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サトコのパン屋、異世界へ行く  作者: 塚本悠真
【おまけのはなし】
126/126

今までのように、これからも 六

「ひいさまッ」


 アルゴは駆けた。


「ひいさまッ、いずこにおられる!」


 城中の者どもをかきわけ、すべての室を開け放ち、厠のみならず風呂場や台所までも駆け込んだ。しかし姫と女の姿は見当たらない。

 どこだ、どこにいる。まだ遠くには行っているまい、必ずこの城の敷地の中だ。

 あの女は女官を装ってやってきた。姫も自分も疑わなかった。すでに外へと連れ出されてしまったのか――あるいは、姫が自ら「外へ行きたい」と言ったのか。


「……池か!」


 お外で遊びたい、と言っていた。

 池の魚を見たい、と言っていた。

 かの女がどのような目的で忍び入ったのかはわからない。ただ、彼奴が目を付けたのは幼い姫だ。目的を推察するには十分すぎる。そして姫をどのように扱うつもりかも。

 この城の庭は三つ、池があるのはそのうち二つ、魚はどちらにも放たれている。東の庭か、南の庭か、自分が賊ならどちらを選ぶ?

 あるいは姫は、どちらに行きたがるだろう。

 東の庭は大門に近く門番がいる、南の庭は――かつて姫と城主が遊んだ場所だ!


 外に飛び出し、建物の角を回り、南の庭へとアルゴは走った。大きな池、そこにかかる橋、そのたもとに佇む大小の影。

 一人は子ども。一人は大人。どちらも女だ。

 大人の女が、子どもの耳元に唇を寄せる。何を言い含められたのか、子どものほうは目を見開き――シュンとうなだれた。

 間に合え。

 間に合え。

 間に合え――!


「ひいさまッ!」


 一声叫べば姫がこちらを向く。大丈夫だ、間に合った、まだ何もされていない――しかし女は、姫の手を取り走り出した!

 手首をきつく掴まれたまま、小さなコズサ姫ももつれる足で駆け出した。戸惑う瞳でこちらを見て、女を見て、またこちら見る。そしてその拍子に爪先を砂利に取られて、転倒した。

 即座に女の怒声が響き渡る。


「立てッ」


 鬼のような形相で、姫に迫りながら。


「立て、ぐずぐずするなッ!」

「い……いやッ」

「はよう立てッ、おまえは私と」

「いやじゃ! いやッ」


 女が片手を振り上げた。姫が細い腕で抵抗する。

 身をよじり、振り絞るように、唇から悲鳴が迸る。


「アルゴ!!」


 アルゴは地を蹴った。

 女の手が振り下ろされるより早く、小さな体をかき抱き跳び退る。逃れた場所へ女の片手が空を切り、何かがギラリと眩く光った――小さな、しかし鋭い刃物。


「……懐に飲んでいたかッ」


 姫を抱いたまま、アルゴは足元の砂利を掴んだ。

 悪鬼の形相で女が迫る。姫が大きく息を飲む。

 胸にしがみついた小さな身体を庇いながら、アルゴは自分と女の距離を測った。もう少し。あと少し――そして、渾身の力でその顔へ砂利を投げつけた!


「ぐッ……!」


 女の動きが一瞬止まった。視界を奪われ、目をきつく閉じ、低く呻いた。


「……おのれ!」


 その間隙をついてアルゴも動いた。

 女に飛び掛かり、組み伏せる。馬乗りになって片腕をねじり上げたとき、小さな刃物がぽろりと落ちて――同時に「ボキリ」と音がした。


「……ぎゃァァああぁあ!!」

「コズサ!!」


 父上様、と姫が叫んだ。城の者ども、エードの者ども、王たちに女たち、そして魔法使い――続々と駆けてくる。

 地べたに座り込んだコズサ姫が、父を見つけて両手を伸ばした。


「コズサ、コズサよ、無事であったか!」

「父上様、父上様ッ」


 そして「わあっ」と泣き出した。父王の胸に顔を埋め、しゃくりあげる。


「コズサよ、あの者に嫌なことをされてはおらぬか! 嫌なことを言われてはおらぬか!」

「人が……人が死ぬと。わらわのせいで」


 それを城主がじっと見ていた。

 やってきた城の者に女を任せ、アルゴはその足元に跪き、頭を垂れた。


「わらわが西へ行くのは天下の大事(だいじ)、それをエードが勝手に決めたゆえ、たくさん、たくさん、人が死ぬと……それはすべて、わらわのせいじゃと」

「なんと、そのような」

「は、母上様も、そうであったと。都に押し付けるための娘を生んで、呪いを受けて早死になされたと……父上様も、おじい様も、わらわをそうしようとするものたちは皆死ぬるのじゃと」

