138話 小物は女帝よりも多くのものを持っている
あのよお、倉庫によお!
宿舎として利用している倉庫の二階によお!
武器あるから、それ取りに行かせてくれよお!
と女帝に頼んだら、すんなりと許可された。
女帝をあんまり待たせるわけには行かないが、話し相手にあのローデリヒとアルノーがいれば、そんなに失礼な対応ではないはずだ。
せっかくなら、この好機を活かして逃げ出してやろうかと思ったのだが、宿舎で目に入ったものをいまではないだろうと思いつつも、読んでいると、そんな気持ちも消え失せた。
ノエルからの手紙だった。
そこには、俺以上に俺のことを理解したノエルからの言葉が綴られており、それを読んでいるうちに気恥ずかしくもありつつ、心の底から深い幸せを感じさせられて、逃げ出すという選択肢を消えさせた。
それにまだ、路銀貰ってないしね。
決着、着けに行きますか。
変刃を手にして、軽く体をほぐしながら港へと戻る。
将軍ローデリヒに副官アトス、元将軍アルノーに加え側近の視線が振り返ってこちらに注がれる。
それと同じタイミングで、女帝ユニア、間違いなく怪物である人物の美しくも恐ろしい視線がこちらに向けられた。
「……武器を手にして大きく雰囲気が変わった」
「神が造りしアーティファクト、変刃だ。箔をつけるには十分なものだろう?」
「いいや、それだけじゃ説明のつかない変化だ。まるで別人。なにやら、決心がついたみたいだな」
決心か。
そんな大それたものをした覚えはないのだが、もしも他人、それも帝国を築き上げた大物がそう評してくれるのならば、ノエルの手紙が起爆剤となったのだろうなと思う。
「愛する我が婚約者ノエルの手紙を読んでね。それで少しばかり励まされた」
「なんと、婚約者がいたのか。隣の芝生は青く見えるものだ。それに、今の覚悟の決まった表情を見ていると、益々お前が欲しくなった、ハチ・ワレンジャール!」
女帝が手を差し伸べてくる。
掌をゆったりと開き、何もかも受け入れるという優しく、敵地にいるとは信じがたいような穏やかな表情をする。
「ハチ、何が欲しい? 領地か? 金か? 帝国に来い。その全てをお前にくれてやろう。私の支配は王国に留まらない。世界の全てを統べる予定だ。その半分と言わず、全てをお前にくれてやろうではないか!」
なんと魅力的なお話か。
路銀を稼ぎに来ただけだというのに、歴史に名を残す女帝様に全てをくれてやると提案された。
年収1000万バルくれるだけで喜んで尻尾を振ってついていくというのに、世界の全部だと?
規模が大きすぎて全然イメージ出来ないや。
昔、デパートのくじ引き大会でジャムの大瓶を狙っていたのに、世界旅行券があたったことがある。違うんだよなぁ。俺は世界旅行じゃなく、ジャムが欲しかったのだ。
「出来れば、10年くらい前にあんたに会っておきたかったよ」
そうしたら、絶対に着いていくことになっていたと思う。クラウスに媚びを売る必要もなくなっていたし、将来安泰で変に頑張ることもなかった。
「けれど、女帝ユニア様。すみませんが、今の俺の返答は“ノー”だ」
ぺこりと頭を下げると、変な声たちが聞こえて来た。
ほんまか?
もう少し考えた方が良かったくね?
まだ取返しつく?
お前を小物界から追放する!
