女神様の私情 - 特別な転生 12 -
第1章 女神様の私情 -特別な転生-
ep.12『続 政権交代の危機』
「も、申し訳ありません!」
地面に膝を付き、シャルロット王妃が土下座をする。
「王妃様よぉ、やってくれたな…」
聖剣を握る拳をカタカタと震えさせ、ダンクーガは怒りを露わにする。
「ヘルマウスの大群を引き連れて、何十キロも逃げ回っておったとは…」
「……そ、それは、仕方が…なく」
ふたりの威圧的な態度に、シャルロットは消えそうな声で呟く。
「これは思っていたより被害が甚大だぞ。この辺りで襲われたとばかり思ってたが、何でもっと早く言わなかったんだ!お前らが通ってきたのは穀倉地帯だぞ!ヴァイス国王と言い、王女と言い、お前ら王族はどうなってんだ!只でさえ、あの一件以来、呪われた土地だとか良くない噂が広まったって言うのに、次は魔界ネズミの後始末かよ!」
堪忍袋の尾が切れたのか、先ほどまで優しかったはずのダンクーガが声を荒げる。
「ロンバリー牧場は魔法の柵とボルシィがいるから…大丈夫か。街と子爵邸はガイラルディアが守ってるはず。バンダム砦はクロード大尉とメイがいる。ウォーレス湖のローラはマナミがいるが心配だ。全部寄ってると時間が足りねえ。どうする……」
聖剣デュランダルを握る拳に、思わず力が入る。
「発生から丸一日。村は捨て、ウォーレス湖から対処すれば間に合うかもしれん!」
一見、非情ともとれる思案をする隻影。だが、彼は戦のエキスパート。今までの経験を基に、彼は合理的に判断をする。
「ダン、それに隻まで。声を荒げてどうしたの~?」
「ん、…深雪ちゃん?」
懐かしい呼び声に惹かれ、ダンクーガと隻影が思わず振り向くと、何故かメガネを曇らせたニケと、顔を火照らせ、大人の姿になった深雪の姿があった。
「眩しいわね~。隻とデュランダルで遊んでたの?……ん、でもデュランダルは確かネイカーに貸したはず……なんでぇここに?」
「は、白魔様……」
困惑した表情で近づいてくる深雪に、ふたりは思わず「ぶほっ」と声を吹き出す。
「深雪ちゃん、ふ…服が!ニケ、何とかしろ!」
メガネを曇らせたニケに、ダンクーガが指摘する。
深雪は急激に大人の姿に成長した為、子供サイズの服が大人サイズの胸部を圧迫して、今にも爆発寸前の状態になっている。魔法繊維の服でなければ崩壊していたであろう。
「白魔様、あ…あまり近くに…」
「なんだぁ、恥ずかしがりおって~」
深雪は、恥ずかしそうに眼を逸らす隻影を上目遣いに覗くと、「愛いやつめ」と呟き、体を預けるように抱き着いた。
酔うとスキンシップが多くなる深雪。ふいうちを食らった隻影の悲鳴に、ハッと正気を取り戻したニケは咳ばらいをすると、冷静に魔導具のカメラを取り出し、シャッター音を響かせる。
「は、白魔様!こんなことをしておる時間はっ!ニケ殿、何をしておる!」
「記念撮影です。お気になさらず」
隻影のことが羨ましいのか、ニケは少し頬を膨らませながら答える。
体を密着させ反応を楽しむ深雪と、思春期の少年の様に顔を真っ赤にさせた隻影。尚も続けるやり取りに、しびれを切らせたダンクーガがニケのおふざけに注意すると、渋々とカメラをしまう。
「白魔様、こちらのお召し物を」
「ニケ、やって」
「失礼いたします」
魔法鞄から服一式取り出したニケは、深雪の服を慣れた手つきで脱がし、着々と着替えを終わらせる。
「白魔様、終わりました」
「ん、ご苦労」
「おいおい、将校服かよ」
すまし顔のニケに礼を言った深雪は再度ふたりの前に立ち、「待たせたわね」と、火照った笑顔で答える。
「本日のお着替えは、雰囲気のいいバーへ立ち寄ったらいつも完璧女子っぽい将校さんが酔っていたので介抱してみたコーデとなっております」
メガネをクイッとあげ、悠長に説明するニケの顔はどこか自慢げであった。深雪は再度、隻影に向けて歩み寄ると「介抱してくれるか?」と、魅惑的なポーズをして遊ぶ。それを見た隻影は、照れるように視線を外した。
深雪が着替えさせられた将校服は、その昔、毎日の様に袖を通していたヴァイオレット帝国将校を連想させるデザインであった。
「で、ふたりしてナニしてたの~?…ん、ん~?此奴は、なぜ土下座をしているのだ」
深雪は視線を下げてびっくりしたそぶりを見せると、固まっていた物体に指を指す。
「あぁ、シャルロットだよ。すっげえ緊急事態でさ、詳しい話を聞こうとしていたんだよ」
「…うげっ!ネ、ネイカーの孫娘だと~」
ダンクーガからシャルロットの名前が出た途端、深雪は変な声を出し、複雑な表情を見せながら眉をひそめる。
(ニケさんも同じ声出してたね。深雪ちゃんも何か思い出した?)
「…えぇ、少し思い出したかも……酔いも冷めたわ(小声)」
深雪は身震いしながら胸のあたりを抑える。
(此奴は初めて会ったとき、早口で喋りながら近付いてきて、手を握られたと思ったら写真を何枚も取り始めた変な奴だったわ……)
(そ、そうなんだ。見事なオタクムーブをかましたひとだったんだね)
ふたりはシンクロした様に頷くと、改めてこの世界の王妃は特殊なのだと認識した。
(それより、すっげえ緊急事態とか言ってたけど、本人に聞いてみる?)
