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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の訓練

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鉄格子のなか

 がちゃん、と鉄格子が鳴った。

 ラルフは目を覚ました。体は相変わらず動かない。ばたばたと周囲が少し騒がしくなり、――どさっ。ラルフの乗っているマットが沈んだ。誰かが横に倒れ込んだのだ。はぁはぁと苦しそうな息遣い。熱が出ているのか、体温が高い。


「う……そつき……」


 うめき声が聞こえる。ラルフが連れて来られるきっかけになった、弟を返せと泣いていた、あの女の子の声だ。


「嘘つきはそっちだろ。たまごだったんなら早く言えばよかったのによお、そしたらジョンを臓器行きに入れなくてよかったんだぜえ? お姉ちゃんが二人分稼いでくれるんだからよ」


 野卑な男の声がせせら笑い、がしゃん! また鉄格子が鳴った。


「おい! おいデューク!」

「デュードっすけど……」眠たげな声が答え、

「寝てんじゃねえ!」男はがなる。「ミナのやつたまごだったじゃねーか! 孵化寸前だったぜ、なんで気づかねえんだよ! こいつもジークスに売る。一番高い値をつけとけ!」

「ほいよー。ドゥランさん、どこいくんすかー?」

「寝んだよ! お前見張ってろよ、いいな! 発作がおさまっかもしんねーから、ぜってー逃すなよ!!」


 喚き声が出ていき、ラルフはホッとした。ドゥランとかいうあの男は嫌なことしか言わないし、うるさいったらない。


「う、うう……」


 さっきの男がミナと呼んだラルフの隣にいる少女は、苦しそうだった。孵化、とラルフは思った。この子はきっとマヌエルになるのだ。マリアラもフェルドもケティも通った道の、入り口にいる。


 あの雪山で、ケティがいきなり倒れたことを思い出した。確かエイベルという名だった、フェルドとはパレード隊? で知り合いだったとかいうマヌエルが、大丈夫だと言ってくれなかったら、きっと大騒ぎしてしまっただろう。死にかけているようにしか見えなかったのだ。それもいきなり。


 ケティは心臓のあたりを押さえて倒れた。今隣で苦しんでいるミナの、苦しそうな呼吸も呻き声も、あの時のケティと同じだ。


「まだ少し先だな……すぐ治まるよ、がんばれ」


 デュードはそう囁き、ミナを励ました。デュードはそして、離れて行ったようだ。


 まだ先、と言った。わかるのだろうか。やはりこの人もマヌエルなのか。なんでマヌエルが潜入なんかしてるんだ。というか解毒剤はどうしたのだ、まだ夜じゃないのだろうか。寝てないといざ薬を飲んだ時に動けないとさっき言っていた、まだ夜じゃないのなら寝ないといけないのだと思うが、もはや眠れそうな気がしない。


 じりじりと時間が過ぎる。まだ先、とデュードが言ったとおり、ミナの呼吸はそれから少し落ち着いた。ひぅぅ、ひぅう、と鳴っていた息が緩やかに落ち着いて、ラルフはホッとする。


「……っく……」


 ああ、呼吸が落ち着いたというのに、ミナは啜り泣いている。ジョンという名らしいミナの弟はどうなったのだろう。臓器になんて、されていないといいのだけれど。


 と、ミナの手がそろそろと動いて、ラルフに触れた。辺りはやはり暗いのか、手探りだった。


「ごめ……ごめ……なさ……い……あたし……」


 押し殺した声でミナはそう言い、ラルフは声すら出せない。仕方なかったんだろとか、きっと弟は無事でいるよとか、そんな空虚な慰めの言葉すらかけてやれない。何やってんだろ俺、とラルフは思う。ほんと、何やってんだろう。


