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甘ロリとクラシカル系、どちらがお好みですか?


 翌朝、疾風はやては実にすっきりと目覚めた。昨日の出来事が嘘のように、気分も晴れ晴れとしている。

 端末で日付と時間を確認した。今日は日曜なので、ラジオ体操はない。診療所も休診である。

 朝食がふだんと同じ時間だったとしても、まだ下におりていくには早かった。


 疾風は天井を見つめながら、今日の予定を考える。

 高校に旭緋あさひの件を連絡するのは、平日である明日のほうが良いだろう。そうなると、例の問題——彼女との関係——が予想外の形で片付いてしまったいま、あわてて動く必要はなさそうだった。


 ラジオ体操が休みのぶん、軽くジョギングでもするか。

 疾風は急に思い立って、ベッドからいきおいよく起き上がった。いつも通り、半そでのTシャツとジャージに着替える。

 洗面所に向かう途中で、ちょうどトイレから出てきたかなめと顔を合わせた。


「おはよう、ございます」


 疾風が挨拶あいさつをすると、要はぼんやりとした顔のままちいさくうなずいた。この人は、朝は大体いつもこんな感じだ。


「ちょっとその辺を走ってきます」


 一応、家を出る理由を告げておく。おそらくきょうに伝わることはないだろうと思うが。

 それくらい、あの夫婦が話をしている場面を見る機会はなかった。職場が同じということもあって、自宅でまでわざわざ語り合う必要はないのかもしれないが、それにしてもすこし不自然ではある。


 しかし、それぞれの家庭にはおのおの流儀があり、事情も千差万別だ。この家では、あれが普通の状態なのだろう。

 思えば、疾風自身が育った家庭も、世間の標準的な家族と比べるならじゅうぶん特殊といえた。


 疾風は身支度を整えながら、柄にもなく菖蒲あやめは元気かな、などと考える。

 そして、学校に行く前に自宅に寄る必要があることを思い出した。制服を持ってきていないので、着替えてから登校しなくてはいけない。

 普段なら菖蒲と顔を合わせるのは面倒に感じてしまうのだが、ほんの一週間とはいえ離れてみると、意外となつかしく思ったりもするものだ。


 夜なら家にいるだろうし、あとで一応連絡しておくか。

 御年七十になる菖蒲は、いまでも現役でイラストレーターと小説家という二足のわらじを履いて活動している。昼間は作業部屋にこもっているか、取材と称して出かけているかのどちらかであることがほとんどだ。

 彼女はメールのたぐいを毛嫌いしているので、自宅に電話をかけて捕まえるしか手段がないのだった。

 



 玄関を出ると、周囲は一面、朝もやに包まれていた。ひんやりとした空気を肌に感じて、疾風は軽く身震いをする。

 とりあえず丘のある方向に歩き始めた。すこしずつ意識しながら、ペースをあげていく。


 ゆるやかな坂が見えてくる。疾風は、丘にのぼるか村の中心部まで走っていくかで迷った。

 そして、この集落に滞在して一週間、ほとんど同じ場所しか行っていないことに思い当たる。散策をしてみたい気もしたが、早朝にひとりでうろつくのも躊躇ためらわれた。

 

 端末で時間をチェックして、疾風は結局、丘に行くことを選択した。上までのぼってすこし休憩してから帰れば、ちょうど朝食に間に合う計算だ。もちろん、叔父夫婦のタイムスケジュールが平日と同じであれば、という条件付きだが。



 いつもの場所に腰をおろす。そういえば、ひとりでここに来るのは初めてだな、と思う。

 疾風はなんとなく坂のほうを振り返って、そこに人影がないことを確認してしまった。

 さすがにこんな時間では、旭緋もまだぐっすり眠っているだろう。


 地面のほうに目を落とすと、ちいさな白い花が目についた。旭緋が、花占いに使っていたものと同じ種類だ。


 あのとき彼女は、だれのことを占っていたのだろう。

 そういえば小さな声で「()()、キライ」とつぶやいて、残念そうな顔をしていた。よく考えてみると、不思議な言い回しだ。


 疾風は、そっと花びらに触れてみた。頼りなさげに揺れるその姿は、泣いていたときの旭緋を、思い起こさせた。




 家に戻ると、ちょうど杏子がダイニングに入っていくところだった。どうやら、休日であっても習慣は変えない主義らしい。

 

