ジークス
訊ねるとデュードはびっくりしたようだ。かしゃんと鉄格子が鳴って、こちらを振り返った。
「ジークスを知ってるのか?」
「雑誌で読んだよ。壊滅したって。なんでまだ活動してんの?」
「……いや……なんでジークスが関わってるって」
「さっきのクソ野郎が言ってたじゃん、俺のことも、ミナもジークスに売るって」
「言ってたけど、いやでも」
「エスメラルダにいられなくなっただけで、こっちではまだ動いてるってこと?」
「うんまあ……ボスと右腕がまだ捕まってないんだよな。あのさあ……お前、名前は? なんか、見覚えあるような気もしてて」
ミナは今、眠っているようだった。孵化の発作のせいだろうか。ラルフは少し考え、起き上がった。デュードが慌てる。
「いや、誰が来るかわからんから起きないで欲しいんだけど」
「今起きてんのは俺らだけだよ。誰かが近づいてきたら教えてやるよ」
「わかんの……?」
起き上がっても目眩がしない。
眠気もなくだるさもなく、とても久しぶりに、四肢に活力がみなぎるのを感じる。ここ最近ストライキを起こしていたラルフの体も、非常事態に際して、そんな場合ではないとわかったのかもしれない。ラルフはホッとした。これなら動けそうだ。
ジークスが関わっているのなら、このまま、デュードの仲間に助けられておしまいってわけにはいかない。あの猫目の男を数発殴るくらいの権利はあるはずだし、せっかく自由を満喫しているフェルドがまたごたごたに巻き込まれるなんて事態、許しておけるわけがない。
夜明けが近いのか、さっきまでよりも辺りが見える。ラルフは鉄格子を見回した。高さがずいぶんあるが、やはり、扉以外に出られるところはなさそうだ。
鉄格子の外には剥き出しの螺旋階段がある。手すりがついていて、ぐるぐる上がって天井付近に小さな踊り場があり、その上に四角く切られた出入り口から外に出られるようになっていた。あの上には何があるんだろう、とラルフは思う。
倉庫の壁際には古い帆布やマット類が積まれ、壁には船で使うさまざまな道具がかけられている。救命胴衣や赤白の浮き輪、魚を獲るための網や釣り竿、そしてたくさんのロープ。いくつかのロープには鉤がついている。船を接岸するときに使う、しなやかで頑丈そうなロープだ。
ここはやはり港町なのだ。もともと船用の倉庫だったのをアジトにしているのだろう。あのロープを手に入れられれば便利そうだが、にーちゃんに頼んでみようか。
そう考えながらラルフは、デュードの声にようやく意識を戻した。小さい声だが、さっきからしつこくなんか言っている。
「んー?」
「いやだから、名前はって聞いて……というかおまえ、女の子、なんだよな?」
「見りゃわかんだろ」
マリアラとフェルドに会ったばかりの頃は誰からも男の子だと思ってもらえたが、今は髪も伸び、顔つきがすこし柔らかくなったためか、見た目で間違えられることはほぼなくなった。デュードは唸る。
「いや見ればわかるんだけど、口開くの聞くと自信なくなって」
「にーちゃん箒は?」
「ん!?」デュードは目を剥いた。「ん、で!?」
「なんでって? さっきあっためてくれたじゃんか。マヌエルなんだろ? 箒ねーの?」
「……お前何者なの?」
デュードの声が警戒を帯びる。ラルフは思案した。エスメラルダのルクルスの子供だと伝えるのは簡単だが、それを言えばこの街にいる理由を聞かれるはずだ。どこまで説明していいものだろうか。マリアラとフェルドは毎朝、なにかの魔法をかけているし、街中に貼られたマリアラの似顔はずいぶん減ったが、まだちらほら見かける。ここに潜入しているマヌエルなら保護局員と仲間なんだろうし、マリアラたちがこの街にいることを知られていいものか、ラルフには判断ができなかった。
その時ラルフの鋭敏な耳は、外のかすかな物音を拾った。まだ何か言おうとしたデュードに唇に指を当てて見せ、もとどおりマットの上に仰向けに寝た。
「誰か来る。そっち向いといて」
「こえーよもう……なんなんだよこの子……」
デュードはぼやき、鉄格子に元のようにもたれた。
少しして、さっきの物音が近づいて来た。ドゥランとかいうあの声デカクソ野郎だったら嫌だなと思ったが、扉は存外静かに開き、入って来たのは一人だけだった。扉もそっと閉まり、コツコツと足音が近づいてくる。ゆらゆらと明かりが近づいてくる。
「見張りご苦労。変わりないか?」
デュードは見事に寝起きの声を出して見せた。
「……っす。バルツさん、お疲れ様っす。ミナって子が孵化しそうだってんでドゥランさんがさっき檻ん中入れたんすけど、落ち着いたみたいっす」
「ああ、前駆だったか」
「ぜんく?」
「孵化本番の前に何回か起きる発作をな、そう言うんだ。でもまあ前駆が起きてるんなら間違いないだろう。見積りを見たが、車いすの子にずいぶん高い値を付けていたな」
「ええ、ドゥランさんが強気でいけって。そうとう綺麗な子なんすよ」
「どれどれ」
明かりが動いて、ラルフは全身から力を抜いた。まぶしさに顔をしかめるわけにはいかない。
