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教育論


 紫苑しおんによると、当時の菖蒲あやめは各地で講演をしてまわっていたらしい。内容に関しては言葉を濁しているようなのが気になったが、疾風はやてはあえてそこは突っ込まずにおく。


「あの方のスピーチは、それはもう素晴らしいものだった。ヒトを感動させることにおいて、彼女の右に出る者はいないと言って良いだろう。小説家としてデビューしたと聞いたときも、おどろくことはなかったよ」


 その点に関しては、疾風も思い当たる部分があった。菖蒲は昔、彼が寝る前に色々なお話を聞かせてくれたものだったが、それらは、どれも即興で考えたオリジナルだったのだ。

 いまにして思うと、幼児の寝かしつけ用にしては重い内容が多かった。だが、彼女はどんな高度なテーマでも、うまく噛み砕いて子ども向けの物語に変換することに長けていた。


 疾風は様々な童話調のストーリーのなかから、人生において大切なことなど、菖蒲が伝えておきたいと思ったであろうメッセージを自然にくみ取っていたのだ。そのことに気付いたのは、ずいぶんと後になってからだったが。



「ちなみに、そのとき女史のサポートをしていたのが村長なのだよ」


「あぁ、なるほど……」


 つまり、すくなくともふたりは、ざっと見積もって三十年ほど前からの知り合いということになる。

 疾風は、村長が菖蒲の名前をダム湖で脅しに使った理由が、やっとわかった気がした。



「ねぇねぇ、ハヤテくん」


 先ほどからそわそわと落ち着きがないなと思っていた旭緋あさひが、とうとう我慢できなくなったのか口を開いた。


「服の話って、どうなったの?」


 言われて初めて、疾風は肝心なことを思い出した。画像を見せただけで終わっていては意味がないのだ。


「それなら問題ない。あのブランドならワタシも利用したことがあるからね。すぐにでも問い合わせて、在庫を確保しておこう」


 うきうきとした調子で言うと、紫苑は側のテーブルに置いてあったメガネを手に取った。

 それをかけると、フレームに手を添える。触れた部分が白っぽい光を発し、やがて点滅しだした。


 紫苑はぶつぶつとなにか単語をつぶやいている。しばらく黙ったあとで、誰かと話をし始めた。どうやら店に電話をかけているらしい。

 通話を終えると、彼女はにっこりと笑った。


「先ほどのワンピースだが、ちょうど一着だけ残っていたそうだよ。明日、さっそく取りに行くとしよう」


「すごいな」


 ものの数分で用件を済ませてしまった紫苑の素早さに、疾風は感嘆の声をあげた。

 変人なところばかりが目につく彼女だが、やはり高性能アンドロイドを開発できるような優秀な科学者なのだ、とあらためて思う。



 とりあえずの問題は解決したので、疾風は叔父夫婦の家に戻ることにした。旭緋は宿題があるとかでそのまま残ると言う。


「そういえば、旭緋のところは登校日ないの?」


 疾風にしてみれば、何気ない質問のつもりだった。ちょうど学校の話になったのでふと気になっただけで、特に深い意味はない。

 しかし旭緋は、うつむいて押し黙ってしまう。

 その姿を見て初めて、疾風はこの話題が避けるべきものだったことに気が付いた。


「……あたしは、行ってないから。学校」


 旭緋がうつむいたまま、ぼそっとつぶやく。


「え? でも、宿題って。あと、ラジオ体操とか」


 意外な回答をされて、疾風はなぜかうろたえた。


「旭緋嬢は、特例で遠隔授業を受けているのだよ」


 言いにくそうにしている旭緋を見かねたのか、紫苑が助け舟を出した。



 まだ一般に普及するほどではないが、学校や一部の大企業では遠隔操作ロボットを取り入れるところが増えてきている。

 特に予算の取りやすい教育現場では、かなりの台数が導入されているはずだ。


「へぇ。オレも体調が戻らなかったら、二学期から同じになるかもしれないな」


 疾風は、さりげなく話題を旭緋かららした。実際に終業式の日、クラス担任からそんな意味合いの連絡があったのは本当だ。


「まぁ、オレのケースは特殊だから。許可が下りるかは微妙らしいけどね」


 担任によると、やはり基本は長期入院している児童を優先するものらしい。旭緋の()()というのも、そのことに関係しているのだろう。


