エピローグ「永遠に続く温かな食卓」
暖炉の中で赤々と燃える薪が、乾いた音を立てて爆ぜ、オレンジ色の光の粉を空中に散らした。
オズワルド公爵家の私室には、外の厳しい寒さを一切感じさせない、穏やかで濃密な温もりが満ちていた。
シエルがこの北の大地へ嫁いできてから、すでに何度かの冬が巡っていた。
窓の外では、今年もまた厚い雪雲が空を覆い、音もなく白い結晶を降らせている。
しかし、かつてシエルが感じていたような、骨の髄まで凍りつくような恐怖と孤独は、この城のどこを探しても見つけることはできなかった。
部屋の中央に置かれた丸いテーブルの上には、純白のテーブルクロスが掛けられ、三人分の食器が整然と並べられている。
シエルは使い込まれた革の手袋をはめ、暖炉に備え付けられた鉄の鍋を慎重に火から下ろした。
蓋を開けた瞬間、複雑に絡み合った香草の匂いと、とろけるほどに煮込まれた牛肉の重厚な香りが、部屋の空気を一気に支配する。
数年の時を経て、シエルの料理の腕はさらに磨きがかかり、北の素材を活かした独自の家庭料理は、オズワルド家の食卓になくてはならないものとなっていた。
スープ用の深皿にシチューをたっぷりと注ぎ分けると、深い茶色の液面に暖炉の火が反射してきらきらと輝いた。
その時、重厚な扉が開く音がして、冷たい外気を微かに纏ったルシアンが部屋に入ってきた。
彼の外套の肩には白い雪が薄らと積もっていたが、顔つきは公爵としての厳格なものではなく、帰るべき場所を見つけた男の柔らかなものだった。
ルシアンの足音を聞きつけ、暖炉のそばで丸くなっていた巨大な白狼のブランが身を起こし、尻尾をゆっくりと振りながら出迎える。
「おかえりなさいませ、ルシアン様」
シエルが鍋を置き、微笑みながら歩み寄ると、ルシアンは雪のついた外套を素早く脱ぎ捨て、シエルの身体を大きな腕で引き寄せた。
「ああ、戻った。……外の寒さなど忘れてしまうほど、今日も良い匂いがするな」
ルシアンはシエルの髪に顔を埋め、深く息を吸い込む。
彼の分厚い胸板から伝わってくる力強い心臓の鼓動は、出会った日から何一つ変わらず、シエルに絶対的な安心感を与えてくれていた。
ルシアンの不器用さは相変わらずだったが、言葉にしなくても伝わる互いの呼吸の深さが、二人の過ごしてきた月日の長さを物語っている。
テーブルに着き、二人は向かい合って温かいシチューを口に運んだ。
肉は舌の上で崩れるほどに柔らかく、根菜の甘みがじんわりと胃の腑を温めていく。
ブランには専用の大きな木鉢にたっぷりの肉と野菜が与えられ、無心に咀嚼する音が部屋に心地よく響いていた。
「領地の南側で、新しい農地の開拓が順調に進んでいる。来年の春には、君の望んでいた香草の畑も作れるだろう」
ルシアンがパンを千切りながら、穏やかな声で日常の報告をする。
シエルの意見を取り入れた領地経営は、年を追うごとに豊かさを増し、領民たちの笑顔も目に見えて広がっていった。
かつて冷酷と恐れられた公爵は、今や知恵と慈悲を兼ね備えた名君として、近隣の国々にまでその名を轟かせている。
そしてその傍らには、常に領民に温かい食事を振る舞い、誰にでも分け隔てなく接する慈愛に満ちた伴侶の姿があった。
「本当ですか。それはとても楽しみです。新しい香草が手に入れば、お肉の味付けの幅がもっと広がりますね」
シエルが嬉しそうに目を輝かせると、ルシアンは眩しいものを見るように目を細め、優しく微笑んだ。
「君の作るものなら、なんだって最高のご馳走だ」
何のてらいもなく紡がれる真っ直ぐな称賛の言葉に、シエルはくすぐったいような、それでいて胸の奥が熱くなるような幸福感に包まれる。
食事が終わり、片付けを済ませた後、二人は暖炉の前の大きな長椅子に並んで腰を下ろした。
シエルがルシアンの肩に頭を預けると、大きな腕が自然とシエルの腰に回され、その身体をしっかりと抱き寄せる。
足元では、満腹になったブランが満足げな寝息を立て始め、時折夢を見ているのか微かに前足を動かしていた。
窓の外では容赦のない吹雪が吹き荒れているのだろうが、分厚い壁と、燃え盛る火と、愛する人の体温に守られたこの空間には、一握りの不安も存在しない。
シエルはルシアンの大きな掌を自分の両手で包み込み、その無数の傷跡を愛おしむようになぞった。
冷たい政略結婚から始まり、厨房の小さな火から生まれた二人の縁。
それは不器用な歩み寄りと、誤解を解きほぐす時間を経て、決して千切れることのない強靭で温かい絆へと成長した。
シエルはそっと目を閉じ、ルシアンの規則正しい呼吸の音に耳を澄ませる。
誰にも顧みられなかった哀れなΩは、今、世界で最も安全で温かい場所を手に入れた。
これからもずっと、この愛しい人と共に、この北の大地で生きていく。
胃袋から掴んだ不器用な男の心は、永遠にシエルの手の中で、穏やかな熱を放ち続けることだろう。
暖炉の火が二人の影を優しく壁に揺らし、静かで満ち足りた夜が、どこまでも深く更けていった。