顔にライトが当たった。ずいぶん長い間当てられていた。ちょっと心配になってきたころ、バルツと呼ばれた男の声が、嬉し気な笑みを湛えて言った。
「倍にしとけ」
「倍!?」
「いや三倍にしとくか。ずいぶんな上玉だ、レイキアの好事家が競い合って買うだろうよ。たまごの方も倍にしとけ」
「大儲けっすね! ヘリは何時ごろっすか」
「七時にあっちを出立するから、七時十分頃かな。それ以前は条例に引っ掛かるからな」
デュードがマヌエルでありながら、なぜ潜入捜査なんて仕事を任されるに至ったのかがよくわかる。ラルフは感心してそのやり取りを聞いていた。目を閉じて聞いていると、デュードは心の底から、子供を売る仕事を喜んでいるという風にしか聞こえない。金と欲望を満たせるものに目がない軽薄な若者、そのものだ。
デュードはいそいそと立ち上がり、バルツと一緒に出て行った。
ラルフはしばらくそのまま動かなかった。ヘリは七時過ぎに来る。ということは、デュードの仲間はそれより前に来るはずだ。今何時なのかがわからないが、昨日朝ごはんを食べたのが七時だった。太陽の傾きがどの程度だったのかを思いだそうとして、ラルフは内心呻いた。あのホテルにいたとき、ラルフは何にも見ていなかった。ほんとに、何やっていたんだろう。
しかしもはや夜明けがきているようで、あたりはもうずいぶん明るい。倉庫の外の町が少しずつ目を覚まし始めている時間帯だ。他に捕まっている子たちに薬を飲ませるのは今しかない、気がする。ラルフは起き上がり、耳を澄ませながら、さっきデュードがいたあたりを探ってみた。薬を置いていくと言っていたが。
すぐにそれが指に当たった。マットレスの下に数本の細い瓶が差し込まれている。
ラルフはホッとした。デュードを警戒させてしまったのはまずかったが、デュードの方も、今はラルフを信じるしかないとわかっているのだろう。いくら得体が知れなくても、子供を騙して売り飛ばすような奴らよりはマシのはずだ。
マットレスの上にいるのはミナ(まだ気を失っているらしい)と、ルノと同い年くらいの男の子が一人、マリアラとそう変わらないくらいの年齢の少女が一人。こんな年齢の人も、拐われてしまうのか。
マリアラが、顔がわからなくなる? 魔法をかけていたのは良いことだったのだ、とラルフは考えた。
ミナは、ラルフが『あの豪華なホテルに泊まっている』ことを知っていた。デュランとかいう悪者が言った『丸いほっぺ』というフレーズを考えても、やはり、ラルフたち一行は目をつけられていた可能性が高い。マリアラに魔法がかかっていなかったら、もっと狙われたはずだ。ケティとルッツがまだ捕まっていないのも、思っていたよりもずっと運が良かったのかも。戻ったら、ルッツに礼を言わなければならない。そしてあの魔法は、ケティにもかけてもらうようにすべきだ。
瓶の蓋を開け、少女の方の口元にあてがう。さっきデュードがやってくれたように、まず口の中を湿らすくらい。時間をかけてゆっくりと飲ませていくと、少女の口と喉が動いた。意識があったのだろうか。
「しゃべんないで。暴れないで。大丈夫だから。逃げ出すときに動けるようになっといて欲しいんだって」
「聞……て、た」しゃがれた声で彼女は言った。「ありがと。一気に入れて」
「おっけ」
注ぎ込むと、彼女は上手に飲み込んだ。ややして彼女は眼を開け、ラルフを見た。あたりはもうすっかり明るい。
とても綺麗な人だった。彼女が拐われた大きな理由のひとつは、髪の色だとラルフは悟った。とても見事な赤い色なのだ。瞳の色も珍しかった。夏の晴れた日の海みたいな色。
「あーほんと、クっソ最悪だったわ」人形みたいな顔からとてもぞんざいな口調が滑り出た。「ありがと。さっきまでいたデュードって人の仲間がくるのよね? あたしたちめっちゃ幸運よ、あんたもあたしもこの子もみんな、絶対助かるわ」
ずいぶん威勢のいい少女だった。ハキハキした口調が小気味良い。ラルフは思わず笑った。
「まーほんと、幸運だったね」
「そーよ! エスメラルダが関わってるってことなんでしょ、そうじゃなきゃ助けなんか来るわけないもんね。あんた、そっち戻って寝たふりしたほうがいいわよ。こっちの子はあたしが飲ますわ」
「助かる。ありがと」
「そりゃこっちの言うことよ」
確かにそりゃそうかも。そう思いながらラルフはミナをまたぎ越えて元いた場所に戻った。
デュードの『仲間』が来るまでにミナの意識が戻るといいのだが。いざとなったらミナを担いで走れるように、心づもりをしておいた方が良いだろう。
*
見積書を直しながらディノはさっきの不思議な少女について思いを巡らせる。あの子は観光客だ、と、ミナが言っていた。ドゥランがどこぞで目をつけて、ミナに物乞いでもさせて誘き出したのだろう。
しかし、どこから来たのだろう。エルドリッジを知らないなら、ラク・ルダやマス・ルダの子ではないのだろう。ウルクディアくらい離れれば、あるいはエルドリッジを知らない子もいるのかもしれないが……
――箒ないの?