雪の問いかけに深雪は頷くと、地面に顔を伏せているシャルロットを一瞥し、冷めた表情で声をかける。
「これ、シャルロット。またダンに迷惑をかけたのか?白魔に申してみよ」
白魔と名乗る者に声をかけられたシャルロットは、肩をびくっと震わせると、恐る恐る顔をあげる。
「ほれ、どうした~」
涙でぼやけた瞳の先には、将校服に身を包まれた凛々しい女性が映る。
「……ぇ、は…白魔、深雪様?」
「そうだ、早く申せ!」
「ちょっ、どどどどどうして?はははははっくましゃしゃまは10ねんまえからゆっくえふめいでわったくしのがはっくましゃまがっ!」
突然のことでパニックになり、早口で奇声を発するシャルロット。おはようからおやすみまで、何十年もブロマイド写真にキスをして過ごしていた憧れの白魔深雪がなぜか目の前にいる。これは天のお導きか?
(お、おちちつけわたわたわたしっ!ひっひっふぅ~~~、か…髪は乱れてないかしら、お風呂は入ったから臭くはないはじゅ、化粧もバッチリ!ヨシッ!こっこはわたくしの白魔様に取り入って、ダンクーガ様と隻影様のお怒りを鎮めていただく……)
シャルロット王妃は前向きな思考で考える。転んでもただでは起きないぞと、自分に都合良く解釈したシャルロットは目を輝かせ返事をすると、今までの経緯と弁明を詳しく述べ始めた。
「この、おおおおたわけがっ!!!」
深雪はブチギレた。
「お、おまえ~~~!!!」
ニケまでもがブチギレた。
「苦労して造った魔法の柵を破壊しやがって~~~!!!」
ダンクーガもブチギレた。
「ひぇぇぇ、このひと燃料投下し過ぎですよ!」
茜は怯えた。
「ぷぃ~」
茜に抱かれた精霊うさぎは鳴いた。そして、後ろで様子を伺っていたふたりの護衛騎士は、白魔深雪の豹変ぶりに驚き、白目を剥いてぶっ倒れた。
「苦労して集めて品種改良した作物がぁ………ミーニャがぁ」
「ロンバリー牧場の羊と可愛いミーニャたちを、……お前覚悟しとけよ!」
聖剣の持ち主の感情を表現するように、聖剣からは光量増し増しになった青い光が群れる蛍火の様に溢れ出す。
「いえ、わたくしは決して壊そうとしたのではなく、戦力の分断を……」
「いーーわけすんなーーーーー!!!×2」
怒りで我を失うニケとダンクーガ。
「どうしてっ?わたくしはこの国の王妃ですよ!国民の憧れプリンセスなのですよ!なぜ、わたくしの生存を喜ばないのですかっ?よくやったと!」
(違う意味でよくやったと思うよ…)
雪はささやかなツッコミを入れる。
この王妃の思考と心臓はどうなっているのか、弁明すればするほど火の粉は舞い上がり引火するばかり、きっと心臓は毛が生えすぎて見えなくなっているに違いない。
(深雪ちゃん、この地雷女は相手にしちゃダメなタイプだよ。わたしの魂が囁いてる!)
「わたくしは悪くありません!」
「しゃらーーーーーっぷ!!!」
(早くみんなを落ち着かせようよ。おかしくなっちゃうから!)
「…そ、そうね」
まるで壊れかけのラジオの様に奇声を上げ続けるニケとダンクーガの口に、掌から生み出した雪玉をねじ込み落ち着かせた深雪は、今まで静かに目を瞑り、ナニかと格闘していた隻影に判断を募る。
「…罪状は明白。ここは…」
「あ~~、その雪玉、白魔大佐だぁ!」
何かを思い出したのか、木に吊るされていたサティは隻影の言葉を遮るように叫ぶと、深雪を見るなり「大佐、たすけて~」と、可愛げな声で叫ぶ。
「……お前は、サティ伍長ではないか」
深雪は少しばかり間を置くと、木に吊るされたサティの名を口にする。
「その格好と捕縄は、この男にやられたのか?」
あられもない姿を指摘する深雪は隻影の肩に手を乗せると、サティは啜り泣きしながら「ダーリンに束縛されたの」と、芝居がかった泣き真似をする。
「ほほぅ、隻も年頃になったものだ。こんなプレイを覚えおって」
やはりムッツリスケベか、などと茶々を入れていると、横から懐刀を沈めた隻影が口を挿む。
「嘘を申すでない。白魔様、其奴は捕虜であります。今回の襲撃に関与しておるので、捕縛した次第で…」
「ダーリンの嘘つき!こんな姿にしたのダーリンじゃん!」
半裸状態のサティが喚く。
「それはおぬしが勝手に脱いだのだ!」
「全部燃やしたかったくせにぃ!」
違う、そうじゃない。またしても会話に火が付き、サティと隻影が水掛け論を始める。
「火遊びとかお前ら、仲良すぎだろ」
「まったくだ。妬いてしまうの」
聖剣デュランダルを片手に、冷静さを取り戻したダンクーガと、ニヤついた顔でふたりを見つめる深雪。
「いつまでもイチャついた風景を見ていたいが、…とりあえず、その拘束プレイは終いだ」
深雪はそう述べると、目を細めながら人差し指をサティに向け、ブラッドレイ(弱)を発射して縄を切る。
「アリガトー、白魔大佐!すっごい久しぶりぃ!ドコ行ってたんですかぁ?」
着地したサティは礼を述べると、ニケは魔法鞄から軍服一式を取り出してサティへ手渡す。
「うわぁ、ダサ服じゃん、アタシこれでも少尉なんですけど~」