「あら、こんな朝早くからデート?」


 杏子は疾風の顔を見るなり、挨拶もせずにそう言った。


「まさか。今日はラジオ体操がないから、代わりに走ってきただけだよ」


 疾風はつい、刺々しい声で返事をしてしまった。杏子はくすくすと笑い声を立てている。


「そんなに慌てて弁解しなくてもいいわよ。ちょうどいいわ、準備を手伝ってくれる?」


 うながされて、疾風は杏子とともにキッチンに立った。杏子は、あれこれと食材を取り出してきては下準備の指示を出す。


「あまり出来合いのものばかり食べさせていると、菖蒲()()()()に叱られちゃいそうだしね」


 そんな冗談を言いながら、杏子は手際良くパンケーキを焼き始めた。ふだんは時間の余裕がないために仕方なくレトルトを活用しているが、本来は料理好きなのだ。


 食卓に豪華な朝食が並べられると、タイミング良く要がやって来た。やはり、こういったところは長年連れ添った夫婦といった感じである。



 いつも通り、杏子が一方的に話をするなか、男ふたりは黙々とたべものを胃のなかにおさめていった。

 しかし今朝は、要の様子が微妙に違っていることに疾風は気づく。


 それは、杏子が旭緋の高校見学のことを話したときだった。普段ならどんな話題が出ても変わりなく食事を続ける要が、急に手を止めたのだ。

 旭緋とはまったく接点のなさそうな要ですら反応を示すのだから、やはりこの集落の住民にとって、彼女が村から出るというのは特別なことなのだろう。

 疾風はあらためて、自分の行動の重大さを実感する。



 それ以外は特になにも変わったことはなく、要は食べ終わるとさっさと席を立って出ていった。

 残されたふたりは、黙って食器を下げ始める。片付けを手伝うことは、すでに疾風の習慣になっていた。


「そういえば、学校に行くときの旭緋ちゃんの服だけど……紫苑しおんに任せっきりなのは、やめておいたほうが良いわよ」


 杏子が、不意に変なことを言い出した。それはまぁ、めずらしいことではないのでおどろきはしない。問題なのは、その内容だった。


「それって……やっぱり、あのひとが選ぶとロリータ服になるって意味?」


 疾風は嫌な予感がした。瑠璃るりまいのかっこうを見ていれば、予想はつく話だ。

 実際、あのときも多少心配はしてはいた。


「でも、さすがに常識的に考えたら有り得ない……と、思いたい」


 疾風の言葉に、杏子は力なく首を振った。


「すこしは人を疑うことも覚えなさいよ。あのひとを見ていたらわかるでしょ? そんな理屈、通用するわけないじゃないの」


 そう思うのであれば、あの場で止めてくれたら良かったのに。疾風は思ったが、口には出さなかった。どうも杏子と紫苑のふたりには、お互い妙に気をつかい合っているような、変な距離感があるように感じられる。


「じゃあ、あとで確認しておくよ」


 疾風はため息まじりに答えた。

 まったく、つぎからつぎへと問題が押し寄せてくる。いい加減、勘弁してほしい。



 杏子から連絡先を聞いて、疾風はさっそく紫苑にメッセージを送った。無難に、当日のリハーサルをしておきたいと持ち掛けてみたが、どう反応するだろう。

 ほどなく、向こうから電話がきた。


「いやあ、実はワタシも疾風氏に頼みたいことがあってね。ちょうど良かったよ」


 紫苑はそう切り出すと、疾風の通っている高校についての情報を送ってほしいと頼んできた。瑠璃にデータをインプットするつもりなのだと言う。


「旭緋嬢には出来るだけ黙っていてもらって、教師との応対は瑠璃にやらせたほうが安心だろう?」


 彼女の言い分はわからないでもなかった。だが、プログラムをつくっているのが紫苑では、大差ないようにも思えてしまう。

 ともあれ、見学内容に関しては疾風がしっかりと計画しておけば問題ない。そんなことよりも、いまは旭緋の服の話だ。


「そっちのほうは、今日中に作成して送ります。ところで、旭緋の当日の服装に関してなんですが」


 疾風は、とにかく一刻も早く確認しておきたかった。


「安心したまえ。すでに何着か候補は挙げてある。実は明日にでも、研究室に戻るついでに下見に行こうかと思っていたところなのだよ」


 研究室。場所は聞いた覚えがないが、都心に近い場所であるなら要注意だ。このままでは、用が済んだら原宿に直行コースになりそうないきおいである。

 疾風はよっぽど付いて行きたいと申し出ようかと思ったが、とりあえずはその候補とやらを見せてもらうほうが先決だ。


「それ、画像のデータを送ってもらうことはできますか?」


 疾風の申し出を、紫苑は快く請け負ってくれた。

 電話を切ってから送られてきた画像は、まごう方なきゴリゴリのロリータファッションに身を固めたモデルが、にこやかに微笑んでいるものだった。

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