偽りの正義感
「三島先生。」
来た。
職員室を出ようとしたところで呼び止められて雪春は固まった。
恐る恐る振り返ると、前島が素敵な笑顔を浮かべて立っていた。
「昨日の樋口さんの件、一体なんだったんですか?」
やはりその話か。
昨日は何とか一日逃げ切ったが、まさか翌日まで粘るとは。
どうやら彼女の性格を見誤っていたようだ。
雪春は極力目を合わせないように目線を下げると、彼女の大きな胸が目に入りそれはそれでげんなりした。
たしかにこんなに迫力あったら目が行くのは仕方ないな。
雪春は幸太郎が彼女の体を見ていたことを思い出してため息をついた。
「別に、大した話ではないです。」
「大した話じゃないのに校長室に呼ばれないでしょう?」
そうですよね。
しかし言えない話だから校長室に呼ばれたとは考えないのか。
「昨日も校長がおっしゃっていたように、デリケートなお話なんです。ですので前島先生には関係」
「私は彼女の副担任です。聞く義務があると思いますけど?」
なんだその論理は。副担任だったらプライベートにずけずけ入ってもいいと?
好奇心や自己満足を表面だけ取り繕い、義務や正義感という言葉で踏みあらす人間と言うのは、意外にも多い。
もし一花を心配しているのなら、彼女から相談してくるのを待つべきではないのか。
しかし前島の勢いに逃げ切れそうもない。雪春は仕方なくごまかすことにした。
「彼女の・・・お兄さんが亡くなったので、その、様子伺いというか何というか・・・」
「ではなぜ三島先生まで呼ばれるんですか?」
「えー・・・私もお兄さんと知り合いだったんです。」
嘘は言ってない。嘘は、言っていない。
挫けそうな自分を奮い立たせるために心の中で二度唱えた。
「そうだったんですか?」
「・・・はい。」
ここまで来ると本当に目が見れなくなる。もう胸だけを凝視しておこう。
雪春は半ば怒りを込めて胸を睨みつけた。
あぁ、本当に大きな胸だな。一体何がつまっているんだろう。少しぐらい分けてくれないだろうか。
きっと雪春の視線が熱を持っていたら、今頃前島の胸は焼き切れていることだろう。
「ユキ、目が怖いぞ。」
うるさい。
幸太郎のつぶやきに心の中で答えた。
「樋口君とは高校卒業以来お会いしてなかったけど、元気でいらしたの?」
「そう、ですね。救いようのないシスコンでした。」
「ユキ!?」
「そう・・・仲が良かったのね。樋口さんもかわいそうに。」
「・・・そうですね。」
何とか口元だけ笑顔を取り繕う。前島は一応納得したのか、それ以上聞いてはこなかった。
なんだか妙に疲れてしまった。
「前島先生って、浮いた話ないよなぁ。美人なのに。」
「松枝先生。」
職員室から出ていく前島を見て、後ろから声をかけられた。
いつものように竹刀を肩に当てた松枝が不思議そうな顔をしている。
「もったいないよなぁ」
確かにあの美貌とあの色気があれば、恋人なんてすぐにできそうなものだ。
もちろん隠しているだけで実際はいるのかもしれないが。
「では松枝先生がアプローチしてみては?」
「俺が?無理無理。俺にはもったない。」
ははっと笑って答える。
そうだろうかと、雪春は松枝をそっと見た。
背は高いし体はしっかりしているし、竹刀はちょっと意味がわからないが、生徒の信頼も厚い。
それこそ、松枝に浮いた話がないのは不思議な気がした。
すると幸太郎がその疑問に答えるように小首をかしげて言った。
「ユキ、松枝先生には綾倉先生がいるだろ?」
「え?綾倉先生?」
仲がいいとは思っていたが、まさかそういう関係だったとは。
驚きのあまり、幸太郎が周りには見えないことを忘れて思わず声を出してしまった。
するとその言葉を聞いて松枝は急に慌てだした。
「はぁ!?な、なんでそこで聡・・・綾倉先生の名前が出て」
「はい?」
「え?」
二人で見つめ合う。
たっぷり5秒静止してから、かかかっと松枝の顔が赤くなった。
「い、いや・・・なんでもない・・・。」
松枝はふらふらと去っていった。
なんだか申し訳ないことをしてしまった。大丈夫だろうか。
「二人のことも知ってるんですね。」
「俺が高2の時に新任で来たんだ。その時から結構噂されてたけど・・・まだ付き合ってなかったんだな。」
そうだったのか。二人とは結構付き合いがあったのに、全くわからなかった。昔からこういうことには疎い。
雪春と幸太郎は松枝が去った方向を見た。
松枝が真っ赤になっているのに気づいた綾倉に「あんたどうしたの?風邪?バカのくせに。」と言われて「うるせー!」と怒鳴っているのが遠目に見えた。
「根が深そうですね。」
「たしかに。」
今日は二話続けて更新します。