「レイキアの子なのか?」


 戻ってきたらしいデュードがそう訊ね、ミナは泣きながら頷いた。


「あ、あ、あたし……っ……孵化……なんで、今さら……っ」

「親は?」

「病気、で……あたし、孵化、もう少し、早ければ……薬、買えたのに……」

「ああー……」


 デュードが納得の声を上げる。

 家族からマヌエルが出たら、その家族には莫大な年金が出ると聞く。

 ミナは間に合わなかったのだ。もっと早く孵化していたら、両親の病気を治す薬が買えたのかも。ジョンが『臓器行き』にされる前に、間に合ったのかもしれない。


「イェルディアにはどうして来た?」

「ジョンを……あたしが孵化、しても……エルドリッジ……通えれば、って……」

「バッジは?」

「取られ……っ」


 ミナは泣き崩れ、デュードが「ああー」とまた声を上げた。納得のような、憤りのような。ラルフは何の話かさっぱりわからず、ただ聞いているしかない。


「バッジ取られたか……そらまずいなぁ……っと、そろそろしといた方がいいかな」


 デュードがそう言ったとき、鉄格子の方から何かが近づき、ラルフの口元に、冷たい硬い感触が触れた。


「解毒剤だよ。咽せたらまずい。ゆっくりな」

「……」


 唇から冷たい液体が流れ込んでくる。記憶にあるのと同じ、苦い薬だ。確かに前回とは違って横になっているから、一気に流し込まれると咽せてしまうだろう。


 苦い薬はラルフの口の中でじわじわと吸収されていった。初めに戻ってきたのは口と喉の動きだった。ラルフは口を開け、デュードがさらにそこに薬を流し入れた。


 薬の効き目は、あの時よりも劇的だった。あの時は動けなくなってからもずっと意識があったから、動けるようになるまで時間がかかったのだろう。全ての薬が流し込まれ、ごくん、と飲み込む。

 ラルフは深々と息を吸い――そして吐いた。


 生まれて初めて、深呼吸をしたような気がした。


「そのままでいてくれ。夜明けまでまだ少しかかる」

「んー。ありがと」

「……落ち着いてるよなぁ」デュードの声が笑みを含んだ。「泣いたり暴れたりされたらどうしようかと思ったが、助かるよほんと」


 ラルフは瞼を開けた。やはり、あたりは暗い。


 それでもしばらく待つと、目が慣れてきた。微かな灯りを頼りにできる限り辺りを見る。そこは倉庫のようだった。それほど広くないようだ。ラルフはやはり鉄格子の中に敷かれたマットの上に寝ていた。すぐ隣にミナがいる。顔が見えるほどには明るくない。デュードらしき人影は、鉄格子の外からラルフを覗き込んでいる。やはり顔は見えない。


「おっさん、ありがとう」


 囁くとデュードは少し沈黙した。


「……おっさんかー」

「さっき言ってた、バッジってなに?」

「ん? エルドリッジのバッジだよ。知ってるだろ」

「知んない。エルドリッジってなに?」

「お前イェルディアの子供じゃないのか?」


「……観光客なんでしょ」ミナが涙にしゃがれた声で言った。「あの豪華なホテルに泊まってるんでしょ。具合悪そうだったのに、どうして一人で出て来たの……ごめ、ごめん、あたし……」


「あー泣くな泣くな、しょうがなかったってのはわかってるよ。怒ってねーし、責める気もねーよ。で、エルドリッジってなにさ」


「イェルディアの学校だよ。全寮制のさ、かなり有名な学校なんだ」


 デュードは手早く、エルドリッジについて教えてくれた。ルッツが行こうとしている学校のことかな、と聞きながらラルフは思う。


 書類を書けば入れる。が、初めの一年を乗り切るのはなかなか大変で、半数近くが脱落する、とか。初めの一年は五十人部屋の、無法地帯みたいな部屋で生活するとか。そこではバッジがとても大切なものだ、とか。バッジさえ手に入れれば、たとえ孤児でも浮浪児でも、その寮で食事をもらえ、シャワーを使え、寝台をもらえて、学問まで与えられる、とか。