ダサ服と言われた軍服は、士官が着る立派な将校服ではなく、新兵などが着る安物の兵員服であった。
サティは不満を漏らしながらも、隻影の前でいやらしく着替え始めると、隻影はわざとらしく咳払いをし、立案した作戦を説明する。
「当初の予定通り、壊滅状態と予測される村は放棄し、ウォーレス湖のローラ及び、ロンバリー牧場の救命を最優先とする。ウォーレス湖へは拙者が単独で向かう。ロンバリー牧場へは長距離移動が可能なダンクーガ殿とニケ殿で向かってもらう。白魔様はこちらでお休みくだされ。…茜よ、白魔様をしっかりお守りするのだぞ」
隻影は茜に目で合図をし、それに答えた茜は深雪を労わる様にテントへお連れしようとすると、深雪は静かに呟く。
「隻よ、この白魔に休めと言ったか?」
「…白魔様、いかがなされた?」
隻影は棒立ちする深雪に声をかけるが、深雪は隻影に拒絶する眼差しを向けたまま微動だにしない。
「白魔大佐~、どうしたんですかぁ?」
微妙な空気が漂う所へ、着替えを終えたサティがやってくる。
「助けに行くんですよね?アタシもいっしょに行きますよ~。……どしたんですか、大佐?」
帝国時代の調子でサティは深雪に声をかけるが、思っていた反応が返ってこない。ふと、サティは深雪の顔を覗くと、その異変に気付く。その深雪の表情は、かつて戦場を渡り歩いた勇ましい表情ではなく、瞳に涙を溜め、今にも泣きだしそうな表情で隻影を睨みつける何とも言えない場面であった。
なぜこの様な事になっているのか、サティは徐に首を傾げる。
「ダーリン、白魔大佐とケンカでもしたのぉ?」
心配そうに深雪を見つめるサティ、それに気づいた深雪は目元を軽く指先で拭うと、取り繕うようにサティへ質問する。
「……サティ伍長、先ほど久しぶりと言っていたが、ワタシに合うのは何年振りだ?」
「えっとぉ~、第三次戦国大戦が終わった年だから……十年ぶり?指令本部前に白魔大佐が突然現れたって聞いて、案内したのが最後だから間違いないです。あれからアタシ頑張って少尉にまでなったんですよ~」
聞いて聞いてと嬉しそうに話をするサティであったが、十年という言葉を耳にしてから深雪の耳には、サティの言葉は届くことはなかった。
「……そうか、十年ぶりか……」
「……大佐?」
十年ぶりと呟いた深雪は額に手を当てる。
「やはり、これは現実なのね……」
(深雪ちゃん?)
「なんでもないわ。…隻、ワタシも行くわ。弱くなったと言っても今は夜。夕食の時間で小物に後れを取ったことは一度もないわ」
強気の発言をする深雪に隻影は口篭もると、横からダンクーガが聖剣の調子を確かめるように素振りをしながら口を挿む。
「副将軍様よぉ、連れてってやれよ。じゃないと深雪ちゃんがへそを曲げちまうぜ」
その一言に、隻影は「あい、わかった」と返事を返すと、テントをしまい終わったニケが強化したシャドウソルジャーを再召喚し、指示を出し終える。
「副将軍が護衛では些か不満ですので、影の者を付けておきます。…では、白魔様。ロンバリー牧場でお会いしましょう」
嫌味のこもった言葉を言い終えたニケは隻影と少し睨み合うと、視線を戻し深雪に帝国式敬礼をすると、ダンクーガの影に潜る。
「よっしゃ、サクッと終わらせて深雪ちゃんと朝飯食うぞ!デュランダル【無限の盾】ロンバリー牧場で会おうな、深雪ちゃん!」
ダンクーガはそう述べると、勢いよく前方へジャンプする。深雪たちはそれを目で追うと、30m程飛び上がったダンクーガの足元に光り輝く盾が足場となって出現し、走り出す方角へ何枚も無限のように現れた。
「朝飯は隻の奢りなぁあああああーーーーーー!!!」
ダンクーガはそう叫び終えると、凄まじい速さで遥か彼方へ消えていった。
「全く、言いたい放題言いおって」
隻影は小言のように呟くと、突然悲鳴が聞こえる。
「いやぁああああっ!行かないでぇダンクーガさまぁーーー!!」
(うわぁ!びっくりした~)
後ろを振り返ると、王妃が手で髪をわしゃわしゃと乱れさせ、悲痛な表情をさせながらダンクーガの消えた先を見続けている。
「うそ、うそうそうそ………これは夢なのよぉ…」
王妃はブツブツと同じ言葉を呟き、耳に手を当てると、そこにあるはずの物が無いことに気付いた。
「………えっ……なんで?…うそよね?いや……いや……いやぁああああああっ!」
王妃の叫ぶ声に意識を取り戻したふたりの護衛騎士は起き上がると、落ち葉をかきわけて何かを探す王妃に駆け寄り事情を尋ねる。
「…イヤリング、イヤリングが無いのっ!ダンクーガ様に頂いた物なのっ!あなたたちも探しなさいっ!早くっ!」
「は、はいっ!」
ふたりは王妃に言われるまま、目の色を変えて必死に探し続ける。だが、そのような場所には落ちているわけもない。なぜなら………
隻影は、暗がりでイヤリングを探し続ける者たちを一瞥すると、何かを悟る。
「……見限ったか、ダンクーガよ」
そう呟き鼻でため息を吐くと、深雪に声をかける。
「……では、白魔様。参りましょう!」
「うむ」
「はぁい、ダーリン」
「ガンバリマス!」
「ぷぃ~」
