17. はわわ……
「これには訳があって、本当に、あの」
「大丈夫。一旦、落ち着こう。互いに」
「わかった。落ち着く」
スイウがわたわたと意味もなく手を動かしている間に、クドクは横を向きながら大きく深呼吸した。
「よし。落ち着いた。俺は落ち着いた」
ふっと目を合わせてきたクドクの目じりはまだ赤く染まっていて、落ち着いた云々は言い聞かせているようでもあった。
「あのね、これは結婚した後に、クドクをがっかりさせたくなかっただけで」
「うん」
『結婚した後に』というフレーズで、うっかりクドクは口の端がニヤけてしまったが、咳払いでなんとかごまかした。新婚生活の妄想は、ふとした瞬間に降りてくるのだから危ない。
「最近のクドク、なんだか西岸式の女の人の胸元を見ている気がして。その人たち、たぶん……いや絶対わたしより胸が大きいの。大きかったの。
でね、クドクがわたしのためにって作った服。あれを着てたマネキン。それもわたしより大きかったの、胸が! 確実に!
だからもしかしてクドク、結婚した後でわたしの胸を見て、思ったより小さいなってがっかりするんじゃないかと思って」
「な、無い! それはない!」
クドクは即座に否定した。
ただ、スイウの言いたいことは分かる気がした。
確かに見ていた。それはスイウの考えていることとは、全く違っているけれど。
「あれは胸を見ていたわけじゃないんだ!」
「じゃあ何を見てたの?」
「胸じゃなくて、……胸元? 襟まわり……?」
それ一緒では? と思わなくもないスイウであったが、言葉を選んでいるふうなクドクの様子に口をつぐんだ。
少し考えて、クドクは「最初に見せたワンピース、覚えてる?」と尋ねる。
「あの型は、西岸式のデザインの中ではよく使われるんだ。でも胸元でかなり悩んでね」
「胸元?」
「うん。ブラウスの部分があるだろう? 俺が作ったのは角の丸い小さな襟で、ボタンの周りにフリルを縦に入れていた。でも襟をもう少し広く大きくしても良かったかな。スイウは首が細くてラインが綺麗だから、映えると思うんだ」
自分の首なんて気にしたことのなかったスイウは、そっとうなじのラインを撫でた。
首に違いなんてあるんだろうか。
騎竜の選手にとって必要な筋肉は主に体幹で、首や肩・腕はそこまで必須ではない。
スイウは騎竜に必要の無い身体の部分に、今まで興味をもってこなかったので違いが分からない。他人の首なんて注目したことがないのだ。
だけどそう言われてふと見てみたクドクの首は、喉ぼとけがしっかりと出っ張っていて、どこか色気があるように見える。
とたんに気恥ずかしさが戻ってきたスイウは、照れ隠しに「襟にも種類があるのね?」と促した。
「だけどそうすると今度はフリルが野暮ったくなるんだよ。だからピンタックを……こう、生地を折り込んでラインが入っているように見せるのもいいと思う。
ただ短い襟を立たせるのも捨てがたかったんだ。ワンピースが全体的に甘い印象だから、襟を少し控え目にするとバランスがとれるしね」
クドクはなるべく専門用語を使わないよう、スイウに分かりやすいように説明する。
エリシェたちとの話し合いでクドクが裁縫に明るいとは知ったけれど、「クドクは本当に服作りが上手いのね」と改めて感心した。
「ただ、最近になって流行し始めた刺繍も良い。今は襟をなるべく地味にして、肩から胸元にかけて左右対称に大きめの刺繍をほどこすのがトレンドなんだ。
問題は、刺繍を目立たせるためにスカートと縫い合わせる位置を下げるから、シルエットが変わってしまうのが一点。
実を言うと俺はその型があまり好きじゃない。スイウのイメージと離れるんだよね。
さらに制限時間内に刺繍ができないってことが一番の問題。だからあのコンテストの課題には使えなかった」
「そういえば、夜真兎式の服にある刺繍も、一日やそこらじゃ出来そうにないものね」
「うん。この課題の時間は三時間だったから、どうしても無理だ」
「そっか……え? クドクって、刺繍もできるの?」
