浮気調査③
進藤に頼み、ジオを借りる算段を整えてから二日。スマホが着信音を告げて来た。俺はパソコンのキーボードを叩く手を止め、そっと画面を覗き見る。
画面に踊る文字は『清川 央時』となっていた。
「……珍しいな、直接電話なんて」
──驚いた事に、ジオは俺に本名を教えて来た。ヤツの呼び名である『ジオ』は本名の『央時』を逆さまにして読んだものだったのだ。
俺は周囲を窺った。高橋は調査に出かけていて、八木はさっき昼食に出て行った。他の連中も書類仕事をしていたりどこかに電話をかけたりしている。これなら、会話の内容を聞かれる事もないだろう。
「……もしもし」
それでも、慎重に声を抑えながら電話に出た。用心しておくに越した事はない。
『あ、探偵さん? 今大丈夫?』
「五分くらいなら大丈夫だよ。一応、浮気調査の名目になっているから、対象者が仕事中は過去の調査記録作りやら何やら、雑用をやらされているもんでね」
『へぇ、大変だね。それよりさ、探偵さん本当にソイツ……土門だっけ? ソイツに脅されてるの?』
予想外の言葉に動揺を隠せず、思わず電話を取り落としそうになる。だが、ジオはそんな俺の様子には気づいていないようだった。
『ごめん、質問の仕方が悪かった。探偵さんが落としたグミを見てドラッグだと気づいたソイツに脅されたんだよね? けど、錠剤とかカプセルになってるならともかく、グミとドラッグを直結させる人ってほとんどいないと思うんだよ。だから、ひょっとして客なのかなって思って進藤君の店の防犯カメラを調べてみたんだけど、土門ってヤツが店に出入りした形跡はなかったんだよね』
「……あぁ、うん、いや、客じゃないと思う」
全身から冷たい汗が噴き出して来る。進藤の興味を引く為についた適当な嘘を、まさかジオが調べて来るとは思っていなかった。
『うん。だからちょっと不思議に思ったんだ。……あのさ、探偵さん。いい加減僕には腹を割ってくれない? 僕、すでに進藤君に一つ隠し事してるんだよ? 探偵さんが、お願いって言うから』
まずい。ジオの言葉に対する、上手い言いわけが思い浮かばない。俺は昔からいつもこうなのだ。咄嗟に嘘をつくところまではいくらでも出来るのに、その先が続かない。
『探偵さん、聞いてる?』
「あ、あぁ、聞いてるよ」
『だから、探偵さんはコイツに脅されているわけじゃなくて、なんか違う理由で脅されたって進藤君に嘘ついた、とかなんじゃないのかな、って思ってる。……ねぇ、それを教えてよ。僕だったらどうにかしてあげられるかもだからさ』
俺は迷った。今、即答は出来ない。ジオが裏切る可能性だってある。利用する目的で嘘をついた事を知ったら、進藤は怒り狂うに違いない。それどころか、俺を浮気旦那の実家に売り渡す事すら平気で行う可能性もある。もちろん制裁を加えられたところで一向に構わないのだが、死なない俺はこいつらにも目をつけられる事になる。
そうすると、俺はこの辺りで暮らす事が出来なくなってしまう。探偵事務所も辞めざるを得ないだろう。事務所はともかく、俺が関村優也の肉体に入り込んだという事は、皇子はこの近くにいる可能性が高いのだ。この土地を離れてしまったら、ますます皇子から遠ざかってしまう。
「……わかった、話すよ」
『うん。じゃあさ、僕は探偵さんちで待ってるから』
「は? 俺の家?」
『うん。なかなか居心地良いね、この部屋。僕の部屋の半分もないけど、こういう風に程よく散らかった部屋は嫌いじゃないよ』
「そうか、俺の家なら誰かに見られる心配も聞かれる心配もないし、安心──」
そう言いかけた俺は、すぐにその違和感に気づいた。
──僕の部屋の半分もない、程よく散らかった部屋
「……え? え、何、お前、もう俺の部屋にいるの!?」
『うん。そうだけど。探偵さんの家は出会った初日にはわかってたし、大家さんに“弟です”って言ったらあっさり鍵を開けてくれた』
「なんだよ、それ……」
いくら相手が子供だとはいえ、勝手に鍵を開けるなんて不用心すぎる。少なくとも、俺に電話をして一言聞くべきなんじゃないのか。だって、コイツはただの中学生じゃないのだ。
俺は大家に対して募る怒りを抑えつつ、努めて冷静に答えた。
「わかった。十八時までには帰るから、ゆっくりしていてくれ」
『はいはい。じゃあ後でね』
電話を切った後、全身から力が抜けていくのを感じていた。なんだか、ここのところ俺は運が良いのか悪いのか、よくわからなくなっている。
◇
十七時過ぎ。仕事を終えた俺は、ジオの待つ自宅へ早く帰ろうと急いでいた。見られて困るものは何もないが、あまり色々と部屋の中を触って欲しくはない。
「関村」
鞄を掴んだ瞬間、八木が声をかけて来た。
「はい、なんですか?」
「お前、これから時間あるか?」
ジオに会うといっても、自宅に帰るだけだ。だから時間があると言えばあるが、ないと言えばない。
「あ、すいません。今日は人と会う約束があって、ちょっと急いでるんですが」
結局、俺は断りの言葉を口にした。八木が用件を言っていない以上、下手に話を聞いて残業などを頼まれたくなかったからだ。
「あぁ、先約があったのか。それならまた今度な」
今度? 今度ってなんだ? 仕事の話じゃなかったのか?
