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暗雲(2)

…………………


 夕刻。


 私たちは荷物を纏めて避難する準備を進めた。


 ヨルムの街の住民たちはジョディから危険を知らされると、明日にでも避難すると言って、同じように荷物を纏め始めた。


 いつでも戦争難民というものの姿は虚しいものだ。


「今日でこの家ともお別れだ。別れのキスでもしてやろうか」

「やめてよ、兄さん。気持ち悪い」


 だが、それでもジョンたちの一家は元気に過ごしている。


 今日もジョエルの作った夕食をいただき、私たちは首都からセリニアンが馬車で来るのを待っていた。静かな時間で、波の音が心を癒してくれていた。


 その時だ。西の空に光が瞬いたのは。


「今のはまさか……」

「クソ。前線が突破されたぞ」


 空に上がるは凶兆の光。住民に前線が突破されたことを知らせる光だ。


「今から街道を首都に向けて進もう。セリニアンには途中で拾ってもらえばいい!」

「分かった! 行くぞ、ジョディ、ジョエル!」


 私たちは大急ぎで家を飛び出して、街道を進む。


 このヨルムの街の住民は黙示録の天使が現れたかのように西の空の光を眺めている。そんな暇があるなら急いで逃げてくれと私は心の中で念じる。


「セリニアン! 敵の攻撃が始まった! 急いでくれ!」

『了解しました! もうすぐ着きます!』


 頼む。セリニアン。君だけが今の頼りだ。


 私たちは街道を進む。黙々と後方から聞こえてくる蹄の音などを無視して突き進む。だが、ジョンとジョエルのふたりは、速くは走れない私とジョディが遅れないように、ゆっくりとしたペースで歩いてくれていることが分かった。


 今はそれはありがたいが、これからどうなるのか。


 すでにレイスナイトはこの街に入り込んでいる。街の住民を殺し始めているはずだ。それから逃れることができるだろうか。


 私がそう疑問を感じていた中、前方から蹄の音が響いてきた。もしや……。


 馬車だ。セリニアンが手綱を握った馬車がこの街道に姿を見せた。


「女王陛下! こちらです!」


 セリニアンが声を上げるのに、私は急ぐ。


「セリニアン。よく来てくれた。危うい状況だったのだよ」

「理解しております! 客人たちを乗せるならば急ぎましょう!」


 馬車に荷物を放り込み、私が告げるのにセリニアンが鋭くそう返す。


 そだだ。ジョンたちを早く乗せなければ。


「ジョン、ジョエル、ジョディ! 速く馬車に乗ってくれ! 時間がない!」

「分かった! ジョディ、お前から乗れ!」


 3兄妹は妹のジョディから先に馬車に乗り込み始めた。


「ジョエル兄さん! 後ろ! 危ない!」


 馬車に乗るのを待っていたジョエルの背後にレイスナイトが姿を見せた。


 周辺の空気が冬のように冷たくなるのが分かる。それと同時に馬の嘶きが響き、そしてレウスナイトの笑い声が響いた。腹立たしいくらいに高らかとした笑い声が響き、それがジョエルに迫る。


「ジョエル! 逃げろ!」


 ジョンがそう声を上げるが、全ては遅すぎた。


 ジョエルの胸をレイスナイトのランスが貫き、ジョエルは口から血を吐いて倒れる。


 もうダメだ。あれでは即死だ。


「ジョン! 彼は死んだ! 急いで君も馬車に乗れ!」

「誰が弟を見捨てていけるかよ!」


 私の言葉にジョンがそう叫び、武器を抜いた。


「無駄だ! 君のその武器ではレイスナイトを倒せない!」

「やってみなきゃ分からないだろう! 俺は弟を殺されて黙っていられるような人間じゃないんだよ! さあ、来やがれ、化け物ども!」


 私の説得も虚しく、ジョンはレイスナイトへと向かっていった。


「はあっ!」


 ジョンがレイスナイトに切りかかるが、それは効力を発揮しない。霊体系ユニットに普通の武器が通じるはずはないと思っていたが、やはりそうだった。


「ごふっ……」


 ジョンはレイスナイトからの一撃を受けて、口から血を漏らし、地面によろめきながら倒れた。もう立ち上がることがはないだろう。


「ジョン兄さん! ジョエル兄さん!」


 ジョディはひたすらに叫んで叫んでいる。自分の家族が一瞬で失われたとは信じられない形相で。


「……セリニアン。出してくれ」

「畏まりました、女王陛下」


 私が静かに命じるのに、セリニアンが馬車を発進させた。


「待って! 兄さんたちが生きてる! 立ち上がっているの!」


 ジュディがそう告げるのに私は背後を向く。


 確かにジョンとジョエルは立ち上がっていた。ただし、死体として。


 ネクロマンサーが笑うカラカラとした笑い声が響く。


「よく見ろ、ジョディ。あれは君の本当の兄弟か? あのふらついて生気のない顔は本当に君の兄弟か?」

「でも、兄さんたちは起き上がって……」


 ジョディに現実を告げるが彼女は受け入れようとしない。


「あれはもう君の兄弟じゃない。ネクロマンサーに操られる傀儡だ。もう君の兄弟ではないんだ。私を迎えてくれた兄弟ではないんだ。そのことを理解してくれ、ジョディ。君が今戻れば彼らの努力は無駄になる」


