14 お兄ちゃん(トラ)
「う、むむ……」
「ユ、ユカリ!」
「…………、トラジロウちゃん!」
「ユカリ〜!」
お腹に重みを感じて目を開けた。
視界に飛び込んできたのは黄金色の瞳。
この重量感の正体である赤ちゃんトラをそっと抱きしめると、ざらりとした舌で頬をペロリと舐められた。
顔だけを動かして周囲を見回せば、なるほど、ここは古い宿屋の一室だった。
私のお腹の上に陣取る小さなふわふわ青毛玉こと、トラジロウが口の中に何かを突っ込んできた。
舌で転がして味わえば、お口の中にふわっと広がるお肉と香草の香り。
これはロドルニプスのジャーキーだ。
ロドルニプスとは牛と草食恐竜を足して2で割ったような見た目の、大型バス並みに大きい生き物で、リヴェル様がたまに何処かから狩ってきてくれた。日持ちするのに何故か硬くならず、しかもめちゃ旨という理由で師匠の奥さんが干し肉をたくさん作ってくれたのだ。
「おいひいれす」
「よく噛んで食べろよ」
「はい」
言われた通りにもぐもぐと咀嚼していると、お腹の上にいる子が頭をグリグリ押し付けてきた。可愛い。
胸に顔を埋め肉球のお手手でバシバシ身体を叩いてくる。
角が食い込んで物凄く痛いのだけど、ここは耐えましょう。
ふわふわ青毛をかき回して、そのまま背中マッサージに移る。
長年の経験では優しくぐりぐりされるのと、青と黒のシマシマに沿ってなぞられるのが好きらしい。
トラパンチをくらう間隔が次第に長くなっていき、しばらくすると完全に止まった。
「……ユカリが、死んじゃうかと思った」
「お腹が空いただけじゃ死なないよ〜」
「島で一度死にかけただろう!」
「すみません」
フシャーッと牙をむかれた。
小さくても獲物の息の根を止められるそれが鋭く光る。
たしん、たしん、と尻尾がリズムよく太腿を打ち始める。
結構痛い。ヤバイ。これは相当、怒っている。
「それにだな!」
「はい」
「なんだあの魔法は!」
「それが私にもよく分か」
「分からないだぁ!?」
「ひっ」
たん! たん! たん! たん!
尻尾のリズムが速くなってきた。
私の心臓が刻むビートも速くなってきた。
「杖も使っていなかっただろう!」
「……はい、でもそれは」
「言い訳無用!」
「はい」
「杖なしで魔法を使うなと何度言えばわかる!」
「すみません……」
「あんな事をして、魔力回路にどれだけ負担がかかったと思っているんだ!」
「すみません……」
「そして周りをよく見て行動しろ! このバカ! 反省しろ! もう二度とするな!」
「本当に、すみませんでした……」
「全くお前はいつもいつも──」
ここまでくれば大丈夫だ。
窓の外を見れば空は赤く染まっていた。
どうやら今は夕方らしい。
私の精密な腹時計はストライキをしている。
「──この前だって」
「ねぇ、レオンは?」
「ユカリを此処まで運んだあと、後処理をしてくると言って出て行った」
「そっか」
「ほら口開けろ」
「あー、む」
「この前だって師匠が──」
レオンが運んでくれたのか。
いや、トラジロウだったら逆に驚くけど。
そういえば私のマフラー、メルちゃんに巻いたままじゃん。
どうりで首元がスースーすると思ったわけだ。
「──、聞いているのか!?」
「もちろんです」
「そうか、なら」
「ね、レオン来たよ」
「……あぁ」
見知った気配が部屋に近づいてきたのだ。
そして何故か足音がいつもより大きい。
トラジロウがのそりと起き上がって膝の上に移動した。
私も身体を起こして壁に背中を預ける。
聞こえてくる乱暴で大きな足音は、この部屋に近づくにつれ、意外にも徐々に小さくなっていく。
ついに部屋の前で音が止まると、ゆっくりと扉が開いた。
「お、おかえり」
「……ただいま」
入ってきたのは予想通り赤髪の長身筋肉男、レオンだ。
というか彼じゃなかったら大変だ。
まぁ気配で特定できるからそれはありえないんだけどさ、ノックぐらいして欲しいよね。
壁に凭れる私と目が合うとレオンはほっと息をついた。
「よォキリヤ、やっと起きたか。調子は?」
「うん、大丈夫だよ。倒れちゃってごめんね。運んでくれてありがとう」
「いーってことよ。オラ、これでも食っとけ」
「っとと、……あぁ! ありがとう!」
投げられた袋に入っていたのは!
リンゴやオレンジ、パンなどなど!
