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15.情

 

 アーニャが地下牢生活から元の生活に戻った翌日、ベンはとある場所へ赴く為に屋敷の廊下を歩いていた。


(どうしたもんか・・・)


 何の因果かアーニャと二人きりの状態で。





 遡ること数時間前、少量の朝食を摂り終えたベンは昼からの家庭教師、ミーシャの授業までの時間で昨日考えていた魔法の行使に関しての実験を行う為に庭へ向かっていた。先日同様森の中で行うことも考えたのだが魔物、ノーブルウルフ襲撃の件があったこともあり人目のある安全な場所の方が良いかと思い至ったが故の選択である。


 その道中、いつものように通り過ぎる使用人たちに向かって意図せず威圧感を与えていたベンの前方から見知った二人の人間が歩いてくるのが目に入った。


「あっ!ベン様!おはようございます!」


「お、お兄様。お、おはようございます」


 それは"ベンが"唯一心を許していたミーシャと昨日までの心労の原因、アーニャであった。この時間に二人が出歩いていることに怪訝な表情を浮かべたベンであったが、昨日の今日で二人セットで出会ってしまったことに何と声を掛ければよいものかと思い悩む。しかし二人、特にミーシャにとってはそんなことは関係ないのか、相変わらず表情のわからないフード付きのローブをはためかせながらベンに駆け寄り機嫌の良さそうな雰囲気を醸し出しながら軽くお辞儀をすると、弧を描く口で感謝の言葉を改めて述べる。


「ベン様、アーニャ様の件、本当にありがとうございました。正直な話、私だけではもうどうすることも出来なかっので、ベン様が当主様とマリィ様にお願いしてくださったおかげです。昨日は場所も場所だったので簡単にしか言うことが出来ませんでしたが改めてお礼を言わさせて下さい」


「あ、ありがとうございました」


 蚊の鳴くような声でミーシャに追随して感謝の言葉を述べたアーニャと共に深くお辞儀をした二人は、ベンからの返答を待っているのか頭を垂れたまま静止している。その無言の圧力とも言うべき姿にさらに何と声を掛ければ良いのかと頭を悩ませるベンであったが、取り敢えず感謝の言葉を受け取っておくべきかと口を開く。


「お前たちの為じゃない」

(気にしないで下さい)


 素直に感謝の言葉を受け取れない天邪鬼な"ベン"の返答に一瞬肩を震わせたアーニャとは対照的に、その言葉の本質を理解してかミーシャは顔を上げて「それでも言わさせて下さい」と言うと口元の笑みを深めた。そしてミーシャは何かを促す様に未だに頭を下げているアーニャの方へ視線を移し「アーニャ様?ベン様に伝いたい事があったんじゃなかったですか?」と声を掛けた。それを受けてかは定かではないが、アーニャは恐る恐るといった表情で頭を上げ、怯えとどこか気恥ずかしさの様なものを含んだ視線をベンに向けて顔を赤らめる。

 当のベンはと言うとその赤面の意図はわからないものの、自身の美醜感からか愛らしい、という感情と庇護欲の様なものをアーニャに対して抱き、無意識に頬が緩みそうになるも"ベン"はそうではないのか表情は眉間に皴を寄せた不機嫌そうなものとなっている。

 そんなベンの表情に気が付いたアーニャは慌てて「あ、あの!」と言うと自身の着ている服の裾をギュッと握り締め、赤らむ顔をそのままに俯く。


「が、頑張ってお兄様のご迷惑にならないようにします。な、なので不束者ではありますが、よ、よろしくお願いします」


 羞恥を含んだ震える声で伝えられた内容はベンの理解の範疇を大きく飛び超え、不機嫌そうな表情は鳴りを潜め思わずミーシャへ意味を問う様な視線を向けてしまう程であった。ミーシャはそんな視線にクスリと軽く笑うと微笑ましいものを見るかのような雰囲気で胸の前で手を組む。


「当主様からアーニャ様に今朝お話があったんです。ベン様が当主様と話された内容について。そのことをアーニャ様は仰っているんです」


「お父様と?」

(ドイルさんと?)


