第一話 静かな夜
革命が起きようとしていた。
夜の幹線道路を、人民が埋め尽くしていた。
先頭は見えない。最後尾も見えない。
舗装路の両側に立つ街灯は、集まった人々の顔を白く照らしていた。
老人も、工場帰りの労働者も、子どもの手を引いた母親もいた。
国旗を持つ者は少なかった。
武器らしい武器も見えない。
その代わり、誰も帰ろうとしなかった。
首相府の最上階から見れば、人民は一つの黒い川のようだった。
川は叫ばない。
ただ、流れを止めない。
「ありえへん!なんで逆らうんや!!」
キーツは窓を叩いた。
厚い強化硝子が鈍い音を返した。
背後では、役人たちが壁際に立っていた。
誰も口を開かなかった。
通信機は何度も鳴っていたが、報告を持ってくる者は、来るたびに顔色を失っていた。
東門の警備隊が退いた。
南の兵舎では出動命令が拒否された。
議会前では警護官たちが市民を通した。
放送局は政府発表を流さず、過去十年分の献金記録を読み上げている。
そんな報告が、一つ届くたび、キーツの声は大きくなった。
「黙って言うとおりにしたれ、このドアホども!」
窓の下では、誰かが小さな灯りを掲げた。
一つ。
また一つ。
灯りはゆっくりと増え、やがて道路いっぱいに広がった。
かつて停電が続いた夜、市民たちは同じ灯りを窓辺に置いた。
電力会社がデズ社へ売却され、料金が三倍になり、
病院が自家発電機を止めた冬だった。
かつて新聞社が閉鎖された夜も、人々は灯りを掲げた。
記者が司法機関と宗教団体の資金関係を報じ、
翌朝には反逆罪で連行された日だった。
灯りは、国民が忘れていないという合図だった。
キーツはその意味を知らなかった。
知ろうともしなかった。
「あたしは選ばれたんや」
誰に向けるでもなく、彼女は言った。
「あたしは、ここまで上がった。
あいつらが這いつくばっとる間に、あたしは全部手に入れたんや」
右足の内部で、小さな異音がした。
金属が擦れるような、乾いた音だった。
キーツは眉をひそめたが、すぐに忘れた。
扉のそばに、コクドが立っていた。
黒い服を着た異国の青年は、いつものように無表情だった。
首相府が包囲されようと、警備隊が命令を拒もうと、
彼だけは何も変わらないように見えた。
「コクド」
呼んでも、返事はなかった。
「下のやつらに撃たせろ」
コクドは動かなかった。
「聞こえへんのか」
青年の視線は、窓の外へ向けられていた。
人民の中から、一人の男が前へ出た。
男は古びた鞄を持っていた。
広場に設けられた拡声器の前で、鞄から紙束を取り出す。
それは、政府が焼却したはずの公文書だった。
宗教団体から政治家へ渡った金。
シンパンカンが破棄させた裁判記録。
ムクルの大量流入を組織した輸送計画。
オウとの密約。
タヌアとデズ社の契約書。
一枚ずつ、男は読み上げた。
群衆は歓声を上げなかった。
ただ、聞いていた。
沈黙の中で、一つ一つの罪が、ただ読み上げられていった。
「おかあさんの祝福をもろうたあたしがてっぺんなんや!」
キーツは叫んだ。
その声は部屋の中にだけ響いた。
窓の外には届かなかった。
背後で、議会警護担当のゴエイカンが帽子を脱いだ。
「どこへ行くんや」
「職務は果たしましたので、これで。」
「は?」
「私は議会を守る任務を受けていました」
ゴエイカンは静かに言った。
「首相個人を守る任務ではありません」
扉が開き、閉じた。
役人が一人、また一人と後に続いた。
誰もキーツを見なかった。
キーツは笑った。
「逃げたらええ。どうせ、あとで全員捕まえたる」
机上の通信機が鳴った。
キーツは乱暴に取った。
「おかあさん?」
雑音の向こうで、低い呼吸が聞こえた。
だが、声は聞こえなかった。
回線が切れた。
窓の下で、群衆が動き始めた。
先頭の者たちが、一歩ずつ首相府へ近づいてくる。
走る者はいなかった。
怒号もなかった。
人民は、自分たちの国へ入ってくるように歩いていた。
キーツは初めて、その静けさを恐れた。




