いろは①
今でもはっきりと思い出せるよ。
15年前、「フロントライン」って物騒な名前の高円寺の雑貨屋で、
店の隅の棚の奥に埃を被っていた古時計の僕をさ、
彩葉は見つけてくれたんだ。
前の店が潰れて、タダ同然に今の店主に渡った僕は、
あの店の棚に置かれてから5年間、
それより前は何年間だったかも分からないほど、
お客さんに買ってもらったことは1度もなかった。
時々さ、僕を見た人もいたんだ。
でも、見るだけ。手に取られることもない。
本当に、極稀に、見つけてくれる人はいたけど、
「だっさ」って。
誰も僕を「かっこいい」とか「センスある」とか、
褒めたりはしなかった。
まあそれもそうかって、僕自身も卑屈になってたよ。
今時さ、木製のシンプルな半円形をした卓上タイプの古時計、
電池じゃなくてゼンマイ式なんだもの。
重いし、インテリアにしては不格好だし、不便だから。
ある日さ、髭をもっさり蓄えた店主が、
僕のことを横目に通り過ぎて、
「売れねぇな」
って、ぼそっと言ったんだ。
僕は悔しかったよ。
売れないことが、ってのもそうなんだけど。
店主の言葉に納得してしまったことが、
もう諦めきっている自分自身が、
たまらなく悔しかったんだ。
まあ、その時の僕の心は腐っていたし、
どうせ廃棄されるだろうなって諦めてた。
だから、彩葉に手に取ってもらった時さ、
これが最後のチャンスだ! って思ったね。
当時の彩葉は15歳、中学3年生だった。
友達と2人、受験お疲れさまって高円寺に遊びに来ていて、
ふらりと入った雑貨屋で僕を見つけた彩葉が言ったんだ。
「かっこいい」って。
その言葉があまりにも嬉しくてさ、
僕は大号泣で溺れそうだったよ。
まあ、水に濡れたら錆びて壊れちゃんだけど。
正直さ、望み薄だったんだよ。
だって、中学生の若者が持つには、古臭いじゃん。
それなのに、僕を手に取った彩葉はさ、
「これ買う」
って即決して、そのまま、レジに持っていってくれた。
この時さ、僕は決心したんだ。
何がなんでも彩葉の役に立ってみせるぞって。
彩葉のことを守ってやるって。
そう、誓ったんだ。
僕を家に持ち帰った彩葉はさ、
さっそくゼンマイを巻いて時間を調節してくれたよね。
勉強机の本立てより手前、
彩葉の手元に一番近い最前線に僕を置いてくれた。
しばらくしたら高校1年生になって、
新しい制服を嬉しそうに着て、
緊張しながら学校に通うようになってた。
彩葉は頑張り屋だって知っていたけど、
高校生になって、彩葉の本領を見たんだ。
毎日欠かすことなく、2、3時間は予習と復習してさ。
通っているのが進学校だって話だったし、
行きたい大学があるからっていう理由もあったけど、
彩葉は負けず嫌いだから、
点数を競い合うってなったら、
1番にならないと気が済まないって感じだった。
それで有言実行しちゃんだから彩葉は本当にすごいよ。
僕なんて、ちょっとくらい休んでもいいんじゃないって思ったよ。
だって、明らかに体調が悪そうでも勉強してたんだもの。
風邪を引いた時くらい寝てた方がいいって。
でも、彩葉は自分に厳しくて、
やると決めたら絶対に曲がらなかったんだ。
結局、高校入学からの3年間、ずっと学年1位を譲らなかった。
本当にすごいと思ったよ。
僕は何があっても彩葉の味方で、
応援し続けようって決めたんだ。
それから、彩葉は勉強だけの日々ってわけでもなかった。
ちゃんと女子高校生らしく、恋もしていたよね。
彩葉は顔と態度に出やすいからさ。
勉強を中断してスマホの返信に悩んだり、
長電話の時に、僕のゼンマイを空回しさせたりして。
「好きな人ができたんだ」
って分かって嬉しくなった。
ちょっぴり嫉妬もしたけど、
彩葉があまりに幸せそうに笑うもんだから、
自分のことのように、僕も嬉しくなったんだ。