「コズサよ信ずるでないぞ! 斯様なことは何処にもないッ」

「でも、でも、母上様はもう居らぬでは有りませぬか! 呪いを受けたせいで、わらわを御生みあそばしたせいで……誰も彼も皆死ぬるのじゃ!」

「ひいさま、それは――それこそが、『呪い』なので御座いまするよ」


 杖をつきやってきたのは老魔法使い。紫の眸をしばたたき、女の賊をじッと見る。


「あの女は、ひいさまに呪いをかけんとしたのでしょう。一番簡単な呪いは、言葉によって成されまする。心の迷う部分に働きかけるのです。ただの戯言、と聞き流せる者もおりましょう――しかし魔法使いによって成される『呪い』は、聞き流すのが難しゅう御座います」

「でも……でも、おじじ。わらわは」

「ひいさま。呪いを受けてはなりませぬぞ。誰も死んだりなど致しませぬ」


 ――しかし、このおれは、これから死ぬのだ。


 口には出さねど、心の中でアルゴは呟いた。

 視界の隅で賊が縄につながれ、追い立てられていく。何処からきたのか、誰の命を受けてのことか、これから厳しい追及を受けるのだろう。

 そして命を落とす。女は姫に仇なした罪で――己は姫を危険に晒した罪で。

 この場での御手打ちは免れまい。


「……アルゴよ!」


 首を差し出し、沙汰を待つ。それだけだ。


「礼を申すぞ、アルゴよ。よくぞコズサを守ってくれた!」

「……畏れ多き御言葉」

「あやつらを伺う気配のあったこと、おそらくはあの女だったのだろう。まさか城内に忍び入り、じかに手を出して来ようとは……あと少し遅ければと思うと寒気がするわい!」

「……」

「しかし、おまえが目を離さねば斯様なことにはならなかった――儂は、おまえを斬らねばならぬ」


 剣を持て! と城主が宣言する。城の者どもが息を飲む。戸惑うような、同情するような、視線が全身に突き刺さる。

 その中にエードの姫の視線もあった。

 見つめるその頬は蒼白だ。


「……覚悟は出来て御座います」


 折り紙。お絵かき。かくれんぼ――手をつなぎ、お池の魚を眺めよう。

 つきあってやれば良かっただろうか。

 退屈なあの場を抜け出して、少しだけ遊びの相手をしてやれば良かっただろうか。

「一緒に遊べば仲良しじゃ」という素朴な言葉に従って、子ども時代にできなかった遊びを一緒に楽しめば良かっただろうか。

 だが、もう遅い。

 城主に長剣が渡される。鞘から抜き放ち、振りかぶる。「さぁひいさま」と誰かが姫に退出を促して――アルゴは静かに目を閉じた。

 砂利を踏む音。息遣い。


「……駄目ーッ!!」


 そして一瞬後、どんッ、と何かが身体にぶつかった。


「駄目、駄目ですおじい様ッ。この者を斬らないで!」


 跪いた自分の身体を、小さな姫が覆いかぶさるように庇っていた。

 細い腕をいっぱいに広げ、燃えるような小さな両手で。


「コズサよそこを退けッ」

「いやです、いや! 絶対に嫌ッ!!」

「斬らぬわけにはゆかぬのだ! どのような理由があれど、それで不始末を許すわけにはいかぬのだッ!!」

「それではこの先、こういうことがある度にわらわを守った者を皆切り捨てるのですか。そのようなこと、コズサは嫌で御座いますッ」


 姫は城主をにらみつける。つややかな黒髪が乱れている。

 まくしたてるように、悲鳴のように、白刃を前に大きく叫んだ。泣き出す直前のような震える声で。


「今、おじじが申したのです。誰も死んだりしないと申したのです。だけどこの者を斬ったら、わらわから目を離した咎でこの者を斬ったら、それは『わらわのせいで死んだ』ということで御座いましょうッ!」