時は少し遡り、ウォーレス湖では激しい戦闘が繰り広げられていた。
「うわああああんっ!マナミちゃーん!だずげでぇよ~~~!」
ウォーレス湖の畔に木霊する盛大な泣き声。
極大魔法を繰り出そうとしているオットセイの背後には、ヘルマウスの魔の手から逃れ、湖の小島にぎゅうぎゅう詰めになりながらも、避難している商人や農民たちと、ネズミの群れに怯えて泣き叫ぶ人魚のローラがいた。
「マナミー!魔法はまだかっ!? 前衛がもたねえっ!」
声を荒げ、黒いネズミに向かって必死に金棒を振るう黒髪の羊人が、オットセイに向かって魔法の催促をする。
「早くしてくれーー!」
「た、頼むー!」
必死に大盾でヘルマウスの攻撃を防ぐ兵士たちからも、懇願する声が響き渡る。
「メイちゃん、いくよー!みんな下がってー!」
その言葉に反応した前衛たちは、一斉にシールドバッシュを放つと、広範囲魔法に巻き込まれないように全速力で逃げる。
「『タイダルウェーブ!』」
マナミと呼ばれたオットセイは魔法を唱えると、おでこに付いているアクアマリンの宝石が反応して光り輝く。すると、湖の水が意思を持つ様に蠢くと、津波のように地上へ溢れ出し、轟音と共にヘルマウスの群れを呑み込んで行く。
「よっしゃー!」
成功した直後、ネズミ共が波に呑み込まれる光景を目にした兵士たちは、歓喜な叫び声をあげる。
前衛が囮となり、一ヶ所に引き付けた直後、強力な広範囲魔法でヘルマウスを倒すという効率的な倒し方を、幾度も成功させたマナミであったが、流石に疲れが見え始めてきた。
「マナミちゃん、次はこちらもお願いします」
店舗型の荷馬車の屋根から次の指示を出すエルフの周りには、植物魔法で辺り一面に生やした茨の蔦で太ったヘルマウスを絡め捕り、それを複数同時に魔法の弓矢で屠る行商エルフがいた。
「おっお~、つ…疲れたお~。…少し休ませておぉ~」
マナミは地面に突っ伏すと、息も絶え絶えに答える。
「マナミちゃん大丈夫?ローラも攻撃魔法が使えたら手伝えるのに、いつもゴメンね……」
「これくらいへっちゃらだお。ローラちゃんは、ボクが守るって決めたんだ。だから気にしなくていいお」
「うん、ありがと~」
人魚のローラはお礼を言うと、疲れたマナミを労る様に、背中を擦ってあげる。
「では、疲れた体に甘いチョコレートなどはいかがですか?シュワシュワのコーラも、まだまだありますよ」
「おっお~!コーラちょうだい!メイちゃん、お金っ!お金払って~!」
「また飲むのかよ!もう六本目だぞ。相変わらずシュワシュワが好きだな~」
驚きながらも、メイは言われた通りに懐から銀貨を一枚取り出し、荷馬車の屋根にいる行商エルフへ投げ渡す。そして、ガラス製の冷蔵庫からコーラを取り出し、律儀に瓶の蓋を開けると、それをローラに渡した。
「ほら、ゆっくり飲ませてあげな」
「うん!」
ローラは嬉しそうにコーラを受け取ると、マナミの口にあてがった。
お礼を言いながらゴクゴクと喉を鳴らし、美味しそうにコーラをラッパ飲みするオットセイの姿は、現実世界では御目にかかれないだろう。
「日が欠けた辺りから、いきなり現れ始めましたな。もう、完全に駆逐したと思っていたのですが、当てがはずれましたな……」
杖を携え、羊の角を生やした魔法使いの男が、険しい表情をしている黒羊のメイに向かって話しかける。
「ああーー!鬱陶しいっ!どんだけ沸いてくるんだよ!倒しても倒してもキリがねえぞー!おい、ムチムチッ!そんな菓子なんか守ってねえで、本気出して戦えよ!」
「やーですよ。効率よく指示を出しながら、商品とこの子を守るので手一杯なんです。他の荷馬車はどうなっても知りませんが、このお菓子が詰まった荷馬車がいくらすると思ってるんですか、貴女とその部下たちの年収を合わせても、足りないくらいの価値があるのですよ。みすみすドブネズミに喰われてたまるものですか!そこ、外してますよ!ちゃんと狙ってください」
他の馬や荷馬車が無惨にもヘルマウスにやられる中、自分は店舗型の荷馬車の屋根から部隊へ指示を出し、荷馬車を牽引する大きな樹鹿、ツリーディアを必死に守りながら豊満な胸を揺らすムチムチエルフ。
「曹長、なんでオレら行商に来たエルフ姉さんの指示に従ってるんすか?」
「うるせえっ!さっさと狙って射て。喰い殺されちまうぞっ!」
「…賄賂ッスか?」
部下に図星を突かれた曹長は、顔を真っ赤にさせると、声を張り上げる。
「安月給のオレらに、バカ高い菓子やケーキが買えると思ってるのかっ!こんなチャンス、二度とやってこねえぞっ!」
「あとで、オレらにも分け前くださいよ」
「おれ、アップルパイ」
「おいら、ピーチパイ」
「ぼくは、チェリーパイ」
「ぁあ~~!パイパイ、パイパイ言いやがってぇ!思春期のバカ共めっ!わかったから早く射てっ!死んじまったヤツにはやらねえからなっ!」
曹長の承諾を聞いた途端、逞しい返事と共に、矢を放ち続ける兵士達。
その甲斐もあってか、暫くして襲撃が止み、お互いヘトヘトになりながらも、死者を出す事なく乗り切る事が出来た。