――ジークスはなんでまだ。
あの発言を考えるとエスメラルダの子供なのだと思うが、それにしてはギュンターから連絡がないのが不思議だ。エスメラルダの子供が行方不明になっているなら、ギュンターに連絡が来ないわけがないのに。
得体が知れなさすぎて、気味が悪い。なのにあの子に薬を預けざるをえなかった。ディノ一人で四人の子供をハウスに放り込むのはどう考えても現実的じゃないからだ。しかし、温かな風が吹いただけで、それをディノと結びつけて考えられる子が、イェルディアで売られそうになっていて、おまけに捜索願が出されていないという状況である。誰なんだよお前。
箒を通して、ギュンターの方の状況を知ろうとする。港の方は今まさに佳境だ。『臓器』たちを載せた船が出航する直前にギュンターとイェルディア警察が摘発したところだった。今ディノがいるグレーネ一味は大きくはないが手広くいろいろな仕事に手を染めていて、イェルディアに『臓器』を出荷するのもその一つだった。今回の潜入で、海の上で手術をし遺体は重しをつけて海に捨てるとわかったので、絶対に出航前に摘発する必要がある。
箒の視界にはギュンターが映っている。ギュンターの采配は完璧で、ギャングたちは早々に制圧されつつあるようだ――
ブーッ、振動音が鳴ってディノはハッとした。
通信機が振動している。ディノのではない、バルツのだ。
このグレーネ一味のボスであるバルツ=グレーネは、小柄だがスマートな男だ。デスクで何やら書き物をしていたが、通信機を取り上げて言った。
「なんだ」
『……』
あちらの声は聞こえない。ディノは嫌な予感がした。このタイミングでかかってくる連絡が、いいことのはずがない。
窓の外はもうだいぶ明るい。ギュンターがこっちに来るまでどうしても時間がかかる。そう思った時、バルツが怒鳴った。
「――なんだと!? どういうことだ、ハインリヒめ何をやってる! エスメラルダのお客さんをどこまで増長させる気だよ!」
ディノは思った。ああー。
ハインリヒというのはイェルディア警察の局長である。バルツらギャングたちはハインリヒに賄賂を渡すことでいろんな目溢しを受けている。今回ギュンターがどんなに苦労を重ねて局長の関与を最小限にしたかをディノはよく知っている。イェルディア警察内部の部長クラスはギュンターと仲が良く、協力体制を取れるようになってきているのだが――
「くそっ」
バルツは通信機をデスクに叩きつけ、
「ドゥラン起きろ! ヘリを呼べ!」
腹立たしそうに、ソファーで長々と寝ていたドゥランを蹴り起こした。
「デュード、見積もりはまだか!?」
「え、あ、はい、できて――」
「急いで準備しろ! その辺の書類全部箱に詰めて小さく縮めろ!」
バルツに蹴り起こされたドゥランが泡を食ってジークスに連絡している。ヘリが早まる、と、ディノは言われたとおりに書類を運ぶ準備をしながら考えた。こっちの騒ぎは箒を通してギュンターに伝わっているはずだ。ギュンターたちがここまで辿り着くのと、ヘリが来るのと、どっちが早いだろうか。
――ちゃんと薬飲ませてくれてっかな。
ディノはそう思い、それを自分がとっくに信じていることに気づいた。
あの子は得体がしれないが、敵ではない。それだけは確かなことだ。
不思議なことに、そう思えてならなかった。




