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第二章その4 誰よりもうまくならなくちゃ

「部長、ご自宅ここだったんですね」


「あはは、ばれちゃった?」


 道路から話しかける俺に、苦笑いで返す藤田部長。


「学校であんなに練習してたのに、家帰っても吹いてるんですか?」


「うん、本番も近いし、ちゃんと練習しないとね」


 そう話す部長の目の下はくぼんでいる。だいぶ疲れているようだ。


 まさか、帰宅してからずっと吹いてたのか?


「無茶しないでくださいよー。まだゴールデンウィーク1日目が終わったばっかりなんですから」


「心配ありがとね。でも大丈夫だよ!」


 そう言って手を振る部長に、俺も手を振り返す。そして買い物のことをようやく思い出し、慌てて自転車を発進させたのだった。




「ほら、昨日撮ったプリクラ。もうプリ帳に貼っちゃったよー!」


 翌日、練習が始まる前に部員たちが楽器の準備をしながら楽しそうに話す。昨日映画を見に行った組だろう、映画以外にも友達同士楽しく時間を過ごしたようだ。


 てかプリ帳て何だ? おじさんにはよくわからん謎ワードだな。


 そんな女子部員たちがきゃいきゃいと話す傍らで、藤田部長はまたしても楽譜と対面し、ひたすら16分音符の刻みを繰り返していた。雑音をシャットダウンして自らのフルートにすべての神経をとがらせているというその形相は、周囲に見えない壁を作っていた。


「まさに練習の鬼だねぇ」


 コントラバスの弦をチューニングしながら、松子が感心したように頷く。


「でもなんだか……昨日より音に力が入ってないような気がする」


 だが続けざまに、ぼそっと不安げに呟いたのだった。


 松子はこれで勘が鋭いし、他者の心の機微に関しても敏感な方だ。知り合ってからまだ1月も経っていないが、その点は俺自身もよく理解している。


「そうだな……」


 俺は力なくそう返すことしかできなかった。昨日の帰った後のことを話そうかとも思ったが、さすがにそれは部長に申し訳ない気もする。


 しかしあの疲れ切った部長の顔を思い出すと、とても不安を覚えずにはいられなかった。




 練習が終わり帰宅した俺は、ずっと自宅でぐうたらと過ごしていた。


 ゴールデンウィーク2日目の今日は、5月とは思えないほど暑い。肌を突き刺すような日差しが降り注ぎ、セミが鳴いていても全く違和感のない真夏日だ。活発な連中なら外出日和だと言って街に繰り出すかもしれないが、生憎俺は自他共に認めるインドア派だ、こういう日は外に出ないでゲームをするのに限る。


「4時か……」


 リビングでコントローラーを握りしめていた俺は、壁に掛けられた時計をちらりと見る。


 いくらゲームで気を紛らわせようとしても、どうも部長のことが頭から離れず落ち着かなかった。さっきから同じステージで何度も死んでるし、普段なら片手でもこなしてしまうプレーさえもろくに決められない。


 居ても立っても居られない。俺は自宅を飛び出し、自転車に飛び乗った。


 汗ばむ暑さの中、田んぼ道を立ち漕ぎでひた走る。時折水田からアマガエルがぴょんと飛び出すのを避けながら、俺は部長の家を目指した。


 そして目的地が近づくにつれ、俺は自分の感じた不安が的中したことを思い知らされたのだった。


「やっぱり聞こえる」


 フルートの音、それも『序曲「祝典」』だ。


 藤田家の前に、俺はききっとチャリンコを止める。そして道路から納屋と母屋の間の見える位置まで移動すると、昨日と変わらず熱心にフルートを吹き続ける部長の後姿を目にしたのだった。