「お、おわったのか?」
「い、いきてるぞ」
「やった。おれたちはやったんだぁ~」
うるさかった場が静まり、矢が突き刺さったヘルマウスの死骸の山を見続けていた兵士たちはそう悟ると、歓喜の雄叫びを上げながら、お互いを称賛しあう。
「よしっ!お前ら、エルフ姉さんから褒美が出るぞ。一列に並んで討伐数を自己申告してから受け取れ!くれぐれも誤魔化すなよ!分かったなっ!」
「はいっ!曹長殿!」
「全く、現金な奴らだ」
我先にと並んだ若い兵士達は、行商エルフの豊満な胸に敬礼すると、討伐数を自己申告しながらそれに見合った褒美を受け取っていく。
子供の様にはしゃぎながら贅沢なお菓子を受け取った兵士たちはお菓子を頬張ると、幼さが残る顔立ちに笑顔が溢れた。
最後の兵士がお菓子を受け取り、曹長の番が回ってくると、行商エルフは討伐数を聞くことなく大量のお菓子を渡した。
それを見ていたひとりの兵士が問いかける。
「えっ、なんで曹長だけそんなに多いんすか?」
ひとりの兵士が曹長に疑念を抱く。
「ばかたれ!俺は、お前らと違って年期が違うんだよ!」
『兵歴20年だぞ』と、行商エルフから受け取ったお菓子を袋に入れながら答える。
「食わないんすか?」
「砦にかみさんと子供が待ってんだよ。俺だけ先に食っちまったらいけねえんだよ」
「ふーん」
「お前らも結婚したらわかる…」
曹長はお菓子の詰まった袋を腰にぶら下げると、腕を組み、談笑しながらお菓子を頬張る兵士たちを見つめる。その目は、何かを問いかけるような眼差しで……
「……こいつらは、あと何度飯が食える。俺は、こいつらを何回叱れる。砦に着くまで何人生き残る。これが最後でないことを願う…」
曹長は、命の重みを感じながら呟き続ける。
「あぁ!クソッ!こんな事なら、メルを返すんじゃなかったぜ!」
土魔法で作られた壁を挟んだ先で、怒号を吐き出すひとりの羊人。
「そうですな。メル嬢の状態異常魔法があれば楽に凌げるのですが、やはり今後の課題は、魔法士の募兵ですな」
「爺やの言うとおりだぜ。マナミクラスの使い手がどっかに転がってねえかな~」
「ぷはー、ごちそうさま。メイちゃん、何か言ったお?」
コーラを飲み終えたマナミが、ローラと顔を揃えてメイを見つめる。
「あぁ、マナミが欲しいなって、相談してたんだよ」
その問いに答えたメイは、ニカッと悪そうな笑みを見せながらふたりを見下ろす。
「えー!ダ、ダメだよ!マナミちゃんはローラのだもん!」
そう言うと、ローラはマナミを奪われまいと必死に抱き着く。
「はっはっは!」
「で、伝令!」
束の間の笑い声と共に、斥候から報告が入る。駆け付けた兵士の方へ振り向くと、そこには真っ青な表情をした兵士が、震えながら報告を伝える。
「南からビースト型アンデッドモンスターを引き連れたレイスを発見。数は推定500体。およそ1時間後に、ここへ到着するそうです」
「500体だと!!…死骸の処理が間に合わなかったにしても多過ぎだぞ!」
「恐らく、生き残りが森の中で他のモンスターを襲って増やしていったのでしょうな。アンデッドビーストは動きが早くて仕留めるのが億劫、これは頭が痛い…」
「どうする、このままだとジリ貧だぞ。深夜の襲撃で周辺の建物は壊滅状態で使えねえ。こんな開けた場所じゃ、次は凌ぎきれねえぞ」
魔法士の爺やが作り出した土壁を何枚も張り、防壁代わりに凌いでいるが、それにも限度がある。
「そして四六時中、戦い続きで砦の兵士や傭兵たちはろくに寝ておりません」
「スペンサー伯爵の軍隊は、まだ来ねえのか?」
「現在、アルバート大橋で交戦中の模様。あと2時間はかかると、先ほど連絡が…」
「バンダム砦の兵士たちは?」
「ネズミと交戦中かと」
「くそっ!どこも同じか……」
メイが舌打ちをする。
苛立ちを覚えたメイは、金棒を地面に何度も付きながら視線を湖に向けると、湖の小島には、戦えない者が300名程いる。近くの村からマナミを頼り逃げてきた者たちと、この広場でテントを張っていたキャラバン隊の者たちだ。村人たちの安否が気になり、ネズミとの激しい戦いを終わらせたメイの部隊は、荒れ果てた開拓村の住民をバンダム砦に避難させた後、砦の少数部隊を引き連れて様子を見に来た直後に、この襲撃に遭遇したのであった。モンスターとの交戦中、小舟とマナミを使って何往復もして避難させた。その間に、幾人もの犠牲者を出したが、大半は無事である。
だが、次はレイスに、多数のアンデッドモンスターとの戦いである。
レイスは実体を持たない霊体モンスターであり、浮遊しながら麻痺攻撃や精神攻撃を使ってくる。物理攻撃が効かず、攻撃手段は主に魔法で倒すしかない。
次にアンデッドモンスターは、痛覚や疲労がない為、攻撃しても怯まず襲い掛かり、疲れ知らずで、どこまでも追い掛けてくる魔物である。
「負傷者はどいつも動かせない。回復薬は全部使っちまった。300名を守りながら数キロ先のバンダム砦まで戻るのは現実的に不可能に近い」
