ヘリ
ラルフが元の位置に戻って少し経った頃、その音が耳に聞こえてきた。
何か、どこか離れた場所で、帆が激しく風に震えているような音だ。バタバタバタバタ――帆を留めているロープが外れ、帆の端っこが風に激しくあおられているときの音に似ていて落ち着かない。そのまま放っておいたら帆のすべてのロープが緩み始める。大海原で帆を失ったら、渇き死か飢え死にかどっちかだ。
でもここは陸の上だ。あれは帆の音じゃない。落ち着け。
「バタバタしてんの、なんの音だろ……」
呟くと、さっきの綺麗な赤髪の少女がつぶやいた。
「なんか聞こえる?」
「うん、ばたばた言ってる。帆があおられてるときみたいな音」
「あんたどんな耳してんの? ――あ、聞こえてきた。ヘリだわ」
「へり」
「ヘリコプターよ。空を飛ぶ乗り物」
デュードが言っていた乗り物だ。車の一種かと思っていたのだが、空を飛ぶのか。
しかし相当やかましい。箒はなんの音もさせないのに。こんな朝早くから、近所迷惑じゃないのか。
「もう七時になったのかな。移動させられる前に助けが来るって言ってたけど」
「まだ早いわ。計画が狂ったのかも。――あんた名前は? あたしはメリンダよ。エルドリッジの五年生なの、落ち着いたら会いに来て」
「わかった。おれはラルフ。ラルフリア=レイリってんだ。エルドリッジっていいとこ?」
「最っ高にいいところよ」
「よかった。――誰か来る」
二人は寝たふりをした。
最後にメリンダが、囁き声で言った。
「エルドリッジ生には風の加護がつくのよ。――あんたたちみんなにも分けてあげるわ」
間をおかず、バン! 鋭い音を立てて扉が開いた。
「くそっ、どいつもこいつも使えねえ」
「ドゥラン、全員は無理だ。ミナと端っこの子だけ連れてこい」
「連れてくんすか!? この事態に!?」
デュードが驚き、バルツは鋭く言った。
「『臓器』は全部摘発されちまった。立て直すにも元手がいる。急いで積み込め、外の奴らが時間を稼いでるうちに――」
パンパンとなにか破裂音が外でし始めた。バタバタいう『ヘリ』の音もいよいよ大きくなっている。がちゃんと鉄格子が開き、隣のミナが引きずり上げられた。
「デューク、そいつ連れてこい!」
「デュードっすけど、りょうかーい」
デュードがラルフの体を持ち上げた。穀物袋みたいに肩に担ぎ上げられ、ラルフはホッとした。もしラルフを担いだのがドゥランの方だったら、狸寝入りがさすがにバレてしまっただろう。
「行くぞ! 急げ!」
バルツが喚いている。ドゥランが応じて先に行く。続きながら、デュードが低い声で囁いた。
「いいか、倉庫を出る前にお前を下ろす。帆布の中にハウスを隠しといた。元の大きさに戻せば中に入れる。他の子たちとその中にいな、銃弾も防げる」
言いながら倉庫を突っ切り、螺旋階段を登っていく。屋上に出るのだろう。
「にーちゃんは?」
「ミナを連れて戻る。ギュンターさんたちがすぐに来るはずだ――」
屋上に近づくに連れて騒音がひどくなっていく。ドゥランが屋上に出た。ラルフは身を捻って訊ねた。
「ギュンター? ……って、ガストンの仲間の?」
「ん!?」
「――んだよ早く言えよ警戒して損したよ! なあにーちゃん、ギュンターは近くまで来てんのな!?」
「来てる――って、おい!?」
「俺ルクルスだから魔法道具は使えねーんだ! にーちゃんはそっち頼む!」
叫んでラルフは、デュードの背から飛び降りた。
跳ね蓋の外、屋上は、平らなコンクリートになっていた。そこにヘリが浮かんでいた。大きな乗り物だった。めちゃくちゃな風が吹きつけている。ラルフの舟よりかなり大きい。バタバタ言っているのは大きな回旋する羽のようなもので、乗り物のてっぺんについている。あれが浮力を生むのだろう。地面スレスレに浮かんで、みんなが乗り込むのを待っている。バルツ(らしきスーツの男)はもう乗り込んでいて、入り口から体を半分出している。ドゥランは体格のいい男だった。この季節なのに白いワイシャツ姿で、腕まくりをしていた。もこもこの筋肉の上で、ミナは目を覚ましていた。暴れてドゥランの背から滑り落ちた。逃げようとしたが、ドゥランが怒鳴る。
「自分だけ逃げようってのか、ええ!? ジョンがどうなってもいいのかよ!」
ミナの細い手を引きずり上げ、むりやり引きずっていく。
――クソ野郎。
体はもはや自在に動いた。いつもより元気なくらいだ、昨日までのだるさが嘘みたいだ。ラルフは滑り込みざまドゥランの背後から膝に蹴りを入れ、がくんと体勢を崩したドゥランからミナを奪い返した。
「――なんだ、お前っ!」
「走れ!」
振り向くとデュードが左腕に何かはめながらこちらに走ってくる。パンパンとさっき聞いた破裂音がラルフとミナの足元で炸裂した。ミナは立ちすくんでいた。孵化できなかった、間に合わなかったと泣いた声を思い出す。
罪悪感がどんなふうに人を縛るか、ラルフはもう、よく知っている。
「デュード、この裏切り者が!!」
バルツが喚き、銃を撃った。
バチン! 目の前で火花が散った。走り込んだデュードが二人を背に庇い、掲げた腕から半透明の半球が現れ三人を守った。バチバチと続け様に火花が散る。その半球を維持しながらデュードが言った。
