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天使が落ちた世界  作者: momo
番外と後日談
42/42

その42 おまけ




 とある春の昼下がり、村はずれにある丸太で出来た家の裏でティアナは耕した畑に種をまいていた。


 イクサルドに落ちて三年、うち二年と少しは聖地巡礼と称して国中を周っていたが、目的を終えてからは住み心地の良い土地を見つけ住みついた。何時までここにいられるかは解らなかったが冬を越し、村人の協力を得て畑を作り種をまくにまで至った。次は収穫を迎えるのが目標だ。できるだけ長く留まりたい事情もある。


 三人は巡礼の旅を終えてもイクサルドの東にある砦へは戻っていない。元気な姿を見せに戻ってきて欲しいとラシードに言われたが、そのラシードも随分前に砦から姿を消していた。王太子と和解したエイドリックが都に呼び戻され共に引き上げたのだ。会いに行こうと思えば会いに行けるし、ザックスにはラシードやエイドリックと顔を合わせる機会もあったが、ティアナはイリスを引き受けた責任から都の地を踏むのを恐れていた。


 国中に散らばる聖地を周るのは過酷な旅となったが、魔法のお陰でそれ程時間はかからなかった。旅を終えてからはザックスとイリスを含む三人でここに一先ず腰を落ち着けているが、イリスはザックスの指示で様々な事を調べているらしく不在にする時間が多かった。そのザックスも昨日より上への報告を兼ねて留守にしている。今日中に帰ってくる予定だが、やはりこの世界で一人きりになると寂しさを覚えた。


 だからこそ芽生える種に期待を寄せ畑に種をまき土をかぶせる作業に没頭する。そうしていると丸太で出来た家の扉を叩く音が耳に届いた。


 「誰かしら?」


 ティアナの力を頼って村人が来たのかもしれないと、ゆっくりと立ち上がり下腹をさする。ふぅと一息ついて固まった腰を解すように叩きながら畑を出て表を覗いた。


 最初に目に付いたのは繋がれず手綱をたらしたままの馬だ。農耕馬ではなく立派な青毛の馬。軍馬ではない。農耕馬ではないから村の人間ではないし、ザックスが使う馬でもない。僅かに警戒し影から様子を窺うと、扉を叩いていた馬の主がちょうどこちらへと視線を向けた。


 「イクサルドにはまだ飽きないのか?」


 ティアナを認めた青年はにっと意地の悪い笑みを浮かべる。初めて会った時よりも長く伸びた茶色の髪を後ろで束ね、鋭さのある灰色の眼光が懐かしむように細められた。


 「イシュト王子?」

 「王子はやめろ、今の俺は世を忍ぶ仮の姿だ。」


 煌びやかでも兵士の物でもない、何処にでもいる旅人の装束。会うのは三年ぶりとなるタフスの王子がティアナの目の前に現れていた。


 「どうして……何かあったんですか?」


 予想もしなかった男の姿にティアナは慌てるが、イシュトの表情は穏やかで大事があった様にはみえない。

 

 「なにって、お前が欲しくて迎えに来たんだ。散々捜したんだぞ?」

 「迎えって―――」


 何を言っているんだこの王子はと、最後に話した夜の出来事を思い出す。


 「そう言えば、ザックスさんに次は殺すとか言われていましたけど大丈夫なんですか?」


 勿論ザックスはむやみやたらに人を殺したりしないが、城の庭園でタフスの王子に殴りかかったザックスの様は今でも記憶にあった。もともとは敵同士だし、戦いでイシュトに瀕死の重傷を負わせたのもザックスなので仕返しというのもあり得る。イシュトにはイクサルドで人を殺さないと約束はして貰っていたが、彼が何処までその約束を守ってくれるかなんてわからない。突然の訪問と懐かしさで普通に話しているが、ここにザックスがいたらきっと喧嘩になるんだろうなと、ティアナは苦笑いを浮かべた。


 「そのロブハートが戦場に立たないせいでこっちはいらぬ手間をこうむってるんだ。」

 「手間ですか?」


 他国とは国境で度々争いがおきている。ティアナが落ちた当初はタフスと争っていたが、イクサルドと隣り合わせにある国はタフスだけではない。大きな戦いにはならないがエイドリックから呼び出されたザックスが参戦する機会は巡礼中にもあった。軍事的な情報は口外するべきではないと解っているがティアナは首をかしげる。タフスにもイリスのように情報取集にあてられる人間がいるはずだ。タフスほどの力のある国がザックスの動きをまったく掴んでいないというのもおかしい。


