3話 おめでたい報告と癒えぬ古傷
週に一度、国王とリリーがデートをする日、私にも決まった予定ができた。
魔物男と小屋で会うこと。
話を聞くだけ、などと言ったのに、「だけ」では終わらなかったのだ。もちろん、していることは、デートなどではない。
具体的には彼に狩猟を手伝ってもらったり、共に森を探索したり、読み書きを教えたりしている。彼は文字を書けなかったから。話すことはできるようだが。
彼は何に関してもネガティブで、自信がなくて、そのくせここまで生きてきたことが奇跡のように感じるほど、純粋な性格をしていた。故に、正義感の強い私は放っておけなかった。
事実、彼はちょっと特殊な生い立ちをしているようだった。ただの狼男ではないらしい。自分でもよくわかっていないからと詳細は話してくれなかったが、よほど辛いことがあったのか、彼の表情は苦しげだった。そのため、深くは踏み込まないことにした。
それでも、少しずつ心の距離が近づいていっていることは、なんとなく察していた。彼の口数が増えたような気がするし、私自身、彼と会う日が楽しみになっていたから。
まぁ、単調な日々に現れた、ちょっとしたイベントのようなものだ。
(次は明日だな)
薔薇の香りが豊かな紅茶から口を離した。
ふと、目の前から「ふふ」と小さな声が聞こえてきた。
「なんだい、リリー。嬉しそうな顔をしているね」
「気のせいかもしれませんけれど、最近のアカシア様は、なんだか楽しそうに見えますわ。今だって、紅茶を飲んだだけなのに微笑まれていましたわよ。こんなこと初めてですわ」
「そ、そうかな?」
「えぇ」
(周りには、私が浮かれているように見えるのだろうか?)
だとしたら嫌だ。みっともない。
私はただ、情を感じた魔物にただ優しくしているだけなのに。
「何かありましたの?」
「……森の中で、面白いものを見つけただけだよ」
「まぁ。それが何かお聞きしても宜しくて?」
「うーん。気が向いたらね」
「では、その時を楽しみに待っていますわね」
そう言って、リリーは茶請けに用意したクッキーを、本当に楽しげな様子で手に取った。
無理に探ってこない、素直に信じて待ってくれる彼女もまた、気楽に話せる友人だ。
「ん?」
ふと、彼女の皿の減り具合がいつもより早いことに気がついた。
「今日はやけに食欲があるみたいだが、朝食でも食べ損ねたのか?」
「うふふ」
「その反応は、何かあったみたいだね」
「ええ。このことを話すために、お誘いしましたの。彼の次に話すなら、貴女しかいないと思って」
彼女の言い回しで、何を話すつもりなのかわかった気がした。
心臓がドキドキと鳴りだす。
「お腹の中に、赤ちゃんがいるのです」
「わ〜〜! ほっ、本当か? ビックリじゃないよな、この細くて小さなお腹の中に、新たな生命が?」
急いで立ち上がると、リリーは体を横へ傾けた。そっとお腹へ手を当ててみる。
「まだわかりにくいいとは思いますが、本当のことですわ」
「おっ、おめでとう……!」
(ついに、ついに!)
目から涙が溢れ出す。
ただでさえも尊いことなのだ。泣かずにはいられない。
いつか来るだろうと思っていたが、予想の何倍も嬉しく、感動してしまう。
「今から緊張してきた……な、何かあったらすぐ言うんだぞ。力になるからな。本当に、本当になんでも言ってくれ」
「うふふ。なんだかアカシア様の方が旦那様のようですわ」
「なに? 彼はここまで取り乱していないと? あれほど大切だの愛しいだの言っておきながら?」
そんなことで父親が務まるのかと、喝を入れに行くために拳を握る。
その手に、リリーの白く柔らかで、真逆に押しただけで折れそうな指が重ねられた。
「拳をおおさめくださいませ。あの方はあの方で、とても喜んで下さりましたもの」
「本当か?」
「はい。喜びのあまり、わたくしを一日中抱き締められていましたわ」
「妊婦にそれはどうかと思うが……まぁ、相変わらずで何よりだよ。名前はもう決めたのか?」
「まだ考えている最中ですわ。アカシア様もいっしょに考えてくださると嬉しいのですけれど……」
彼女の提案に目をパチクリとさせる。
国王との夫婦関係を望んでいないことから、赤子に名前を考えることなどないと思っていた。
そのため、嬉しくはあるのだが……。
「いいのか? 大事なことだろう?」
「大事なことだからこそ、同じく大事な貴女と共に、考えたいのですわ」
自身の手を握るリリーは、珍しく身を乗り出した。
「なら、精一杯、考えさせてもらおう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「アカシア様には友達がいらっしゃるんですね」
「ああ。なんだ、意外か?」
「いえ! 初めて貴女の口から他人の名前が出てきたので、新鮮に感じられただけです」
「なるほどな」
やや意地悪に尋ねれば、魔物男は慌てて手を振った。
リリーと二人だけの茶会を開いた翌日、ウキウキとした心地で私は、彼へ茶会での話をしていた。彼女には他の人に話す許可は得ている。だが、地位や名前は念のため伏せておいた。
