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9話 熱帯夜に晒しだす

 悪い予感は的中した。

 小さな光が窓から漏れていたのだ。照明ではない、本当に、本当に小さな光だ。


(いや、まさか、私がランタンを消し忘れていただけかもしれない)


 傘を畳むことなく外に置き、鍵を開ける。


「アカシア様!」


 中に入ると、暗い部屋の中で、机の上にランタンだけ置いて、ジャスパーが床に座っていた。

 私を見つめる目が逸れた。

 心配そうに下げた眉が皺を刻む。


「どうしたんですか、その髪」


 私の肩がビクリと跳ねた。


「まさか、あの時の人に切られたんじゃ」


 予想とは違う言葉の続きに、私は首を振った。


「自分で切った」

「そうでしたか」

「何をしていたの」


 ジャスパーは「あっ」と声を漏らすと、少し恥じらいながら、魔道具へと目を向けた。


「落ち込んでいるように見えたので、これを完成させたら喜んでくれるかな、って思」



 言葉の先を聞く前に、私は彼へと抱き着いた。



「あ、アカシア様」

「どうして」


 自身の口から出た声は、弱々しくて、震えていて、自分でも驚くくらい、小さかった。


「どうして、君は、」


――こんなにも優しく、私の心を乱すのか。


 歪んだ視界の先で、彼のシャツが水玉模様に濡れていく様が見える。

 押し倒された彼は、私の頭をそっと撫でた。かつて私がそうしたように。


「俺を助けて来れた人がアカシア様で、本当によかったと思っているんです」


 鼓膜を打つ雨の音に、嗚咽が混じる。


「貴女は優しくて、強くて、すてきな人で。他の人だったら、きっと俺は殺されていたことでしょう」

「きっと助ける人はいる」

「だとしても、こうして俺に居場所を与えてくれる人は、まずいないでしょう。いたとしても、こうして温かく抱き締めてくれるでしょうか」

「きっと――」

「だとしても、貴女が優しい人であることに、変わりはありません」


 いっそう強い語調で、彼は言った。

 彼の上体がゆっくりと起き、溢れそうな涙を、彼の骨張った長い指が撫でた。


「俺は、貴女に出会えてよかったと思っています」


 ああ、そんなことを言われたら。

 優しげな瞳で、見つめられたら。


「やめて」

「えっ?」

「これ以上、私に優しくしないで」


 見ないふりをしてきた奥底まで、醜いものまで、吐き出してしまいたくなるから。


「帰る」


 私は立ち上がるため、体を捩り、冷えた床へ手をついた。


「ごめんなさい」

「なっ」


 彼が低く呟いた刹那、腕を引かれた。

 今度は彼に、私が抱き締められている。


「俺は、貴女を悲しませたくてここに来たんじゃありません」


 肩に回された腕が、ギュッと力んだ。


「貴女に笑顔になって欲しくて、待っていたんです」


 ジャスパーは私の肩から手を離し、物憂げな瞳で耳を垂れた。


「俺が貴女を苦しめているのなら、出て行きます。だから、どうか」

「違う」


 そうじゃない。


「勘違いしてしまいそうなんだ」


 言い捨てるように出した言葉は、もう、止まりそうにない。


「噴水の前で君に話しかけた女の子たち、みんなかわいかっただろう? わかっているんだ。男性が、君が好きになるのは、ああいう可憐で、かわいらしくて、美人な若い女の子だって。私は真逆だ。ぜんぜんかわいくも、綺麗でも」

