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信頼

 ――学院食堂。


 昼の混雑が少し落ち着いた時間帯だった。


 ロゼッタは食堂の扉を勢いよく開け、視線を巡らせる。

 そしてすぐに見つけた。


「いた」


 窓際の席。セインはのんびりと昼食を食べていた。


 大盛りの定食に加え、デザートのプリンまで確保している。


「んふふ〜!うまぁ〜!」


 幸せそうだった。


 ロゼッタは無言で近付く。

 セインが顔を上げた。


「あ、ロゼちゃん」


 ひらひらと手を振る。


「探した」


「どしたの?何かあった?」


「ある」


 即答だった。


 ロゼッタは向かいの席に腰を下ろす。


「実験の話だ」


「あー」


 セインは納得したように頷いた。


「聞いた?」


「聞いた」


 ロゼッタは真っ直ぐ言う。


「お前を使う」


「うん」


「危ないだろ」


「たぶんね」


 あまりにも軽い返事だった。


 ロゼッタは眉をひそめる。


「なんでそんな平気なんだ」


 セインは少し考える。


 そして笑みを浮かべながら2本指を立てる。


「みんなを信じてるからだよー」


 即答だった。


 理解ができない。


「自己犠牲をする人間は愚かだ。

 信じてるなんて、生存戦略として弱すぎる」


 セインは少し笑った。


「そうかな」


「そうだ」


 ロゼッタは迷いなく言う。


「命は自分で守るものだ。他人に預けるものじゃない」


 それがロゼッタにとっては当たり前だった。


 セインは少しだけ窓の外を見た。


「でもさ」


 穏やかな声だった。


「俺は大丈夫だと思ってる」


 ロゼッタは眉を寄せる。


「根拠は」


「ないけどねぇ」


 即答だった。


「でも先生も、レオレオも、研究室のみんなも本気だから」


 セインは笑う。


「成功させようとしてるし、失敗しそうなら止めようともしてる。……だから別に怖くない」


 迷いのない声だった。


「信頼ってさ」


 セインは肩をすくめる。


「ほんと恐ろしいよね」


 少し笑う。


「普通なら断る話なのに、俺、本気で大丈夫だと思ってるもん」


 ロゼッタは返す言葉を失った。


 いまだに理解はできない。

 だが嘘ではないことだけは分かった。


 セインは自分を犠牲にしようとしているわけではない。

 ただ信じているのだ。


 アーヴィンを。


 レオネルを。


 研究室の仲間たちを。


「……馬鹿だな」


 小さく呟く。


「愚かだ」


 セインは吹き出した。


「ははっ」


「何がおかしい」


「いや、ごめん」


 肩を震わせながら言う。


「その考え方さ」


 少し目を細めた。


「ほんとドラゴンっぽいなって」


 ロゼッタが固まった。


「……今なんて言った」


「あ」


 今度はセインが固まる番だった。


 二人の間に沈黙が落ちる。


「……」


「……」


 数秒後。


 セインが目を逸らした。


「聞かなかったことに――」


「できるわけない」


 即答だった。


「なんで知ってる」


「いや、その」


 珍しく気まずそうな顔になる。


「図書館で」


「図書館?」


「ギルくんとレオレオが話してたのを……ちょっとね?」


 ロゼッタが頭を抱えた。


「聞いてたのか」


「聞くつもりじゃなかったんだよ?」


 セインは慌てて手を振る。


「本探しに行ったら聞こえちゃっただけで」


「盗み聞きか」


「違うってぇ〜」


 ロゼッタは深いため息を吐く。


 セインは申し訳なさそうな顔をしながら、プリンを一口食べた。


 しばらく沈黙が続く。


 やがてロゼッタは小さく息を吐いた。


「……やっぱり馬鹿だな」


「どっちの意味?」


「両方だ」


 セインは笑った。


 ロゼッタは納得したわけではない。

 賛成したわけでもない。

 だが少なくとも1つだけ分かった。


 セインは誰かに利用されようとしているのではない。

 自分の意思で、その場所に立とうとしているのだと。


 ――――……


 実験計画の承認から数日後。


 学院から正式な通達が出された。


 実験の実施は認可。

 ただし、実験場所は学院ではなく王国が指定する。


 理由は単純だった。


 万が一、共鳴現象が制御不能になった場合の被害を最小限に抑えるためである。


 そして選ばれた場所は――王国北部の不毛地帯だった。


 そこは数百年前の大規模魔力災害によって流脈が枯れた土地だと言われている。


 流脈とは、大地を巡る魔力の流れのことだ。

 本来なら魔力は世界中を循環している。


 だがこの土地だけは、その流れが極端に弱い。


 植物はほとんど育たず、人も住まない。

 開発も放棄され、王国の地図に名前だけが残る場所だった。


 研究チームはその不毛地帯へ到着した。


 見渡す限り砂と岩。

 遠くには黒く風化した岩山が連なり、生命の気配はほとんどない。


 乾いた風だけが吹いている。

 その中、研究員たちは慌ただしく準備を始めた。


 荷馬車から次々と機材が運び出される。


 観測水晶、測定装置、共鳴増幅器、そして大型の観測塔。


 数時間かけて準備された設備が、広い荒地の中央へ設置されていく。


 ロゼッタはその光景を見ながら呟いた。


「こんな大掛かりになるのか」


「一応、国家予算が動いてるからね」


 横から声がした。

 