 一年を乗り切り、二年目に入る時に、寮も二階に上がる。その時に初めて制服を着、学費の支払いが始まり、引き換えにさまざまな学校設備にアクセスできるようになる。そして制服代や学費や寮費を払うすべがない子供がそこまで生き延びていたら、その子には制服が渡され、卒業までの寮費と学費が支給される。創立者はイェルディアでは有名な海賊上がりの商人だったそうで、孤児のための基金を準備したのだという。かつての自分のような子供が、機会を与えられるようにと。


「その学校に入って卒業すれば、自活の道が得られるだろ。だから連れてってやるって言って、子供を騙すクソ野郎がいるんだよ」


 デュードは吐き捨てるように言った。

 ミナもジョンも騙されたのだろうか。


 少し、わかってきた。ミナとジョンは海を挟んだレイキアとかいう国の子供らしい。両親が病気で死んでしまい、ミナは弟と一緒にイェルディアに来た。たぶん港で会った男の、エルドリッジに連れてってやるという言葉を信じて、藁にもすがる思いで海を渡った。ミナは自分が孵化をしたら、ジョンを一人にさせなければならないと思っていた。だからエルドリッジにジョンの居場所を求めたのだ。


 バッジを取られたと言っていたから、悪者はジョンに一度はエルドリッジの書類を書かせ、バッジを手に入れさせたのだろう。その後、なんらかの理由をつけてバッジを取り上げ、ジョンを『臓器送り』にし、ミナには『ジョンを返してほしければ代わりを連れてこい』と言ったのだ。ミナが言うとおりにしたのにジョンを返さず、さらには孵化の発作を起こしたミナを鉄格子の中に入れた。返す返すも、驚くほどのクソ野郎だ。


「他の子の薬は?」


 訊ねるとデュードは、「ここにある」と言った。


「お前に預けていいか? マットの下に挟んでおくよ。この中にはお前とミナと、他に二人いる。もうすぐ夜明けだ。夜明けとともに、まず、俺の仲間達がな、港でレイキア行きの子供たちを救出する手筈になってる。お前たちの救出はその後になるが、あっちの救出にバルツが気づく可能性もあるだろ。こっちのヘリは七時に飛ぶはずだが、早まることもあるから、自分の足で走れるようになってて欲しい――お前は俺がおぶってやるから、他の子に飲ませてくれるか」

「あ、俺走れる。俺のことは気にしなくていいよ」


 ラルフは目を開けた。だいぶ目が慣れて、デュードの顔がぼんやり見えるようになっていた。デュードは鉄格子にもたれ、あちらを向いて座っていた。少し振り返った顔は、ベネットより若い。フェルドとあんまり変わらないかもしれない。髪の色がかなり淡い。おっさんじゃなかった。にーちゃんだ。


 認識を改めた時、デュードが言った。


「……走れんの? 車椅子に乗ってたよな」

「俺、体はどこも悪くないんだよ。ちょっといろいろあってへとへとだっただけ。でももう大丈夫。走れるよ」


 あの島は貧しくて、ひもじい思いもたくさんしたが、それでもそう悪いところじゃなかったのかもしれないと、ラルフは思った。少なくとも、大人が子供を理不尽な理由で殴ることもなかったし、ラルフや子供たちが、臓器やその他の目的で売られることもなかった。借金を子供に払わせるわけないでしょとソフィアは言ったし、ディーンさんもハイデンもフェルドもデクターも、みんな、ラルフとケティに払わせるなんて考えてみもしていない様子だった。


 守られていたのだと、ラルフは思う。

 そしてミナとジョンも、守られるべきだ。

 デュードも、そう思う側の人間だ。ベネットみたいに。あのおっさんは図体も声も態度も親切心もでかくて、ちょっと鬱陶しかったが、あんなに邪険にすべきじゃなかったな、と今さら反省する。


「……ジークスってさ、壊滅したんじゃなかったの?」


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