第五話 映画バカども
さて、この店の生い立ちにでも、触れてみるか。
『河西よ、この店にな、俺はもう40年通ってるんだ。お前くらいの歳だったかな。最初の頃は不味かったよ、ここのカレー。ほんと不味かった!。なあ、マスター』
『植木さん、あんた非常識だね、昔っからさ』
『俺が何度もケチ付けるもんだから、終いには出入り禁止になってな。こっちにも意地があるさ、ある日、大勢を連れて来たんだ。嫌がらせなんかじゃないぞ、ちゃんとした、客としてだ。俺が最初に入ると、NGに決まってる。だから、若い奴らを先に入れたのさ。20人はいたかな、全員が席に着けないんだ。そりゃ、マスターも驚きさ、満員御礼なんて、初めてだからな!』
『あんちゃん、この人、どう言ったと思う、その時』
『そうですね・・、非常識ですからね・・』
『おいおい、お前まで言うなよ!』
『俺だけ、不味いんじゃ気に食わない、ここの全員に食わしてやってくれ、ってさ。ここの不味いカレーを、ってね』
『傑作だったなあ。全員、ペロリと完食さ、悔しいけどな・・』
昭和四十五年創業。私も、血気盛んな若者だった。何気なく覗いた店がここ、“上木屋”だ。同じ“ウエキ”でも、字は異なっている。
マスターの作るカレーに、初めて、私がケチをつけたらしい。
不味くはなかった。いや、見事に美味いカレーだった。何故、文句・・?。
『あの時は参ったね、植木さん、一口も口に入れないでさ、烈火のごとく怒りだしたんだよ。わたしもたまげたさ、何て怒ったと思う?。こう言ったのさこの人、“具がないぜこのカレー、汁だけじゃないか!、どうなってるんだ!。”ってね。“俺をバカにしてんのか!”って、大声で叫ぶんだよ。他の客も驚いてさ、そこで、俺も負けずに言ってやったさ、“喰うのか喰わないのか、どっちだ、金は要らない、出て行ってくれ!”ってね。まだ若かったからね、売られたケンカは買う。勿論、買うだろ!、無茶苦茶だもんな、この人』
“具の無いカレー”。日本人には、当時、縁の無いカレーだ。じゃがいも、玉ねぎ、人参。型あってこその“カレー”だ。そりゃ、怒りもするさ。俺の知ってるものと、違うってね。
『具を、溶かすんですか?、煮込んで』
河西が、興味深そうに割り込んできた。
『消すんだよ、あんちゃん』
『えっ?、消すって、どう言う事ですか、長時間煮込んで溶かすでしょ、普通・・』
『それだけじゃ、汁にはなんないよ』
『汁・・?』
河西の口が止まった。これ以上、奴の中で反撃出来る材料は尽きたか。
『はは・・。食べさせてください。そのカレー、いや、“汁”』
『はいよ!、待っておくれよ!』
河西の顔が、まるで子供のように、目の前のオモチャを見るかのように、ワクワクしている。実に、頼もしい喰い物じゃないか。
ほどなく奴の前に、そのカレーが鎮座した。極上の香りと、白い皿の中の、“汁”と、ご飯。
“いただきます”もなく、奴の手が進む。一口啄ばむ。コメントはどうだ。
無口な奴の口は、この、“汁”と、格闘するかのように、ひたすら喰い続けている。
おっと、私の目の前の、皿を忘れていた。ご馳走にあやかろう。
相変わらず美味い!。この汁気がたまらなく妙だ。具を頬張るカレーのそれとは違う。どう、表現すればいい?。
『ぷっはーっ、うん、うん』
河西が、早々に皿を空けた。しばらく、考える。
『なるほど、喉ごしか!』
んん、喉ごし・・?。
『マスター、この、“汁”。喉ごし、最高です!。美味かったです』
『解かってるな、あんちゃん!。まったくその通りだ、俺のところの、“汁”は、喉ごしよ!』
一瞬、二人の会話に躊躇ってしまった。そう、だったのか・・。
何十年、喰って来たんだ。私としたことが・・。この、“汁”の、素性がまったく、見えていなかったのだ。
“喉ごしか・・、なるほど・・”。納得しながらでも、実は、とても悔しかった。
一度きり食べただけの、奴の口からは、見事に、この、“汁”の素性を、解き明かした。
生意気にも、ほどがある・・。河西め。
『マスター、ここのカレーは流石だ。やっぱり、この、“喉ごし”かなぁ・・』
『植木さん、やっと解かってくれたか。もーう、遅いぜ、今更・・』
やぶへびになってしまった。痛痛・・。台本にないアドリブは、私には、無理みたいだ。はは・・。役者に、なれない訳だ、やはり。
『ごちそう!。また来るよ』
『へい!、またのご来店を!。植木さん、あんた、いい子見つけたね。このあんちゃん、中々のもんだよ!』
・・。マスターを手玉に取ったか。調子いいぜ・・、ったく。
『マスター、今度、厨房覗かせてください!。俺、どうしても具の消えるマジック見てみたいんです!』
河西まで、調子に乗ってる。
『ああ、いいとも、いつでもおいで。待ってるよ!』
どっちも、どっちだ。まあ、奴に喜んでもらえて都合がいい。私の勧める店に、NGでも出そうものなら、業務に関係なく、河西はとんでいた。間違いなく、俺は、とばした。