クドクはハッと驚いて、「ちょっとだけね。昔つくったスイウの服に必要だったから」とはにかんだ。
服を作るだけじゃなくて刺繍もできるなんて。
数時間前、セイジョウたちに「だいたいの事は天才的に才能がある」と言ってのけたのも頷ける。
その尋常ではない器用さをフル活用してクドクは生きてきた。
器用さだけではなく独創性というものも兼ね備えてしまったせいで、「恋人の着る服を全部自分で手掛けたい」というちょっとした思いつきが件の大事を招いてしまった。
実はいつか結婚して数年経ち、スイウが気を許してくれたなら、ゆくゆくはスイウの下着まで手掛けてみたいなどと野望を抱いているなんて、クドクは口が裂けても言えないが。
「話を戻すけど、つまりはそういうことなんだ。一応、課題に合わせていろいろ妥協したり工夫したりしたけど、全部が全部納得いった出来ってわけじゃなくて。
今度はもっと時間をかけたり、課題で制限されていない自由な生地選びなんかをしてスイウの服を作り直したいと思ってたんだ。
それで刺繍の図案とか襟まわりの組み合わせとか参考にその……女性の胸元に目がいっていたんだと思う。無意識だったんだけど」
咳ばらいをして、クドクは早口で言った。スイウの前では、クドクも恥じらいを持つ人間らしさがでてくるらしい。
「それに、俺がスイウの身体を……む、胸を見てがっかりするなんて、有り得ないよ」
「でもマネキンより小さいのよ?」
「具体的な大きさを想像してしまうような迂闊なことを言わないでほしい」
マネキンを見て赤面する婚約者を見たくなければ、とクドクは首まで真っ赤に染めて言う。
「順番が逆なんだ。胸が大きいとか小さいで、好きになったり嫌いになったりしない」
クドクはそっとスイウの両手を持ち上げる。
「スイウの爪は小さいよね。すごく可愛くて好きだ。でも俺は、爪の小さい子がいても好きにはならない。
髪も瞳も全部そう。同じ色や形の人がいても、ちっとも惹かれない。スイウが持ってるものだから惹かれるし、スイウが違うものをもっていたなら、きっと俺はそっちを好きになる」
掴んでいた両手を柔らかくキュッと握って、クドクは言う。
「言ってる意味、分かってくれる……?」
スイウはまた、クドクの背後に可愛い子犬がキュンキュンと鳴いているような幻を見た。
そのまま頷いてしまいそうになる。いいや、気持ちとしてはもう頷いてしまいたい。
だけどあれだけ悩んだのだ。あとひと押しがほしい。
スイウには欲が生まれた。
「がっかり」しないどころか、「ドキドキ」してほしいなんて思ってしまった。
「本当に? 本当にわたしの胸だったら、大丈夫?」
「胸でもどこでも、スイウなら何でも大好きだよ」
「じゃあ……」
スイウは思い切りのいい性格をしている。そして多少の無鉄砲さもある。迂闊なところも。
小さい胸に持ち合わせた度胸は人より大きく、その迂闊さと無鉄砲さは、時に他人をとんでもない事態に陥らせてしまう。
握られていた手をほどき、スイウは右手でクドクの左手を握る。
「スイウ?」
「じゃあクドクは、わたしの胸で、本当にドキドキしてくれる……?」
スイウはゆっくりとクドクの左手を、自分の胸元へと誘導する。
クドクはなすすべもなく、されるがまま左手を視線で追う。
スイウの右胸に誘われたクドクの左手が、スイウの右の乳房を覆うように押し当てられた。
手のひらがじんじんと熱を持っている気がした。
そこにはさらさらとした生地の感触がある。クドクも服作りで何度も触ったことがある。
だがその生地の奥には、スイウの胸がある。
少しでも指先に力を入れてしまえば、その感触が、弾力が、分かってしまう。
クドクは目を見開いて、岩のように固まった。
首には汗がつたい、心臓はバクバクとうるさい。目の前には可愛く頬を染めたスイウがいる。
頭が沸騰しそうだ。
クドクは、天才だなんだともてはやされた人生で、初めてかぼそく「はわわ……」と息をついた。
(了)
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