第8話 暗く、湿った街 4
ヤドリギ亭のカウンター席には、黙々と食事を取る二人組が座っていた。二人の前には、こんがりと焼き目のついたパンと、白く濁ったしたスープが置かれており、すでに空となっている大皿には肉の脂が残っていた。
カランと小気味の良い音を立てて匙を置き先に食べ終わったのは、赤い髪が邪魔にならないように頭の後ろで一つにまとめたエレナだった。
「ふはぁー、美味しかった!」
満足げな吐息とともについつい笑顔が零れる。旅の間の食事は美味しくなるように創意工夫が凝らされるが、それでも単調なものになってしまう。加えて、トナードの宿では食事の付かない素泊まりであったため、食事という楽しみが無かった。そのため、ヤドリギ亭での料理は余計に美味しく感じられたのだ。
「ふぅ、ご馳走様です。とても美味しい食事でした」
「それは良かった。一生懸命食べてくれたからね、こっちも作りがいがあったってもんさ」
「あの白濁したスープは何? とても美味しかったんだけど、食べたことのない味だったわ」
「ああ、あれは牛の乳を入れてあるのさ。新鮮なものじゃないと意味がないけどね」
二人の食べっぷりに満足げな笑顔で頷いていたラフスは、一口目を食べるたびに顔を輝かせていたエレナによって質問攻めにされていた。久々の客であったためか、ラフスは笑顔でエレナの質問に答えていく。そうしてエレナがあらかたの質問を終えた辺りで、今まで黙っていたメイクが口を開く。
「ところでラフスさん。私からも聞きたいことがあるのですが」
「なんだい、何でも聞いてみなよ」
「この街で蔓延しているという黄色い花のことなんですが……」
メイクの言葉に、今まで上機嫌だったラフスが眉を顰めた。
「……あんたもあの花に興味があるのかい」
「ええ、まあ」
「やめときな。あの花の効果は確かに凄い。けれどここに来るまでに散々見て来ただろう、あの花に頼ってきた人間がどんなことになるのかを」
怒りを抑えたかのような声音で語るラフスに、メイクは軽く肩を竦めると首を振った。
「いえ、あの花を使いたいわけではなく、ただ調べてみたいだけですよ。私の記憶が正しければ、まだ書き記されてはいないと思いますので」
「書き記す……?」
「私たちはね、歴史の語り部なの」
歴史の語り部と聞いたラフスが目を見開く。
「あんたたちが、歴史の語り部だって?」
「ええ、正確に言えば私だけで、エレナは違うのですが……教えていただけますね? あの花のこと」
「……わかった」
一つ、大きな溜め息を吐いたラフスは、観念したかのような笑顔を浮かべると話し出した。
「今から季節が三度ほど前の頃、御者台に黄色い花を一杯に積んだ馬車が一台、この街で商売を始めたんだ。もちろん売るものはその黄色い花さ。最初のうちはあまり売れず、萎れた花でほぼ満杯のまま帰っていくことが多かった。でもね、一度でも買った客はその行商人が来るたびに花を買うようになった。順調に客は増えていったね。噂では花の香りを嗅いでいると元気になり、疲労が取れるというのさ。そして、やがては街の半数があの黄色い花を買い求めるようになったんだよ」
ここまで話したラフスは、水を一杯だけ一気に飲み干すとまた一つ溜め息を吐いて話を続けた。
「しばらくは黄色い花を売り続けた行商人だったんだけど、ある時からパタリと止めてしまった。けど、来るたび馬車には一杯の花を積んでいる。我慢できなくなった常連客が売ってくれとせがむと、これは街で売る用ではなく中央に納める物だというのさ。だから売れないんだと。そうして街に花が行き渡らなくなった頃、街の住人に異変が起き始めたんだよ。街の皆が働かなくなり、あの黄色い花を欲する様になったのさ。時には花を求めた住人同士が殺し合いをするまでになっていたけど、それでも行商人は頑なに販売を拒んだ。そして、ついには中央へ向かう馬車を、住人が襲ったんだ。あたしはその場にいなかったからよくは知らない。でも、それは凄い光景だったそうだよ。男、女、老人、子供までもが目を血走らせながら花をかき集めていたそうさ」