「……コズサ!」

「あの者の言うたとおりではありませぬかッ!! わらわの命を助けたのに、わらわのせいで死ぬるのじゃ!」


 振りかぶった剣の先が、徐々に、徐々に、下がっていく――その場の誰もが固唾を飲んで、成り行きをじっと見つめている。


「……マーロウ!」


 城主が老魔法使いの名を呼んだ。「どう思うッ」と鋭く問われ、魔法使いは一礼し、口を開いた。


「まことに僭越ながら――ひいさまの御言葉をお聞きになり、この若者を斬らずに許すのは、弱腰であるかと存じます」

「……おじじ! ばかッ」

「しかしながら、ここで斬るのは浅慮であるかと」


 続けよ、と城主に促され、魔法使いはまた一礼した。


「斬ればあの者の呪いが完成を見ることになりましょう――自分のために人が死んだと、八歳の心に強烈に残りましょう。御輿入れまでの十年間、じわじわと魂を蝕むのです。明るさは失われ、笑顔は曇り、心が痩せればかならずや姿形に現れます。朗らかな妻とそうでない妻ならば、どちらをいとおしく思うかは自明のこと」

「……」

「御選びになるのは、先代様――あなた様で御座います」


 しばしの沈黙があった。


 どちらでもよい。

 どちらでもよいのだ。

 もとが死ぬのを待つ身だった自分である。命を拾った城主の手により、今ここで死ぬるも宿命(さだめ)であろう。苦しむ時間が短いようにと祈るばかりだ。

 だがこの姫は生きねばならぬ。

 己が死のうと、死ぬまいと――その心が死のうと、死ぬまいと。


「……顔を上げよ、アルゴ!」


 沈黙をやぶるのは城主の声だ。細い腕でしがみついたコズサ姫が、すがるようにそちらを見上げている。


「此度の失態、不問と致す――但し、この城におまえの居所はない! 今日を限りに出てゆくがよいッ」


 下ろした剣を鞘へと戻し、城主はこちらに背を向けた。

 おじい様、と不安げに呼びかけて、姫がその背中とこちらを見比べている。


「……おまえに会うのもこれきりじゃ。しかし戦場で出会うたあのとき以来、よくよく仕えてくれたことは感謝に堪えぬ。

 おまえの剣の腕前ならば、何処でも仕官の道はあろうはず! たとえば――――たとえば此処より東、エードの城では姫につける護衛の者を探しているとか!」


 ……は、とアルゴの口から空気が漏れた。

 目を瞠り顔を上げたすぐそばで、小さな姫がごくりと唾を飲む。

 ふーっと老魔法使いが息をつき、その長身の向こうに佇むのは姫の父親だ――やれやれと頭を左右に振って、「まわりくどいのう父上は!」と呆れ声。


「おやおや向こうをよく見れば、あすこにいるのは折よく遊びに来とったエードの王じゃ!」

「御館様……」

「謁見を望むならそこの魔法使いに言うてみよ。儂も知らぬ仲ではないからな、ちっとばかし口を利いてくれてもかまわぬぞ!」


 城主はべらべらとまくし立てる。背中を向けているのでその表情はわからない。

 言葉を失くし、アルゴは跪いたまま――すると、寄り添っていた小さな身体がパッと離れた。


「おじい様!」


 そのままぴょんぴょん跳ねるように、大きな背中にまとわりつく。


「おじい様、おじい様、おじい様……ありがとう御座います、大好きッ!」


 先ほどまでの泣き顔が嘘のようだ。ついに振り向いた城主は相好を崩し、その腕に姫を抱き上げた。


「……とまぁそういうわけじゃ! コズサよ、この男はおまえにくれてやるゆえ煮るなり焼くなり好きにせい!」

「おじい様ありがとう、コズサは信じておりました。ねぇ父上様、この者は今よりわらわだけの家来で御座います! おじい様から頂きました」

「だけの、というわけには行かぬであろうに……困った娘じゃ! のうマーロウよ!」

「ふぉっふぉっふぉっ。ま、ひいさまに守役が必要なことは、今回ハッキリ致しましたからのう――渡りに船で御座いましょうよ」


 いつのまにか日は傾きはじめていた。

 夕暮れに赤く輝くのは、竜巻山の頂だ。血のような赤が、庭を、池を、人々の影を染めていく。


「エードに行け、アルゴよ!」