「あ、えっと、用件次第でキャンセルしますよ。何かあったんですか?」
俺は思わず、立ち去ろうとする八木を引き留めた。『明日話す』ではなく『今度話す』という言葉が、妙に気になったのだ。
「何もないよ。ただ、食事でもと思っただけだ」
「え!? 俺とですか!?」
思わず大声を出した俺を咎めるように、八木は大袈裟に顔をしかめている。
いや、マジでこの人、一体どうしたんだ?
「……何をそんなに驚いているんだ? お前とは一回だけ飲みに行っただろ? その次の日にお前が倒れて入院したから、ちょっと責任を感じていたんだよ。まさか、あの時の事を覚えていないのか?」
八木は少し怒ったような顔をしている。一緒に飲みに行った事を、俺が忘れていたのが気に入らなかったのだろう。だが、こいつの機嫌を損ねた事よりもっと重要な事があった。
関村優也が、八木と飲みに行った? でも『俺』の頭の中にはそんな記憶は一切ない。
おかしい。なんでその記憶が残っていないんだ? 確かに覚えていない記憶も所々あるけど、こんなにレアな記憶なら残っていない方がおかしくないだろうか。
──『俺』が『関村優也』の肉体に飛び込んだ時、優也は確かにそこにいた。
俺は俺を見上げる優也と目が合った次の瞬間、驚きに目を見開く優也の頭に頭突きをするような感じでぶつかった。そして、気がつくと優也の肉体を乗っ取っていた。
その時、優也の脳を通してこれまでの記憶やこの世界の常識などを一気に学んだ。人間関係も、記憶から引き継いだ。きっと、覚えていないと困る記憶は引き継いだのではないだろうか。
だから皆の好みのアイスもきちんと理解しているし、元の世界にあるはずもない文明機器の扱いだって難なく出来る。
けれど、何度考えてみても八木と飲みに行った記憶は見当たらない。
そもそも、優也は金持ちを嫌っている。弁護士になったくらいだから、八木も優也の嫌いな金持ちのはずだ。だが記憶がない以上、飲みに行った経緯などもわからない。今回のように八木が誘ったのかもしれないし、優也の方から相談を持ちかけたのかもしれない。
ここは怪しまれないように、素直に謝っておいた方が良い。
「すみません、八木さん。実は俺、入院する前の記憶が朧気なんです。だから食事に行った前後の出来事も全然覚えてなくて。あ、でも俺が倒れた件に八木さんが責任感じる事なんてないですよ、医者はただの貧血だろうって言ってたんで」
これは本当に本当だ。俺が倒れたのは優也の肉体記憶の情報量に圧倒されたからで、病気でもなんでもない。本当の原因がわかるはずもない医者が、俺に告げて来たのが『貧血』という診断だったのだ。
「そうか、記憶が曖昧になっていたのか。いや、お前があまりにも普段通りだからその可能性を考えもしなかった」
「……普段通り、ですか?」
高橋は俺が『変わった』と言った。けれど、八木は『普段通り』だという。
俺は少しだけ安心をした。高橋は禁煙やら何やらでイライラしていただけなのかもしれない。いつも冷静沈着な八木が普段と変わらないと思うなら、俺は『優也』を上手く演じられているはずだ。
「悪かったな。僕は今まで他人と食事に行く機会なんてなかったから、なんというかこう、思い出深い出来事だったんだよ。それなりに、勇気のいる行動だったし……」
八木は苦笑いを浮かべている。
「あの、だったら今回の依頼が終わったらまた一緒に食事へ行きましょうよ。明日からは俺は外回りが増えるんで直帰しますし、落ち着いてからの方が良いでしょ?」
気がつけば、俺はらしくない言葉を口にしていた。どこか寂しそうな様子の八木が気になったわけでは断じてない。ただなんとなく、そう、なんとなくだ。
「……確かにそうだな。その方が良いか」
八木は顎に手をあて、うんうんと頷いている。
「はい、頑張って早く終わらせましょうね。じゃあ俺、これで失礼します」
「あぁ、お疲れ様」
──去り際、八木の口元が微かに緩んでいるのが見て取れた。瞬間、何か柔らかくて温かいものが俺の心をそっと撫でた気がした。
これは一体、どういう心境なのだろう。
元の肉体の主、関村優也の影響なのだろうか。いや、それは絶対にあり得ない。
本物の優也は、精神の奥深くに沈んでいる。俺の魂と衝突した衝撃から、いまだに目が覚めていない。




