第三話 河西の処遇
午後、一番に、私は、制作の太田を呼びつけた。
慌ててやって来た太田は、すぐさま、深々と額を床に押し付けた。
『何の真似だ?』
私は、何食わぬ顔で、太田を見ていた。
『既に、社長の耳には、入ってるとは存じますが!』
『ああ、聞いてるぞ』
『部下が!、た、た、大変な事を、しでかしてしまいまして・・・、あの・・、申し訳ありません!。私の、不注意でした!。まさか、あの場であんな事を、あんな失態を・・、申し訳ございません!』
責任者の詫び姿など、散々、見てきた。どれも、他愛のない責任であった。
しかし、今回は、趣が違う。手違いのレベルを、遥かに、超えていた。
確信犯とも、思える仕業だ。
太田の額から、流れ出る油汗が、如実に、それを物語っていた。
昨日のあの時間に、偶然にも、私は、会議室の前を歩いていた。何やら、盛り上がった気配が、私の足を止めてくれた。
そう、30だの、50だのと、浮かれた黄色い声が飛び交っていた、その時だ。
『やってるな・・』
外部を呼び込んでの、打ち合わせにつきものの、“にわか盛り上げ”。悪いことではない。同じ土俵で、仕事を仕上げていく上で、こう云う、ヤラセ的な意識の混入も、仕組み作られる必要性もある。
度を過ぎる傾向も、無きにしも非ずだ。だからこそ、会を束ねる責任者の、力量も問われると云うもの。利口そうなイエスマンに見せかけて、どうして、したたかな面子ばかりだ。
打ち合わせの場の、雰囲気にかまけて、流れのまま推し進める事ほど、手抜きはない。
一見、工夫を凝らしたように立ち振る舞うが、決して、そこには労力は見当たりもしない。
企業同士の、それにあっては、断固、許されてはならない。
少々、調子に乗り過ぎたと、目の前の太田も、反省している事だろう。
しかし、あの、“暴言”は、太田の範疇を超えていた。過去、太田と河西との衝突は、少なからずあったはずだ。その都度、何らかの手を、打ってきたと思われるのだが・・。
太田と、長年付き合ってきた私には、闇雲に彼を、責める気など、更々無かった。
訊きたかったことは、ひとつ。太田の、河西に対する評価だ。
出来るのか、単なる、阿呆なのか。
そんな私の問いに、やや、困惑している彼が、少し間をおいて、こぼし始めた。
『奴の感性は、ズバ抜けています・・。いや・・、跳び過ぎてます。だから、誰とも共有出来ないんです。』
『発想が、奇抜と云うだけじゃないんです。何て云うか・・、見えるはずもない物が、見えてしまう異常性。それを具現化しようとする無意味な貪欲さ、かと思えば、子供のような幼児性・・。
正直、俺たちには理解出来てません!。届かないんです・・。奴の思考力に・・』
『ほう・・』
全く以て説明になっていない。それほど難解な、理解不能な男と云うことだ。
益々、私の中の不思議な芽生えが蠢き始めた。
真っ青な顔の太田に、私は救いの手を差し出した。
『俺も耳を疑ったよ、まさか、あの場であの有様、若者の主張にしては、度を超えていた。内部の打ち合わせなら話は別だ、どんどん戦ってくれよと、俺も云うさ。けど、あれは許されん。太田よ、油断したな。お前が一番、面喰ったよな!』
『は、はい。社長のおっしゃる通りです。奴の行動があそこまで及ぶとは・・いささか・・。前から、遠慮がない男でしたが、怖いもの知らずと云いますか、無茶苦茶な奴でして・・』
『けどよ、奴の事、お前が採用にOK出したんだろ?、横山から聞いてるぞ』
『あ、は、はい!』
『いいじゃねえか、お前が見込んだほどの、面白い男のようだ』
太田を以ってしても、抑えきれない男か・・。困った半面、期待以上に化ける逸材となるのかどうかだ・・・。
何せ、あの反骨精神とやらは、近年類を見ない。私の若かりし時代を顧みても、あそこまで露骨になれただろうか・・。いや、それには及ばない。全く脱帽ものだ。