帰りのタクシーの中で、奴が言った。
『俺、カレー屋もやりたかったんですよ。いいなあ・・』
カレー屋もだと・・。夢は幾つあってもいい。しかし、映画もやりたい、カレー屋もやりたいなんて、欲張りにも程がある。気軽に物事を考え過ぎてる。
しかし、ただの願望にしては、手の込んだ芝居だ。
奴の吐き出す、言葉のひとつ、ひとつには、現実みを帯びているからだ。映画のダメ出し然り、さっきまでのカレーのうん蓄。
まるで、その筋・・、とも思わせてくれるのだ。
あの、マスターとの駆け引き。ましてや、“喉ごし”なんて言われた先には、料理人の奴の姿さえ、バーチャルに浮かんでくる。
いや待て!、ここまでだ。奴のハッタリに過ぎない。必ず、ボロを出してしまうさ。
この若造の、行き詰った姿を想像してみよう。溜息に縛られた奴が、ゆっくりと、“白旗”を挙げる姿だ。
今はまだ、奴には貸しがあるのだ。今日の、タクシー代と、飯代は、私の出費に間違いないからな。
河西の、子供じみた、“暴言”を、会社のトップとして断固、粉砕してしまおうじゃないか。
大人社会の構図は、お前の目線では見えまい。見えてなるものか。
お前の吐いた、その“暴言”を、責任の行方を、思う存分その身にぶら下げてもらおうじゃないか。
覚悟はいいか?、河西よ。満腹のお前の腹はやがて、何も受け入れられなくなるのだ。いいな。
飯も喰った。さて、第2ラウンドといこうじゃないか。私の腹には、給油したてのカレーが、詰まっている。
満たされた私は、手強いぞ!、いいか。
部屋に戻ってしばらくは、奴の、カレー談義が咲いた。
特に、私がお膳立てした訳でもない。奴が、興奮の余り、喋りまくっているだけだ。
しかし、奴はことさら深く、カレーを語るのだ。聞いていて判る。
喰い手のそれでは無い。作り手だ、あくまで、作りだす側の、“創造”を、“具現”を、気ままに語っているに過ぎない。他の者にとってすれば、物珍しさと、新鮮な題材に、耳をも貸すだろう。
しかし、お前の素性を知ってしまった、今の私には、パフォーマンスの続きでとしか思えない。
見事な演出は、さぞかし、格好良い主役を演じているのだろう。が、残念!・・・。
脇役を忘れている。どうした、お前の、その吟味された台詞には、誰も、突っ込まないのか?。ただ、白っとして、お前を、囲んでいるだけなのか?。
それじゃ、芝居にはならないだろう。私であれば、この企画はボツだ。そもそも、企画そのものを取り上げる、者もいないだろうさ。
他人の仕出かす既存を、揶揄することなど、いとも簡単だ。客観的など、その辺の子供でも持ち合わせている。
お前がどうしたいのかは、会社にとって、さほど興味など無い。お前に何が出来るのか、そこにしか私の、お前への動機はないからな。
さあ、仕掛けてみろ、この国のつまらない映画作りに、そして、それに加担する私に!。
さて、本題に返そう。奴の勘違いを、この場で正すのだ。
『河西よ、子供のケンカじゃないんだ。ビジネスだ。確かにこの国の映画は、お前の気に入らない商業主義かも知れん。俺がそうだ!、会社の金を使って、物を作る。それを幾らかで売って会社に金を残すんだよ!。それが、お前たちの稼ぎだ。違うか!。そして残った金で、次の喰いぶちの企画を練るんだ。うさん臭い作品とやらにその金を託す。そしてまた、会社に金が転がり込むのさ。何が悪い、ええっ!、それともお前は、夢と希望だけで飯を食えと言うのか!』
・・忘れていた・・。私の気質を、自分ながらすっかり見過ごしていた。
瞬間湯沸し器の先輩は、実は私だった。奴と同じようにやはり、熱く語っていた。
『どうだ、金集めに必死な俺を、否定するのか?、惰性で映画を作ってる俺を、非難し、憎むのか!、お前の理想とやらは、どうせ、これっぽっちでしかない。誰も目もくれないさ、世間はそう言うもんだ、判ってるのか!』
『憎みます・・。今のこの国の映画は、あなたの言うように金儲けでしかない・・。いい物を作って金が入る。それは当たり前です。けど、見せかけだけの代物で、金を集めてる。それが、映画作りと言うのなら、俺は許せません!』
奴の本音が、ようやく出揃った。さて、奴の思いの行先は、何処に落ち着くのか、勿論、私も黙ってはいない。
『それでは、お前はどんな映画を憎むんだ、この国の映画を全て、止めさせたいのか?、どうなんだ!』
『全てを否定するなんて、そこまでは考えていません。でも、今、抱えてる作品には、どうしても納得出来ないんです。だって、発想がおかしいですよ!』
奴のトーンが、幾分、下がった。私のハッタリも、まだまだ健在かも。
『お前の言う発想とは、何だ!、邦画全体の事を言ってるのか?、それじゃ、皆無だ。お前の納得する映画は、この国では出来やしねえ。そう言う事になるんだぞ!。いいか、例えばだ、お前が、彼女と街の映画館に入る。上映前の穏やかな数分間、彼女がお前に言う。』
"この映画、○○が出てて、私、大好きなの!"