ざわざわ。心の小物たちが騒ぎ出して収まらない。これはもう性格というより、呪いの類かもしれない。
「迫るは万象の神ソリオン。その背後には、万を超える帝国の軍勢。私が提案するのは世界。拒む理由なんて塵程もない気がするのだが、敢えてその訳を聞こうか」
「ノエル、俺の素敵な婚約者からの手紙で思い出したんだ」
女性の前であまり他の女性の話題を出すべきではない。特に自分にアプローチしてくれているありがたい存在の前では。という類のアドバイスを聞いたことはあったものの、のえっちゃん一筋の俺にそんなモテテクニックは不要。
ガンガンノンデリ路線を進むぜ。
「ノエルは優しくて、頭も良く、顔は美人。そんな完璧な彼女は、なぜか俺のことを大事に思ってくれており、高価な品を贈ってくれる太っ腹な持ち主でもある」
「私と何が違う? 私はそのノエルという女よりも遥かに多くのものをお前に与えてやれるというのに」
「俺もそうだと思っていた。彼女は性格が良くて美人で、太っ腹だから好きなんだと。けれど、違ったんだよ。彼女は誰よりも、それこそ俺よりも俺のことを理解してくれるんだ。だからこそ、俺はノエルと一緒にいて心地が良いと気づいたんだよ」
そのことをノエルの手紙で思い出した。
思い出したってところがみそだ。
俺はなんとなくそのことに気づいていた。ほんま、ほんま。のえっちゃんのことわかってますやん。
「ノエル曰く、俺はいつも幸せそうなんだってさ。卑屈で、臆病で、変わり者。お金やアーティファクトで頭が一杯なふりして、実はそんなの関係なしに、ずっと変わらず幸せ者をやっているらしい。そんなところが好きなんだってさ」
俺ってそんなやつなんだね。結構やばいやつだよね。
「領地も富もなしに幸せだと?」
「うん。ノエル曰くそうらしい。そして俺もなんとなく、最近そうなんだと気づいてきた」
だけどさ。
「俺は愚かで怠惰な人間だからさ、そのことをすーぐ忘れてしまう。だから、帰るんだ。本当の俺を見てくれる、ノエルの元に帰るんだ。俺はそのための路銀を稼ぎに、ここへやって来た!」
「……ふははははは! 面白いことをいう男だ。生まれてこれより、領地を広げることだけが私の使命であった。それこそが私の生きる意味。お前とは違うところに生きているみたいだな」
唯一所持してきた武器である細身の剣を抜き、女帝ユニアがその黄金の瞳を強く輝かせる。
「絶対にお前のことが欲しくなってきた。訳のわからぬ幸せを述べるお前に、真の富を授けよう。お前が勝ったら路銀は私がくれてやる。しかし、負ければ一生私の傍にいろ。私の色に、お前を染めてやる」
「そんな熱いアプローチは初めてだが、生憎と全部遅いんだよ。路銀本当に持ってんのか? 俺は港の監督官ロベール様より20……50万バル貰う予定になっているんだが?」
20万バル貰う予定を50万バルに盛ったって?
ふんっ、自分の才能が恐ろしいよ。
俺はもともと14万バルのお給金を貰う予定だ。とっさに20万バルに盛った自分の才覚が、ああ恐ろしいよ。
「私の髪留めを売れば、王国の通貨で10億バルにはなるだろう。それをくれてやる」
路銀が欲しいって言ってんだろ!
どこで換金すんねん、それ。でも。
「それで手を打とう」
「よろしい。では、王国の将来の王と、帝国の女帝。その初めての喧嘩を始めよう」
変刃を構える。
偉大なる帝国を築き上げた美しい女性。
美人には注意しろといろんな場所で習ったのだが、もはやそんな教えが必要ない程ユニアには警戒が必要だろう。
「そして、終わりだ。『跪け』」
はい?
その言葉に戸惑ったが、それを上回る異変に更に脳が混乱した。
この場にいる将軍ローデリヒにアトスさん、元将軍アルノーに槍持ちのエリートたちまでもが一斉に跪き、俺に至っては土下座していた。
なんで俺だけ土下座?
いや、そんなことよりも何なのだ、この力は!?
「……ぐっ、体が動かぬ」
抵抗できないのは俺だけじゃないらしい。
皆が跪いて、自身の体の制御を失っている。
女帝ユニアが命令を口にしたあと、魔力の流れを一瞬感じた。
その行き着いた先の地面を見ると、なにやら大きな模様が描かれている。
首を抵抗させて、辺りを見ると、『神聖の紋章』が地面にでかでかと描かれていた。
「帝国にて、『皇命』と名付けられたスキルだ。私の言葉に、“人”も“世界”もひれ伏す。海よ、渦巻け」
女帝ユニアの言葉に、桟橋付近の海が拘束に回転し始め、辺りに浮かぶ船を巻き込んで海底へと引きずり込んでいく。
「海を割ったのは、お前さんの仕業だったのか」
将軍ローデリヒの言葉は、みんなが同時に思ったことだった。
万象の神ソリオンが真っ二つに割ったと思われた海だが、その偉業を成したのは神ではなく、人だった。
「割ったのは私だが、大海の力にいつまでも逆らえる程、人は偉大ではない。割れた状態を維持しているのは間違いなく万象の神ソリオンの力だ」
「第二王子ロワ様も似た精神支配のスキルを持つが、これはまた汎用性も強さも、あれとは格段に違うものだな」
膝間づいたまま解説してくれるアルノーに少しクスッと来てしまった。
だって、みんながみんな跪いて女帝に敵対する心だけが前に出てるんだもん。少しシュールで笑っちゃった俺に罪はないはずだ。
「私は、生まれながらにして王となる運命だったのだ。ハチよ。リュミエールに、そしてそなたの姉たちが、私に勝てる未来が見えるか?」
土下座したまま、顔を下げる。
悔しい。なんだよ、この力は。
けれど、俺が悔しがっているのはリュウ様や姉さんたちの名誉のためではない。
やはり、なんで自分にはこんな偉大なスキルが与えられなかったのか!? という悔しさだ。世界はあまりにも不平等!