 「こっちでは殺さない約束があるからな。戦場でロブハートを殺ってお前を掻っ攫うつもりでいるんだが、あの野郎、俺が参戦する戦には姿を見せやしない。」


 首をかしげるティアナにイシュトはさらっと笑顔で答え、ティアナはむっと眉を寄せた。

 

 「ザックスさんに酷いことをするつもりなら歓迎できませんよ。」

 「ここではやらねぇよ。それに今日はお前を攫いに来たって言ったよな?」

 「いいえ、迎えに来たとおっしゃいました。」

 「話し合って付いてきてくれるんなら有難いが、否と答えてもつれて行くって意味だ。」


 イシュトの中ではティアナに選択肢を与えてはくれないらしい。


 「なんだか物騒ですね。お茶を振舞うのはやめにしておきましょうか?」

 「冗談だ。土産にタフスの若い女らが好んで飲む茶葉を持ってきてやったぞ。」


 本当は冗談ではないのだが、イシュトは警戒心の弱いティアナによって家の中に招かれた。ティアナがイシュトを問答無用で追い返さないのは医者と患者という関係にあった過去があるからだ。それにどうやら彼は苦労してここまでたどり着いたらしいし、王子だというのに砕けた口調で友好的でもある。

 ティアナがいる場所は隠匿されているわけではないが公表されているわけでもなく、散々探してようやくたどり着いたらしいのでお茶も出さずに追い返すのもはばかられた。ティアナの警戒心が薄いのは、イシュトが見せる雰囲気が噂に聞くものとはまるで違っているせいもある。勿論無条件で心を開いているわけでもないしティアナなりに警戒しているが、タフスの第四王子を自ら迎え入れる危険性をティアナは正確に理解できていなかったのだ。


 イシュトから受け取った茶葉はほんのりと甘い香りがした。煮出す必要はなく熱湯を注げば薄い赤褐色の色がにじみ出て甘い芳香が漂う。丸太小屋が本来持つ木の香りとまじりあってもなかなかいい感じだ。


 「本当に女性好みの香りですね。これは茶葉本来の?」


 茶碗に茶漉しを添え湯を注ぎながら溢れ出る香りを楽しむ。ヴァファルにはない植物だなと乾燥した茶色の葉がじわじわと広がるのを観察した。


 「後付じゃなく本理の香りだ。タフスの北で取れる貴重な葉で滅多に手にはいらないから、女たちは寝る前に少量を煮出して飲んでから床につく。」

 「寝る前に―――」


 寝る前に飲むというのは安眠効果が期待できるのか―――と、言葉にしようとしたティアナはその場に崩れ落ちた。

 慌てたのはイシュトだ。熱い湯を入れた薬缶を手にしたまますとんと意識を失ったティアナの背を持ち前の瞬発力で支え、薬缶がティアナの手をすり抜け床に落下し湯がこぼれる前に持ち手を捉えた。

 

 「どうした、大丈夫か?!」


 ティアナを支えたまま床に膝をつくと薬缶を置いて意識のないティアナに呼びかけるが、瞼は硬く閉ざされ黒い睫が影を落としていた。軽く頬を叩いても反応はなく、薄く開いた唇に耳を寄せると穏やかな寝息がイシュトの耳をくすぐった。


 「嘘だろ、効きすぎじゃねぇか……」


 眠っているだけの様子にほっと息を吐くが、突然糸が切れたように倒れた様には流石に肝が冷えた。


 イシュトが土産といって渡した茶葉は日常的に楽しむようなものではなく、本来は眠り薬として医師が処方する品だ。だからといっても即効性はなく、飲んで香りを楽しむ両方の効果でもって穏やかに効いていくという感じなのだ。ある程度の茶葉を使えば強力だが効き始めるには半時ほどかかる。だがティアナは香りを楽しんだだけで飲んでもいないのに瞬く間にぱったりと意識を失ってしまったのだ。自分が持ってきた茶葉が効果を発揮したのではなく、何か他の要因があるのだと焦ったが、腕の中のティアナはどう見ても眠っているだけの様子。イクサルドと魔法を使って病を癒すヴァファルでは、薬による効果に大きな違いがあるのだとイシュトは知らなかった。


 多少予定は狂ったがイシュトはほっと胸を撫で下ろし、深い眠りについたティアナを眺めて狡猾な微笑みを浮かべ灰色の瞳を細めた。 


 本当ならティアナをタフスへ連れ去るのだと、はっきり宣言してから眠りについてもらう予定だったが仕方がない。苦労してようやく手に入れた情報でやっとここまでたどり着いたのだ。ザックスを殺して手に入れられないなら堂々と連れ去って何が悪い。貴重なただ一人の存在を護衛もつけず残してこの場にいない奴の不手際だとティアナを抱えあげたのだが。