 これから先の十年で流れる血の色だ――否、天下泰平が叶い、流されずに済む血の色だ。

 今はそうだと信じよう。


「コズサが西の都に嫁すまで、これから十年。

 守りきれ。必ずじゃ。コズサを生涯ただ一人の主とし、命に代えても守り抜け!!」


 アルゴは深々と頭を垂れた。

 これからの十年を捧げる相手の、真っすぐな眼差しを受けながら。

 己の人生が決まったことを、心の奥底で感じながら。



 折り紙。お絵かき。かくれんぼ――手をつなぎ、お池の魚を眺めよう。


 それからしばらく、アルゴは嫌というほど姫の遊びに付き合わされることとなるのだが……


 ……それはまた、別のお話。



 ◇◆◇




 厨房が美味しい香りに包まれる。焼き上がりまで、あとちょっと。


「良いにおいがしてきたのう! 春の例大祭でもぜひ頼むぞ!」


 はい、とあたしは微笑んだ。

 春の例大祭、『狩りの城』……あの冒険の日々がなつかしい。

 何を焼こうかな。コズサ姫みたいに、上様も「やってみたい」と仰るかしら。湖の龍たちも元気にしているだろうか。食いしん坊の小さな龍は、ちょっとは大きくなったかな。

 ……なんてあれこれ考えていたら、誰かがあたしのエプロンを引っ張った。

 

「ぱ! ぱ! あぶぶぅー」


 見ると上様のお膝から、赤ちゃんがこちらに手を伸ばしてる。大人たちの抱っこを順繰りに堪能し、とうとうあたしの番がきたみたい。

 するとにっこり微笑んだのはマーロウさんだ。


「抱っこして差し上げとくれ、サトコちゃん。じつはのう、今日ここにお連れしたのはお別れの意味もあったんじゃよ。明日明後日には、この御子は西の都にお引越しじゃ」

「えっ。そうなんですか!?」

「だぁー。きゃあー!」


 膝に乗せればずしりと重く、おくるみに包まれて眠っていたあの日がうそのよう。

 あの時はあの時で重いと思ったもんだけど……「ひと眠りするたびに育ちますよ」ってレオニさんが言ってたっけ。

 そっかあ――すやすや眠ったぶんだけ、こうして大きくなったんだ。

 ちっちゃな前歯が生えてきて、離乳食が始まったくらいだもの。いつかそうすると知っていたけど、もうすぐさよならだと思うとなんだか切なくなってしまう。


「乳母どのも郷里に帰したし、御所(あちら)は冬支度が整ったというし、年の瀬で忙しくなる前の今がちょうど頃合いと思うての……上様がお戻りになって無事に御挨拶したから、いつでも出立できるというわけじゃ」

「うぶぶぶぅー」

「なんだぁ、言ってくれればあたしお土産用意したのに。コッペパン持っていきます?……あっでも途中で固くなっちゃうか」

「いやいやいいんじゃよサトコちゃん、御子はまだお粥でちょうどいいからの」


 春になる頃この子は一歳――あたしたちのことは、きっとそのうち忘れてしまうんだろう。

 さみしいけれど、それでいいのだ。

 元気で大きくなるのよと声をかけたら「だぁー!」と御機嫌な返事が返ってきた。いつかまた会えたら嬉しいけれど……


「……そうだ! あたし霊廟に行ったら、この子にまた会えますようにってお祈りする」

「ぱ! ぱ! だあー」

「パンよ、パン。また会えたらそのときは焼き立て食べてね、メロンパンもアンパンも焼くからね」

「うー! ぶぶぅ、きゃあー!」


 霊廟の奥の院に詣でたのは半年前。

 あのときとは違う気分で、きっとお参りできるだろう。あの日のあたしたちは、それぞれ重たい荷物を背負ってあの場に臨んでいたけれど……

 この子にはそんな重いもの背負わせたくないな。

 この子だけでなく、これから生まれるどんな赤ちゃんにも。


「そういえば……」


 と、あたしは軽い気持ちで上様の方に視線を向けた。


「今回はどんなことをお祈りされたんですか?」


 ――焼き立てパンを食べてもらって「お味はどうですか?」と訊ねるくらいの気軽な気持ちで。

 すると皆して黙り込んでしまった。

 それから、チラチラ互いに目配せする。「言う?」「言っちゃう?」「えーどうします?」みたいな感じで……ちょっと。そんな反応されるとコワイんですけど!


