悪魔
『その時不思議なことが起こった――』というのはご都合主義の代名詞的なものだと思う。積み重なったいくつもの不都合を一瞬で解決するためのものだ。ただ現実に起こる不思議というのは得てして不都合や理不尽をもたらす事が多い。
――――その時不思議なことが起こった――――
海の街への道中のことだ、王都から山沿いの街道を南西に向かい馬車を走らせていた。北の街道と違い貿易港との物流にも使われるんだろう、しっかり整備されており時々他の荷馬車ともすれ違うことがあった。
長く景色を隔てていた山並みが途切れると広大な海が広がり海風が吹き付ける。季節はすっかり夏で潮の香りのする風がとても心地よかった。涼やかな風に髪を弄ばれながら僕は生前愛好していた書籍類でよく見かけた『水着回』というものに思いを馳せていた。
「あれが海なのね?実物ははじめて見たわ……どこまでも広がっていて本当に大きいわ!」
クロエが子供のようにはしゃいでいる。さっちゃんの化粧と傷の問題がなければ本当に泳ぎにいきたかった。とはいえ彼女達が水着を着てくれるとは限らないし、クロエに至っては水着を必要とさえしないのかもしれない。彼女の衣服は布ではなく幽体の一部なんだし……いや?そう考えるとクロエは裸も同然なのだろうか?何も着ていないわけだし、素晴らしい閃きを得た気がする。なるほど……
「何を考えてるのかしらないけど、その顔やめてくれる?サニアのニヤニヤ顔と良い勝負ね……」
「ひどいよクーちゃん。私そんなにやらしい顔してないから!」
あれと比べられるレベルだったのか、僕も思考が顔に出るタイプらしい、気をつけないと。
僕らがいつもの調子で訳の分からない話をしている時だ、ふと目の前に女の子が現れたんだ。僕はてっきりクロエだと思い込んだ、飛んで目の前に現れるなんて芸当ができるのは彼女以外にいない。
「あら、やっぱり驚かないんだ?ふふ、こんにちは神の使徒くん。僕の名前はキルケー、よろしくね」
「え?はい、よろしく」
「本当に驚かないんだ……」
どことなく神様やクロエに似た感じの子だった。驚くもなにも慣れっこなので特段何も感じない。背が小さくてワンパクな女の子は飛ぶものだと誤解しつつあるほどだ。
「うん、うちにも君によく似た子がいるからね。おーい!クロエ~君の友達が遊びにきたよ」
「友達……?友達なんかいないわよ……あっ、でもリュウとサニアとカーミラはお友達だからね。あら?」
「あら」
見つめ合うクロエとキルケーさん。二人の違いは目元と髪の長さくらいだろうか、とてもよく似ていた。ここに神様がいたら三姉妹のようだっただろう。
「あなた神族でも亜神族でもないのに、僕達にそっくりだね?まさか下界でこんな美少女に出逢えるなんて」
「本当にびっくりしたわ……まるで生き写しね……いや私は死んでるんだけど。まさか飛べる美少女が他にもいたなんて」
「キルケーさん、もしかして神様の親戚か何か?ノリが似てるんだけど……それに亜神族ってなに?」
「親戚……まあ、そんなかんじ。神に近い人か、人に近い神が亜神族っていって肉の身体を持ってる神族の一派だよ。神族より格下なんだけどね、君らが言う天使や悪魔が僕達のことなの」
まあ神様がいるんだから本当に天使や悪魔もいるんだろう。こうして使い道のない神界の社会構造についての知識が無駄に充実していく。
「それで、キルケーさんは僕に何か用かな?」
「うん、君から何だか良い匂いがしたんだ。僕の大好きな匂い」
なんだろう、僕は匂うのだろうか。クロエやさっちゃんがクンクンと僕の匂いを確かめるが小首を傾げた。
「そういうのじゃないの。神威の匂い、それもレアなやつ!生と死の神威の匂いが君からするの」
ああ……あれだ……神様が最初に言ってた……
『悪魔や災厄に懐かれる』つまりこの子は悪魔なのだろうか。
「僕、海の街まで行こうかなって思ってたの。もしよかったら一緒に乗せてって?」
「いいけど、キルケーさんってもしかして悪魔なのかな」
「神界でお坊さんみたいな生活してる子達が天使で、僕みたいに下界で働いてるのが悪魔って呼ばれてるよ。おかしいよね~悪いことしてないのに!アハハ!」
キルケーさんが言うには天使も悪魔も同じ仕事をしていて現場が違うだけだそうだ、悪魔という名前はとんだ風評被害らしい。
「悪魔が堕落してるって言うなら天使のほうがひどいよ?肉の身体がある僕達には肉欲もあるからね。世間慣れしてない天使ほど敬虔な信徒の男の子に夢中になりすぎてすぐ堕天しちゃうんだから」
あまり聞きたくない職場事情だった、まじめで大人しそうに見える子ほどさっさと寿退社しちゃう感じなのだろうか……
僕らの旅に悪魔が付いて来た、そして僕らは知らなくていい悪魔と天使の職場事情について聞かされている
僕は不思議すぎて、この状況についていけずにいる