『河西の今回の件だが、太田よ、俺に任せてはもらえんだろうか』
『お任せして、よろしいのでしょうか・・?』
『ああ、上手くやるさ』
安心したのか、気が抜けたのか。半ば放心状態の太田は、一礼も忘れて現場へと戻って行った。
そう云ったものの、どうしたものだろう・・。正直、考えてはいない。
河西と云う男が、余りにも深く、私の中に入り込んでしまっていた。
会社のトップとしての私の判断は、情けないほど幼稚なものであった。
起業以来、何とも譬えようの無い違和感と、期待が、入り混じっていた。
その晩、珍しく妻を呼び出し、外食を共にした。つい、私の長話に、妻は、いつになく驚いていた様子だった。
思いあぐねていた、河西の処遇。私の中の幼稚性は、翌日には、立派な大人の顔に戻っていた。
昨日の、妻のぽつりと吐いた一言で、そのもやもやが、解決出来たのだ。
『その子って、何にも知らない甘ちゃんじゃないの?』
さすが、我が妻。眼力は衰えていない。
それならば、映画の隅々を見せてやろうじゃないか。味わってもらおう、奴に。
“河西 卓、備品課への異動”。つまり、小道具の、担当を命じられることになるのだ。
きっと、奴は、血相を変えて云うだろう。“何故!、俺が、小道具なんですか”と。
“だから何だ、小道具だからどうした”。そう、得意げに、私は云うのだろう。
映画作りには欠かせない、重要なセクションではないだろうか。
言葉こそ発しはしないが、ひとつ、ひとつが、役者の一部分を引き出してくれる。演じ切れないもどかしさを、補ってくれるのだ。実に、愛おしい脇役に違いない。
全世界の映画制作でもしかり、どんな過酷な現場であろうとも、最も自然に、そこに居座る事の出来る、無口な名役者なのだ。
その数ときたら、半端では無い。我が社で抱えてる品数も相当なものだが、全てを賄い切れるほどの量は、到底、準備など不可能。
スタッフの力量も、並大抵では及ばない。その必要性に応じて、調達に走れる俊敏さ、どれの、何をチョイスするのか、どう見せるのか。
カメラに映り込む瞬間の、その姿を思い描きながら、非凡なセンスを発揮させる。
映画制作に係る者にとっては、表も裏も無いのだ。どれをとっても、映画作りには欠かせないブロックであり、必須アイテムであるはずだ。
河西の放った、“暴言”は、実にいいとこ取りなのだ。
表舞台の見栄えが、目に映る光が、その角度が云々なんてぬかしてるだけだ。確かに、射し込む光の美しさを、観客は見たいだろう。
作り手としてもそうだ、その期待に応えることが、我々の、使命でもあるのだから。
しかし、その光の源を、忘れてはしないだろうか。想像を凌ぐ程の、スタッフの汗と情熱、気の遠くなるほどに費やした時間。絞り出された、呆れるような工夫や、発想が、閉じ込められている。
不意にダメ出しを喰らった、やり切れない挫折など、奴には、程遠いに決まってる。
映画制作に携わることの、“栄光”のみを追い、それに物云うべきならば、掃いのけられない苦悩をも、知るべきなのだ。
掃いのけられない苦悩・・。河西の、父親の役者人生は、どうであったのか、家庭人としての父は、役者を貫いた父は、果たして河西には、どう、感じ取れたのだろうか。
幼心に、父の名が出るのを、どうしても見たくて、友達に自慢したくて、やがて、それが叶わないと知る。その現実はついに、父の死と、重なってしまうのだ。
そこに、少年、河西の観たかった光など、訪れることは無かった。
そうか・・。奴にとって、役者とは光では無かったのか・・。
私は、自分勝手に、河西の代弁者を装いながらでも、奴のことを納得するしか無かった。
早々に手を打とう、明日からでも、奴に、小道具の匂いを沁み込ませよう。
『備品課の森田を、至急、私の処まで。それから、音響の河西も、同席するように。ああ、そうだ、河西もだ』
よし、段取りは決まった。さて、どうなるのか。楽しみが、増えたようだ。