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鬼追師の姫緒外伝 悪夢の降る町  作者: カンキリ


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放浪!ほっといてよ! その1

 すっかり日が沈み、白い月の光が輝く海岸で――、レンレンは砂浜に立ち、海を見ていた。

 沖から吹いてくる潮風が、アルコールで上気した頬に心地よい。

 昼間の喧噪――。

 破裂するような子供達の叫び声。

 成り行きと本能でうろつく水着姿の老若男女。

 そんな、いらいらするほど無節操で品の無い風景は、最早そこには無く――。

 昼はそれらにかき消され、冴えない呟きを繰り返していた潮騒が、天空にかかる眉月の狂喜に目覚めたがごとく、夜のとばりの降りた空間に鳴り満ちていた。

「あんた――、付き合いのいい猫ねぇ」

 足下に寄り添うハリガネに、レンレンが声をかけて、「ククク」と小さく笑った。

 ハリガネは答える風でもなく、辺りをせわしなく眺めている。

 ハリガネの体躯は、月の照臨に、夜そのもののような蒼いビロードの光沢を放ち、まるで、たった今、夜から抜け出て来たような――。

 或いは今から夜に溶け込もうとでも言うかのような、儚い存在でそこにとどまっていた。

 ただ酒宴の傍らに居ただけで、酌の一杯もしてくれたわけではない。

 それでも、とりあえず最後まで――、こうして一緒に海を眺めてくれたハリガネに、レンレンは今宵の宴の相手として、じつは少しだけ感謝していた。

 なかなかに楽しかったかもしれない。

 そう。

 多分。

 そうであっただろう――。

 今日でなければ――。

 今のこの、心にわだかまる思いが無ければ。

 そのいまいましいわだかまりは、今朝、唐突に――。


 ぺたぺたと濡れた足でフローリングの床を走る小さな足音ともに、亜麻色のショートヘヤー


娘、風小がリビングに入って来るその姿を見て、円形のテーブルに一人座り、グラスを口に運んでいたレンレンは、口に含んだバーボンを噴出しかけて咳き込んだ。

「あんたぁ――。なんて格好してんのよん」

 グラスを置いて、レンレンがあきれたように言った。

「?」

 何の事か解らないと言うように、立ち止まった小柄な少女。

 風小が、緑色の大きな瞳をくるくるとさせながら小首を傾げる。

「かっこうよん!その格好ぉ!庭にプールでも掘ったわけぇー?」

 レンレンが、多分、非難しているのであろう風小の格好。

 それは――、紺色一色で旧態依然としたワンピースのスクール水着だった。

 小学生や、中学生が着るような極端に小さなものではなかったが、それでも風小の身体にはあらゆる意味で寸法が足りないらしく、競泳の水着のようにピッチリと身体に吸い付いており、胸や太ももの付け根においては、きゅうきゅうと肌に食い込んで、肉づきのよいお尻の端は、しぼり出されたようにはみ出していた。

 さらにあきれたことには、ご丁寧にも胸の真ん中に大きな白布の名札がしっかりと縫い付けてあり、マジックインキで不器用に『ふうこ』と書かれているのだった。

「見てください!みてくださいデスよー!レンレンさん!お店がサービスでお名前入れてくださったのデスよー!」

 自分の水着の事を言われていることを悟った風小は、嬉しそうにそう言いながら、胸の名札を自慢げにレンレンの方へ引っ張って見せた。

「なにをしてんのかって聞いてんのよん!」

 見るもオゾマシイと言わんばかりに、レンレンがそんな風小から身を引いて怒鳴り、グラスに1/3ほど残っていたバーボンを一気にあおった。

「お庭に水を撒いていたのデスよぉ。暑いですから、ついでに水浴びをしていたのデス。服も汚れず、一石三鳥ぉー!でございますデスよ!」

 そう言って、勝ち誇ったように水滴の滴るVサインを掲げた風小を見て、レンレンは、一瞬、呆けたような顔を見せたが、すぐにテーブルの上の酒瓶に手を伸ばすと、あきれ顔でグラスに酒を注ぎながら、もう一度、その有様にぼんやりと視線を向けた。

 にこにことその場にたたずむ風小の後ろに転々と続くドロ混じりの濡れた足跡。

 さらに、この場にとどまったことで、身体からしたたり落ちた水滴が、風小の下に小さな水溜りを作り、尚も大きく成長している最中だった。

「ま、掃除すんのはアンタなんだから好きにすれば」

 レンレンはそう言うと、風小を追い払う仕草で左手を振って、なみなみと酒を注ぎ直したグラスを口に運んだ。

 二回ほど喉を鳴らしてバーボンを流し込むと、半分ほど中身の無くなったグラスをテーブルに置いて熱い息を吐く。

 グラスの脇には、短冊に朱文字で神秘的な綴り文字の描かれた一枚の御符ふだが無造作に置かれていた。

 その御符こそは、符術中、屈指の伝説的な威力を持つとされし御符。

 その名を『雷神の御符』!