「でも、いいですね。誰かに名前を呼んでもらえるって」
「そういえば、君の名前を聞いていなかったな。なんと言うんだ?」
「ないです」
また魔物男が顔を下げた。耳と尻尾だけでなく、眉までハの字に垂れてしまっている。
さて、どうすれば励ますことができるだろうか。
「(そうだ)なら、私に名前をつけさせてくれないか?」
「いいんですか?」
「名前がないと、今後不便だろうからな」
「嬉しいです……!」
「君は泣き虫だなぁ」
赤い瞳からポロポロと涙をこぼす魔物男に、ため息混じりに微笑んだ。
(赤い……瞳)
黒い瞳孔に、周りを囲む赤褐色の虹彩。ゆらゆらと動き、二色が混ざり合っている。
涙の粒が光を瞳へと反射させると、キラリと輝いた。
「ジャスパー」
私の呟きに、魔物男が大きく瞬きをした。
「君の名前、ジャスパーはどうだろう? 宝石のレッドジャスパーから取ったんだ。ここに実物が……あった」
宝石の入った箱を漁り、赤い宝石を取り出す。
魔物男に手渡せば、まじまじとそれを見つめていた。
「こんなにきれいなものから、どうして名前をつけてくださったんですか?」
「君の瞳が綺麗だったから。嫌なら別の名前を――」
「嫌じゃないです!」
魔物男がバッと顔を上げた。宝石箱を元あった場所へ戻す手を止める。
「とっても、とってもいい名前だと思います。……嬉しいです」
そう言って、彼はどこか不思議そうに頬を綻ばせた。
「あっ」
「どうした?」
「もしかして、アカシア様のお名前も宝石から取ったのですか?」
ジャスパーの言葉に、今度は私が不思議そうに首を傾げる。
「いや、私の名前は黄色い花だ」
「では、きっとその花はきれいなんでしょうね」
「どういうことかな?」
「アカシア様はきれいじゃないですか」
体が固まる心地がした。胸が鷲掴みされたような感覚に陥る。
「アカシア様? どうし――」
「すまない。今日はもう帰ってくれ」
心配そうに覗き込んできた彼の胸元を強い力で押し、私は立ち上がってしまった。
目を合わせることなく、扉を開ける。
彼が困惑していることは、肌で感じていた。
「頼むから、帰ってくれ」
「っ……わかりました」
悲しげな声に心臓がいっそう締め付けられた。
垂れてしまった尻尾が視線の先を横切っていく。
「はぁ」
扉を閉め、ズルズルともたれかかる。
「きれい」それは、私が今まで投げかけられてきた言葉と、真逆に位置するものだった。
だから、どのような反応をすればいいのかわからなかった。いや、信じられなかったと言うべきか。彼が嘘をつくような人物だと思えないのに。
彼がただ素直な感想を述べただけということはわかっていた。それなのに、また騙されてしまうのではないかという疑惑が、胸奥の傷口から飛び出したのだ。相手は違えど、同じ経験をしたから。
(私がもし、何のコンプレックスもないような、それこそ、人からの好意を素直に受け入れられるような人だったなら、彼の言葉を嬉しく感じたのだろうか)
ありがとうと、何のためらいもなく言えたのだろうか。
「来週……どうしよう」
ネガティブな彼は、来てくれるのだろうか。
仮に来てくれたとして、その時、私はどのような態度を取ればいいのだろう。
今まで気にしたこともなかった小屋の静けさが、ひどく清閑なものに感じられた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうしたんですの、アカシア様」
ダージリンの香りが立ち込める部屋に、かわいらしい声が響いた。
「何がですか?」
「最近、疲れていらっしゃるように見えますわ」
「疲れてなど……」
「でも、先ほどから同じページを行ったり来たりしていますわ」
名前図鑑を捲る手が止まる。
次いで、紙から手を離してため息をついた。
「無理に話される必要はありませんけれど、何かあったのなら聞きますわよ」
「別に、大したことじゃない」
「ということは、何かありましたわね?」
リリーの指摘にはっと詰まる。
「もしかして……森で見つけたものに関係していたり」
「意外と目ざといな、君は」
よく考えてみれば、国王は大の変わり者なのだから、彼の相手が務まる彼女もまた、変わっていてもおかしくない。
苦笑混じりに言えば、リリーは穏やかにクスリと笑った。
「そうですわ! 実は今日、町に他国の劇団が来ていらっしゃるそうですの。気分転換に、観に行ってらしたらどうでしょうか?」
「劇団か……演劇なんて、まともに観たことがなかったな。行ってみよう」
「戻ったらぜひ、感想を聞かせて下さいな」
「わかった、そうしよう」
立ち上がり、出口へと向かう。
しかし、疑問が頭をよぎって振り返った。
「君は行かなくていいのか?」
「はい。潰されるかもしれないから、人混みは避けたくて。でも、いつか一緒に演劇を観に行きたいですわ」
「なるほど。じゃあまた行こう」
「はい。楽しみにしていますわ」
二人で笑顔を交わし合い、リリーの部屋を後にした。




