アグナヴァルの町へ
前回までのあらすじ
朝起きたら神殿騎士が来たのでついでに町の観光案内してもらうことにした。
馬車から降り立つと、谷底の街は思ったより静かだった。
巨大な門を通り過ぎると、門の影には溶ける気配のない雪が積もっている。
雪が音を吸うのか、足音も響かない。
足跡の下には真っ黒な石が顔をのぞかせている。
みぞれ交じりの汚れた雪の道が、びちゃりと嫌な音を立てた。
メアリが御者に何か伝えると、御者は心得た様子でこちらへ会釈した。馬車を出してくれたのは商会で、地味だがしっかりした作りの馬車だ。
谷底へ降りるなら小さい馬車の方が良いと用意してくれた。
黒い石の壁、低い屋根、細い窓。
山に囲まれているからだろうか、それとも雪以外の大地と壁とがすべて黒色をしているからだろうか、まだ昼前だというのに暗い気がした。
「ここがアグナヴァルの中央通り、通称巡礼者の街です」
マルクの声は明るく、良く通る。
一瞬顔を上げた街の住人達が、また何事もなかったように視線をそらす。
石畳の道は所々割れていて、歴史の重みと整備不足で崩れてしまっている箇所もある。
メアリはキョロキョロと興味深そうに周囲を見て回っていて、いかにも足下が危なっかしい。
「平民の巡礼者はこの道を通って、神殿の礼拝所へ向かうんです」
「あんな上まで歩くんですかぁ?」
マルクの説明に、メアリが大きな声をあげる。
思わず谷の上を振り仰ぐ。昨日訪れたあの巨大な神殿が、指先ほどの小ささだ。後ろからルネがため息をついたのが聞こえた。
「あそこは貴族用です。谷の底に、小さな礼拝所があるんですよ」
「そう、なのね」
「日によっちゃ危険ですからね。今日なんかは全然大丈夫ですけど。場所によっちゃ時々楽園の門が開くんですよ、ここ。だから貴族の方は谷底までは来ない人が大半です」
(それって危険な濃度の硫化水素が噴出することがあるってことよね……?)
冗談にもならないことをいってマルクは笑うのだけれど、その表情に悲壮感や陰りのようなものは見当たらない。それが当たり前だという顔だ。
「そのような日は門の扉が閉じられますから、貴族の方がご心配なさる必要はありませんよ」
ルールに例外はないと言いたげに、ルネの眉間にしわが寄った。
しばらく歩くと、広場らしき場所に出る。
黒曜石を彫り上げた美しいオブジェを見上げると、たくさんの動物や植物の彫刻の上、頂上で女神が水瓶を掲げている。
「大昔の有名な彫刻家が作った噴水です。それこそ、建国神話の時代より昔って説もあって。といっても、今はもう全然水が出ないんで、私も水が流れているのを見たことはないですけど。これを見たくてわざわざ上から降りてくるって言う貴族の方が昔からいるんですよ」
水の気配がない噴水を見上げて、漆黒の女神と目が合った気がした。
豊かな巻き髪が、水のように流れ落ちる、黒曜石の女神。
(……? あれ)
どうしてだろう、一歩踏み出す。
何故か、黒一色の彫刻に、色がついている気がしたのだ。
肌は白かったはず。瞳は、青かったはず。髪は……薔薇のような、赤だったはず。
清らかな水が、この噴水いっぱいに、たたえられて、祝福で満ちていたいた、はず。
小石が足の裏で砕けて、バランスを崩す。
「きゃっ!?」
「っと、大丈夫ですか!?」
マルクが差し出してくれた手につかまって、なんとか地面とキスせずに済んだ。
騎士として鍛えているマルクの腕はびくともしない。
「すみません、このあたりだいぶボロになってて、足下悪いんで気をつけて下さい」
「ええ、ありがとう。気をつけるわ」
足下の雪とひび割れに気をつけながら、しばらく進むと、黒と白の光景が唐突に華やかになった。
大通りの向こうまで、屋台がぎっしりと続いている。巡礼の街らしく、神殿にちなんだ護符やお土産物を売る店のようだ。
主神エールの文様を彫り込んだブローチや、銀細工、軒先には色鮮やかな布が積み上げられている。
「ここがメインストリートです! ここはごちゃついてるんですけど、もうちょっと行くと貴族の人も出入りするような立派な店があって」
「こっちの道じゃなくてもいいだろ」
「いや、こっちのが賑やかで良いだろ。貴族専用の道使って、俺ら追い出されたらどうすんだよ」
「貴族様はこんな平民だらけの場所通る方が嫌だと思うけどな」
棘のある言葉にマルクがルネの後頭部をはたく。
伺うようにこちらを振り返るマルクに、にっこり笑ってみせる。
仮に貴族専用の道があって、今からでも通れますと言われても、ルネの好感度が死ぬほど下がりそうなので選べそうもない。
それに、すぐ隣で目を輝かせているメアリもいるし、私自身知らない土地を歩くのは楽しみだ。
「こちらを通りたいわ。案内してもらえる?」
「もっちろん! 任せて下さい!」
「……はぐれないように気をつけて下さい。上の道と違って、治安、よくないですから」
一歩進むごとに、通りは華やかに、賑やかになっていく。
どこかで温水が湧き出ているのか、時折硫黄の匂いが混ざった温かな風が吹いてくる。
黒と白の風景は、いつの間にか極彩色の布と刺繍にあふれた景色に変わっていた。
「マルク。今日はずいぶんきれいどころを連れてるじゃねぇか」
屋台の店主が気軽にマルクに声をかける。
ぶくぶくと沸いている黒ずんだ謎の液体は飲み物だろうか、不思議な匂いがする。
「いいだろ、おやっさん」
