六一話 動乱終結!
不意を突いたロロの一撃は、死霊使いヴィルマーンの切り札、ドラゴンゾンビの首を叩き折った。
しかし、ドラゴンゾンビは何事もなかったかのように復活する。
「ロロ、そのままドラゴンの相手だ!」
「りょーかいっ!」
ロロに命令して、サーラターナはヴィルマーン目がけて駆ける。
そうはさせじと、ヴィルマーンは宝玉のはめ込まれた剣を抜く。
「死霊協奏術!」
走るサーラターナの前方に、一瞬で死霊の群れが召喚された。
無数の黒い影が、ヴィルマーンへの道をふさぐ。
「ドラゴンを使役するものが、ドラゴンより弱いはずがなかろう!」
「知っている!」
だからドラゴンゾンビの相手を、ロロに任せたのだ。
サーラターナの手で振るわれる黒剣は、軽やかに切っ先を滑らせ、たやすく死霊を切り裂いていく。
帝國の敵をことごとく屠ってきた黒剣ハルペル。
十英雄、竜殺しの皇弟から受け継がれし帝國の宝剣。
伝説の剣を手にした剣匠は、死霊ごときで防げる存在ではない。
サーラターナは難なく、死霊の群れを突破した。
「っ!?」
瞬間、爆発が起きた。
爆発の後には、頭部をかばうように両手を交差し、防御姿勢を取っていたサーラターナの姿。
その顔には火傷のような傷跡が残っていた。
「ふふ、準備はしてある、と言っただろう」
「自爆か……」
帝國最強の男を、正面から打ち負かすほどの死霊。ドラゴンゾンビクラスの死霊をいくつも用意するのは不可能だった。
だが、戦いようはいくらでもある。
剣の届かぬ戦い方をすればよい。
剣では防げぬ攻撃をすればよい。
湧き出す死霊で周囲を固めつつ、ヴィルマーンは余裕の笑みを見せる。
「くくっ、根比べといこうじゃないか。もっとも、あちらがいつまで持ちこたえられるかな?」
ヴィルマーンの視線がしめす先は、ドラゴンゾンビとロロの戦いだった。
骨の露出した巨大なドラゴンの顎から、ごうっと瘴気のブレスが放たれた。
ロロはバッタが跳ねるようにブレスをかわし、腐り果てた巨体に近づき、剣を振るう。
ミスリル製の騎士剣は、ドラゴンゾンビの腐肉を切り、骨をわずかに削り取った。
手に伝わるのは、腐った果物を潰したような不快な感触。
「ちっ、斬りがいがねえ」
浅いと見て舌打ちするロロに、凶悪な毒爪が襲いかかる。
破城槌のような腕の暴風を、やはり跳びはねてかわし、ロロは再び機をうかがう。
かわしたはずの腕から腐肉が飛び散り、ロロの髪をかすめた。
「くそっ!」
ロロの髪が、腐肉の酸を浴びて溶ける。
攻めあぐねているうちに、ロロが傷つけた跡は煙を立てて、修復されてしまう。
斬っても、すぐに回復してしまう。
攻撃をかわしても、全てをかわせるわけではない。
魔石を砕けばいいはずだが、巨体の心臓部にあるだろう魔石に剣を届けるのは、至難の業だ。
常ならロロの足から、全身からギシギシ鳴るはずの筋肉の音が、柄を握る手から鳴った。
無駄が多い。
サーラターナは、苦戦するロロの様子をちらりと見て、憂慮した。
小柄な少女でありながら、帝國騎士の序列一桁にまでのぼり詰めたロロ。
それを支えるのは天賦の剣才と、全身の力を振り絞り、一つにまとめ上げる超人的な身のこなし。
ロロの体が発する独特の音は、超人的な身のこなしの証であり、本来、体幹や足元から聞こえる音だ。
その音が、剣を握る手から聞こえる。
力んでいる証拠だ。
大地を蹴って、飛び跳ねるように大きくかわしているのも、異質な相手の間合いがつかめないからだ。
長くはもたないだろう。
根比べにつきあうわけにはいかない、とサーラターナはヴィルマーン目がけ突貫する。
「無謀なことを!?」
ヴィルマーンが目を見張った。
サーラターナは肩に担いだ剣を振るうことなく、死霊の間を一陣の風のごとく駆け抜ける。
死霊への攻撃が物理的なものだけでは効かないように、死霊の攻撃もまた物理的なものではない。生命力を奪い取り、昏倒させるものだ。
伸びてくる手を、道をはばむ死霊の体を、サーラターナは闘気の放出だけで強引にはじく。
「これか!」
剣を一閃、自爆しようとした死霊を見抜き、斬るのではなく、剣の平で叩き飛ばした。
爆発を置き去りにし、サーラターナはヴィルマーンに肉薄する。
「くっ……」
ヴィルマーンの胴へと、黒剣の鋭い突きが吸い込まれ、甲高い金属音がした。
死霊使いの剣が、辛くも黒剣を防いでいだ。
戦士としての技量が、死霊使いヴィルマーンの命をつないだ。
「近づけば終わりだとでも思っていたか?」
「終わりだ、ヴィルマーン」
「そちらがな」
背後から、死霊がサーラターナに襲いかかる。
