漂着
…………………
──漂着
「──い! 聞こえないのか! 死んでるのか!」
酷く乱暴な声が私の耳に入ってきた。
全身が痛い。それに寒い。
「死んでるんじゃないか?」
「いや。息はしているみたいだけどな」
私はゆっくりと目をあける。
すると入ってきたのは2名の若い男。兄弟か親戚なのかよく似た顔をしている。私はぼーっとしたまま彼らを眺めていた。
「兄さん。目を覚めしてるよ」
「本当だ。大丈夫か、あんた?」
やはり兄弟か。よく似ている。
「大丈夫だ。ここはポートリオ共和国で間違いないだろうか?」
「ああ。ここはポートリオ共和国のヨルムだ。沖で船が難破したらしくていろんなものが流れてきているが、あんたの乗っていた船か?」
そうだった。船がシーサーペントにやられたんだった。
「ここには私以外の人間──や人間に似た存在、あるいは蟲のような存在は流れ着いていないか? ここには私しかいなかったか?」
「蟲のような存在? そんなものは流れ着いていないぞ」
スワームたちは全滅だろうか。いや、中型船や別の大型船に乗っていたものは無事に嵐を乗り切ったかもしれない。
だが、セリニアンは無事だろうか。ライサは無事だろうか。
セリニアンは泳げないのに海に投げ出されて、死んだりしていないだろうか。
「なあ、あんた本当に大丈夫か?」
「あまり大丈夫ではないな。一緒に乗っていた仲間たちが嵐とシーサーペントにやられてしまったかもしれない」
男のひとりが尋ねるのに、私はそう告げて返した。
「そうか……。それは気の毒にな。とりあえず服を乾かさないと風邪をひく。家まで案内するからそこで着かえるといい。体が冷えていると考えまで、悲観的なものになる」
随分と親切だな。だが、今はこの親切に乗らせてもらうとしよう。今の私には行く当てもなければ、やれることもないのだから。私はスワームたちがいなければ、凡人以下の存在なのだ。
「ところで、君たちの名前は?」
「ああ。俺はジョン、こっちは弟のジョエルだ。あんたの名は?」
私が尋ねるのに、ジョンが尋ね返してくる。
「私はグレビレア。東部商業連合の方から来た」
「東部商業連合か。交易路がほとんどなくなって随分と経つが、まだやって来ようっていう根性のある奴がいたとはな」
私は東部商業連合の人間だとは言っていない。あくまで東部商業連合の方から来た、だ。詐欺には注意。
「交易路は断たれているのか?」
「ずいぶんとシーサーペントが増えてな。国も駆除をしているんだが数が多い」
ふむ。シーサーペントが増えているというのは何か理由があるのだろうか。
「それはいつごろから?」
「ネクロファージっていう連中が現れたころだ」
ネクロファージ。やはりか。
ニルナール帝国はネクロファージが大陸に侵攻してくるのを恐れていた。そのために旧大陸と新大陸を隔てる障壁としてシーサーペントを作ったのだろう。グレゴリアにはシーサーペントがユニットとして存在し、それは私たちはでくわした奴にそっくりだ。
「……あんたはネクロファージの関係者じゃないだろうな?」
「違うよ。私は歴とした人間だ。死体じゃない」
ネクロファージのユニットと間違われるとは失礼な。
「そうか。しかし、旧大陸の連中もネクロファージについては知ってるんだな」
「いや、君たちの方から援軍要請が来たと聞いているが。私たちはそのために来たわけだしな」
ジョンが気楽にそう告げるのに、私は首を傾げてそう返した。
「援軍? あんたが?」
「私の率いる軍勢が、だ。上手くいけば今頃は戦う準備を進められていたのだが」
ワーカースワームたちは生き残っているだろうか。
「信じられないな。女の傭兵団長ってのは来たことがあるが、あんたみたいななよなよした奴じゃなかったぞ」
「さっきから随分と失礼だな、君は。私は確かに旧大陸から援軍として派遣されてきた。証拠はこれだ」
そう告げて私は辛うじてまだ脇に下がっていたポシェットをまさぐると、そこから東部商業連合の外交文書が収まった箱を取り出した。箱は防水になっているので、中の書類は無事なはずだ。