「人も世界もあんたに従うのか。けれど、神と精霊はそうじゃないらしい」
両手を伸ばして、くねくねと触手のようにうねる修理スキルを発動した。
やばいと悟ったのか、女帝短剣をスキルに向けて投げつけ、自身は大きく後ろに飛び退った。
「……なぜ、動ける?」
地面に描かれた神聖の紋章をスキルでめちゃくちゃにかき乱してやると、滲んだ絵の具のようになり、俺たちの体の拘束が解かれた。
「あんたと違って、生まれながらに多くを与えられなかったので、いろいろ努力した。この左腕は神にねだって貰ったもの。この右腕は、精霊のうんちみたいな魔力が作り上げたもの。どうやら、人も世界も支配できるそのスキルでも、偉大な存在には届かないらしい」
どやっ!
自分の力が通じなくなり、短剣も手放した今、降伏するなら喜んで受け入れるし、ラップ勝負に入るなら容赦しないつもりだったのだが、流石は女帝。
彼女は一時の間を置いて、高らかに笑い始めた。
腹を抱えて、それは愉快そうに。
「なんと素晴らしきことか! 生まれてこれより、我が力に対抗できたのは万象の神ソリオンをおいて他に無し! ハチ、やはり貴様なのだ。私の夫たる存在は、お前以外にはあり得ないのだ!」
なんか、火を付けちゃったらしい。
強敵っていつもこうだ。逆境を逆境と思わず、むしろ燃え滾る。
やだやだ。強すぎる力を封じられたら、あわあわしちゃうのが小物界の常識だというのに。
「人も世界も私に従うと言っただろう。『ハチを捕まえよ』」
女帝ユニアが掌をこちらに向ける。
ザバァッと、港の海面が盛り上がる。
人の腕ほどの太さの水柱が何本も持ち上がり、ねじれ、絡み合い、兵士の形になる。
水で出来た大量の兵が、海面から次々と立ち上がった。
同時に、先ほど渦に飲まれて砕けた船の残骸が浮かび上がってくる。
折れた帆柱、砕けた船板、千切れたロープ。
それらがガラガラと音を立てながら寄り集まり、組み上がっていく。
木片が骨のように組まれ、ロープが筋肉のように締まり、巨大な兵が3体ゆっくりと立ち上がった。
まだ終わらない。
港の岸壁が、ミシリと鳴った。
岩が砕ける。
ゴリゴリと音を立てながら石が剥がれ落ち、転がり、互いに噛み合う。
拳ほどの石。
人の頭ほどの石。
それらが積み重なり、岩の兵が形を作る。こちらは10体ほど。
何もないところからでも、女帝は兵を作り上げるらしい。
「逃げられはしない。世界は私のものなのだから」
死を恐れぬというか、生きているかどうかも怪しい兵たちが完璧な連携で同時に多方面から襲い掛かって来る。
右腕から出た、マグ・ノワールの影響を受けた修理スキルが兵士たちに絡みつき、魔力を解除して、海水、藻屑、岩へと返す。
しかし数が多く全部対処しきれない。
迫って来た兵は、左腕に握った変刃、さすまたスタイルで迎撃する。
こうしている間にも女帝は兵を次々に増やし続ける。おそらく彼女の魔力が持つ限り、兵は無限に作り続けられるだろう。
持久戦に自信ありのこの俺でも、少し不安になるくらいに海水の兵が増え続けた。
巨大な木屑の兵の腕が振り下ろされた時、その攻撃を躱すと同時に腕を駆けあがり始める。
一際でかいこの木屑の兵の顔近くまで迫り、顎を蹴り上げた。
でかいだけあって作りも頑丈で、脚がキンキンと痺れるように痛んだが、こちらの攻撃も相当な威力があり、巨大な兵が崩れて倒れる。
左手をかざして修理スキル発動。神から与えられたこの左腕は、修理スキルを強化してくれており、俺の修理スキルが木くずの兵を瞬く間にもとの立派な巨大船へと修復し、空中より女帝ユニア目掛けて降り注ぐ。
「どうよ!」
「『吹き飛べ』」
その一言で、船が重力に逆らって海の方向へと吹き飛ばされる。急いで船を蹴って力に逆らわないと、慣性で俺まで海に連れていかれかけた。
全く、恐ろしく強力で、汎用性の高い力だ。
本当に無敵なんじゃないかと思わせる力がある。
けれど、俺は少し今のやり取りで気づいたことがある。
もしも女帝が『吹き飛べ』と口にしなかった場合、船はあのまま彼女を押しつぶしていたのではないか?