「…そうですな。このままでは八方塞がり、スペンサー伯爵の部隊が到着するまで耐えきれたら、爺は御の字かと思います」
「おい、聞いたかムチムチッ!アンデッドが500体に、レイスのおまけ付きだぞ!」
「聞いてますよ。大声を出さないでください」
防壁を挟んだ先で、ぶるぶると怯えているツリーディアを優しく撫でながら、行商エルフは余裕の表情で受け答える。
「全く、やーですね。よしよし、怖くないですからね。何があっても守ってあげますからね」
そう囁きながら、ツリーディアの首に吊り下げられたアミュレットの位置を丁寧に直した行商エルフは、店舗型の荷馬車へ入ると、二重底になっている床を開け、ゴソゴソと作業を始める。
「………」
行商エルフの態度と何気ない言葉に、メイは違和感を覚える。
あと1時間程でアンデッドの大群にレイスまでやってくるのだ。とてもではないが、大抵の者は震え上がり、冷静さを失うであろう。だが、このエルフは他人事の様に気にもしない様子である。
「爺や、この人数を砦に避難させるのは不可能だよな」
「『無敵』の二つ名を持つ、ダンクーガ様がおられれば可能でありましょう。ですが、あの御方の優先順位に、私どもが入っているとは思えませんな」
「ローラには海神マナミがいるからな。優先順位は、真っ先にロンバリー牧場になるだろうな…」
ふたりは海神と呼ばれるマナミの方へ顔を向けると、仲良く会話をしている風景が見える。その会話を聞いていると、マナミは魔力を回復させる為に、一度、湖へ戻ろうと話していた。
「マナミ、どうした?」
その会話を聞き、慌てたメイはマナミに声をかける。
「メイちゃん、さすがに疲れたお。エターナルストーンのところで回復してくるから待っててお」
「…エターナルストーン?」
「あっ!…み、水石のところだお!」
マナミはしまったという顔をした後、慌てて言い直すと、マナミはローラを背中に乗せて空中へ浮かぶと、小島に避難している者をチラリと見てから、湖へ飛び込み姿を消していった。
マナミとローラは見ての通りの仲良し、どこへ行くにもふたりはぴったり離れず行動する。今日もマナミはローラを背中に乗せ、お気に入りのいつもの場所へやってくると、いつもとは違う風景があった。ふたりは水面から顔を出して様子を伺っていると、お気に入りの湖の畔ではキャラバン隊と思われる者たちがテントを張っていた。その光景に興味を惹かれたふたりは勇気を出し、キャラバン隊の中でも優しそうな顔立ちの者へ声をかけた。
キミはだれ?
はじめはオドオドしていたふたりであったが、その者の態度や仕草を見ているうちに、次第に心を開いていった。どうやらその者は、奇跡の人魚と呼ばれるローラと、海神と呼ばれるマナミを一目見ようとここへ訪れたそうだ。
その者は、贈り物があると言い、馬車から大量の海産物やお菓子を運び出し、ふたりの前に差し出した。
海から離れた場所で大好物の海産物が目の前に溢れるほど積まれている。かなりの大金を積まなければこのような場所まで運ぶことは不可能である。目の前にいる人物は只物ではないだろう。
その者の行為に気を良くしたふたりはお礼を述べると、その者は自己紹介を始める。
その者は、アイリーンと名乗ると、修行の為に訪れたとふたりに述べた。アイリーンが話すには、自身は巫女見習いで、巫女として神に認められるには、巫女の目線としての振舞い方を試されるという。
アイリーンは両手を組むと、真剣な表情でふたりに問いかけた。
自身がこの世に生を受け、神殿へ入信し、今まで行った自身の信仰と献身が、巫女になる者として正しい行いなのか、その助言を戴く為に、こうして供物をお供えしたという。
アイリーンの問いかけに、マナミとローラはお互いの目を合わせると、素直に答えた。
エビとカニが食べたい。
予想外の答えに、気を張っていたアイリーンは一瞬目を丸くすると、その正直な答えに納得し、クスクスと笑いながら奉仕した。
湖へ深く潜り、目的の場所へたどり着いたふたりは、ブクブクと泡のような青い粒子を出す水石に触れると、額のアクアマリンの宝石に青い粒子を吸収し、大好物のエビとカニを食べさせてくれたアイリーンを助ける為に、はやる気持ちを抑えながら回復に集中するのだった。
マナミとローラが湖へ潜った後、小島へ避難している人々の中に、神官と思われる者たちと神聖な鎧を身に纏い、目を奪われるような豪華な鞘に納められた聖剣を携えた神殿騎士に守られているアイリーンの姿があった。だが、何やらアイリーンはその中の誰かと言い争いをしているようだ。
「お願いします!あの者たちと戦わせてください!」
「なりませぬ。アイリーン様、立場をお考え下さい」
「ですが、お話を聞いていたでしょう。次は大量のアンデッドとレイスがこの場へ来ると……」
「あなた様は、我々がお守りいたしますのでご安心ください」
その返答に、アイリーンは組んだ両手を握り締める。
「ならば、その聖剣であの者たちもどうかお助けください」
「信者でない者を助けることはできません。私は教会から使わされた騎士であります」