「もし使うことになったら、いろいろ教えてよ」


 疾風の言葉に、旭緋はちいさくうなずいた。


「そのときはワタシも協力させてもらうよ。ちょうどいま開発中のものがあってね」


 紫苑の言葉に、疾風はどう答えたものか迷った。申し出はありがたいのだが、いかんせん彼女の趣味のことを思うと頼みにくくもある。


「ひょっとして旭緋が使ってる遠隔操作のロボットも、紫苑さんの……?」


「いや、さすがに開発途中のものを使わせるわけにはいかないからね。彼女がいま使用しているのは、凡庸ぼんようでなんの面白みもない退屈なハリボテさ」


 遠隔授業用のロボットに面白みは必要ないと思うのだが、疾風は黙っておいた。



 村長の家からの帰り道、疾風は久しぶりに正午の時報を聞いた。どこか懐かしさを感じさせるメロディ。

 ふだんの彼は、この時間帯だと自室に引きこもっていることが多い。窓を閉め切っているのと、おそらく叔父夫婦の家が防音効果の高い設計になっているおかげで、外の音はほとんど聞こえないのだ。


 疾風は最初の日に聴いた、旭緋の歌を思い出した。

 昨今の学校では情操教育の一環とやらで、やたらと合唱することを推奨している。だが、通学していない彼女は、一体どうしているのだろう。

 モニターの前に立って、ぽつんとひとりきりで歌っている場面を想像すると、いたたまれない気持ちになってくる。


 疾風は、年齢から逆算して旭緋の入学時のことを考えてみた。

 ダムが完成した年を知らないので推測になるが、旭緋はたしか、建設に五年ほどかかっていたと言っていたはずだ。となると、彼女の年齢からも以前の村にあった小学校に通っていた確率は低そうである。

 ひょっとしたら旭緋は、学校というものに行った経験がないのかもしれない。


 そう結論を出した疾風は、これはますます厄介な話になってきたな、と頭を抱える。

 正直、旭緋がここまで徹底して、村から出ていく機会がないものだとは思っていなかった。

 高校見学時の計画は、そのことにも配慮して予定を考えなくてはいけないようだ。


 とりあえずは、紫苑に送るデータを作成するところから始めなければ。

 疾風は小走りになって、家までの道を急いだ。




 昼食のテーブルに、かなめは姿をあらわさなかった。休日は朝夕の二食だけで済ますことが多いらしい。


「それこそほんとうに、医者の不養生よねぇ。まぁ、なにかあったときのためにあまり遠出はできないから、趣味も限られてきちゃうのは仕方ないけど」


 きょうは茶化すように言いながら、サンドイッチを運んでくる。要は、仕事のないときは書斎にこもりっきりらしい。


「疾風も、日中はほとんど家にいるんでしょう? もうすこし意識して、外出するようにしなきゃダメよ」


「わかってる……でも、暑いからさ。それに平日の朝はラジオ体操してるし。今朝は代わりに軽く走ってきたから、運動してないわけじゃないよ」


 疾風はつい、子どもじみた言い訳をしてしまった。杏子があきれた、とでも言いたげな顔をする。


「昼間だって、森のなかなら涼しいじゃない。旭緋ちゃんは、よく木陰で昼寝してるって言ってたわよ」


 たしかに、最初に会ったときも彼女は木の根元ですやすやと眠っていたな、と思い出す。しかし、同じように昼寝をしていたのでは意味がないのではなかろうか。


「旭緋ちゃんにも、もっとあなたを連れ出すように言っておいてあげるわ」


 杏子が、またしても余計なことを言い出した。


「別にいいよ。そんなことしたら、あいつ生真面目に日曜まで通ってくるようになるだろ」


 実際のところは、そこまで迷惑という気はしない。だが杏子の手前、疾風はとりあえずといった感じで断った。


「せっかく自然の豊かなところに来たんだから、もっとあちこち行ってみなさいよ。ダム湖だって夜にしか行ったことないんでしょ?」


 そういえば、旭緋が「あかるいときに来よう」とかなんとか言っていたな。

 疾風は、あのときのことがなんだかずいぶんと昔のように感じられる。

 

 登校日を無事に過ごせたら、一緒に行ってやるか。

 きゅうりだけを挟んだシンプルなサンドイッチを頬張りながら、疾風はそんなことを考えていた。

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