「あのー……何かマズイこと言いましたかね、あたし」

「いえ、決してそういうわけではないのですが――どうしますか、典医どの」

「そうじゃのう……ま、サトコちゃんなら言うても問題はなかろうが……」

「余から言おう!!」


 厨房に雷鳴が轟いた。

 上様は湯呑を煽って「ダン!」と置き、カッと開いた大きな目でこちらを見据える――最近元気がないとは言えど、近くでみるとやっぱり中々の迫力だ。


「耳を貸せい、サトコどの!!」

「は……はいっ」


 なんと、上様とひそひそ話である。

 あたしは赤ちゃんを抱っこしたまま片耳を差し出し、そこに口元に手を添えた上様がコッソリと――というかいつも通りの大音声で、どかんとささやいた。


「……コズサめが身籠ったそうなのじゃ!!」


 ひとつ、あたしは瞬きして――


「…………えっ!?」


 と椅子から飛び上がった。赤ちゃんを抱いたまま。


「え、ほ、本当にッ!? 本当ですか!?」

「そういう報せを持って帰った鳩がおってのう、いてもたってもいられずに……クッ! ファタルに詣でたというわけじゃ!!」


 そうなんだ。

 そうなんだ――――姫様のおなかに、赤ちゃんが。


 ………………うわーそうなんだー!!


 ほっぺが急激に熱くなる。口元が緩むのを止められない。なんだか目頭まで熱くなってきた!

 きっとあたし、泣き笑いみたいなヘンな顔してる。

 全身を血液が駆け巡り、胸がどきどきして痛いくらい。

 おめでとうって言いたい。

 姫様に会って、おめでとう、って。

 よかったね姫様、アルゴさんもよかったね……うわーっそうなんだ、うわーうわーなんてめでたい日なんだろ! 


「もう、こんないいニュースならもっと早く教えてくれてもよかったのに!」

「ふぉっふぉっふぉっ……いやすまんすまん。まぎれもない慶事じゃが、なにぶん大っぴらには出来ぬでのぉ。ちょいと内緒にしとったんじゃよ」

「それであの、いつぐらいなんですか予定日は」

「鳩が申すには……クッ! 春頃であろうとのことじゃった!!」

「わぁーちょうど例大祭のあたりじゃないですか。うわぁうわぁどうしよう、男の子かしら女の子かしら」

「ふふ、きっとどちらでも可愛いですよ。隊長に似ないといいですね」

「うぶぶぶぅー。きゃあ!」

「もう、レオニさんたらコジマくんみたいなこと言って……ああーどうしようそわそわしちゃう!」


 あたしは指先でそっと眼尻をぬぐった。感極まるあたしの横で、男性陣もわいわい賑やかだ。

「コソッと産着など贈る手立てはないものか!」と上様が吠えれば「当地の魔法医でお産につよいのは誰だったかのぉ」とマーロウさんが思案する。「お祈りすることがいっぱいですね」とレオニさんが微笑んで、あたしも「はい」と頷いた。


 あれもこれも叶うといいな。ひとつに絞れないあたしは欲張りだ。

 だけど先代様は笑って許してくれるだろう……そんな気がする。


「ところでサトコさん、自分からもあなたに話したいことが」


 お祝いムードの中、ちょっとあらたまった様子でレオニさんが懐から何かを取り出した。

 くるくる筒状に丸まったなにかの紙だ。

 広げるとあれこれ文字が書かれていて……なにかしら。こっちの字はまだ勉強中で、読めるところと読めないところが混ぜこぜだ。


「えーっと……“家”……“日にち”……“名前”……これなんですか? レオニさん」

「城内の宿舎を管理する者からもらってきました。厨房(ここ)に来る前、ちらっと寄ったんです。ちょっとここに名前を書いて頂きたくて」


 ここ、とレオニさんが指さすところに、あたしは『まつおさとこ』と記入した。

 するとレオニさん、どこからか朱肉をとりだして拇印を押すよう迫ってくる――なんとまあ、龍の洲は日本と同じく、ハンコが幅を利かせるらしい。


「押しましたけど、でもなんで? 独身寮の契約更新かなにか?」

「ほぉー! レオニくん、いつの間にか家族寮を申し込んどったとはのぉ」


 指を拭いながら、あたしは「えっ」と目を丸くした。

 か……家族寮?

