好きなのかもしれない
インターハイ予選まで、あと六日。
大会前、最後のオフ。
久しぶりに部活のない一日だった。
「結衣、こっち。」
ショッピングモールの入口で手を振る葵を見つけ、私は小走りで駆け寄った。
「ごめん、待った?」
「今来たところ。」
葵は私の格好を上から下まで眺める。
「ちゃんと私服着てる。」
「どういう意味?」
「最近、制服かジャージの結衣しか見てなかったから。」
「そんなことないよ。」
「あるよ。」
即答され、何も言い返せなくなる。
確かに、最近は学校と部活を往復する毎日だった。
休みの日も練習試合や試合の記録を見返して、気がつけば一日が終わっている。
葵と二人でゆっくり出かけるのも、ずいぶん久しぶりだった。
「今日は部活の話禁止ね。」
歩き始めた葵が言う。
「え?」
「一日くらい、バレー部のマネージャーじゃなくて普通の高校生に戻りなよ。」
「普通の高校生だけど。」
「じゃあ最近何してる?」
「昨日はゲーム形式の練習で主審をやって――」
「はい、もう部活。」
「聞いたの葵じゃん!」
葵が楽しそうに笑う。
私たちは服を見たり、雑貨屋へ入ったり、フードコートでお昼を食べたりした。
くだらない話をして笑う時間は、何も変わっていなかった。
中学の頃からずっと続いている、私と葵の時間。
それなのに。
何かを見つけるたび、頭のどこかで先輩たちの顔が浮かんだ。
スポーツショップの前を通れば、守屋先輩が欲しがっていたサポーターを思い出して。
大きなペットボトルが並んでいれば、ドリンクの残りを確認しないと、と思ってしまう。
「結衣。」
「なに?」
「今、ポカリ見て部活のこと考えたでしょ。」
「……なんで分かるの。」
「顔。」
「そんなに顔に出る?」
「出る。」
葵は呆れたように笑い、私の腕を引いた。
「ほら、次行くよ。」
「どこ?」
「文房具。」
「ノートならまだあるよ。」
「部活用じゃないから。」
「何も言ってないじゃん。」
「顔に書いてある。」
完全に見透かされていた。
文房具店を出たあと、葵が飲み物を買いたいと言い、私たちは一階の食品売り場へ向かった。
エスカレーターを降りたところで、少し先から聞き覚えのある声が聞こえた。
「だから、そっちじゃないですって。」
「どっちでも一緒だろ。」
「全然違いますよ!」
「守屋が決めれば?」
「水谷さん、それ一番困るやつです。」
思わず足を止める。
スポーツショップの袋を持った水谷先輩。
その隣で、二種類のテーピングを見比べている守屋先輩。
少し後ろには、蓮先輩と神谷先輩もいた。
「……バレー部禁止だったよね?」
葵が隣で呟く。
「私が呼んだわけじゃないよ!」
その時、守屋先輩がこちらに気づいた。
「あ。」
視線が合う。
次の瞬間、守屋先輩が大きく手を振った。
「結衣じゃん!」
人の多い通路に声が響く。
「声大きいです!」
私が慌てて駆け寄ると、守屋先輩は葵にも手を挙げた。
「葵ちゃんも久しぶり。」
「お久しぶりです。」
水谷先輩も笑顔を向ける。
「二人で買い物?」
「はい。」
「大会前最後のオフなので、結衣を部活から引き離そうと思って。」
「引き離すって何。」
葵の言葉に、水谷先輩が笑う。
神谷先輩も軽く目を向けた。
「久しぶり。」
「お久しぶりです。」
その横で、蓮先輩が葵を見る。
「この前の昼休み以来だな。」
「はい。白石葵です。」
「覚えてる。」
蓮先輩はそう言って笑った。
守屋先輩は私たちが来る前まで見ていたテーピングを持ち上げる。
「ちょうどよかった。結衣、どっちがいいと思う?」
「なんで私に聞くんですか。」
「マネージャーだから。」
「便利な時だけ頼らないでください。」
二つを見比べる。
「こっちじゃないですか? いつも使ってるのと同じです。」
「ほら、俺の方が合ってた。」
蓮先輩が言う。
「蓮さん、さっきどっちでもいいって言ってたじゃないですか!」
「言ってない。」
「言いました!」
いつものやり取りに、思わず笑ってしまう。
「結衣。」
葵が小さく私の袖を引いた。
「ん?」
「本当に馴染んでるね。」
葵は先輩たちを見ながら、少し驚いたように言った。
「そうかな。」
「そうだよ。」
その声は、不思議なくらい優しかった。
「それより。」
守屋先輩が私と葵を交互に見る。
「二人は何買ってるんですか?」
「普通の買い物です。」
葵が答える。
「結衣の服を見たり。」
「へぇ。結衣、服買ったの?」
「まだ買ってません。」
「なんで?」
「迷ってるからです。」
「どんなやつ?」
「守屋先輩には関係ないです。」
「冷たっ。」
蓮先輩が笑いながら私を見る。
「せっかくだし見せてみろよ。」
「蓮先輩まで乗らないでください。」
「似合うか見てやる。」
「絶対面白がってるだけですよね?」
「半分は。」
「半分もあるんだ。」
水谷先輩が吹き出す。
その横で、神谷先輩は黙ったまま私たちの会話を聞いていた。
「じゃあ、みんなで見に行きましょうよ。」
守屋先輩が言う。
「嫌です!」