アイリーンと言葉を交わす神殿騎士は、聖剣の柄に手を乗せると業務的に言葉をくべる。
「では、あの者たちを入信させてください」
アイリーンは食い下がる。
「入信には金貨が必要となります。少なくとも、我々と同行したキャラバン隊を覗き、この小島にいる者だけでも金貨数千枚は必要になります。あなた様は、この場でご用意して頂けるのですか?」
「………できません。ですがお父様に…」
「アイリーン様、雨乞いをするには泥濘も覚悟しなければいけません。女神エル様が御創りになった聖剣教会の庇護を受けるには対価が必要であります」
神殿騎士はそう述べる。
聖剣教会とは、その名のとおり、『聖剣を信じる者は聖剣によって守られる』を教会の指針を示す言葉、スローガンを基に、お金を払えば誰でも入信できる素晴らしい教会である。
その為、金のある者は教会へ多額の寄付をすれば、教会から使わされた神殿騎士が身の回りの警護を引き受け、圧倒的な力によって守られるという、まさに金持ちの為の教会である。
アイリーンの警護を引き受けるこの神殿騎士も、アイリーンの両親から多額の寄付を受け、庇護を授けている状態である。
「アイリーン様、手が……」
神官のひとりが指摘すると、アイリーンの両手から血が滲み出ていた。
神官は咄嗟にアイリーンの両手を取ると、回復魔法を施す。
「ありがとうございます…」
治療を施した神官は笑顔で答えると、それを横から見ていた者が声をかける。
「…あの、オラのおっ母さんも診てもらえないやろうか…」
その言葉に、今まで抑えていた者たちも声を上げる。
「オイラのじいさんもおねげえします!」
「あたしの子供も診ておくれよ!」
お願いします。お願いします。ケガを負った者たちが騒ぎ出すと、女神官はその者たちへ笑顔でこう述べる。
「では、寄付金として『おひとり金貨3枚お納めください』」
「………き、金貨3枚だと!」
「あの、銀貨の間違えじゃ……」
「金貨でございます」
神官のひとりが即座に答える。
「す、少しばかり高すぎるような…」
「はい、これでも破格の金額でございますよ。わたしは相手がこちらにいらっしゃるお金持ちの商人でも、行商をしていらっしゃる高貴なエルフ様でも、あなたのような野蛮な獣人さんでも、一切差別はいたしません。金貨3枚でございます」
手振り身振りで饒舌に語りながら笑顔を振りまく女神官であったが、神官の述べたある言葉に、いら立ちを募らせた若者が声を荒げる。
「ふ、ふざけるなっ!そんな大金が払えるわけないだろ!」
「おれたちは、一日必死に働いて大銅貨3枚(3000円)だぞ!金貨3枚(300万円)なんてとてもじゃないが払えるわけないだろ!」
高すぎる。不満を嘆く者たちは値段を下げろと豪語する。
「…そうですか、ではお引き取りください」
女神官は笑顔で答える。
「困りましたね。たったの金貨3枚でございますよ。そこのあなた、豪語するのは構いませんが、なぜこのような状況になるまで貯めておかなかったのですか?毎日働けば3年ほどで貯まる金額ではありませんか、わたしには理解できません」
うんうんと頷く神官。
「こういった時の為に、わたしたち聖剣教会があると申したはずなのですが、危機管理のなっていない者ほど不満を嘆きますね。あと、そこの獣人さん。獣臭いですので、近付かないでいただきます?」
女神官は鼻をつまみながら、シッシとジェスチャーする。
「な、なんだとっ!このアマッ‼」
もう我慢の限界だ。怒りに任せたひとりの若者は立ち上がると、いけ好かない女神官の顔に向かって拳を振り上げた。
笑顔を絶やさない女神官の顔に、誰もが拳がめり込むかと思った瞬間、若者の腕が宙を舞った。
「あらまあ」
まるで予想していたかのようなわざとらしいセリフを口にした女神官は、頬に両手を付いて驚くそぶりをする。
「うおおおおっ!お、おれのうでがぁぁあああああっ!」
血飛沫を飛ばし、宙を舞い上がっていた若者の腕が、ひとりの女性の前にポトリと落ちると、あたりに悲鳴が上がる。
「神殿騎士の目の前で、聖剣教会の者に手を出すとは、…貴様、死にたいのか」
聖剣を手にした神殿騎士が女神官の前に立ちふさがり、迫力の余り尻もちを付いた若者を睨みつける。
「ひ、ひぃぃ」
「助けていただきありがとうございます。トリスタン卿」
「気をつけて下さい。アイリーン様にまで危害が及びます」
アイリーンの元へ戻るトリスタン卿に笑顔でお礼を述べた女神官は、若者の腕が落ちた場所まで歩き、それを拾い上げると、独り言のように語りだす。
「わたしの高貴な頬をぶとうとした腕は、コレでございますか?なんとも物騒な拳ですこと…」
女神官はわざとらしく演技の籠ったセリフを述べると、切られた若者の腕を高く上げ、民衆に見せつけたあと、それをゴミのように湖へ投げ捨てた。
「ですが、これでおいたはできませんね。野蛮な獣人さん」
「くっそぅ!このアマ、殺してやる!」
「別にいいですけど、早く止血しないと野蛮な獣人さんが先にくたばってしまいますわよ。よろしかったらいたしましょうか?金貨3枚で」