「なんだ、その箱?」
「これは東部商業連合の外交部が外交文書を送り込むときに使う箱だ。この中には私が援軍だとする旨を記した書状が入っている」
って、旧大陸の人間でも早々知っている人間が少ないものを証拠として挙げてもあまり意味はないな……。
「もう気にしないでくれ。私はただの漂流者だ」
「なら、来てくれ、漂流者さん。そこが俺たちの家だ」
こういう時に下手に身分を疑われない土地でよかった。これが余所者に厳しい土地だと何があるか分からないからな。
そうしてついたジョンの家はそれなりに立派な家だった。オープンテラスには木製のテーブルと椅子が置かれたお洒落な家で、玄関も綺麗に掃除されていた。まるで浜辺のペンションと言った面持ちだ。
「ジョディ! 来てくれ! お客さんだ!」
ジョンは家に入るなり、私の知らない人の名を呼んだ。
「どうしたの、兄さん。客人だなんて……」
そして、ジョンの呼び声で現れたのは若い女性だった。顔立ちはジョンたちにはあまり似ていない。だが、その可憐さは実に評価できる。可愛らしい人だ。
「まあ、とっても可愛い子! 兄さん、まさか誘拐……」
「違う、違う! 今日、海岸に倒れてるのを見つけたんだ。グレビレアっていうらしい。東部商業連合の方から来たらしい。とりあえず、濡れてる服を替えさせてうやってくれないか?」
ジョディがうろたえるのに、ジョンはそう告げて私を指さした。
「はいはい。分かりましたよ。グレビレアちゃんだっけ。私はジョディ。今からその濡れた服を着替えようか。私のお古ならまだ残ってるはずだから」
ううん。18歳ぐらいだろうジョディの洋服は私には合わないだろう。お古があるというのならば、それに期待させてもらおう。私もサイズの合わない服を引き摺って歩き回るのは嫌だしな。
「その前に体を洗った方がよさそう。今、お湯を沸かすから待っててね」
「いや、そこまでしてもらう必要は……」
私は厄介になりすぎるのも申し訳ないので断ろうとしたのだが、ジョディはさっさと風呂を沸かしに向かってしまった。
なんだか申し訳ないな……。
そして、待つこと30分。私にも冷が感じられてきたとき、ジョディが戻ってきた。
「お湯、沸いたと思うよ! 入ろうか、グレビレアちゃん!」
ジョディがようやく戻ってきた。
「では、失礼して」
「せっかくだから一緒に入ろう!」
私が風呂場に向かおうとするのに、ジョディが飛び掛かってきた。
うむ。人と一緒に入るのも悪くない。
あの温泉以来、セリニアンはなかなか一緒にお風呂に入る機会がないし、ライサは遠慮するし、私は寂しい思いをしていたのだ。ここで一緒に入れる人物が現れたのはいいことかもしれない。
「ジョディ、君は以前からここに住んでいたのかい?」
私はぬくぬくとしたお湯につかりながらそう尋ねる。
「いえ。もっと南に行ったところに住んでいたの。けど、ネクロファージが攻めてきて私たちは追われるように北に。この家は前の持ち主の人がナーブリッジ群島に逃亡したから安値で売ってもらえたの」
そうか。ポートリオ共和国は既にネクロファージに国土を侵略されているんだな。
「実を言うと私はネクロファージの脅威を取り払うために旧大陸から送り込まれた援軍なんだ。やれるかどうかは分からないけれど、ネクロファージから君の大地を取り戻せるよう努力してみるよ」
「えっ? グレビレアちゃんが旧大陸からの援軍? 嘘だー!」
って、やっぱり信じてもらえないか。
「でも、本当だ。いずれは新大陸からネクロファージを駆逐してみせる。今はただの凡人以下の存在だけれど、部下がいればそれなりに戦えるんだよ」
「フフッ。グレビレアちゃんって面白いこというのね。けど、そうなったら嬉しいかな。私たちも故郷に戻りたいし……」
私と一緒だ。元の世界に帰りたがっている。
私もできることなら元の世界に帰りたい。たとえ父さんと母さんが死んでいたとしても。私のいるべき場所はあそこなんだという気がする。
けれど、サンダルフォンは私は元の世界に帰れないと告げる。何があったんだろうか。私は母さんを終わらせる以上の何かをしてしまったのだろうか。