『お前は、浮かぬ顔して前方だけを見てる。そして、画が流れ出す。ものの3分で、お前は席を立つんだ。席を立って、出口に向かうのならいい、何故か、お前は、スクリーンに向かって進み始める。そして、何とあろうことか、お前は、壇上に飛び上がるんだ。そして・・、こう叫ぶ。大げさに、両手を拡げてだ。皆さん、この映画に、制作者の意図はありません!。小銭欲しさに魔の差した、暇つぶしの挙げ句、作られた映画です。だから、中身なんて無いんです!。観る価値も無いものなんです。どうぞお帰り下さい!。ってな。堂々と言うんだ。大勢の、観客の前でな!。どうだ、気持ちの良い話だろ、俺が描きあげた秀作だ、気に入ってくれたか?』
『・・・。そんな無茶な事、出来るわけありませんよ!。既に出来上がったものだし・・、それに、劇場でなんて、無理に決まってます!』
『つまらない物は、ダメじゃないのか?、どうしてだ、どこが違う!。お前の言う、つまらない映画なんだぞ。違うものか!、出来上がっているのか、始まる前か、それだけだ。どっちも、つまらないものに、変わりないんだぞ!。おい、河西!、おかしいだろ、矛盾だぞ!。お前、言ったよな、この国の映画の先細りがなんてよ!。あれは嘘か、嘘だったのか。ただの気まぐれかよ!。潰せよ!、なじってしまえよ、この国の映画の、元凶を仕組んでいる大人どもを!。いいか、会社の邪魔をするな、個人の気まぐれで、それで、企業は生きては行けんのだ。お前にだって判るだろう。お前の唱える理想は、よく判るさ。俺だって、何度も、ぶち当たって来た・・。でもな、人間、出来る事と、そうでない事があるんだ。じれったいけどな。実際、あるんだ・・』
河西に向けて、言ってるつもりなのだが、どうも、そうで無くなっていることに、次第に、気付いていた。
『けどよ、お前の言ってる事、俺は嬉しいんだ・・。どこか、期待してしてしまうんだ。昔は、そんな言い争いなんて、随分とあった。俺も、食って掛かったことなど、何度もあったさ。その度にへこんでよ、安酒屋で、仲間を集めて反撃を企む。酒の勢いでよ、そいつら、俺の事、褒めてくれて、“正論”だって、肩叩いて盛り上がったよ。けどな・・、その翌日、俺は、戦犯として呼ばれるんだ・・。あれは、嫌なもんさ』
確かに私は、老い先の短い男かも知れない。昔話を懐かしんだ、亡き父の心境が、今、解ったような、気がした。
『ゆうべ、隣にいた奴がよ、知らん顔して俺を見てやがる、“しゃべってたのは”あいつ一人だけだって、裏切りやがったのさ!・・』
・・・。それにしても、一体、何を喋っているのだ・・。私は、正気なのか?。
いや、待て、昔話に花を咲かせて喜ぶには、いささか早過ぎはしないか?。
河西の、嘆きの、“代弁依頼者”は、実は、この私かも知れない。最高の遊具が飛び込んで来た興奮と、すでに革命ほど遠い、老いた反骨には、立っていることさえ容易ではないのだ。
もう一度言う、この国の映画の、“嘆き”は、私自身かも、知れないのだ。
『下らん昔話だ・・、すまん、忘れてくれ』
つい、奴の目から反らしてしまった。
『もしかして・・、あの、実際・・、やったんですか?、あなたは劇場で!。今、俺に言ったように、やったんですか・・?。馬鹿だ・・』
どうした、河西!。お前は平然としていろ、うろたえるんじゃねえ、お前の、キャラじゃないぞ。どこまでも、図々しくしていろ。俺を、幻滅させるな・・.
河西のその態度で、かろうじて私の“正気”を、取り戻すことが出来ていた。