 レオネルだった。

 分厚い資料を抱えながら歩いてくる。


「今回の実験は、学院だけの研究じゃなくなった」


「そんなにすごいことなのか」


「すごいよ」


 レオネルはあっさり言う。


「空の大潮は何百年も原因不明だった現象だからね」


 一度空を見上げる。


「もし再現に成功すれば、歴史が変わる」


 その言葉にロゼッタは黙った。


 自分たちは元に戻る方法を探しているだけだった。


 だが気付けば話は国家規模になっている。


 少し不思議な気分だった。


「レオレオー!」


 遠くから元気な声が響く。


 見るとセインが手を振っていた。


 既に実験予定地点の中央に立っている。


「俺、緊張してお腹痛くなってきちゃった」


「出すならあっちの岩の後ろにしてよね」


「おしり拭く紙持ってきてないよー!」


 セインは大げさに肩を落とす。


 周囲の緊張感などどこ吹く風である。


 ロゼッタは思わずため息を吐いた。


「本当にあいつが中心なのか」


「うん」


 レオネルは真顔で頷く。


「残念ながら」


「残念なのか」


「少しだけ」


 レオネルは苦笑した。


「なあ、こんな魔力の薄い場所で、本当に共鳴なんて起こせるのか?」


 ロゼッタが周囲を見回しながら言った。


 レオネルは頷く。


「だからこそ、この場所なんだ」


「?」


「空の大潮は周囲の魔力を巻き込みながら拡大する現象だ」


 レオネルは足元の大地を見る。


「流脈が豊富な土地で失敗すれば、そのまま制御不能になる可能性がある。

 でもここには“巻き込む魔力そのもの”がほとんど存在しない」


 ロゼッタが少し考える。


「つまり……暴走しても大きくなれない?」


「そういうこと」


 レオネルは頷いた。


「今回の実験は空の大潮を起こすことが目的じゃない」


 投影盤に映る竜鱗結晶を見る。


「起こる直前を観測することが目的なんだ」


 そして珍しく少しだけ表情を緩めた。


「正直、この場所を指定してくれた王国には感謝してる」


 ロゼッタが目を瞬く。


「感謝?」


「うん」


 レオネルは周囲を見渡した。


「実験としても理想的だし、安全面でも都合がいい。もし何か起きても被害を最小限に抑えられる」


 その言葉にロゼッタは理解する。


 レオネルが心配しているのは実験の失敗だけではない。

 中心に立つセインのことも含まれているのだ。


 レオネルは資料を閉じる。


「危険を減らせるなら、その方がいい」


 淡々とした口調だった。

 だがその言葉だけは、どこか本音に聞こえた。


 やがて研究員の一人が近付いてくる。


「配置完了しました」


 報告を受けたレオネルは頷いた。


「ありがとうございます」


 そしてロゼッタへ向き直る。


「ロゼッタさんも、お願い」


 その言葉にロゼッタは理解する。


 腰に着けていた布袋へ手を伸ばした。

 中から取り出したのは、淡く光る結晶。


 結晶化した竜の鱗。


 銀暁祭で手に入れた宝物。


 レオネルが静かに手を差し出す。


「借りるね」


 ロゼッタは少しだけ躊躇した。


 止めたい気持ちはまだ残っていた。

 だが、本人はもう決めてしまっている。


 中心点に立って呑気に雑談しているセインへ視線を向ける。

 そして、ようやくレオネルへ結晶を渡した。


「……ちゃんと返してよ」


「うん」


「壊したら殴る」


「善処するね」


 実験場中央。


 円環状に配置された観測装置の中心へ結晶が設置される。


 今回の実験では、この竜鱗が基準点になる。

 最初に共鳴を起こした物質だからだ。


 その反応を基準に、現象を観測する。


 レオネルは投影盤から顔を上げ、周囲を見渡した。


 その視界にアーヴィンが入る。


 誰よりも険しい表情で、セインを見つめていた。

 

 その視線は実験設備でも観測データでもない。

 共鳴の中心核になる予定の、一人の生徒へ向けられている。


 研究員たちが動き続ける。


 誰も住まない不毛の地で、空の大潮を再現するための準備は、着実に進められていた。

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