小さな軍勢と悪役令嬢
本日コミカライズ2巻発売となりましたので記念の幕間です~!
時は少しさかのぼり、あらかた事件の片付いたころ。
これはまだダルマス姉妹が王都に滞在していたある日の一幕である。
冬の庭は眠っているように静かだ。
霜に縁どられた薔薇の枝、凍った噴水、誰もいない小道。
あせた色彩の中を飛び回る薔薇色が目に入り、シャルマンは足を止める。
王太子の目に留まろうと王宮のいたるところで待ち伏せする令嬢は後を絶たないが、たいていは城内か、温度を保った中庭でうろうろしている。
対して、今シャルマンのいる庭は王都の冬よりなお寒い。
なにも王城すべての庭が常春の気候ではない。繊細過ぎて魔術による操作を受け付けない植物もある。そうした、冬の寒さを必要とする植物のための、冬の庭だ。
こんな風に雪の降る時期になると、庭師と警備担当の騎士しかいないので、煩わしい対面を避けたい時など通り抜けるのによく使っている。
そんな庭にドレスが汚れるのもいとわず座り込んでいるのは、ダルマスの薔薇、その片割れ。オディール・ダルマスだ。
ほんの数回会っただけでも理解させられる、とんでもないバイタリティーと、非常識なメンタリティの持ち主。
わざわざこの庭を選んで待ち伏せしているならば目の付け所は悪くないし、偶然だとしても興味がわいた。
「オディール嬢」
声をかけると、ふわりと薔薇色の髪が揺れた。
透き通ったアメジストの瞳は、射貫くような強さでシャルマンを見つめる。
「頬が寒さで赤くなっているじゃないか。まるで林檎か薔薇のようだ。冬の庭に花を添えてくれるのはありがたいが、風邪をひいてしまうよ」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
きっちりと、深々と頭を下げて、オディールはまたまっすぐにシャルマンを見つめた。
恥じらって見せる演技もない。
ただ、「なんの御用かしら」と瞳が好奇心にきらきら光っていた。
「姿が見えたから声をかけただけなんだ。冬の庭には、見るところもないだろう」
「そんなことはありませんわ! 珍しい虫がおりましたもの」
「虫?」
シャルマンは聞き間違いかと首をかしげる。
オディールはさも当然と言わんばかりにうなずいた。
「虫ですわ。ほら、ご覧になって」
オディールが指し示す先で、白い木の皮を巻き付けた虫の蛹がひっそりと植木の樹皮にくっついていた。
よく見なければ見落としてしまいそうな擬態ではあるが、見つけたからと言って注視するものでもない。
「ダルマスでは黒い樹皮の木につく虫なのです。場所が変わると冬越えの衣が変わるのかしら、それとも違う虫かもしれませんわね。中身はどんな虫なのかしら。花泥棒は罪にならないと申しますけれど、虫泥棒は罪になりまして? 殿下、どうか一匹持ち帰ることをお許しいただけないでしょうか」
「……もちろんだ、オディール嬢」
「ありがとうございます!」
まるで宝石を下賜された令嬢のように、オディールがにっこりと笑った。
すぐ隣に立っている大柄なメイドが不味いものを口に入れたような顔で地面を見つめていたので、虫が好きというのはダルマスの土地柄ではなくオディール個人の嗜好らしい。
「虫を愛でるとは、変った趣味だな」
令嬢相手に投げつけるにはあまりにも飾らない言葉に後ろに控えた侍従たちがぎょっとした顔をしたが、オディールは気にした風もなく笑う。
「あら、もったいないこと。面白いんですのよ、虫って。庭師にも手の届かない場所で薔薇を守ってくれるものもおりますし、土を豊かにしてくれるものもおります。いわば友であり同志ですわね」
「土の中の百万の援軍か、それは頼もしいことだ」
「まぁ、そんな意地悪をおっしゃって。虫の中には驚くほど強い毒をもつものや、薬になるものもありますのよ。侮りはなりませんわ」
まるで年上の姉のように諭す少女に、シャルマンは小さく噴き出す。
樹皮をナイフで削って差し出された蛹を、愛でるように素手で撫でる姿に、メイドの一人が小さな悲鳴を飲み込む音がした。
「本当に虫が好きなんだな」
「疑っておいででしたのね?」
浅はかな振る舞いで興味を引こうとする令嬢と比較されたことをかぎ取って、オディールが眉間にしわを寄せる。
シャルマンは目を細めて笑顔を作り、害意のないことを証明するように片手をあげた。
「お詫びに今度いい場所に連れて行ってあげよう。私の領地にある湖だ。春先になると、薄桃色の蝶が一面に飛び立つ様は朝焼けを留めたような美しさだとも」
「それでしたら、ご遠慮いたします」
あっさりと言ってのけたオディールに、オディール以外の全員が目を丸くする。
「虫が好きなのではなかったのか?」
