281話 わたくしが選んだわたくし
一人で外を走るのは、こんなに寂しかったかしら。
スラムから逃げ出したときだって、こんなに怖くはなかったのに。
違うわね。
あの時は、ライラが……わたくしの片割れのような彼女がいてくれたから、ちっとも寂しくなんてなかったのよ。
「ふっ、ふうっ!はっはっ……!!ジャック……どこなの……!?」
あれから、一日だって経ってない。
なのに、今わたくしは何度も転んで、傷だらけになりながら戦いの最前線に走って行こうとしている。
危ないなんてわかっているわ。
何もできないなんてもっとわかっているの。
それでも、わたくしは逃げてしまったから。
『へぇ……あなたは、行かないんですか?王宮内』
『いきません、行っても足手まといですもの』
『それは嘘だ。あんた、怖気づいたな』
ジークさんのその言葉に、何も返せなかった。
わたくしは、たくさん聞いていたもの。
お父様が、ディルクレウス王がどんなに恐ろしいかをシー先生から。
本当は続いてわたくしだって塀を上りたかった。
だけれど、わたくしは一番弱いのよ?
みんなは強いかもしれなくても、わたくしには何もない。
十年間死んでいたんだもの、しょうがないわよ。
だけど、それは通用しなくて。
ジークさんは、荷台の上でうずくまるわたくしに、言ったのよ。
『失望しましたよ。アンナの娘だから優しくしてやったのに、飛んだ期待外れでした』
『わ、わたくしがいたってなにもできっこないじゃない!お、お父様は恐ろしい方で』
『それと、子供の時から正面切って戦ってきたのは?子供の身で俺達を率いて国を変えるような国交をしたのは?国民から冷たい目で見られようと、ずる賢く立ち回ったのは?』
答えなんか聞くまでもない。
黙っていたら、わたくしは荷車から落とされた。
わたくしを庇ってくれる人は誰もいなくて、死んでるみたいに静かなアテナさんも助けてはくれない。
体中擦り傷だらけ。
そんなわたくしを見て、ジークさんは希望をくれた。
すごく冷たい目で、心臓がどきどきしたけれど。
『悔しかったら、自分の力で革命軍くらい止めてくださいな?それが無理なら、ディオメシアの王家は滅んだ方がいい。ポンコツな後継者とか、裏切りそうな味方位いても邪魔ですし!』
殺される。
睨まれたとき、そうとしか思えなかった。
殺気って言うのは、あのようなことを言うんだわ。
だから、何も考えないで走り出していたわ。
ドレスが入った荷物はジークさんに放り投げられてしまったし、本当になにもないのに。
でも、どうしてかしら。
いままで、生きてきた中で一番、心が躍っているの。
目的の場所まで、一回も休まないで走る。
そうしたら目の前に、大勢の後ろ姿が見えた。
叫びながら、武器を振り回してる、ちぐはぐな防具を纏った人たち。
間違いないわ、あれは革命軍!
「シー先生っ……!ジャック!」
声の限り叫ぶと、敵を退けた何人かの男たちがわたくしを見た。
そして、嬉しそうに手を振ってくる。
足元には、呻く敵の兵士がいる。
なのに、彼らは笑顔だった。
「えっ……おい!あれ!!」
「嘘だ、だって」
「やっぱりシー先生の言うとおりだ!ちゃんと、来るべき時のために待ってたんだよ!」
「だよなあ!おれらを勧誘したライラが、おれ達だけ戦わせるわけなかった!」
彼らの会話に、引っ掛かった。
あの人たち、ライラとわたくしを呼んだ。
ガーネティアじゃない。
それに、わたくしがあまり見覚えのない人たち……。
「待ってたぜ『ライラ』!おっと、いまはディアーナって呼ばなきゃだったか!」
「あ、あなたたち、スラムの民じゃなくて『軍勢』の……だったのね」
「何当たり前のこと言いやがる!そっか、ずっとどっかで戦いに備えてたから、配置とかわかんねえよな」
「先頭にジャックがいるぜ!一緒に指揮してくれよ!『ディアーナ』!」
やっと、理解したわ。
みんな、わたくしをライラだと思っている。
役立たずな本物の王女のガーネティアではなく、有能な偽物のディアーナとして。
わたくしは今、傷だらけで土埃まみれ。
スラムにいたときは、もっと身綺麗にしていたもの。
間違えてしまうのでしょうね、本当にわたくしたちはそっくりだから。
わたくしの前よりも、ずっとずっといい表情で、みんなわたくしの名前だったはずのものを呼ぶ。
なのに、ディアーナと呼ばれても、指し示すのはわたくしではない……。
(消えてしまいたい)
誰にも、求められていない証明のよう。
本物のライラだったら、どんなに期待に応えてあげられたのかしら。
それでも、わたくしの顔色なんてお構いなしに、軍勢の人々やスラムの人たちはわたくしを押す。
前に前に。
最前線に。
降りかかる攻撃は、誰かがいなしてくれた。
わたくしはまた守られたままで、なにもできない。
そして、敵の一陣を、革命軍の最前線部隊は突破した。
逃げる敵たちをよそに、わたくしに寄ってくる人が一人。
だけど、その人はわたくしを見て、戸惑っていた。
「えっ、なんでおまえが」
「ジャック、ディアーナがちゃんと戻ってきたんだよ!」
「これでおれたちももっと戦えるぜ!」
「なんせ、嬢ちゃんの心意気に惚れてここまで来たからな!」
みんなの口々に放つ喜びを前にしても、ジャックは笑顔ひとつ浮かべない。
息を切らせて、返り血に濡れて、顔色が悪いのね。
彼は、腰を曲げて耳元で囁いた。
血で汚れた防具を付けないように、ちょっと距離をとりながら。
「ここは危ない、お前には無理だ」
「わたくしを、誰だと思っているの」
「誰って……『ガーネティア』だろ。『ライラ』じゃないんだ、シー先生のいる後衛まで戻れ」
とくん、と音がした。
さっきまで、高揚して悲しくて消えたくて役に立ちたくて。
どうしようもなかったのに、それが全部消えてしまう音。
王女だというのに、これでは笑われてしまうわ。
だって、でも、初めてだったんだもの。
わたくし、ジャックにわかってもらえて、こんなにも。
「後衛には、行かないわ」
「おい」
「わたくしは『ディアーナ』だもの。この皆を率いていく義務がある」
「は?何言ってんだ、敵がもう一回来る前に帰れ!!」
「嫌よ!!わたくしは……この『軍勢』を集め、七年間旅をして、この国を守る勇ましき『ディアーナ』!!」
声高らかに、そう宣言すれば男たちの賛同の雄叫びが周囲を包む。
胸に手を当てれば、自分の穏やかな心臓が走っていた時のように暴れだしていた。
雄叫びに、前線のみんなも興奮していくのがわかる
気づけば、革命軍前線の皆は「ディアーナ!ディアーナ!」とわたくしを『ディアーナ』にしていった。
ああ、ほんとうに。
彼女と瓜二つでよかった。