その時の街の様子を思い出したのか、ラフスは寒気が走ったかのように体をブルッと震わせる。その姿を見たエレナが、心配そうに切り出す。
「大丈夫? 話すのが辛かったらまた今度にでも……」
「……いや、いいのさ。あんたたちには今、知っておいてほしいからね」
エレナの言葉に、弱々し気な笑顔を浮かべつつも、頑なな決心をしているのか首を振ったラフスは口を開く。
「その襲撃があってからというもの、中央からの護衛が付くようになったんだ。そのせいで襲撃するのも難しくなって……でもね、ある時また街で黄色い花を売るようになったんだよ。だけどその値段は今までの比じゃなかった。ぼったくりも良いトコさ。それでも皆喜んで買っていた。それこそ、商売のために、子供のために、老後のために、貯蓄していた金品を使ってまでね。……あとはわかるだろう? そんな生活が続くはずもない。結局、買うための金がなくなって、今のこの街が出来上がったってわけさ」
悲痛な面持ちで語り終えたラフスはキッチンにある椅子に深く座り込んだ。それを真面目な顔で聞いていたメイクとエレナだったが、深い沈黙を破るようにエレナが口を開く。
「でも、なんでラフスさんは今こうしていられるの?」
「……花を一度も買わなかった奴もいるってことさ。こんな街でもそんな人たちがまだいるからね。お互いを顧客にして何とか商売をやってるってわけだよ」
「そうなんだ……」
なおも口を開こうとするエレナだったが、結局は俯いてしまう。そんな空気を察したのか、ラフスは努めて明るい声を出す。
「暗い話しちまったね! さぁ、疲れているだろう? 部屋に案内するよ。一番広い部屋が空いてるからね、そこを使いなよ」
「それはありがたいのですが、私からも質問があります」
「……これ以上何を聞きたいんだい?」
「この街の中央が機能停止しているという話は聞いたことがありません。何故でしょうか」
「さてね、そんなことあたしが知るもんか」
「思い出してください、何でも良いんです。中央に納品されるという馬車に何かおかしな点は無かったですか?」
空気を読まないメイクの問いに、半ば苛立ち始めていたラフスだったが、顎に手をやり考え込む。そして何かを思い出したかのようにゆっくりと口を開いた。
「そう言えば、街に花を売るときは黄色い花しか積んでいなかったのに、中央に花を納める時だけ紫色の花を積んでいたっていう話だけど……でも、あまり数は多くなかったみたいだよ」
「なるほど……ありがとうございました。さて、今度こそ部屋へ案内していただけますか? 実のところヘトヘトで」
ラフスの何気ない話にメイクは頷くと、今度こそ満足したかのように笑みを浮かべた。
「そうかい。それじゃこっちだよ」
階段を上がって二人が案内された部屋の扉を開けた瞬間、二人は口を開いたまま固まっていた。
「どうだい、すごいだろう?」
そう言ったラフスと口を開けたままの二人の視線の先には、大人三人が楽に寝転がれるであろう特大のベッドが鎮座していた。満面の笑顔のラフスと対照的に、困ったような笑顔のメイクがぎこちなく首をラフスへと向ける。
「あの……これは……」
「おや、歴史の語り部とはいえ男女が二人きりで旅してるっていうもんだからさ。てっきりそういう関係なのかと」
引き攣った笑顔に変わったメイクに、ニヤついた笑顔を向けるラフス。
「エ、エレナも困りますよね、これ」
誤解を解くのを諦めたメイクはエレナに助けを求めて振り向くが、そこには耳まで真っ赤にしたエレナが僅かに顔を俯かせていた。
「…………………ぃょ」
「え?」
「だから! お金! 二部屋だと勿体ないし! ここでいいよってば!」
「決まりだね、それじゃあこれが鍵。ごゆっくり~」
「あ、ちょ」
そう言ってメイクに鍵を渡すと、さっさと下へ戻って行ってしまったラフスを止める間も無く、廊下には固まったメイクと顔を真っ赤にしたまま俯いてしまったエレナだけが残された。
しばらくそうしていた二人だが、溜め息を吐いたメイクがエレナに話しかける。
「とりあえず、部屋に入りましょうか」
「ひゃい!」
おかしな返事をしたエレナにメイクはもう一つ溜め息を吐いた。今夜も長い夜になりそうだと。