 ミーシャからもたらされた言葉に疑問の声を漏らしてしまうベンであったが、直ぐにその言葉の意味を理解する。


(あぁ、そういうことか。アーニャは次期当主の妹として不束者ではあるけど俺の迷惑にならないようにしますってことを言ってるのか)


 内心で「わかり辛いなぁ」と苦笑いを浮かべてアーニャに視線を戻したベンであったが、勿論その考えは的外れである。実際に朝、アーニャの部屋を訪れたドイルが伝えた内容は三つ。予言の件は伏せた状態でアーニャが何者かに狙われていること、マリィの意図とは別にドイルはその危険から守る為に敢えて幽閉したこと、そして最後にその危険からアーニャを守ると誓ったベンの話である。


 当然それを知る由も無いベンは、今まで辛く当たってきた筈の自分の為にたどたどしくも妹として頑張る、と宣言してきたアーニャに対して勝手に親愛の情を深めている。そしてそんな健気な姿勢に"ベン"も思う所があるのか、アーニャに向ける表情もほんの僅かにではあるが柔らかくなっている。傍から見ればいつもの不機嫌そうな表情とほとんど違いはないのだが。


「勝手にしろ」

(よろしくね)


 顔を背けた状態で呟かれた言葉の冷たさとは裏腹に、素直になれない幼子の精一杯の抵抗の様な気恥しさを孕んだ返答にアーニャは理解が及ばなかったのか目を瞬かせながら無言で顔を上げてベンを見つめる。対してミーシャは年の功か、はたまた今までベンを傍で見てきたことである程度の感情の機微が読めるのか、微笑ましいものを見るような視線でベンとアーニャを交互に見ている。


「それではベン様にも会えたことですし、私は書庫に戻っていますね。お昼からの授業でまたお会いしましょう」


 その後、暫くの間この如何とも言い難い無音の時間が続いたとき、唐突にミーシャは先の発言を二人に述べると軽く会釈をした後にベンの横を通り過ぎて去っていった。共にここまで来たアーニャを置いて。


「・・・」

(えーっと・・・)


 突然舞い降りたこの奇妙な空間に居心地の悪さと、何故アーニャを置いて一人去っていったのかという疑問を抱かずにはいられなかったベンはどうするべきかと何か言葉を紡ごうとするが、それが発せられることは無かった。それに対してアーニャはこの二人きりの状況に気まずさは感じているのかソワソワとしているものの、ミーシャの行動に関しては何か心当たりがあるのか動揺している様子はない。


(な、なんなんだ状況は・・・。何でアーニャはミーシャさんと一緒に行かなかったんだ。俺に何かまだ言いたかったことがあったとか?それにしては何か話そうとしている様子もないし・・・。お、俺はどうすればいいんだ)


「お、お兄様はこれからど、どちらに行かれるのですか?」


 向き合った状態のままお互いに一歩も動かないことに痺れを切らしたのか、遂に口を開いたアーニャからの問い掛けにベンは怪訝な顔をする。


「お前が知ってどうする」

(それを知ってどうするの?)


「あ、あの・・・わ、私も・・・」


 相も変わらず辛辣な返答に委縮してしまったのか、泣きそうになっているアーニャに罪悪感を抱いたベンは何とか取り繕おうと慎重に言葉を選ぶ。


「・・・庭だ」

(庭に行こうと思ってるよ)


「に、庭ですか?」


 端的であるもののベンが答えてくれたことに安堵したのか目尻に溜まっていた涙を流すことはなかったアーニャであったが、件の場所に対して疑問符を浮かべ首を傾げる。庭に行って何をするのか気になったからだ。対するベンは先程の会話から既にある程度アーニャがこの場に留まっている理由について当たりをつけていた。なので敢えて庭へ行く目的を伝えることなく今まで止まっていた足を数分ぶりに動かす。

 するとそれに呼応するようにアーニャもベンの反応を窺うように静々と後を追い始める。


(やっぱり付いて来たか。何が理由かはわからないけど俺と一緒にいることがアーニャの目的か)


 自身の背後を一瞥した後、ため息を吐きたい感情に襲われながらも仏頂面のまま足を止めることなく庭に向けて歩く。


(正直に言うと付いて来て欲しくないんだよな。魔法が使えない所なんて見られるわけにはいかないし、仮に使えたとしても一緒に居られたんじゃ全く集中できないもんな。どうしたもんか・・・)


 自分の後を追ってくる小さな足音に今更付いてくるなとは言い出せず、かといって目的地を変更することも自分が「庭だ」と言ってしまった手前出来ずどうするべきかと頭を悩ませる。


(魔法が使えるかどうかの実験はまた今度にして、庭に行く理由は魔法を使う以外の何か適当なものにしておくか)


 あーだこーだと考えているうちにとうとう庭に辿り着いてしまったベンは仕方がない、と考えを切り替え偶々近くを通りかかった使用人に声を掛け敷物を持って来させた。そして庭に生えている一本の大木の根本まで近づくと、準備させた敷物の上にそのまま座った。その際遠くの方で何やら使用人たちがざわついている姿が見えたが詮無き事かと無視を決め込み目を閉じる。


(どうせ俺とアーニャが一緒にいることが物珍しいからだろ)