「おやまぁ本当に美人さんを連れてるんだねぇ。ほらお嬢さん、花飾りはどうだい。こんなに綺麗な黄色が出せるのはアグナヴァルの谷染めの布だけだよ」
「それよりこっちのお守りはどうだい、この黒曜石は神殿の修復に使った黒曜石の破片なんだ、満願成就の御利益付き」
「それなら聖遺物のお守りもあるよ、花の女神の涙のブローチ、この細工の細かさを見て頂戴」
「谷の蒸気で蒸したパンはいかが? コケモモのジャムをつけますよ」
急に賑やかになった街の光景に、自然と足取りが軽くなる。
「酒はどうだい、温まるよ!」
「わぁ、美味しそうですね~ジゼル様っ!」
「うーん、おすすめはしないかなぁ」
「そうなんですかぁ?」
「あれは火酒だ。喉が焼けるほど強い酒が好きだって言うなら止めない」
「えぇ~じゃあやめときます~」
メアリののんきな言葉に、マルクは苦笑いし、ルネは眉間にしわを寄せた。
真っ赤な布の上に並べられた簡素な瓶の横を通り過ぎ、淡い薄紅色の布に惹かれて屋台をのぞき込もうとして、誰かにぶつかりかけて足を止める。
「あっ、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
香木の香りが鼻先をくすぐった。
至近距離でお見合いすることになった相手は細身の女性で、純白と銀の巫女服に身を包んでいる。
(あれ、どこかで見覚えが)
記憶をたどっていると、すぐ後ろから手が伸びてきた。
マルクが私をかばうように腕を差し込んで、体を割り込ませてくる。
「ミナ、ここで何してるんだ」
ミナ、と呼ばれた巫女がこちらを見る。
その瞳ににじんだ、不思議な色に首をかしげる。
(あ、昨日の巫女だわ。神官に頭を撫でられてた)
若干セクハラ気味の光景を思い出して、同情してしまう。
目が合った瞬間、ミナは少しだけ顔をこわばらせた。
「マルク、貴方を探していたの。急いで伝えないといけないことがあって」
「今か?」
一瞬、マルクがこちらを伺うように顔半分で振り返った。
「私はかまわないわ。ルネもいるから。案内してくれてありがとう、マルク」
にっこり笑って手を振る。
マルクは少しだけ迷った様子で目を泳がせていたけれど、ミナに促されてようやく頷いて二人して屋台の向こうの路地に消えてしまった。
薄暗く、看板の多い通りをなんとなく見送って、ちらりとルネを振り返る。
ばっちり目が合ってしまう。
「……観光案内なんか、できませんよ」
宣言通り口を引き結んだルネとおのぼりさんまるだしなメアリを連れて、街を歩く。
強引な客引きも見られたけれど、ルネの制服を見たら早々に手を引っ込めた。街の治安維持にも貢献しているらしい。
ずっと仏頂面でそっぽを向くルネに、メアリが不満げに頬を膨らませた。
「あのぉ、さっきからあなた、ちょ~っと失礼じゃないですかぁ?」
「申し訳ありませんね。育ちが悪いんで」
眉間にしわを寄せたルネが吐き捨てる。こちらを見ようともしない態度に、メアリが肩を怒らせた。
「わっ私だって育ちはわるいですけどっ! ジゼルお嬢様はぁ、そんな扱いされるような方じゃないです~! ほんっとにお優しくて! 貴族様だなんて信じられないくらい、いい方なんですからね! そぉんな態度とって、オディールお嬢様に鞭でめっためたにされても知りませんよ~」
「かまわないわ、メアリ。もともとこちらが神殿騎士の方に無理を言っているのだから」
「でもぉ、ジゼル様…」
まだ言い足らなそうなメアリが、ぷるぷると肩を震わせてなんとか言葉を飲み込む様子を見守る。
(空気悪くなっちゃったなぁ……ルネにプライベートな話を聞くどころじゃないかも)
気まずさを我慢しながら話題を探していると、ちょうど視線の先に、色鮮やかな金属を組み合わせたペンダントがいくつもぶら下がっている屋台が見えた。
「可愛いペンダント。ねぇ、メアリ。あれをオディールのお土産にするのはどう? 連れて行ってくれなかったって拗ねちゃうだろうから」
「わぁ~!いいと思いま」
「貴族の方には似つかわしくないかと」
メアリの言葉を遮って、ルネが強い口調で言い切った。
怒りを纏った目でこちらを見下ろしながら、ルネは息を吸う。
「それは鉱山夫が採掘するときに下げる護符です。旦那や子供が生き埋めにならないように、祈って買うんです」
「!」
「そこの布だってそうだ。着てるあんた達は気にもしないだろうが、染料になる石が採れる場所で子供がばたばた死んでる。死ぬ前からいける楽園の野だなんて呼ばれるような場所だぞ! お前ら貴族がこれを」
「おい!」
激昂するルネの肩を、がたいのいい男がつかむ。
気がつくと、ルネの後ろには数人の男達が立っていた。周囲の商店の店員のようだ。
そのまま、ルネは羽交い締めにされて引きずられていく。
「どこの神殿騎士かとおもったら、お前ルネじゃねぇか」
「おい、離せよ!」
「いいからこっちに来い。とんだ営業妨害だ」
「ちょいとルネ、あんたとこの親父さんまたツケを貯めてるよ」
丸太ほどもある腕で、ルネは子猫か何かのように首根っこを捕まれて連れて行かれてしまった。
呆然とその場に立ち尽くす私と、メアリの目が合う。
「どっ、どぉしましょぉジゼル様ぁ」
周囲を見渡してみても、極彩色の露店が並ぶばかりで標識もない。
不意に、無数の視線がこちらを向いているような気分がして背筋が寒くなる。




