【はじめて】 殺人者の朝
はじめて、人を殺した。
返り血が、じわじわと私を侵食していた。
入学式が終わった教室。田舎から引っ越してきた私に、知り合いは一人もいなかった。指先が震え、口を開けては閉じる私に、背中から明るい声が届いた。
「それって、星の子?好きなの?」
活発そうな女の子で、彼女は結衣と名乗った。結衣の手には、赤いぬいぐるみが握られていた。私のスマホで揺れるのは、色違いの青だった。
「ねえ、交換しない?美緒には赤い子が似合いそう。……実は私が青い子を欲しいだけなんだけど」
鼻をかいて顔を隠す結衣に、私の心は一瞬で溶けた。お互いのぬいぐるみを交換して、スマホに結ぶ。髪飾りの鈴が、ちりんちりんと優しく鳴った。
それ以来、スマホを取り出すたびに、顔が緩んでしまった。
空気が一変したのは、秋が深まる頃だった。
きっかけは、いじめだった。結衣は、リーダーの沙耶香が行っていた陰湿な嫌がらせを、真っ向から指摘したのだ。
ターゲットだった子が休学に追い込まれると、その矛先は結衣へと向いた。
あからさまな無視。机への落書き。それでも、結衣は「大丈夫だよ」と私に笑いかけた。けれど、私は見てしまった。彼女の指先が、隠しようもなく震えているのを。
助けたい、と手を伸ばしかけた。けれど、結衣の影が私と重なり、手は力なく垂れ落ちた。
ある日、放課後の教室。掃除当番をしていた私のポケットから、スマホが滑り落ちた。
「これ、アイツが付けてるやつじゃね?」
沙耶香のグループの子がそれを拾い上げた。急いで辺りを見回すと、幸いなことに結衣はいなかった。
「アンタ、アイツと仲良かったよね?」
沙耶香の氷のような視線が、私を串刺しにした。
「それ、目障りなんだけど。ねえ、どうするの?」
毒牙が喉元に突きつけられた。私は狂ったように瞬きを繰り返し、震える手で――それを引きちぎった。
「……アイツに、無理やり付けさせられただけです」
私は、それを上靴で踏みつけた。ちりり、と悲鳴のような音を上げて、鈴が壊れた。胃液が逆流する感覚に耐えながら、それをゴミ箱へ投げ捨てた。
「あはは、やればできるじゃん!ゴミ捨てはもういいって。代わりがいるからさ」
掃除を放り出し、沙耶香たちにカラオケルームへ連れていかれた。気付けば明るい曲ばかりを歌っていた。
翌朝、校舎の前で、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
ふと、見上げると、太陽の強い日差しを背負って、屋上の縁に影が立っていた。
それがゆっくりと傾いた瞬間、世界がコマ送りになった。
――目が、合った。彼女は、静かに、微笑んでいた。
鈍い音が、私の足元で弾けた。
赤い湖が、じわじわと広がっていく。
後を追うように、何かが落ちてきて、乾いた音がした。
画面の砕けたスマートフォン。その傍らには、無残に汚れ、鈴の潰れた『赤』と、綺麗なままの『青』があった。
その青が、じわじわと赤に染まっていく。
――ああ、そうか。
はじめて、人を殺した。