「私も一緒だよ。私も故郷に帰りたい。そのためにネクロファージを倒す」
私は決意を込めてジョディにそう告げる。
「グレビレアちゃんも故郷を追われたの?」
「似たようなものだ。私はネクロファージを倒せば、元の世界に戻れると思ってる」
ジョディが訝し気に尋ねるのに、私は小さく笑ってそう返した。
「そっか。なら頑張らないとね」
「ああ。頑張らないとな」
ジョディはそう告げるとにこやかに笑い、私もつられて微笑んだ。
人間というのは強いものだ。故郷を追われても逞しく生きていける。
「じゃあ、そろそろあがろっか」
「ああ。上がろう」
私とジョディは風呂を上がり、体を拭いた。
私に与えられたジョディのお古の服は丁度いいサイズだった。実に助かる。
「ジョン兄さん、ジョエル兄さん。お風呂あがったよ」
「おお。上がったか。で、グレビレアは具合はよくなったか?」
ジョディが声を上げると、ジョンがその言葉に応じた。
「ああ。おかげさまでだいぶ安心出来てきた。椅子に座っても?」
「構わんよ。今、ジョエルが夕食を作っているところだから少し待ってくれ」
私はふてぶてしくも椅子のひとつに腰かけた。
「セリニアン。セリニアン。無事か?」
私は集合意識にそう呼びかける。
『無事です、女王陛下。今、ポートリオ共和国の首都フォトンにいます。ですが、役人たちと揉めているところで。我々を旧大陸からの援軍だと信じないのです。どうするべきでしょうか?』
そうだった。旧大陸からの紹介状は私が持ったままだった。
「私はヨルムという場所にいる。そこまで迎えに来てくれたら、外交文書を手渡せるだろう。馬車か何か準備できるか?」
『やってみます。いざとなれば強奪してでも』
そういう手荒いことにならないことを祈るばかりだ。
「じゃあ、待っている。私は無事だから安心してくれ」
最後にそう告げると私はセリニアンとの対話を終えた。
「……誰と喋ってたんだ?」
「部下とだ。私たちはいつでも連絡を取ることができる。直に迎えが来るだろう。そうなったら礼をするよ」
ジョンが怪訝そうに尋ねるのに、私は肩を竦めてそう返した。
「旧大陸の新しい魔術か。ジョディが興味を持ちそうだな」
いや、興味を持たれても困るのだが。私たちのは魔術ではなく集合意識という生態であるのだから。
「できたよ、みんな、夕食だ」
私とジョンが話しているとジョエルが皿を運んで持ってきた。
メニューは魚の塩焼きに、サラダ、それに魚介の入ったスープと豪勢だ。
「ここは魚だけはよく捕れる。もっとも沖合に出るとシーサーペントに出くわすから近海でしか漁はできないんだがな」
ジョンはそう告げると私に手招きして食卓に導いた。
「すまないな。風呂と衣服を借りて、その上食事まで」
「気にするな。ジョエルによればあのドレスは貴族様御用達の代物らしいじゃないか。それなら、お礼ってのに期待できそうだろう?」
私が告げるのに、ジョンが二ッと笑った、本気にはしていないたずら気な笑みだ。
「お礼はちゃんとするとも。私はこう見えて旧大陸でも屈指の資産家なんだからな」
そうとも。お金はある。マルーク王国で、シュトラウト公国で、フランツ教皇国で、ニルナール帝国で略奪した富が。
薄汚れた富だが、彼らは受け取ってくれるだろうか?
「おい、ジョエル。サラダ取ってくれ」
「はい、兄さん」
「ジョエル兄さん。塩焼きに塩使いすぎだよ」
「ごめん、ごめん」
彼らは仲のいい兄弟だな。私はひとりっ子だったから兄弟というのに憧れたこともあった。仲のいい彼らを見ていると一層その念が強まる。
だが、私は兄弟どころか、自分の両親すら……。
「グレビレアちゃん。大丈夫……」
気付けば3人が心配そうに私の方を見つめていた。
「大丈夫だ。ちょっと昔のことを思い出しただけだ」
そう告げて私は涙を拭いた。
その日はジョディのベッドで一緒に寝た。私は床でいいと言ったのだが、ジョディに強引に誘われてしまった。
だが、他人と共にするベッドも悪くないなと、私は思った。
…………………