「その虫は嫌いなのです。存じておりますわ。羽を広げればロマンチックなサーモンピンク、閉じれば黄昏の先の瑠璃色をしている蝶でしょう? 薔薇の葉の裏に卵を植え付けて、柔らかい芽を一晩で穴だらけのレースにするあの虫。あれが湖一面だなんて想像するだけで寒気がしますわ。いいえ、火を放って根絶やしにしてしまいそう!」
唐辛子の塊を吐き出すような忌々しさで吐き捨てたオディールに、シャルマンは実に自然に手袋に覆われた手で口元を隠した。
反対側の手は自身のみぞおちあたりにめり込ませている。
そうでもしないとこの公共の場所で爆笑してしまいそうだったからだ。
「王家の私有地を焼き払った罪なんて、とても償えませんもの。ですから、ご遠慮いたします。そうですわね、お誘いいただくのなら、私のお姉さまがいいわ! ええ、とっても素敵。朝焼けのような蝶と、お姉さま。きっと夢のように美しい光景でしょうね。それこそ、罪に問われそうなほどに」
うっとりとほほ笑むオディールに、シャルマンは視線をそらす。
ジゼル・ダルマス。
あの儚い妖精のような少女なら、さぞかし絵になるだろう。
(そういえば彼女はジゼル嬢を王太子妃にと推薦しているんだったか)
あのタウンハウスでジゼルが見せた、どうにも情けない笑顔を思い出して笑いそうになる。
「美しいというだけでは許されない罪もあるようだが」
面白いおもちゃを見つけた顔で、からかうように口の端をゆがめたシャルマンに、オディールは挑戦的な笑みを浮かべた。
「殿下は別荘の薔薇を食い荒らされるより、その蝶の群れの美しさをとるということでしょう? おなじことが私の庭では許されないというだけですわ」
「虫が好きなのではなかったのか?」
「好きですわ。美しくても美しくなくても、とても興味深く面白いんですもの。こうして新しい虫や珍しい虫を見つけると心が躍りますし。こんなにも知りたいと思うことそのものが、愛なのだと私はおもいます」
また、植え込みの根元の枝を拾い上げる。
虫の卵が植え付けられたそれを空に透かすようにして、オディールは白い息を吐いた。
「ああでも、もしも私が虫を嫌いであったとしても。心から憎んでいたとしても。私、きっと今と同じくらい虫のことを調べたと思いますわ」
「なぜだ?」
「百万の敵軍を相手取るのに、やみくもに突撃するのはお馬鹿さんのなさることではなくて? 殿下」
アメジストの瞳に炎が揺らめいたのを、シャルマンは見た。
地獄のような業火が、冬の庭をなめるようにちろりと光って消える。
まるで剣のように枝を構えてみせて、優しく地面にもどしてやる。
子猫を寝かしつけるようなしぐさで枝を撫でて、立ち上がった。
「最後の一匹まで根絶やしにするために、きっと国中の書籍を読み漁ったと思いますわ。あら、それもまた愛なのかしら?」
雪の残る小道にはオディールの足跡がくっきりと残っている。
ころころと笑う年下の少女に、シャルマンはひっそりとため息をついた。
(この娘が、無邪気に薔薇を愛する令嬢であることは、この国にとって幸いだったのだろうな)
男であったなら英雄になれていたかもしれない。
それも、相手を国ごと、否、民族ごと鏖殺にするタイプの英雄だ。
「それはそうと、殿下。先ほどの枝についていた卵、あまりよろしくない虫の類ですわ。あとで庭師に確認させてくださいな。小さい虫と甘く見ていたら、庭木の2.3本は持っていかれますわよ」
それでは、と優雅に一礼して、また虫とりに戻ったオディールに、シャルマンは王子らしからぬ笑いをこらえるためにもう一度自身のみぞおちに右手の第二関節までめり込ませる必要があった。
侍従たちがあっけにとられた顔で薔薇色の令嬢を見送っている。
この国が誇る輝かしい王太子が、まさかの虫に負けてふられた現場には、また音もなく雪が降り始めていた。
余談であるが、この様子を遠くから眺めていた令嬢が複数名いた。
王太子妃にあこがれる少女たちは、「シャルマン様から賜った何某かを見せろ」とオディールに詰め寄り、王宮中に響くとんでもない悲鳴を上げることになる。
メイドがうやうやしくシルクのスカーフで包んでいるものが、虫の蛹とは思わないだろう。
シャルマンが貴族令嬢に虫の蛹を贈ったという噂は、鳥肌とともに社交界を駆け巡った。
後日、自身の周囲が妙に静かな理由を知ったシャルマンは、自室で呼吸困難になるほど笑い転げた。
かくして、ささやかな静寂の報酬に、オディールは黄金の髪飾りを手に入れたのである。
とけた先生の描いてくださるオディールがとにかく可愛い!と毎回大喜びして拝読していたコミカライズの2巻が発売です!
オディールが虫が好きという設定はコミカライズからのもので、かぶとむしを持っているオディールがものすごくかわいくてマイペースでキュートなので幕間という形でご紹介させていただきました。
小説の2巻もお手に取っていただきありがとうござます!
コミカライズの2巻もよろしくお願いいたしますー!