「走れ! 絶対守ってやるから!」
「ミナ、ジョンを見捨てるのかよ!」
ドゥランが喚いている。ミナは蒼白になっている。ラルフはミナの両肩を掴んで怒鳴った。
「後悔してるんなら生きて戻って孵化してマヌエルになれよ! 右でも左でもいい、立派なマヌエルになって、ジョンみたいな子を片っ端から救ってやれよ! お前があいつに捕まってたって、あいつがジョンを返すわけねえってもうわかってんだろ!?」
「走れ!」
デュードが叫び、ミナはついによろめきながら走り出した。ラルフはその後について走りながら振り返った。デュードがすぐ後ろにいて、ドゥランが追いかけてきている。「おい行くな、戻れ!」バルツがそれを制止しようとしている。ラルフの視線は運転席に吸い寄せられた。ヘリの前方、ガラス張りの場所にいるのは、あの猫目の男だった。
――いやがった。
絶対このまま逃すわけにはいかない。
ラルフはミナを追い越して倉庫の中に駆け込んだ。
螺旋階段の手すりを滑り降り、途中で壁に向かって飛びついた。目当ての鉤のついたロープはやはりしなやかで使い込まれた頑丈なものだ、長さも相当ある。それを肩にかけて螺旋階段にかけ戻る。ミナはまだ上の方にいて、デュードはミナを背に庇い、ドゥランと対峙していた。
「裏切り者が! おめーは初めから気に食わなかったんだよ――」
そりゃこっちのセリフだよ。
ラルフは走りながら螺旋階段の手すりに向かって鉤を投げた。ロープはしゅるしゅると伸びながら飛んでいき、過たずドゥランの背後、踊り場の手すりに絡みついた。ラルフはロープを手がかりに、遠心力を利用して壁を駆け上がった。だんだんだんだんっ、と壁を蹴り――おっと、ちょっと行き過ぎた。ドゥランとデュードが呆気に取られたようにこちらを見上げていて、ラルフはそのままの勢いを利用してドゥランの上から襲いかかった。
「うっそだろ――!?」
叫んだのがドゥランなのかデュードなのかはわからなかった。背中にラルフの蹴りを受けたドゥランは、ミナをかばったデュードの上を、飛び越えるように落ちていった。ラルフはドゥランがどうなったかは確かめなかった。ギュンターの仲間たちがもはや倉庫に到着していて、中に突入してきているのがわかったから。
ロープを回収して再び屋上に駆け戻る。ヘリはドゥランを見捨てて浮上していた。まだ間に合う、ほんの数メートルだ。走りながらロープの鉤をぶんぶん回して、体をたわめて解き放った。
「おいおい待て待てー!」
デュードが慌てて走って追いかけてくる。ロープの鉤は過たず、ヘリの脚? に絡みついた。デュードが追いつく前に、ラルフの体はヘリを追いかけて宙に舞い上がった。デュードの箒はいったい何をしてるんだろう、そう思いながら。
防寒着を買ってもらって良かった。ちゃんと着てきといて良かった、とラルフは思った。
*
――見覚えがあるような気がしたんだよな。
ディノは謎の少女がロープをするすると登っていくのを呆然と眺める。なんなんだあの子。人間なのかほんとに。
ギュンターって、ガストンの仲間の?
さっきあの子はそう言った。それでようやく、あの子をどこで見たのかを思い出したのだ。
まだディノがエスメラルダでくすぶっていた頃、【魔女ビル】に狩人が入り込んだことがある。左巻きのレイエルが何人も撃たれて大変な被害が出た。
ディノの友人のラクエル二人が巻き込まれたこともあり、ディノはあの時、警備隊を手伝いたくてたまらなかった。邪魔になってはいけないから申し出はできなかったけれど。
そこに子供がいた。みすぼらしいなりをした、でもとても綺麗な子供。ギュンターから腕章を渡されて、行方不明になったマリアラの捜索に加わっていた。なんであんな子供が入れて、俺が入れないんだろうと、嫉妬で体が焦げるような気がしたから覚えていた。
――男の子じゃなかったのか。
二年であんなに変わるなんて。しかしなるほど、ギュンターが腕章を渡した理由がよくわかる。エルドリッジもバッジも知らなかったのも道理、やはりエスメラルダの子供だったのだ。
といって、まだあの子の正体が判明したわけではないのだが。なんで捜索願が出されてないんだ。
ギュンターとの連絡役を務めていたディノの箒がやっと到着し、ディノは柄に跨りヘリを追いかけて舞い上がった。『ディノ、待て!』箒がギュンターの声で言い、ディノはヘリに向かってまっしぐらに飛びながら状況を説明する。
「人質の一人が――なんかめちゃくちゃな子で、ヘリに飛びついて行っちまったんです! ほっておけません!」
自分で言ってて信じられないが、わかってくれるはずだ。さっきまでのディノの周りの音声は、箒を通して全部聞いているはずだから。ギュンターは一瞬思案した。
『わかった、【蝿】を用意する。絶対に無茶するなよ。見失わないだけで充分だ。一人で突っ込むな!』
「うす!」
『ミシェル、行けるか』
『いいんすか! 行ってきまーす!』
あっちの会話が聞こえディノはホッとした。ミシェルの加勢があれば、あの無鉄砲な子を連れ戻せるかもしれない。