 「ん?」


 丸太でできた家を出てティアナを馬の背に上げようとし、細い腰に手を回した時点でイシュトは初めて違和感に気付く。恐らく普通の男なら気付かないであろう小さな異変だがイシュトはそれに気付いた。


 女性にしては背が高めだがほっそりして、どちらかといえば豊満で抱き心地がいいとは言えない肉体を持っていたはずだ。三年前に抱き寄せたときの線の細さはしっかりと覚えているし、今も大きく見た目が変わったとは言えない。けれどたった今触れた個所に感じた柔らかさに疑問を感じたイシュトは、ティアナを片腕に抱いたまま背を反らさせるとその下腹部に触れた。


 「……参ったな。」


 間違いではないかと更にティアナの背を反らさせ幾度か確認するが、触れる下腹部には張りのある小さな膨らみをしっかりと感じる。妊娠しているのだ。

 ティアナが指輪をしていないので気にも留めていなかったのだが、あの真面目腐った男が結婚もしていない女を孕ますのかと訝しみながらティアナの首に下がった鎖を衣服の下から引き抜くと、鎖の先には命石が指輪の形となって下げられていた。


 巡礼の旅を終えてからザックスは命石を指輪に加工し直しティアナに渡したのだ。ティアナは妊娠した時点で体に浮腫みがでることがあるので、一時的に指輪をはずしていただけなのである。 


 ザックスはイクサルドの英雄だ。今もその名を大きく轟かせイクサルドの繁栄に貢献している。その男の命石をもつ女を連れ去るだけでも厄介だというのに、ザックスの妻となり子を孕んでいるとなると、タフスへ連れ帰って後に起こるであろういざこざはかなり面倒になるだろう。イシュトの功績にやっかみをもつ兄王子や周りが一斉に攻撃してくるやもしれない。殺すのは簡単だがそれに伴う弊害も厄介だ。


 「まてよ。餓鬼が生まれるならそいつを手に入れるって考えもありだな。」


 ティアナを欲してここまで来たが、何よりも欲しいのはティアナが持つ神がかり的な力だ。生まれる子どもにそれが受け継がれるやもしれないと思い至り、イシュトは瞬時に考えを巡らせるとティアナを抱えなおして丸太の家へと戻った。


 何も力づくが全てではない。多少時間がかかるがザックスや国にさえ文句を言えない状況を作り出せばいいだけだ。

 少なくともティアナはイシュトがタフスの王子だからと嫌悪しているわけではないし、土産の品も怪しむことなく素直に受け取った。どちらかといえば友好的だろう。このまま親睦を深め家族ぐるみの付き合いに持って行くのも悪くないのではないだろうか。

 何かと理由をつけ自分の子供をティアナに預けて面倒見てもらい愛着を沸かせるというのもあるし、自分ならともかく、ザックスならたとえ気に食わない男の子供であっても殺したりはしないに決まっている。子供同士で慣れ親しみ恋仲になれば、ティアナの子が女ならタフスに嫁に来させるのは容易い。男であったとしてもザックスの血を引く以上は剣技にたけているだろうし興味もあるだろう。男ならイシュト自身がザックス以上に興味をそそるネタを提供し、自らタフスの地を望むよう仕向けることも可能である。そうやって神の力をタフスに根付かせるのも無理な話ではない。この計画の一番の問題はイシュトに子がないという点くらいのものだ。


 「戻ったら適当な女を見繕わないとな。」


 好みであっても出しゃばるような貴族娘は除外だ。だが生まれてくる子供の容姿は麗しい方が断然有利となるだろうから不細工も駄目。適当な相手を見繕うにしてもなかなか難しそうだが、言う事を聞かねば力で訴えるまでだ。


 時間はかかるがなかなか楽しみだと、眠りに落ちたティアナを優しく横たえ、持ち込んだ睡眠薬ちゃばを証拠隠滅とばかりに土に埋める。


 さてそれでは交流の始まりと、イシュトは勝手知ったる他人の家、家の主であるザックスか二人に従うイリスが戻ってくるのを、未来の計画を練りながらゆっくりと待つのであった。








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― 新着の感想 ―
[良い点] ティアナが信念をつらぬき幸せをつかんだところ 素敵なお話でした [気になる点] 元の世界では、実親に搾取されてたのでは?とちょっと気になってます 家族仲がよいことと、お金をあてにされてたこ…
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