五七話 英雄、出陣!
青く晴れた空は、これから訪れるであろう凶事をまるで感じさせなかった。
人が減ったからだろう、いやに空気が澄んで感じられる。
強くなってきた日差しの下、帝都に残った人々は彼らの明日を左右する一点を見つめていた。
視線の先、メティスレイヒェ大聖堂では三度目となる結界の儀式が行われている。
空へと伸びる光の柱が一層眩く輝きだすと、誰からともなく安堵の息が漏れた。
「成功したんだよな?」
「これで、大丈夫なの……?」
外で見守っていた人が言い、
「なんとか……上手くいったか」
大聖堂の中では、儀式の参加者が重荷を吐き出すように一息つく。
儀式はひとまず成功した。しかし彼らの役目がこれで終わったわけではない。
帝國神殿に伝わる神器、結界魔法の絨毯。
宮廷魔導師が総力を挙げ分析した結果、儀式呪文を三度重ねがけした後、魔力を供給し続けるのが、最も効果的に結界を強化できると確認されている。
魔力を供給するだけの周囲の魔法使いはともかく、魔法陣に座すシルフィ、オムネス、カロッツァ、ディアドラの四名は、これから休まず結界を強化し続けなければならない。
儀式を見届けたオズカート皇帝は、大聖堂の外に出た。
光を取り込めるように設計されているとはいえ、大聖堂の中は薄暗い。
皇帝は外の日差しに目を細め、背後を振り返り、空へと屹立する光の柱を見上げた。
光の柱は時計塔をはるかに超える高さまで伸び、そこで四方八方へと分かれ、まるで傘のように帝都を覆っている。
「壮観なものだな。余の治世では見たくなかったが」
ただ一人、大聖堂の中まで供をしていた、帝國騎士団団長サーラターナはそれに答えなかった。
皇帝の独白が答えを求めていないことは明白だったからだ。
皇帝でありながら、帝國騎士団団長でありながら、迫る危機に効果的な対処法がない。
それが二人に忸怩たる思いを抱かせていた。
内心を隠し昂然と振る舞うオズカートの前に、早馬が駆けてくる。
「皇帝陛下の御前、無礼であるぞ!」
文官が咎めるが、馬上のまだ若い騎士はそれを無視した。
いや、聞こえていないのだろう。馬を降りると、ふらふらしながら皇帝に近づく。
ただならぬ様子の若い騎士を、護衛の帝國騎士が捕まえた。
若い騎士は黒い鎧を見て我を取り戻したのか、南で起きた出来事を早口で伝える。
「ご苦労、よく伝えてくれた。ゆっくり体を休めるといい」
サーラターナが労をねぎらうと、若い騎士は安心したのか気を失い、帝國騎士に運ばれていく。
「ドラゴンゾンビ……、死霊使いヴィルマーンだな」
「これで確定ですかね」
皇帝とサーラターナは頷き合う。
イスガルド大陸をドラゴンが闊歩していた十英雄の時代ならともかく、この時代にドラゴンゾンビを生み出すなど、死霊使いヴィルマーン以外に考えられない。
ヴィルマーンが偶然、このタイミングで姿を現すはずもない。
蝗害はナイトシフトによる人災だ。
サーラターナの瞳に、獲物を狙う猛禽の光が宿る。
「私が行きましょう」
「陛下の護衛はどうなさるのですっ!」
「よい。余は城へは戻らん。この大聖堂の警護と合わせれば問題なかろう。守るべきはこの結界である」
皇帝は文官の声を制止した。
ドラゴンゾンビが、死霊使いヴィルマーンがいる以上、サーラターナを送り込む以外に確実な手はない。
手を打たなければ事態は確実に悪化する。
「人員はあまり割けんぞ」
「いえ、一人で充分ですよ」
「……お前は、自信家だのう」
「これくらいしか能がないので」
ガルマイン帝國筆頭騎士は口の端をつり上げて、鞘を軽く叩く。そこに納められているのは、かつて竜殺しの皇弟が愛用した帝國の宝剣、黒剣ハルペル。
皇帝も悪戯小僧のように笑い返す。
「さっさと行ってこい」
「お任せを」
サーラターナは一礼し、走り出した。
サーラターナほどのレベルになると、駿馬を使うより走った方がずっと速い。
戦場に着いたときに即戦えるよう、余裕を持っていてもだ。
疾走する帝國騎士団団長の姿に、何事かとざわめく南の門を出たところで、城壁から降ってきた影が併走する。
「ロロか……」
「へっへっ、剣が必要なんでしょ?」
額に傷のある小柄な帝國騎士、序列九位のロロが肩を並べる。
何が起きたかは知らないが、サーラターナが動く以上、そこに剣を振るうべき大物がいる。
ロロは急ぐサーラターナを目にとめ、そう判断したのだ。
「まあいい」
内心、サーラターナは舌を巻いた。
ろくに情報を知らずとも、嗅覚から事態を見抜いたのだろう。
幼い少女が序列一桁にまで上り詰めた理由は、剣の才だけではない。
命令違反だが、ロロなら足手まといにはならないだろう、と苦笑し同行を認める。
「敵の本丸に討ち入りするのに、参加しないわきゃないっしょ」
「……本丸、とは言えないな。あくまで西のパルティマスが本命だろう。南のヴィルマーンは陽動、もしくは己の手で為すべき事があるのだろうよ」
ナイトシフトの双頭、ヴィルマーンが単独行動している。
ならば魔蟲使いパルティマスはどこにいるか。
おそらく、西で魍魎バッタを操っているのだろう。
西に打って出てパルティマスを仕留めれば、蝗害を抑えられる可能性も残されているかもしれない。
既に死んでいるとも知らず、サーラターナが魔蟲使いパルティマスを始末する方法を考える隣で、ロロは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
真面目に騎士をやっている自分が露払いで、本命はマルコ任せか、と。
「どうした? 懸念があるなら、今のうちに言っておけ」
「いや、……面白くねえ。とりあえずヴィルマーンって奴を叩っ切らねえと」
ロロはありえない想像をしてしまい、小さく身震いした。
……あいつ、まさか一人で一億殲滅するつもりじゃねえよな。




