名のことか。
「はあ、今は本人がいないんで」
「ベアドの名前呼ぶところ見るの初めてだよ」
おっさんの中で、昨日の「マンティコの実が食べたい?ベアド」発言は、この世に存在しなかったことになっている。
「そうでしたっけ?」
「うん。なんで呼んであげないの?」
「別に呼んでもいいんですけど。ただの温存です」
「温存?」
「はい。ここ一番の時のために。最初に鉢見せてもらう時使ったら効果絶大でした」
あの時も昨日もいいリアクションしてたよな。
まあ、昨日のはマンティコの実のせいか。
「でも、ベアドがいない時も呼んでないじゃない」
「もう癖になってるんで」
「ふーん・・・温存なら一生使わないと思うよ。ベアドがルジンカちゃんの頼み断るわけないもん。私は彼のそういうところ、全く評価してないんだけどね。あんな猥褻本ぶら下げて来て・・・」
だいぶ根に持ってるな。
タワワーナも没収されちゃったし。
やっぱルーガに貸してもらおう。
「まあ、いいんだけどね。ベアドのことなんてどうでも」
怒りが冷めやらぬおっさんが、吐き捨てるように言った。
というか、今の俺には時間がない。
時計に目をやり、のんびりしすぎていたことに気づく。
「大変!すみません、パパ。もう行きますね!」
ナプキンで口元を拭い、急いで席を立った。
そうだ、口紅塗り直さないと!
飯食う前に塗るのは無意味だな。
「え?行くってどこへ?」
「どこって、学校ですってば!・・・じゃ、行ってきます!」
「だから、まだ早いよ・・・?」
「でも、今日はベアドがいないので・・!」
「え!?」
なぜか動揺するおっさん。
最初から言ってんのにな?
今日はベアドがいないから早く行くって。
とんちんかんなおっさんをシカトし、俺は小走りで食堂を出る。
「ルジンカちゃん!!」
1階への階段の手前まで来たとき、俺を追って来たおっさんに呼び止められた。
わずかな距離なのに息が上がり、血相を変えている。
メタボだからな。
あんま無理すんなよ。
「なんです??」
「・・・君・・・・・!?」
なんだ?
どうした?
「パパ?」
「・・・ルジンカちゃん、その・・大丈夫?」
「なにがです??」
おっさんこそ、大丈夫に見えない。
「どうしてベアドがいないと早く行くの・・・?」
「え?またその質問?」
不意に、歩み去って行く男の後ろ姿が脳裏をかすめた。
男の髪は金色で・・
いっきに焦燥感が湧き上がる。
「すいません、本当にもう時間がないんで!」
ジリジリしながら返事をする。
おっさんは息を詰め、目を皿のように見開いている。
「・・あの、パパ?ホントにどうかしましたか??」
具合でも悪いんだろうか?
さすがに心配になり、駆け寄ろうとする。
「いや・・・なんでもないよ」
フッと肩の力を抜き、微笑むおっさん。
「ごめんね、急いでるところ。行ってらっしゃい、ルジンカちゃん」
気をつけてね、と手を振る姿はいつも通りだった。
マジで何だったんだ?
まあ、帰ったら聞けばいいか。
「じゃあ、行ってきます!」
俺は元気に挨拶をすると、わき目もふらず階段を駆け下りて行った。
今日の馬車には侍女が同乗している。
リリアではなく別の侍女だ。
ライラとかいったか。
色白で物静かなお姉さんだ。
ほとんど話したことはないし、今も会話はない。
記憶喪失のお嬢様をこれ以上混乱させないため、使用人達は必要以上に俺に話しかけないよう、指導されている。
俺の秘密を知るリリアは還暦過ぎだ。
あんまり無理をさせられないので、若手が選ばれたんだろう。
俺と馬車に同乗し、授業が終わるまで学校に待機するのが彼女の今日のお仕事だ。
俺としてもキレイなお姉さんと一緒に馬車に乗れるなら文句はない。
馬車が動き出したタイミングで時計を確認する。
まだ6時半を過ぎたばかり。
出がけにバタバタしたけど、大丈夫そうだ。
ホッと息をつく。
安心したら急に冷静になり、気づいた。
大丈夫って・・・??
何が??
俺は何でこんなに慌てて出発したんだ?
始業まで1時間近く余るだろう。
いや、早いのはいいんだが。
人が少ないし。
たまの機会だし?
でも、あんなに慌てる必要はなかった。
これはルジンカちゃんの習慣で、俺の都合じゃない。
おっさんとそう話してたろ。
完全にすっぽ抜けてたな。
強引に出てきちゃったよ。
さらに、そこでようやく思い至った。
鉢だ!
鉢の予知を見るの忘れた!!
毎日かかさず見ていた。
おっさんもそのつもりで起きてきたんじゃないか?
執務室の金庫に保管してるからな。
どうする?
引き返した方がいいか?
予知は大事だ。
以前、数日見ない間に寿命が思いっきり縮んでたからな。
最後に見たのは昨日。
大荒れの家族会議の前だ。
理由もわからず2日連続寿命が延びていたし、こういう時は小まめにチェックしておくべきだろう。
でも、今戻ったらもう間に合わない・・・
すでにギリギリだ。
よくわからないが、そんな気がする。
なんとなくの予感より、予知を優先すべきだ。
俺だけじゃなく、おっさんやベアドの命もかかっている。
・・・わかっているのに、馬車を止めろ、の一言が言えない。
だって、俺は早く学校に行きたいんだよ。
なぜなら、今日はベアドがいないからな!
まあ、鉢は帰ってからでいいだろ。