「でも、でも……」


 ジョディは現実を受け入れられずに涙をこぼす。


 だが、やがてジョンたちの姿が見えなくなると、ひとりで泣き始めた。


 私はそんなジョディの体をそっと抱きしめる。


 ジョディの体は小さく震えており、その震えが私の体に伝わって生きた。そのうち、ジョディの体の震えは止まり、彼女は嗚咽を漏らすだけになった。


「セリニアン。追撃は?」

「ありません。あったとしても叩き切ってやります」


 私がジョディを抱き締めたまま尋ねるのに、セリニアンがそう返す。


 ひとまずのところ、苦境は脱したか。


 犠牲は大きかったが、私たちは無事に首都に向けて進んでいる。


 だが、その首都もヨルムの街が陥落したことで、ネクロファージたちの射程圏に入っている。急いで防衛態勢を整えなければ。


 私は約束したんだ。ジョンに。


 首都に来るならば安全だと。


 そして、ジョンは死しても、ジョディという彼の家族を預かった私はその義務を果たす必要がある。ジュディが安心して暮らせるようなセーフ地帯を作らなければならない。それが今の私の役割だ。


 だが、果たして果たせるだろうか。

 

 敵は大陸の国々を食い荒らし、ポートリオ共和国の首都に王手をかけている。それを打ち破れるかどうか。


 それでも何としても約束は果たさなければ。


 そして、ネクロファージの連中にはお礼を返してやらなけれはならない。奴らが好き勝手にした分はネクロマンサーの首で贖ってもらうさ。


 そうすることが今の私の役割なんだから。


…………………


…………………


「アラクネアの女王は取り逃がした、と」


 ネクロファージ帝国の首都グレイブでそう呟くのはひとりの少女。


 あのアラクネアの女王の夢の中に何度も姿を現した存在であるサマエルだ。


「まあ、こうでないとですね。こうでないと面白くない。そう簡単にやられてしまってはつまらないというものですよ」


 サマエルはそう告げると、水晶玉を見下ろす。


「敵はどうやら首都フォトンを拠点として戦うつもりのようですね、これまでのイージーゲームな試合にも飽きてきたところです。アラクネアの女王────さんが、事態をひっくり返してくれることを祈ろうではありませんか」


 サマエルはヨルムの街から逃げ去っていくグレビレアたちを見ながらそう告げる。


「次の攻撃はいつ頃を予定しましょうか、マスター」


 ネクロマンサーのひとりがそう尋ねる。


 ネクロマンサー。皮と骨だけが残り、その他の肉体的要素は消え去った、見るからに異形のそれがサマエルに問いかける。


「しばらくは攻撃を控えても結構ですよ。私は神聖オーグスト帝国の死者たちを十二分に取り込んでから次の戦いに臨みたいと思っています」


 サマエルはネクロマンサーに向けて微笑んで告げる。


「ああ。しかし、また怨嗟の香りがします。素晴らしい憎悪の気配が。なんて素晴らしいんでしょうね。人間というのはこれだから遊び甲斐があるというものです」


 サマエルは胸を押さえて、踊るようにステップを踏んだ。


「さあ、この戦争の向かう先には何があるのでしょう? 人類の全滅? それとも獣たちが食らい合って、地上の地獄を作りだす? どちらにせよ、楽しみで楽しみで仕方ないですね」


 そう告げてサマエルはクルリと回った。


「素敵な、素敵なゲーム。人間たちと遊ぶのはいつだって楽しい。あのアラクネアの女王様にはもっともーっと頑張ってもらわなくてはですね。存外あっさりとニルナール帝国が滅びてしまったので、ネクロファージがお相手しますよ」


 けらけらと笑う。サマエルが笑う。


「さあ、憎悪と絶望の中で人の心なんて忘れ去ってしまうといいでしょう。それが母親を殺し、そして────を殺したあなたにはお似合いだ、アラクネアの女王グレビレアちゃん。精一杯地獄でくつろいでいってくださいね」


 サマエルは小さく笑うと、ネクロファージの首都グレイブにおいて、新大陸に残る国家であるポートリオ共和国の壊滅に向けて動き始めていた。


 次の相手は大悪魔。


 そのことを知らぬアラクネアの女王はただただ自分のなすべきことを始めていた。


…………………

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