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発生するネームイーター  作者: 上咲兼好
一.遭遇する七月六日(水曜日)
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一.遭遇する七月六日(水曜日)(7)

「ただいまー」

 帰宅する前に用意しておいた亮の声色で言って、階段を上がり亮の部屋に入る。机に鞄を置いて、制服も脱がないままベッドに横になった。

 さっきの反動でもう身体がダルい。あすの朝、ちゃんと起きれればよいが。

「お兄ちゃんおかえりー」

 半開きになっていたドアから、三つ編みの頭がひょっこりと顔をのぞかせる。亮の妹の大輪(おおわ)()(めぐみ)だ。中学三年生。兄妹仲は悪くない。

 見た目も悪くないのだが、若干幼児体型気味なのが残念なところか。人によってはそっちのほうがいいらしいけどな。そういえば新田はよく冗談で「妹さんを僕にください!」と言っている。……亮は冗談だと信じることにしているらしい。

「冷凍庫にアイスが入ってるよー」

「取ってきてくれー」

 俺はベッドで大の字になる。恵は「はいはい」と言いながら階段を下りていった。

 ポケットから携帯電話を取り出す。夕飯まで眠ってしまいたいが、まだ最難関ミッション「千華の機嫌を損ねずにやんわり断る」が残っているのだ。さすがにこのままなにも送信せずに放っておくのでは悪い印象を与えるだろう。

 携帯を見つめたまま亮の記憶へ潜って、これまで送ったメールの中に材料がないか探してみるものの、よさそうなものが見つからない。

「勉強得意なんだから、女の扱いも勉強しておけよ、亮……」

 愚痴ってみるが、それで千華へのメールの回答が出るわけでもない。白紙のメール作成画面を見たまま唸った。



 やがて、扉が開いて恵が戻ってきた。

「ふぁい」

 アイスを差し出した恵の口にも、棒アイスがくわえられている。

「ん、サンキュー」

 袋を破ってアイスをかじる。オレンジの果肉が入っていてうまい。

「ラブラブメールは書けた?」

「ブフォッ」

 恵に言われて思わずアイスを吹いてしまった。

「動揺するってことは、図星ってこと?」

恵がニヤついている。

「兄をからかうとは、無礼な……」

 亮が千華とのおつきあいをはじめ、千華の家で夕飯を食べた日、亮の家族もまた亮と千華のおつきあいを知ることとなった。千華の母親が、亮の母親に「ご挨拶」の電話を入れたからである。

 俺なら恥ずかしくてそのまま家に帰らないかもしれない。翌日の亮の家の夕飯には赤飯が登場した。

「そんなお兄ちゃんに、メグから良いものをあげよう」

 恵はポケットからチケットを二枚取り出し、渡してきた。

「……美術展?」

(おに)越宗(ごえむね)(ひさ)展』と書かれた、奇妙な色づかいの絵が描かれたチケットだった。駅近くの中央公園内にある展示ホールで、特別展を開催するらしい。

「新聞屋のおじさんがくれたらしいよ。お母さんが亮に渡せばいいわねって」

「ふーん」鬼越宗久の名前を検索してみるが、亮の記憶にはなかった。現代美術とか、アバンギャルドとか書かれている。どう考えても、デートに適した催しものだとは思えないのだが。