払えないと分かっていながら、小馬鹿にしたようなセリフで相手を挑発する女神官。その目は、弱いものをいじめて楽しんでいるように、誰もがそう捉えていた。
「し、しねぇえええええええええええええええええっ!」
雄叫びをあげた若者は、もう片方の腕を振るいあげ、怒りに身を任せると、微笑む女神官へ突撃する。
捨て身の一撃を食らわせてやる。彼の目は、そう思わせるように女神官を捉えると、力の限り拳を振り下ろした。
「死ぬのは貴様だ」
「くそったれえええっ!」
若者の獣人は、こうなることは予想していた。だが、獣人としてのプライドが彼を許さず、本能的に動いてしまった。
再び女神官の前に現れたトリスタン卿はそう呟くと、獣人の腕を袈裟斬りにして切断し、上段の構えから聖剣を振り下ろした。
頭からふたつに両断された獣人は音を立てて崩れると、一瞬の静けさの後に、大勢の悲鳴が木霊した。
「なんだっ!」
メイたちは湖の方へ振り向くと、まるで蜘蛛の子を散らすように、四方八方へ逃げ出す人々の光景が写し出された。
「お、おいっ!」
冷たい湖から這い出てきた者に声をかけるメイたちであったが、怯えるものたちには届かない。
「そっちへ行くな!待てっておいっ!死んじまうぞ!」
何がどうしてこうなった。ぶつかる相手の肩を掴み、理由を問いただそうとするが、濡れた手で振りほどかれ逃げられる始末だ。
「収拾がつきませんな…」
「まさか、もうレイスが来たのかっ!?」
辺りを見回すが、それらしきものは見当たらない。
そうしているうちに、人気が薄れた小島が現れ、無惨に斬り殺された獣人の死体と、聖剣を握りしめた神殿騎士の姿を目が捉えた。
「どうやら、あれが原因のようですな…」
「あぁ、聖剣教会のクソ騎士様がやりやがったな。……おいっ!神殿騎士様よぉ!死体が出来上がってるみたいだけど、理由を聞いてもいいかぁ!」
金棒を握りしめたメイが大声をあげると、神殿騎士は何事もなかったかのように答える。
「解せんな獣人を始末しただけだ。問題ない」
「問題ないって、問題ありすぎだろ!助けた奴らが逃げちまったじゃねえか。どうしてくれんだよ!」
メイはトリスタン卿を睨み付け、金棒を向けると、トリスタン卿はゆっくりと顔を向け、それに反応する。
「…メイ様、相手は聖剣教会のトリスタン卿です。ここは抑えて…」
「うるせえ」
爺やの言葉を一蹴すると、場の空気が一変する。
「こっちはスペンサー伯爵様の大切な市民を殺されたんだぞ。はい、そうですかで引き下がったら、日の出を拝む頃には死体の山が出来上がっちまうぞ」
メイの言うとおり。まだ小島には、動けなくなった負傷者が大勢取り残されている。逃げ出そうにも逃げられないのである。
怯えて震え上がる獣人を目の前に、一歩も引かないメイは、さらに相手に言葉を投げ掛ける。
「神殿騎士様よぉ、こんな問題起こして、お咎めなしだなんて思ってないよなぁ!」
「神殿騎士としての勤めを果たしたまでだ。神殿騎士の行動に対して意義があるなら、聖剣教会へ直接抗議することだな」
「トリスタン様、もうおやめください。あなた様は、こんな事をする方ではなかったはず…」
アイリーンは懇願するように問いかけるが、トリスタンには届いていない様子。
「まぁまぁ、アイリーン様。害獣駆除になってよろしいではございませんか?」
「害獣…?」
「えぇ、害獣でございます。人々に対し、野蛮な暴力を振るい。爪の先や、唾液から病原菌を振り撒く危険な害獣です。トリスタン卿の妹様を苦しめている病魔の原因も、この獣人によるものなのですよ」
笑顔で諭す神官の言葉に、トリスタン卿の顔が僅かに歪んだ。
「ま、まさかそのような病魔、聞いたことがございません」
「最近、判明した病魔ですので、親愛なる巫女長様はごく一部の者にしかお伝えしておりません。巫女になられるアイリーン様もご理解いただけますでしょ?そうでございましょ?」
巫女長の名を口にした女神官は、食い入る様にアイリーンに顔を近づける。
「そ、そうで…しょうか……?」
アイリーンは半信半疑で答えに悩んでいるようだ。あの巫女長様がそんな発言をするだろうか?と…
女神官の目を逸らすように、視線をトリスタン卿に向けたアイリーンだったが、トリスタン卿から発せられる殺気に、思わず身体がビクッと跳ねる。
……怖い。
トリスタン卿は、何かに取り憑かれたように、獣人である黒毛の羊人を執拗に睨み付ける。
獣人という生き物を、全て八つ裂きにしてしまいそうな重苦しい場の空気に息を吞むアイリーンは、何度目かの両手を握ると、先ほど湖に戻っていったマナミたちの姿を必死に探す。
(海神様、どうかお戻りください。この者たちをお救いください。争う小さき者たちをお鎮めください)
(わたしには争いを止める聖剣も、怒りを鎮める言霊もありません。どうか、わたしの願いが海神様に届きますよう……)
アイリーンの思う願いは、果たしてマナミたちに伝わるだろうか、キャンプ地から出発した深雪たちは、果たしてこの荒々しい場面を収めることができるだろうか……