 しかし、その御符は――。

「人には仕えぬ、使えぬ御符――。か」

 そう言ってレンレンが恨めしそうに御符を見つめて微笑む。

 製法も、文字の綴りにも間違いは無い。

 超級符術師たる自分の知識と技量をすべてつぎ込んだと言う意味から言えば、最早、完璧に近いもののハズだった。

 だが――。

「おおー!『雷神の御符』でごさいますデスね!」

 そう言ってテーブルをのぞき込もうとする風小を、鬱陶しそうにレンレンが手を振って追い払う。

『雷神の御符は人に仕えない御符』それが通説であり、そしてそれが真実だと言う事をレンレンは知っていた。

 過去、彼女自身も幾度と無く、御符の力を覚醒すべくこころみていたのだが、そのすべてがことごとく失敗に終わっていたのだ。

 誰においてもそれは同じ事らしく――。

 符術使いの中には、最初からじつはまったく効果など無い『使えない御符』であるとする者がいるほどであった。

 しかし、それは違うとレンレンは感じていた。

 御符を使おうと向かい合った時、自分の一番無防備な場所に襲ってくる、心を裸にされるような威圧感。

 一体何がそう感じるのかは解らない。

 だがそれは確かに感じられる偽りのない感覚。

 彼女は己のその感覚を信じていた。

 己の感覚であるがゆえに――。

 まともに考えれば腹が立つばかりなのだが、たまにこうしてぼんやりと、知恵の輪を解くように御符の攻略に巡らせる思いをあてに酒を飲むのは、彼女にとって、じつは結構お気に入りの時間であったりした。

 もっとも――。

 御符の素性を知ってる者がそんな姿を見れば、未練がましく御符を眺めながら、やけで酒をあおっていると取られかね無い行為である。

 他人に見られることはやはりみっとも無い話ではあったので、人の気配が有ったりすればそれなりに誤魔化す手立てを講じていたのだが、今回は風小に強烈な不意打ちを喰らった為に何の手だても講じられず、すっかり開き直っていると言ったありさまだった。

「なつかしいデスねぇ!」

 風小がはしゃぐように言った。

「懐かしい?」

 その言葉が風小の口をついて出てくるのは非常に違和感の有ることだった。

 もとより、広く『使えない』と知れ渡った御符である。

 さらにその製作手順の複雑極まりなさも手伝って、よほどの物好きが気まぐれにしか作らない。

 そんな程度しか世に出回らないはずの御符を『珍しい』では無く、『懐かしい』とはつまり――。

「ええ、ええ」

 しみじみと頷きながら風小が続けた。

「私が姫さまとお逢いしたばかりの頃に、一度だけ姫さまがお使いになったことがありますデスよ」

「使った!?」

 レンレンが、驚愕の面持ちで跳ねるように椅子から立ち上がるのを見て、風小は「あっ!」と小さく叫び、両手で口を塞いだ。

 すぐにすべて手遅れであったことを悟りはしたが、それでも何とか抵抗するかのように、ガッチリ口を塞いだまま、瞬きと微笑みが消え失せた瞳を潤ませて、小さく何度も首を横に振った。

「使ったって言ったわよね!今!」

 じりじりとレンレンが風小に詰め寄って行き、同じスピードで風小が後退って行く。

 トンっと風小の肩が部屋の壁にぶつかった。

 後がない。

「あーーーーーっっっっ!」

 風小は自ら口を塞いでいた手を外し、あらぬ方向を向くと突然叫んだ。

「あー!勘違いデスよ!ものすっげぇ勘違いデス!よく見たらば違う御符でしたデスよ、もう、似てもにつかない全くの赤の他人違いデスよ!」

「あんた、さっきあの御符を『雷神の御符』だって言ってたわよん」

 風小のすべてが、彫像の様に固まった。

「どういう事よ?使った?姫緒が御符を覚醒させたと言うこと?」

 あり得ない、そんなことはあってはならない。もし、もしもあったとしたら――。

 そんなことが、そんなことは。

 『ゆるせない』!

「教えてあげましょうか?」

 唐突にレンレンの耳元で囁く声がした。

 聞き覚えのある女性の声。間違えるハズもない。

 (胸が早鐘のように高く鳴り響き出す)その声の主は――、

 (熱い血液と共に焦燥が遡上する)姫緒!

「教えてあげましょうか?ネモ・レンレン。『雷神の御符』の使い方」

 信じられない囁きの内容を意識が認識できず、思考が真っ白になる。

 振り向くことも出来ずに囁きに耳を傾け、続きを期待している情けない自分に怒りがこみ上げる。

「オシエテアゲル」

 熱い吐息のような囁き。

「私で無ければ駄目。それが答えよ」

 その、人を食ったような姫緒の言葉にカッとなり、おもむろにレンレンが振り向いた先には、息づかいが感じられる程近くに立ち、意地の悪い微笑みを浮かべた姫緒が立っていた。

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