「即答!?」
「部活の先輩四人に服選ばれるなんて絶対嫌です。」
「俺たち、そんなセンスないと思われてる?」
水谷先輩が笑う。
「水谷先輩はまだ信用できます。」
「じゃあ俺は?」
蓮先輩が聞く。
「分かりません。」
「守屋は?」
「絶対嫌です。」
「なんで俺だけ即答なんですか!」
守屋先輩の声に、みんなが笑った。
葵も隣で肩を揺らしている。
「ほら。」
葵が私の耳元で囁く。
「楽しそう。」
「葵まで。」
「だって本当だし。」
しばらく話したあと、水谷先輩が時計を見る。
「そろそろ行くか。」
「俺たちもまだ買う物あるしな。」
蓮先輩がスポーツショップの袋を持ち直す。
「じゃあ結衣、また明日。」
守屋先輩が手を振る。
「はい。ドリンク作り、忘れないでくださいね。」
「まだ続くの!?」
「昨日の分です。」
「一日で終わりじゃないんですか?」
「ちゃんと作れるようになるまでです。」
「厳しすぎる!」
笑い声が広がる。
「じゃあな、結衣。」
蓮先輩が軽く手を挙げる。
「また明日。」
水谷先輩も笑う。
「はい。また明日。」
三人が歩き出す。
神谷先輩もその後を追いかけようとして、ふと足を止めた。
振り返り、私を見る。
「結衣。」
不意に呼ばれ、胸の奥が跳ねた。
「はい。」
「明日、遅れんなよ。」
「遅れません!」
「ならいい。」
神谷先輩はそれだけ言うと、先に歩いていた三人のもとへ向かった。
少し離れたところで、守屋先輩が何かを言いながら神谷先輩の肩を叩く。
神谷先輩がその手を払い、蓮先輩と水谷先輩が笑っていた。
私はその背中が見えなくなるまで、目で追っていた。
「結衣。」
葵の声で我に返る。
「なに?」
葵は私の顔をじっと見つめていた。
「もう下の名前で呼ばれてるんだ。」
「昨日、守屋先輩が勝手に決めて……。」
「神谷先輩も?」
「一応。」
「へぇ。」
葵はそれ以上何も言わず、歩き始めた。
その「へぇ」が、何かを分かっているように聞こえて落ち着かない。
「ちょっと、葵。」
「なに?」
「今の反応なに。」
「別に。」
「絶対何か思ってる。」
「思ってるけど、今は言わない。」
「余計気になるんだけど。」
葵は楽しそうに笑いながら、私の腕を引いた。
私たちは残りの買い物を済ませ、夕方になってショッピングモールを出た。
空は少しずつ茜色に染まり始めている。
駅へ向かう道を、葵と並んで歩く。
「結衣。」
「ん?」
「楽しそうだね。」
「何が?」
「部活。」
葵は前を向いたまま言った。
「前よりずっと。」
「……そうかな。」
「そうだよ。」
私はさっきまで一緒にいた先輩たちを思い出す。
守屋先輩の声。
水谷先輩と蓮先輩の笑い声。
そして。
最後に私の名前を呼んだ、神谷先輩の声。
「特にさ。」
葵が横目で私を見る。
「神谷先輩といる時。」
「え?」
思わず足が止まりそうになる。
「な、なんで神谷先輩が出てくるの。」
「分かりやすいから。」
「何が?」
「全部。」
葵は呆れたように笑う。
「さっきも神谷先輩に名前呼ばれただけで、顔変わってたし。」
「変わってない!」
「変わってた。」
即答され、言葉に詰まる。
葵は少しだけ歩く速度を緩めた。
「結衣。」
「……なに。」
「好きなの?」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、何も返せなかった。
「神谷先輩のこと。」
胸の奥が、大きく跳ねる。
「そ、そんな急に聞く?」
「ずっと聞こうと思ってた。」
「だからって……。」
否定しようと口を開く。
でも。
好きじゃない。
その一言が、なぜか出てこなかった。
葵は黙ったまま、私の答えを待っている。
「……分かんない。」
やっと出たのは、そんな曖昧な言葉だった。
「分かんない?」
「一緒にいると楽しいし。」
「うん。」
「名前呼ばれると、変な感じするし。」
「うん。」
「他の人と話してるのを見ると、ちょっと気になる時もあるけど。」
「それ、ほぼ答え出てるよ。」
「まだ最後まで言ってない!」
葵が吹き出す。
「じゃあ続けて。」
「でも、部活の先輩だし。」
笑っていた葵の表情が、少しだけ柔らかくなる。
「それに、もうすぐ大会で。」
「うん。」
「今は、みんなで勝ってほしいって気持ちの方が大きい。」
本当は。
それだけじゃない。
勝ってほしい。
全国へ行ってほしい。
もっと一緒にいたい。
まだ終わってほしくない。
いろんな気持ちが絡まりすぎて、自分でもどれが一番なのか分からなかった。
「そっか。」
葵はそれ以上追及しなかった。
「でも。」
少し間を空けて、また私を見る。
「好きじゃないとは言わなかったね。」
「葵!」
私の声に、葵が楽しそうに笑う。
「はいはい。大会が終わるまでは聞かないでおく。」
「終わったら聞く気なの?」
「もちろん。」
「もう……。」
そう言いながらも、胸の奥はまだ落ち着かなかった。
好きなのかもしれない。
その言葉が、初めてはっきりと自分の中に残った。