「貴女は綺麗です。身も心も」


 澄んだ赤い瞳から目を逸らす。


「そう思うのは、君が、私以外の人間を知らないからだ」

「他の女性を前にしても、考えていたのは貴女の――」

「私は綺麗なんかじゃないだ。だって、表では強がっていながら、誰かに好きになってもらえる女の子たちが羨ましかった。だから、ローカスにも簡単に騙される」

「誰ですか、それは」


 頭上から聞こえた冷ややかな声に、私は耳を疑った。

 恐る恐る顔を上げてみる。しかし、目の前の彼は、いつものように心配そうに眉を下げていた。

 安堵と共に少し落ち着いた私は、ゆっくりと過去の記憶を言葉に綴っていく。


「私の初恋の人だ。この前会った男がそうだ」

「貴女に手を上げようとしたのに、ですか」

「ああ。そういうことだよ。彼は私を騙していたんだ。私の家は、伯爵家の中でも裕福な方だったからな。お金が欲しくて、私に甘い言葉を囁いたんだろう。

 彼だけじゃない。いろんな男性が、私を馬鹿にした。美しくないとか、かわいくないだとか、女としての魅力がないだとか、色々と」


 口調はやけに冷静なのに、涙は口を動かすたびに溢れでる。言葉を紡ぐことが難しくなっていってしまう。


「だから、怖いんだ。君の言葉を信じて、また傷つくんじゃないかと」


 この言葉を皮切りに、せき止めていた思いがついに溢れ出た。

 嗚咽混じりの言葉は、ただの泣き声になり、雨の音さえも超えていく。

 濡れた空気は冷たいのに、背中に触れる彼の手は温かで。それがまた、私の心を溶かしていった。


 しばらく経って、私は鼻を鳴らしながら息を整えていた。


「みっともない姿を晒してしまって、すまない」

「いえ、大丈夫ですよ。むしろ嬉しいです。信頼してくださっているんだな、と」


 やはり彼は優しい。

 ただ助ただけなのに、いろんなところについてきて、何かと気にかけてくれて、こうして文句ひとつ言わず、抱き締めてくれるのだか――


「それに俺は、今も変わらず、貴女のことが好きですよ」

「えっ?」


 混乱の残る脳に電気ショックが落とされた。衝撃的なワードが聞こえてきた気がするが、理解が追いついていない。

 思わず顔を上げると、彼はふわりと目を細めた。


「貴女のことが気になって、目に映っただけで嬉しくなるんです」

「その、だが、君の言う好きは、えぇと……すまない、上手い表現が見つからない」


 そうだ。


「君は私のことを、かわいいなんて思わないだろう?」

「思います」

「えっ?」


 予想もしない答えが返ってきた。


「いや、だって、ほら、こんな髪になったし」

「その姿もかわいいです」


 また、予想もしない答えが返ってきた。


「趣味やご友人の話をする時や、美味しいものを食べた時、楽しそうに笑った時とか、頬を染める嬉しそうな顔を見ると、愛おしい気持ちになるんです」


 愛おしい。彼はまた、私の心を乱す言葉を発した。


「綺麗だと、美しいと感じたこともあります。魔道具造りに集中する姿や、ふとした時に見せる仕草や表情に。そして何より、貴女の心に」


 今私が聞いている言葉は、私を抱き締めている彼は、幻ではないのだろうか。本当に、現実のことなんだろうか。

 嘘ではないと、信じてもいいのだろうか。


「素敵という言葉は、貴女と会った時から感じ、伝えていました」


 そうだったか。今まで卑屈になるばかりで、記憶から消してしまっていたようだ。

 間を開けて、彼が私の首元へ顔を埋めた。くすぐったいのに、恥ずかしくて、体が固まってしまう。


「どの感情も、数える暇がないくらい、俺の胸から溢れだすんです」


 そんな風に思われていたのか。てっきり、私ばかりが彼のことを「かわいい」と思っていたのだと思――


「皆さん気の毒ですね。アカシア様はこんなにもかわいくて、綺麗で、美しくて、素敵な人なのに、気付いていないなんて」


 咄嗟に私は体を離した。どくどくと波打つ胸を抑えると、彼がふっと目を細めた。


「今の表情も、かわいいと思います」

「へっ、あっ!」


 立ち上がった拍子に机にぶつかり、落ちた工具の先が腕に当たってしまった。


「見せてください」


 彼の手が触れた部位が、熱くなる。

 恥ずかしくて腕を引こうとするも、びくともしない。


「だ、大丈夫だから、離してくれ」

「……」


 暗い中では見えにくいというのに、彼は真剣な表情で腕を見つめている。


「きゃっ!」

「!」


 もう一度離すよう口を開いたその時、激しい雷鳴が辺りに響いた。目を刺すほどの光がカーテンの隙間から差し込む。

 油断していたからか、弱っていたからか、自分の口から出た声は、初めて聞くものだった。


「はっ」


 ゴロゴロとした重い音が遠ざかっていく最中、自分が彼にしがみついていることに気がついた。


「す、すまない!」


 すぐさま両手を上げ、彼から離れる。


(どうして私、こんなにも胸が――)