「バイトもしてないお兄ちゃんが、デートするお金なくてフラれたら妹として笑えないからねー」

「うっせー、余計なお世話だっての」

「お母さんが『ちゃんと千華ちゃん誘って行きなさいよ』だって」

 亮、お前はどんだけ家族にサポートされてるんだ。結果、千華とのデートを避ける手段がどんどん塞がっているじゃないか。泣けてくる。

「わかったわかった、お心づかいどーも」

 ぶっきらぼうに答えて、チケットを机の上へ放る。

「デート終わったらどんなことがあったかメグに報告ね! あ、マンガ持ってくね」

 恵は亮の本棚から少年マンガを二、三冊抜き取ると、それをかかえて部屋を出ていった。

「美術展……ね」

 アイスの棒をくわえたまま、机の上のチケットに目をやる。

「家族にもケツ叩かれてるんじゃ仕方ないな、亮。行くか」

 亮は了解の反応。しぶしぶ、という意思が感じられたが。

「よっしゃ! 腹くくるぞ!」

 戦場に行く決心をするような、およそデートとはほど遠い感覚で宣言し、携帯電話のメール作成画面を開いた。

 デート当日を考えると頭が痛いが、ひとまず今については断りのメールを作るよりもずっと気が楽だ。

『日曜日だけど一緒に遊べそうだよ。美術展のチケットを貰ったからいっしょに見に行くのはどうかな?』

 送信ボタンを押して、一分もしないうちに携帯電話がメールの着信を知らせる振動をした。

『行く! やった~! 楽しみ!(*^_^*)』

 アニメーションする絵文字から、千華の声が聞こえてきそうな気がした。



 その後、夕飯と風呂を終えて眠りについたが、身体の痛みで目が覚めた。時間の感覚がわからない。半開きのぼやけた目で、枕元にある時計を見た。

 針は午前五時を過ぎた頃をさしている。布団を直そうとして……思わず動かした右腕に激痛が走る。昨日ひと暴れした反動の筋肉痛だ。

 気をつけてゆっくりと身体を動かしてみる。それでも痛い。動かすたびにバーナーで焼かれたような凶暴な熱さを感じる。

「痛え……くそっ!」

 悪態をついて、一気にベッドから身体を起こすと、全身に痛みが走り、悶絶した。亮が不安そうな反応を示す。

「大丈夫だ……大丈夫……」

 亮に言い聞かせているのか、自分自身に言い聞かせているのか、俺は大丈夫と繰り返しつぶやいた。

 仮に、こうしてひとりで痛がりながら、身体の中の別の人格に話しかけているところを誰かに見られていたとしたら、やはり「可哀想な子」だと思われるに違いない。だが俺は実際に激痛に悩まされているし、自分の中に亮がいるのも現実だ。

 ひょっとすると、そういうイタいキャラクターを演じているような奴の中には、俺みたいに本当に悩んでいる奴もいるのかもしれない。人は自分以外にはなれないのだから、そいつの心の中は覗けない。

 だが、そいつに訊いて確かめるわけにもいかない。それこそ、変人扱いを受けるのがオチだ。

 身体の痛みが多少やわらいだところで、ふたたびベッドにあおむけになる。痛みで目が冴えてしまった。眠れないので、天井を見つめてぼんやりと考えごとをする。

 本棚を見ると、さっき恵が漫画を抜き取ったところがぽっかりと空いていた。

「妹。家族、か……」

 ふつう、動物であれば親から生まれる。植物でも、その個体を生み出す母体がある。しかし俺にはそれがない。俺は突然発生した。いったい俺はなんなんだ?

 身体があって、名前があるということはそこにあるということ。

 身体がなくて、名前もないということはそこにないということ。

 俺はそのどちらでもない。他人の身体を借りてここに存在はしていて、名前がない。

 在るのか、無いのか。俺はどっちなんだ。

名前がないということは、誰とも繋がりがないということだ。名前をつける親も、名前も呼ぶ知人や家族もない。

 存在があっても、社会的には無いということ。それはとてつもない不安だ。押しつぶされそうになる。

 こんな俺がもし亮の身体から出て行けたとして、俺はどうなるんだ?

 何か他の身体を手に入れられればいい。今のように誰かに迷惑をかけることのない身体。そんな都合のよいものがあるのかはわからないが。

 だが、そうでなかったとしたら。亮から出て行ったとき、俺は、消えるのか? 自分がなにものかもわからず。名前も得られず。生まれたことも消えたことも亮以外知ることができず。

 亮に、人には言えない奇妙な体験だけを残して、消えるのか。

 恐い。

 言いようのない圧迫感を感じて、気持ちを落ち着けるため、大きく深呼吸した。

「やめよう。意味がない」

 声にだして自分に言い聞かせた。

 亮の身体から出て行くというのは、俺が決めたことだ。その結末が俺の消滅であっても、ここは腹をくくってそれを受け入れよう。

 もともと誰にも存在を知られていないってことは、俺がいなくなっても誰も困らないということだ。ゼロだったものがゼロになるだけ。

 天井を見つめたままそう考えて、そのまま考えるのをやめた。考え続けると、このまま自分の考えに心が押しつぶされそうな恐怖感があった。

 亮が心配そうな感情を送ってきていたが、俺は黙っていた。

 やがて、もう一度睡魔が襲ってきて、俺は二度寝に入った――


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