彼女の力は万能じゃない。
常に命令する必要があるのだ。ならば、攻略の方法はある……はず。
「『掴め』」
大地から土が盛り上がり、腕のようになって俺の脚を掴む。まるでカトレア姉さんのスキルようだ。
姉さんたちのおかげで、地面からの攻撃には慣れている。
すぐさま右腕の黒い魔力を地面に流し、力の制御を失わせる。
脚が自由になれば、作戦実行可能だ。
再びあの巨大な木屑塀へと駆けのぼり、先ほどと同じように蹴飛ばす。二度もやれば、脚の感覚がなくなったんじゃないかってくらいの衝撃がやってきたが、必要な代償だ。
「つまらん。同じ手を使うとは」
修理スキルで、木屑兵を巨大な船に戻し、今度は少し細工をした。
船が降り注ぐよりも先に、自分で飛び降りる
「『吹き飛べ』」
彼女の声で、空の船はまたも吹き飛ばされた。
けれど、俺は先に降りていたので、接近して変刃で女帝へと迫る。
「私には届かぬ」
傍に控えていた海水の兵が行く手を阻む。
どうやっているのかわからないが、兵一体一体がかなりの猛者だ。
しかも体が水なので、武器がぶつかるときの感覚が少しいつもと違って、やりづらい。
それでも海水の兵を蹴散らし、女帝への道が開けたかと思った時には、岩の兵や他の兵が駆け付け、既に女帝の前に立ちふさがっていた。
ニッと笑った。
「何を笑う。問題は何ひとつ解決しておらぬ」
一瞬、世界が暗くなった。
女帝がそれに気づいて上を向いたときには、少し遅かった。
巨大船の帆布が空より舞い降りて、俺たちに覆いかぶさる。
先ほど、修理した船から切り取っておいたものだ。船の上に隠れ、吹き飛ばされず、重力に従って降り注いだ。
重量感たっぷりな頑丈なキャンバス生地が俺たちに覆いかぶさる。
女帝が何かを慌てて言った。
けれど、兵たちは動かない。
狙い通り。命令が届かなくても、世界は女帝に従えない。
帆布に覆いかぶされた薄暗い中、急ピッチで迫り、俺はさすまたを女帝の首に押し当て、脚を払う。
彼女の悲鳴が聞こえると同時に、逃がさないように首の両サイドに固定するように変刃を差し込み、決着とさせて貰う。
「これ以上は必要ないだろう?」
あっけにとられたその表情は、言葉を発さずとも意図が読み取れた。
けれど、彼女は悔しさを表すのではなく、笑ってこう言った。
「素晴らしい。私の負けだ。やはり、お前は私の夫にならねばならない!」
負けたというのに、女帝ユニアはまだ諦めていないらしい。
「お前の勝ちだ。しかし、すまないハチ」
「何を謝る?」
「私は約束通り軍を引く。しかし、人も世界も私の命令には逆らえないが、一人そうじゃない者がいるだろう?」
帆布をまとめて投げ捨て、俺は海の沖に視線を向けた。
また凄い音がして、『カナタの聖圏』に巨大な罅が入る。
「万象の神ソリオンは止まる気がないらしい。それを謝っている。あれは私にも止められはしない」
「どうすればいい?」
「どうしようもない。力の弱まっている激情の神カナタ。全盛期を迎える万象の神ソリオン。それに裏切りの神がいては、もはや『カナタの聖圏』は壊れたも同然だ」
彼女から変刃を引く。
彼女は本当に抵抗する気はもうないらしい。
しかし、その言葉通り、ソリオンも止まる気はないらしく、もうじきその脅威がこの港に迫ろうとしていた。