 ぽかんと口を開けると、レオニさんは自分も拇印を押しながら「先に言わないで下さい典医どの!」――だって。


「なるほどッ!! たしかに文官のひとりが『家族をつれて城外に住まいを探す』と言うておったが、そのぶんの空きが出たということか!!」

「そういえばそんな話もありましたのぉ。いやよかったよかった、いつまでサトコちゃんを放っとくのか、内心気を揉んでおったんじゃよ。ふぉっふぉっふぉっ」

「まさか放っておくなんて……まずは暮らしが整わないことには、 “にほん”にいるサトコさんのお母さんに顔向けできません。これで郷里(さと)にもようやく便りが出せます」

「ははぁんワシにも合点がいったわい、住まいを得てサトコちゃんを囲い込み、外堀を埋めて逃げられんようにしてからの里帰り、ということじゃな? いやあ策士じゃのうレオニくん! 煮え切らぬ態度が君の持ち味と思うとったが中々どうして、しっかりしとるではないか」

「て……典医どの! コジマさんのようなことを言わないで下さいっ!」


 突然のことで何が何やら――口をぱくぱくさせるあたしの前で、上様とマーロウさんが盛り上がっている。


「しかし住まいのこともいいが他にも言わねばならんことがあるんじゃろ? ちょうど上様もいらっしゃることじゃしの、ほれレオニくん。ほれ」

「うむ!! この機を逃すとおぬしは一生言わずに過ごしかねぬ。ここで余が証人をつとめてくれようぞッ!」


 ニコニコ顔はこの二人のみならず、気づけば厨房の面々も、仕事の手を止めてあたしたち二人を見守っている。 

 どきどきしながら顔を上げると、レオニさんと目が合って……


「……サトコさん」

「……はい」


 頬から耳を真っ赤に染めて、膝に置いた手を拳に握って。


 緊張してるんだ、レオニさん。


 きっと一世一代の勇気を出して、ここであたしと向き合ってるんだ。

 あたしはそわそわと姿勢を正した。

 ここは厨房だし、まわりは人がいっぱいいるし、だけど石窯の前なんてあたしたちらしくて良いじゃない。

 真剣な眼差しでレオニさんが口を開く。聞き逃さないように、あたしは全身を耳にした。


「一緒になってくれますか――サトコさん」

「……はい!」


 途端、あたりが歓声に包まれた。

 ヒュウと誰かが口笛を吹く。きゃーっと声が上がり、自然と拍手が沸き上がる──あたりを見回せばそこかしこに笑顔が溢れてて。

「祝言を挙げねばならぬな!」と上様が叫べば、「大宴会になりますな」とマーロウさん。「ぱ! ぱ!」とはしゃぐ赤ちゃんはいつのまにか朱肉でお手々が真っ赤っか。


 大きな御褒美をもらった気分で、あたしたちは互いに微笑んだ。


 ここからまた新しく始まるのだ。

 いろんなことが起きるだろう。つらいこと、悲しいこと、さびしいこともあるだろう。

 でも大丈夫。

 あの冒険の日々が、今まで受け取ってきた真心が、暖かく優しい思い出が、あたしたちを支えてくれるはず。


 マーロウさんに赤ちゃんを預け、あたしは石窯の扉を開けた。

 あつあつのコッペパンを取り出して、粗熱をとって切れ目を入れて、中に挟むのは果実を煮詰めた甘いジャム。

 あたしはこうやって生きていく。

 パンを焼いて、それを売って、今日も、明日も、明後日も――今までのように、これからも。


 たくさんのジャムコッペをトレーに並べ、あたしは声を張り上げた。


「焼き立てですよー! さあどうぞ、召し上がれ!」




(おしまい)

『サトコのパン屋、異世界へ行く』 あらためて完結とさせていただきます。


長い間のおつきあい、本当にありがとうございました!




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