高校3年生の時、いよいよ大学受験だってことで、
彩葉は今まで以上に勉強を頑張っていたね。
睡眠時間をギリギリまで削ってさ、
夜中の2時頃になると、寝落ちしちゃう時もあって。
「頑張れ!」
「寝るならベッドで寝なさい!」
って僕はエールを送ったんだ。
僕の声は聞こえていたかな。届いていたらいいな。
まあ、本音を言えば受験の合否自体は心配していなかった。
彩葉でダメなら人類のほとんどが不合格になるだろうから。
案の定さ、彩葉は東京の大学に合格したよね。
ここでも有言実行だよ。
本当にすごい。
「おめでとう!」
って涙がこぼれたよ。
それで、お別れだって思ったんだ。
だって、彩葉は東京に行って一人暮らしをするから。
僕を連れて行く理由がないからさ。
重いだけで邪魔だし、
女子大学生の部屋に相応しくないだろって。
でも、彩葉は僕を連れて行ってくれた。
その時さ、改めて誓ったんだ。
僕が動かなくなる最後の時まで、君を守ろうって。
僕が死ぬまで、彩葉のそばにいようって。
東京に引っ越して一人暮らしを始めた頃はさ、
毎日不安そうに、寂しそうにしていたよね。
まあ、当然と言えば当然なんだけど。
それまで家族と過ごしてきたのに、
慣れない土地で、知り合いもいない状態で、
一から生活をしなくちゃいけないんだから。
僕はさ、少しでも彩葉の力になりたかったからさ、
「彩葉は一人じゃないよ。僕がいるよ」
って、僕なりにエールを送ったんだ。
少しずつだけど、東京での暮らしにも慣れていってさ、
僕を抱えてゼンマイを空回しすることも減って、
楽しそうに大学に通ったり、
友達と遊びにいったり、
バイトにいったり、
寂しそうな顔をして帰ってくることも少なくなっていったね。
大学2年生の時だったかな。
ついに初めての彼氏ができて、家に呼んだよね。
いつかはって思ってたけど、
いざその時が来ると身構えちゃうもんなんだね。
彩葉も見たことない表情でソワソワしてたし、
それを見て僕も余計に緊張したよ。
彼氏は一個上のサークルの先輩らしくて、
メガネを掛けた優しそうな人だった。
こう言ったら悪いけどさ、
漫画とかアニメに出てくるキャラで例えると、
二部から主人公サイドを裏切る悪役みたいな感じ。
でも、彩葉は心底幸せそうだった。
恋する女子は美しくなるって本当なんだね。
大人の階段を一足飛びしていくみたいに、
彩葉はキレイになっていった。
嬉しかったなぁ。
それまでの苦労を見てきたからさ、
彩葉が毎日楽しそうにしてるだけで、
僕は泣きそうだったよ。
ただ、幸せな日々って突然終わるんだね。
彩葉は彼氏と半年くらいで別れたんだ。
円満な別れでも、浮気とかでもなくて。
彼氏が逮捕されちゃったんだ。
なんか、銀行口座を売ったことがあって、
その口座が犯罪に使われていたんだって。
そんなことある? って思ったけど、
闇バイトってやつで、結構多いみたい。
彩葉がそれを知った時さ、
現実に理解が追いつかないって感じで、
大学の講義も初めて欠席して、
一日中、呆然としていたよね。
僕は彼氏を許せなかったよ。
何やってんだって怒鳴りたかった。
彩葉を困らせて、悲しませやがってって。
頭の中でようやく情報の整理がついた彩葉はさ、
つーって、涙を流して、
静かに泣いていた。
暗い部屋で。
僕を抱えて。
ゼンマイを回さずに。
静寂はダメだ。
彩葉を一人にしちゃいけない。
そう思って、チックタック、
僕は時を刻む音を精一杯鳴らした。
泣き疲れた彩葉はいつの間にか眠って、
起きた時に僕を見て言ったんだ。
「ありがと」って。
僕は確信したよ。
僕の声は届いていたんだって。
よかったって、安堵したんだ。
こんな僕でも力になれたんだって。
僕の方こそありがとう、彩葉。