「あ、あの、こ、これは・・・?」


 暫くの間そのままの状態で腕を組んでいたベンは恐る恐るといった声色で掛けられた声にゆっくり目を開いて対象を見る。そこにはベンの正面に突っ立ったまま困惑の表情を隠すことなく全面に出しているアーニャの姿があった。その姿に「やっぱり無言では押し切れなかったか」と内心苦笑いを浮かべたベンはここに来た目的を伝えるために口を開く。


「・・・精神修行だ」

(・・・精神修行だよ)


「せ、精神修行?も、もしかして魔法のですか?」


「そうだ」

(そうだよ)


 ベンからのまさかの返答にアーニャはポカンとした表情で目を瞬かせる。自分から魔法の、と言ったものの魔法の上達の為に精神修行など聞いたことも無かったからだ。対するベンはこの修行は正しいと言わんばかりの自信に満ちた佇まいであり、この修行は正しいのかもしれないという謎の説得感を醸し出している。勿論そんな修行はベンも聞いたことも実践したこともない。つまり庭に来た理由付けの為に口から出任せを言っただけである。

 しかしアーニャはそんな雰囲気に当てられたのか、はたまた突っ立ているだけの時間が苦痛だったからか「わ、私もご一緒しても良いですか?」と真剣な表情でベンに問い掛ける。その提案に何とか押し切れたなと内心ほくそ笑んだベンは「好きにしろ」と言いながら再び目を閉じる。するとアーニャは「は、はい!」という喜色を滲ませた返事の後、ベンの隣に腰かけた。そして見様見真似でベンと同じように腕を組み、目をギュッと閉じる。


(ちょっと悪いことしちゃったかもな)


 目を薄っすら開いて隣を覗き見たベンはアーニャのあまりの真剣さに騙してしまったことへの罪悪感を抱いてしまう。そんなベンの想いを知る由もないアーニャは自分なりに精神修行というものを考えた末の行動なのか、ウンウンと唸っている。


(ま、まぁ効果が無いと決まったわけじゃないし、本人が乗り気なら口を出すのも野暮ってもの・・・ってことにしよう。うん)


 今更「嘘でした」と言える雰囲気ではないことを察したベンは言い訳染みたこと考えながら隣に向けていた視線を正面に戻し目を閉じた。


 その後やることも無く黙って今後のことを考えていたベンであったが、フッとした拍子に隣から聞こえていた唸り声が止み、代わりに浅い吐息の音が聞こえることに気が付いた。その事が気になったベンは思考を一旦止めて隣を見た。


(寝てる・・・。まぁ俺がずっと隣にいたんだし気疲れもするよな。だからつい寝ちゃったんだろうな)


 そこにあったのは大木に背を預け、頭を小刻みに上下させているアーニャの姿であった。組まれていた筈の腕はだらしなく垂れ下がっており、口元にはキラリと光る涎が一筋顎に向かって伸びている。

 そんなアーニャの姿に微笑ましい気持ちになったベンは頭を撫でたい衝動に駆られるが、それは何とか理性で押し殺す。そして僅かに動いた自身の手に視線を落し、自嘲気味に笑う。


(昨日まではこんな気持ちになることなんて無かったのにな。今日だけでだいぶ絆されちゃったか)


 薄情だとは思いながらも極力アーニャとの接触を避けていた。それは周りの人間に対してボロを出さない為、アーニャの現状をどうにかすることの難しさ理解していたが為。アーニャに対する憐憫の情やマリィへの苛立ち、何より傍観を選んだ自分への怒りを押し殺して。

 それらが僅かな時間触れ合っただけで自身の内部に溢れ出し、歯止めが効かなくなりそうになる。


(どうにかしてあげたく、なっちゃうよな)


 木々の隙間から零れ落ちてくる日の光に目を細めながら見上げたベンはアーニャと同じように大木に背中を預ける。すると不思議なことに、大木を通じてアーニャと繋がっている様な気にさせた。その感覚が心地よく、そして何より大切なことを自身に伝えてくれる。


(よし!妹を守るのは兄の役目だもんな!"ベン"も今日の感じ、アーニャのことを気に入ったのか憎からず思ってるみたいだし!)


 そう意気込んだベンは改めて隣に視線を向け、僅かに震える手をアーニャの頭に向かって伸ばすと、決して起こさないように優しく触れ、軽く一撫でする。慈しみと謝罪の意を込めて。

 そしてアーニャの頭から離した手を一度強く握りしめると、ベンは再び目を閉じる。考えることは自らの保身の為の今後ではなく、自身が大切に想う者の保身の為の今後。許されるなら今の様な心地よい時間を不変のものにする為に。


感想等々があれば頂けると幸いです。

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