狂気
荒野に血飛沫が舞っている。切り刻まれた肉片が辺りに散らばり、思わず顔を歪めた。血を吸いこみ土壌は紅く染まる。生臭い血の臭いが滲み付いた鎧が嫌に重い気がした。双剣を振り下しながら目の前にいる魔物を叩き切ると、女騎士は肩で息をした。魔物の数は異常だ。人型、獣型と多種の魔物が戦場で雄叫びを上げている。
帝国軍の被害は甚大だ。七人の騎士と多数の兵士が幾ら闘おうと、その場にいる魔物の数に押されてしまうのだ。それに加え、共和軍の兵士が回り込むように帝国軍に迫り、全滅するのも時間の問題だ。
「共和軍の数は異常だ。一体、どうやってこんな数の魔物を集めた」
フェレスの背後から現れたアゼザルは喜びに満ちた表情で駆け抜けて行く。大剣を振り回し、魔物が宙に浮く。血潮を撒き散らし、体中に浴びながらも気にすることはない。寧ろ、喜んでいる。
「殺しても殺しても、全くたりないなぁ! ひぃ、ひぃ、最高だよ。最高だよなぁ、おいっ!」
誰に問う訳でもなく、叫び続けるアゼザル。そうだ、殺しても殺しても、引切り無しにやってくる。柄の長い鋭い鎌を振り回すライドールも流石に息が上がっている。
まるで狂っている。
「何だ、あれは!」
優勢の筈の共和軍の兵士が突然後ずさる。何かに怯えた様子でがたがたと震える姿を不審に思い、フェレスは思わず振り向いた。
青く広がる大空を切り裂き、漆黒の竜が羽ばたいていた。一直線に此方にやってきた黒竜は自らの鉤爪を立て、地表の魔物に突進する。骨の折れる音や、肉の切り裂かれる音。そして叫び声が辺りに響き渡り、共和軍が崩れるように吹き飛んでいった。その竜の背には竜の子が乗っていた。
「ハイネ!」
ハイネは竜の背から飛び降りると敵のど真ん中へと入り込んだ。腰に携えた剣を引き抜き、周囲の敵を薙ぎ払う。吹き上がる血を浴びたハイネの顔は汚らしくぐにゃりと歪んだ。
『殺せ、何もかも!』
竜が挑発的にハイネにそう言うと、それに反応してか、ハイネはさらに剣を振り回す。自らの周りに集まる魔物を一掃すると、陣を組む共和軍の兵士の元に駆けて行く。
「紅い悪魔と竜が共にいる!」
「退け、退けぇぇっ!」
共和軍の指揮官が力一杯に叫ぶ。魔物と兵士は今までの姿勢とは裏腹に次々と下がって行く。だが、ハイネはそんな共和軍を追い、更に剣を振った。四肢が飛び、血が撒きあがる。
ハイネは笑みを浮かべている。身体中を駆け巡る竜の血が沸騰してハイネが興奮しているのだ。
「殺す、殺す、殺す、殺す! 死ねぇぇぇぇぇっ!!」
雄叫びにも似た叫び声を上げながらハイネが暴れまわる。右腕に構えた剣で敵を切り裂き、左腕で敵を殴り付ける。骨の折れる感触を味わうと、笑みが更に増した。
狂っている。フェレスは思わず身体が竦んだ。
撤退する共和軍の最後の一人を殺したとき、ハイネはようやく深い息を漏らした。体中に浴びた大量の血。垂れ流れる血を腕で拭い、顔を上げると、開かれた荒野には四肢の揃っていない肉片がいっぱいに散らばっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
全身から湧き出る喪失感。ハイネの心の中に現れた衝動は、一瞬にして消え去ったのだ。簡単に振っていた剣がひどく重く感じる。
――あぁ、やっぱりか。
「俺は、俺は竜の子か」