「部長!」


 呼びかけながら、俺は敷地にずかずかと踏み入った。気が付いた藤田部長は、額に大粒の汗を流しながらも素早く「え?」と振り返る。


「これ以上やったら本当に体壊しますよ!?」


 俺は小走りですぐ近くまで駆け寄る。庭の砂利をジャッジャと踏み鳴らす音がやけに目立って嫌な気分だ。


「う、うん、平気……あれ?」


 こちらに向かってへへっと部長が笑いかけてみせた、その直後のことだった。


 何の前触れもなく彼女の膝が折れ、身体の半分がガクッと沈み込む。そしてバランスを失った小さな身体は、ふらつきながら足元から崩れ始めたのだった。


「部長!?」


 俺は反射的に部長の身体を支える。そんなに腕力の無い俺でも、簡単に抱えられるくらい彼女の身体は軽かった。


 暑さと疲労に参ってしまったのだろうが、どちらにせよこれはまずい。本人は「うーん」と何か言いたげに唸るばかりで、ろくに話すこともできない。


 だがこんな状態に陥っても、彼女は愛用のフルートをその手でしっかりと握りしめていた。


 もう気にしている場合ではない。俺は先輩を一旦その場に座り込ませ、母屋の玄関にダッシュする。


「すみません! すみません!」


 そして呼び鈴を鳴らし、家の人を呼んだのだった。




「本当にごめんね、まさか自分の家の庭で立ちくらみ起こすなんて」


「お昼ごはん食べてからずっと吹いてたんでしょ? そりゃ倒れますよ」


 ベッドで寝かされた部長は、申し訳なさそうに顔を赤らめる。部屋の中は女の子らしくぬいぐるみやドールハウスで飾られているが、本棚の中には意外にも少年漫画や最近流行りのライトノベルがぎっしりと並んでいた。


 あの後、家から出てきた部長のお母さんに事情を話すと、聞いて飛んできたお爺ちゃんにより、部長は家の中に運び込まれたのだった。


 俺もついでに家の中に上げられ、立派な床の間の設えられた座敷でしばらく待っていたものの、容体が落ち着いたからということでお母さんに案内されて部長の自室に通されていた。


 女子の部屋に入るなんて初めてのことだが、事情が事情だけにわくわくとかそんな気はしない。


「ごめんね……私、みんなを引っ張っていくためには、誰よりもうまくならなくちゃって思って……」


 部長は口元まで布団を上げながら、俺からそっと目を逸らす。今にも泣き出しそうな顔だった。


「砂岡君はすごいよ、ずっとみんなといっしょにいた私がどれだけ言っても変わってくれなかったのに、トランペットソロで徳森ちゃんをあそこまでやる気にさせちゃったんだから」


 訥々と話す姿を見て、俺はなぜ部長がここまで無茶な練習を続けるのかようやく理解した。


 この人はものすっごく真面目な人だ。部長という責務を全うせんと、強いリーダーになるために一切の努力を惜しまなかったのだ。


 ただその努力の方向は、必ずしも正しいとは言えなかった。演奏の腕で部をまとめようとした彼女は、ひたすら楽器を吹き続けて飛躍的にその技術を上達させる。だがそれで部員を鼓舞するようなことは無く、まだ努力が足りないのかとさらに練習に没頭し、さらなる悪循環を促したのだろう。


 やがて練習の鬼と化してしまった部長と周囲には、今現在のような深い溝ができあがってしまった。


 楽器がうまくなれば人がついてくるとか、必ずしもそうとは限りませんよ。本音を言えばそう注意したいところだ。


 だが正論を突きつけたところで、今の部長が聞く耳を持つとはどうも思えない。いや、最悪ショックで塞ぎ込んでしまうかもしれない。


「部長も大変でしたね」


 ゆえに俺は否定も肯定もせず、ただただ彼女の吐露を受け入れ続けることに終始したのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 序曲祝典懐かしいなぁ。 パーカッションが狂ったように練習してたなぁ。 ちなみに当方TPで吹奏楽→大学からビックバンドでTP歴20年の後、ブランク5年です。 転勤族な上、家庭があると中々続け…
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