サーラターナは、まるで後ろが見えているかのように、背後からの攻撃をかわした。
剣を逆手に持ち替え、前を向いたまま背後の死霊を突き刺し、消滅させる。
後ろへ飛んで、剣の間合いから逃れていたヴィルマーンの顔が、至近で披露された剣匠の妙技に凍りついた。
死霊が背後で爆発するよりも速く、サーラターナはヴィルマーンに追いすがる。
「終わりといっただろう」
逆手のまま、気を纏い金色に輝く黒剣が、ヴィルマーンの胴を薙いだ。
「がぁっ、帝國の犬が……」
死霊使いヴィルマーンは胴を断ちきられ、大地に堕ちた。
上半身だけとなったヴィルマーンの目から、野心の光が失われていく。
「……最後の最後で、欲をかいたか……」
王となるのに、弟に負けるわけにはいかなかった。功を焦ったのだ。
無人の帝都を占領するだけだったはずが、最悪の敵と遭遇してしまった。
魍魎バッタという万全を期した策が、驕りを、油断を招いたのだ。
死霊使いの命の灯火は、今にも消えようとしている。
「ふ、ふふ。ぐふっ、くっく、新たな時代の王となるのは私ではなかったか。……餞別だ、受け取れ、弟者よ」
呪詛と共に、ヴィルマーンの瞳から光が消えた。
生気の抜けたヴィルマーンの骸から、黒い影が空へと昇っていく。
「団長!」
ロロが戦っていたドラゴンゾンビも、崩れようとしていた。
自重に負けたかのように、腐肉が、骨が崩れていく。
死臭を巻き散らす、巨大な肉塊が溶けるように消えていき、ヴィルマーンと同じように、黒い竜の影が昇っていく。
「何をした! ヴィルマーン!!」
サーラターナの声に、事切れた死霊使いが応えることはない。
自らを犠牲とし、知性無き死霊と化すことで、死霊使いの力を純化したのだ。
それは周辺一帯、全ての死者を死霊と化す、死霊使い禁忌の術。
ヴィルマーンとドラゴンの死霊は、帝都を目指して空を飛ぶ。
すでにサーラターナの手の届かぬところへと逝ったヴィルマーンは、最期にその野望を、血を分けた弟に託した。
パルティマスが先に逝っていると知らぬヴィルマーンは、帝都への呪詛のみを残し、この世を去った。
その頃。
帝都から見て西の空には、小さく奇妙な雲が浮かんでいた。
地面から百メートルほどの高さを、昇る太陽を目指すように、ゆっくり東へと向かっている。
雲の上では、ねずみ色の髪の少年が、槍を片手に大の字になって倒れていた。
「あー、頭いてえ」
奥義を使い続け、マルコはダウンしていた。
顔色こそ悪いが、その表情は清々しい。
一億の魍魎バッタは、あらかた掃討し終えた。
これで帝都も無事だろう。
他人のために強くなったわけじゃないが、強くなった甲斐があったというものだ。
のんびり空を漂い、帝都へ帰還するマルコを――
吐き気を催すような、おぞましい気配が通り抜けた。
マルコはそれまでの弛緩が嘘のように、跳ね起きる。
「何だっ! 今のは!?」
異変はすぐに起こった。
マルコが戦ってきた場所、森がえぐれ赤茶けた土の露出する、荒野のベルトと化した地帯から、黒い煙がわき出していた。
死霊使いの今際の執念は、この地にも届いていたのだ。
黒い魍魎バッタの死霊、いや、魍魎バッタだけではない。
あらゆる死霊の群れが、空高く舞い上がった。
尽きぬ死霊の煙は黒雲となり、大河のように空を流れる。
黒い大河が流れる先は帝都だ。
「何だよこれっ!? 死霊使いか!?」
空を覆う異変が、死霊使いヴィルマーンによるものだと判断し、マルコは目玉スライムの力で敵の姿を探す。
魍魎バッタだけ見ていて、他の敵を探っていなかったか、と後悔しながら。
「……どこにも、いない?」
見つかるはずもない。
既にヴィルマーンは、この地どころか、この世にもいない。
いくら探しても、そこに敵はいない。
マルコは、もっと死霊使いの姿を探すべきかと一瞬迷ったが、帝都へ戻るのを優先した。
クラウドスライムが速度を上げ、空を流れる黒い大河を追いかける。
自分に向かってくるなら、いくらでも対処してみせる。
しかし、空を流れる死霊の雲を、まとめてなぎ払う方法は、マルコにもなかった。
急ぐマルコの視界に、白い傘に覆われた帝都が見えてきた。
逆流する黒い竜巻が、天から帝都に襲いかかっている。
死霊の渦が、濁流となって結界にぶつかり消滅していき、白い結界は虫食いのように、どんどん黒く染まっていく。
無尽蔵かと思われた、死霊の全てが消滅したとき。
ぼろぼろになった結界は、まだそこに、かろうじて存在していた。
死霊を防ぎきった直後、黒く染まった結界は消え失せ、帝都は平和な空を取り戻した。




