美月視点 安心できる存在
本編後のお話です。
季節は2月の寒い時期。
美月と咲良の姉妹のやりとりです。
身体が重い。
長く寝ていたからか熱があるせいなのか、腰が痛くてなかなか起き上がるのが億劫だ。
暗くしんとした部屋に秒針の音がやけに大きく聞こえる。
時計の針は6時を指していて、私が一日中寝ていたことを無情にも告げる。
はぁ....まだだるい。
睡眠時間のわりに回復していない体調に1日を無駄に過ごした気になる。
体調が悪いとどこか感傷的になってしまってダメだ。
この肌寒い季節に傘もささず大雨にあたって帰ってくれば、風邪も引くというもの。
帰ってきてすぐお風呂に入ろうが、もう後の祭りだった。
重たい身体をどうにか動かして立ち上がろうとする。
長時間寝ていたのと汗をたくさんかいたことで、身体の水分が不足したのだ。
立つのもやっとのことで階段を下りてキッチンへ行くことが遠い道のりに感じた。
廊下の冷たさが火照った身体にちょうどよく感じる一方でぶるっと身震いする。
暗い部屋に私独りだけ。
お父さんもお母さんも今日は仕事で遅くなる。
私の少し荒い呼吸しか聞こえなくて、幼い子どものように不安な気持ちが頭の中で渦巻く。
いつもと違うことがこんなにも心を不安定にするものなのか。
家に1人でいることがこんなにも心細いなんて、小学生のころの感情だ。
もしお姉ちゃんに知られたらしばらく笑いの種だわ。
容易に罵られることを想定できてしまうのが、慣れって怖い。
私たち姉妹は風邪とは無縁の生活を送っていたため、実際に風邪を引いてあざ笑われた過去はない。
もちろん彼女は恵まれた体力と丈夫さ、そして知識を生かした徹底的な自己管理によって。
一方私は姉からのパシりで培った根性と気力、そして毎日作る健康的な食事によって。
そのため、私は小学中学共に皆勤賞だった。
が、高校は今日休んだことでダメになってしまった。
言わずもがなお姉ちゃんは高校でも皆勤賞。
やっぱり私は劣っているんだなぁ、と認めずにはいられない。
あんなにワガママで理不尽なのに、こなしていることは私より上なのだ。
少し卑屈になりながら、やっとのことで階段をおりて、ペタペタとキッチンの方へ行く。
すると、キッチンとリビングの電気がついているのに気づいた。
まさか、と思うがきっとそうだ。
私は何故かほっとして、リビングのドアを開けた。
◇◆◇◆
やっぱり、お姉ちゃんがいた。
ドアを開ける音に反応して、彼女は私の方へ振り返る。
熱でぼぅとしている私を上から下までじろじろ見てから、ふっと笑った。
「よかったじゃない。馬鹿じゃないと気休めでも分かっただけ。」
風邪で寝込んでいた私に対する第一声がこれだ。
さすがに私は我が耳を疑った。
「ど、どういうこと?」
「美月が今まで風邪を引かなかったのは『馬鹿は風邪引かない』ってやつかなぁって思っていたから。」
私の耳は正しく言葉を認識していたようだ。
たまに帰ってくるお姉ちゃんの女王様っぷりは健在で、いくら病人だろうと容赦がない。
一般的に姉というものは妹が風邪を引いたら、心配したり励ましたりするものじゃないのか。
お母さんが知らせたのかもしれないが、まさか看病してくれるはずはない。
そんな夢のまた夢みたいなこと、期待するだけ無駄だ。
この言動からして、風邪を引いて弱っている私をあざ笑いに来たのだろう。
悪趣味にもほどがある。
「でも、降水確率100%の日に傘を忘れて、雨に打たれて風邪を引いたんでしょ?
だったら、やっぱり馬鹿よねぇ。」
ソファーにもたれかかって、足を組み、いかにも偉そうな姿勢で私を見る。
どうしてそんなに上から目線なんだ。
私は少し苛立ちながら、隣のソファーに腰かけた。
「あのねぇ、お言葉ですけど、傘は持って行ったの。」
そう、私は別に天気予報をチェックしていなかったとか、傘を持って行かなかった訳ではない。
それなのに馬鹿呼ばわりは少し、いや結構頭にくる。
「はぁ?じゃあ、どうして?」
目を細めて、挑戦的な顔で問いかける。
これは本当のことを言わないと解放されないな。
別に黙っていようと思った訳ではなかったが、お母さんにも伝えていないことを端的に説明した。
◇◆◇◆
「傘が壊れて帰れなくなっていた子どもに傘を貸して、自分が風邪を引いちゃ意味ないわね。」
「うっ。でも、その子が風邪引くよりいいじゃない。」
清香と彩ちゃんと別れてからの話だ。
公園の屋根がついているベンチで1人ぽつんと立っていた小学生の男の子。
一向にやむ気配のなかった雨。
気温がさがり、どんどん暗くなっていく空には時々雷が激しく自己主張していた。
そんな天気の中にいる彼を放っておけなかった。
「馬鹿ね。お人好しというより、大馬鹿だわ。」
心底呆れた顔をして、彼女は立ち上がってキッチンへと歩いていった。
やっぱり私はお節介をやいてしまったのか。
でも、それで風邪を引いたことは別に後悔していなかった。
この体調は確かに辛いけど、精神的にはどこかさっぱりとした気分だった。
ふと、お姉ちゃんを見たことで不安感がまったくなくなっていたことに気づく。
病人に馬鹿と連呼し、普段から理不尽なことを言う姉でも、私にとっては一緒にいると安心する存在なんだ。
「美月。」
キッチンから戻って来たのか、近くで呼ばれて私は振り返った。
「え、何?」
お姉ちゃんはオレンジジュースとスポーツドリンクを私の前に差し出した。
突然のことでひるんで、私が受け取らないでいると痺れを切らしたのか、テーブルの上に置いた。
「病人は水分とって、栄養補給して、睡眠とって、あったかくして寝なさい。」
いつもと同じ命令口調なのに、何かが違った。
それは自分のための横暴な命令ではなく、私のための命令だということ。
早く良くなるように。
遠まわしに彼女はそう言っている。
私は戸惑いながらも、自然と笑顔になる。
「ありがとう。」
「別に。」
素っ気ない返事。
けれど、私はそれで十分だった。
お姉ちゃんはやっぱり『姉』なんだ。
私が風邪を引いてもよかったと思ってしまったことはお姉ちゃんには秘密。
そして、お姉ちゃんをどうしても嫌いになれないのはたまにこうして優しさを見せるからだ。
本当にかなわない。
私は部屋に戻ってから、そう思い、静かに眠りに落ちた。