「俺のことが、嫌いですか?」


 ポツリと吐き出された声は小さかった。

 振り向いて見えた彼の目は、涙を湛えていて。儚げなその表情に、胸が痛んだ。


「ジャスパー?」

「謝らなくちゃいけないのは、俺の方です」


 どういうことだろうか。匿われる身とはいえ、今まで彼は私によくしてくれていた気がする。

 痛いほどに素直で、心配なほどに純粋で、驚くほどに忠実で。それこそ、よく私を気にかけてくれていたはずだ。


「最初は、助けてくれた貴女に恩情を感じていました。それだけでした。貴女の側にいられたらよかったんです。だけど、それだけじゃ足りなくなって」


 彼は顔を下に向けたまま、ぐっと言葉に詰まった。

 心配と不安に似た感情が、私の喉も締め付ける。「大丈夫だから話してみて」なんてことは言えず、私はただ無言で動かないでいた。

 ふと、僅かに見えた彼の顔が、苦し気に歪められた。


「さっき貴女を抱き締められて、我慢が難しくなりました。こんな醜い邪な感情、抱くなんて最低だ」

「醜い、感情?」


 なんとか声を出す。尋ねたら、もう戻れない気はしていたのに。

 私の言葉を受けて、彼が顔をゆっくりと上げていく。伏せられた長いまつ毛まで。


「俺は、貴女に触れたい」


 熱を帯びた赤い瞳が、薄暗がりの中で揺らめいた。


 切なげな声と表情が、私の心を掻き乱す。いけないと警鐘を鳴らすはずの脳は、機能していないようで。


「嫌いになんて、なっていないよ」


 小さな声で告げると、彼は目を見開いた。

 元からそうだった。彼の気持ちを知った今も変わらない。むしろ、彼の言葉は私の気持ちを、嫌でも自覚させた。


「……いいん、ですか?」


 信じられないといった表情で、彼は私へ一歩、近づいた。私も足を踏み出す。


「うん、いいよ」


 そう私が頷いた刹那、彼が優しくも強く腕を引いた。ベッドがギシリと音をたてる。

 森のように凛としていて、それでいて花のように甘い香りに抱かれた。

 熱い吐息が耳たぶをくすぐった。


「こうして貴女の熱を感じられるなんて、思いもしませんでした」

「私もだよ」

「すごく、すごく嬉しいです」


 彼はこれでもかというほど、私を強く抱き締めた。

 その声は本当に嬉しそうで。苦し気に、一音一音噛み締めるように発せられた。

 ふと、彼の腕から解放されて、二人の視線の間に沈黙が流れた。


 小さく息を吸い込んだ途端、彼の手が頬に触れた。

 しかし、唇が触れ合う瞬間、彼は頭を引いてしまう。


「でも、貴女は伯爵家の人間なんですよね。俺が想いを告げていい相手じゃない」

「いいよ。私が許すから」

「ローカスのこと、違う。好きな人は?」

「……いないよ」


 私が言い終わる間も無く、彼は口を開いた。

 彼についた、嘘を隠した真実。

 それすらも、飲み込むように。

 秘密を抱える覚悟は、できていた。

 きっと、彼が初めて姿を現したその時から。


 汗ばんだ肌をいじわるくなぞる指、混じり合い、飲み込みあう甘い吐息、絡み合う蕩けた眼差し。彼の背中から垂れる、赤い線。


 窓を打つ雨音は、とっくのとうに聞こえなくなっていた。

 聞こえるのは――。

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