序章 織姫と彦星
その日は七夕祭りだった。
白を基調とした中に鮮やかな青の差し色が入った浴衣に着替えた私は、机の引き出しを開けて白いレザーでできたケースを手に取る。
その中から静かに開けて金色と幾つかの青い石でできたかんざしを丁寧に取り出した。匠な技巧で作られたかんざしは、机の灯りに美しく光り輝いていている。
そうしてそのかんざしを丁寧に結んだ髪に付けていると、家の前の道から高校生くらいの男の子の声が通り過ぎていった。気になって道路側の窓のカーテンを引いて窓を開ける。
「きゅ、きゅ、きゅ、」
涼しさを感じさせる鈴虫の声が目の前に開けた海に馴染んで夏の始まりを感じさせた。
窓辺に少し腰をかけて、まだ7月の涼しい海風に当たる。
昼間の蝉声とは異なって夜は鈴虫が月に照らされる景色をより美しくする。よく耳を澄ませると遠くから微かに太鼓が響いていた。
最後に姿見鏡で身なりを確認して家を出た。お祭りの場所は近くの神社で行われていて、私の家から徒歩で15分くらいのところにあった。
お祭りの会場までの道の商店街や春に満開の桜が見られる桜並木の川辺の道に灯籠が取り付けられていて、ぼんやりと辺りを照らしていた。
私は何故かその光に喪失感を覚える。
遠くを眺めると祭りだからなのか、町が少し騒がしく感じた。さっき微かに聞こえていた太鼓の音が地面を伝って体を揺らすほど近づいていた。
祭り会場は人で溢れていた。本来なら拝殿に繋がる道に石畳が敷かれているはずだが、それも見えないほどだ。
私は奥にある拝殿の方に行きたくて人混みをかき分けていたところだった。
「あっ──!」近くの男の人に大きく押されて転びそうになる。
その時だった。
「危ない!」という咄嗟の声と主に誰かに背中から強く包みこまれた。
強く閉じていた瞼を開きながら、視線を斜めに上げる。
「織美? 大丈夫?」
「え、優?」
あれ? なんでここに──?
私を支えてくれたのは、上の広場で待ち合わせの約束をしていた優だった。
ついさっき上に着いたと連絡が来ていたのに。
「うん、優のおかげで大丈夫。でも、なんでここに?」
そうすると優は「いやーそれは、織美は昔からこういうお祭りの時いつも人混みで転んで怪我するから心配になって。」とさらさらと口にした。
「そうだったんだ。私、全然気づかなかった。よく覚えてたね!」
「まあ、いつも一緒にいたからね」
そのことばに一瞬、自分の顔が火照ったのがわかった。
すこしの沈黙が過ぎて、私たちは人が密集する拝殿前の広場を抜ける。
拝殿にお参りを済ませて、大きな朱色の鳥居に潜るとはじまる右に大きく曲がるこのゆるやかな石の坂道。両側には石でできた灯篭が灯っていて、その奥に立派な竹林が広がっている。等間隔に置かれている灯篭は日常とは違った、別の世界へ誘われているようなそんな気がした。
先ほどの鳥居よりも大きい二つ目の鳥居を潜ると、本殿前の広場にある巨大な二本の竹が見えてきた。
高さ五メートルを超えるその竹の下の方には沢山の短冊が供えられていた。
この2本の巨大な竹は、彦星と織姫を象徴していてカップルでお互いに名前を書くと結ばれる、という伝承があって、この七戸島の有名なパワースポットとなっている。その歴史は古く、1000年以上もあるそうだ。
広場に着くと優と私は、早速短冊に願いを書く。それを私は織姫の笹に結んで、優は彦星の笹に結んだ。
優は少し高いところに結ぼうとして背伸びをしていた。私は気づかれないように、優のすぐ後ろに立つ。
すると、一瞬強い風が吹き抜け、優の短冊が宙に飛ぶ。そして短冊はゆっくり空を舞いながら、ひらひらと私の前に落ちた。彼は一瞬遅れて短冊を探していて、思わず私はその薄い水色の短冊を拾い上げた。
「ねえ、短冊落ちたよ?」
すると、彼はやっと気づいたようで、急いで振り返って私の手の中にあった短冊をさっと抜き去ってしまった。
「え?、み、みてないよね?」優は珍しく動揺を隠せていない様子だった。よく顔を伺うと少し頬に赤みがかって見えた。
「そろそろあそこに移動しよう」
「そうだね、もう始まる時間だし早く行こ」
私たちは、その広場から竹林の中へ入って行く。
「なんだか懐かしいね」
「うん、5年ぶりくらいじゃないかな?」
そうして薄暗い竹林を数分歩くと、ぽっかりと開けた場所に出た。そこはちょうど神社のある丘の中腹で、もともとは遊具が置いてあった場所だった。遊具が老朽化で撤去されたあと、ここは知る人ぞ知る穴場スポットとなり、5年前まではここでお祭りの最後にある花火大会を見ていた。
私たちは、そんなベンチもないような斜面に昔のように隣り合って腰を下ろして空を見上げた。
夜空には周りの竹の黒いシルエットと満天の星空が見えていた。
「ねえ、そういえばさ短冊になにをお願いしたの?」
「え、いや、受験のこととか、そう、いろいろ」
さっきのことがあったからか優は挙動不審になっていた。
「なんで優、そんなにおどおどしてるの?」
「え、いや、べつに、なんでもないよ…ほんとうに、ほんとうに!」
優は一生懸命に隠しているようだ。
「あ!まさかあの伝承みたいに好きなひと書いてたりして」とからかうように言い放った。
そうすると優は黙り込んでしまって、なにかを迷って葛藤しているように見えた。
しばらく沈黙の時間が流れる。
「あのさ──」
「私は書いたけどな」俯いたままそう言った。
「え?」
「優の事……」
優のパッチリとした目が私を見つめた。
その時だった。
一つ大きな音と共に一筋の光が空に舞い上がった。そして、視界いっぱいの巨大な花火が煌びやかに轟音と共に夜空に咲いた。その後も次々と華麗な花火が星空輝く中に打ち上がる。
そんな舞い上がる花火を見ていた。
「好きだ」
響き渡る花火でかき消されないためか、優は私の耳元でそう伝えてくれた。急いで優をみると、その頬が花火の光でも判るくらい赤くなっていることに気がついた。
そのずかしさでいっぱいの横顔に、優との今までのことを思い出した。
私は優の横顔が好きだった。どんな時も優しくしてくれて、守ってくれて、支えてくれて、楽しませてくれる、いつも涼しげな横顔は私にとって憧れでもありながら、その姿にとても安心していた。
「私も好き。ずっと前から」そう言って優の肩に少し寄りかかった。
「あのさ、知ってたよ、優が短冊に私のこと書いてたこと……」
「織美もでしょ?」
「……」
「きっと叶えてくれたんだよね」
「どういう意味?」
「七夕の神様が……」
私たちは、一緒に最後まで花火を見て今度は手を繋いで帰った。
そう、そしてこれがすべての始まりだったのかもしれない。