おおお、ありがたやー!
ジャーキーだけじゃちょっと物足りなかったんですよ! キュンとくる!
トラジロウに柔らかなパンを渡し、袋の中から新たに真っ赤なリンゴを一つ取り出した。
いくよ、と声をかけてから下手投げでレオンに投げる。
彼は飛んできたリンゴを片手かつノールックでキャッチ、がぶりと大きく噛み付いた。
しゃりしゃりと口一杯に含みながら、ベッドサイドの椅子をこちらまで引き摺ってくると、どかりと勢いよく腰掛けた。
超重量級筋肉系男子が手加減せずに座った椅子は、ミシミシっと必死に耐えるような悲鳴をあげる。かわいそう。
「…………」
「…………」
「…………」
無言のまま約10秒が経過した。
口に食べ物が入っているから喋れないっていう理由もあるけど……。
何より、レオンの纏う雰囲気が怖いのだ。
綺麗なエメラルド色の眼がなんかこう……ギラギラしているし、眉間にはコインを二枚は挟めそうな深い谷ができている。
これではせっかくの男前が、ただのチンピラにしか見えない。
トラジロウと顔を見合わせた。
私が倒れてからずっとああなの? いや、今帰ってからだ。じゃあなんで機嫌が悪いのかな。さぁ、…わからない。
相棒と目線で会話した。
訳者は私なので都合よく解釈致しましたけど、大体合ってると思う。
そして早くも食べ終えたリンゴの芯をゴミ箱にシューッしたレオン。
そんな彼にロドルニプスのジャーキーを押し付けるように手渡した。
美味しいものを食べれば気持ちも落ち着くはずだ。
少なくとも私はそう。
彼はこちらをギロリと横目で見たのでまどろっこしい事はせず、どストレートに尋ねてみた。
「レオン、どうしたの?」
「……ア? ったくよ、ヒデェー目に遭ったぜ。
……うま! 何だコレ!」
「ね! 美味しいでしょ、それ!」
「何の肉?」
「ロドルニプスっていう」
「ゴホッ、ゲホ、おま、ロドルニプスをジャーキーにする奴なんざいねェだろ!」
「……そうなの?」
「お前ん家、どんだけ物好きなんだよ。こんのボンボンが!」
「ボンボンじゃない! 返して!」
「コレはもう俺のですゥ〜!」
レオンの眉間に深く刻まれていたシワが一瞬で消えた。
美味しいものを食べて驚きと喜びに満ち満ちているというような顔だ。
食べ物の力は偉大である。
ご機嫌が大分回復した彼は、あれから何があったのかを話してくれた。
私を此処まで運んだ後のことだ。放ったらかしておいたボードロ盗賊団の懸賞金を貰うため、再び荒野に戻ったらしい。
するとアジトの周りが騒がしい。なんと大勢の役人達が団員たちを捕縛していたのだ。これは何事だとレオンが役人に尋ねたところ、ある三人組がボードロの身柄を確保したと換金所に連れてきたのだとの返答をもらった。その三人組はボードロの懸賞金だけを受け取るとさっさと街を出て行ったらしい。
俺が倒したという主張は当然聞き入れてもらえるはずもなく。
結局、レオンは一銭も貰えず帰ってきたと。
…………。
「そんなの泥棒じゃん」
「俺らの間には明確なルールなんてねェんだよ。全部、自己責任なの」
「随分と厳しいんだな」
「アイツら、今度会ったら必ずぶん殴る」
「知り合い?」
「知り合いっつーか、まぁちょっと有名な奴らだな。そういうハイエナみたいな奴らもいんの」
「……もう一つどうぞ」
「サンキュー」
これはどう考えても私の責任だろ。
「ごめんね。私が捕まっちゃって計画ぶち壊したし、途中で倒れちゃったし……」
「おれも、あそこに残るべきだったのに。すまなかった」
「だから、これは不注意だった俺の責任なの。オメーらが気にするこたぁねぇよ」
頭をグリグリ撫でられた。
その筋肉質な太い腕を両手で捕まえて胸の前に持ってきた。
レオンは私の好きにさせくれたので、そのまま彼の硬い手を握る。
うわ、腕にかさぶたが……。あ、ここにも、こっちにもあるじゃん。血は止まってるけど、妖精の水使った方が良いのかな。
「オ、オイ? キリヤさん?」
「あっごめん」
不思議そうにこちらを見るレオン。
窓からの夕陽を受けて輝く、浅くも深くもある青緑色の瞳がとても綺麗だ。
トラジロウもレオンの手に肉球を押しあてた。
精一杯の誠意と感謝を込めて口に出す。
「助けに来てくれて、ありがとう」
「ありがとう」
「……おう」
面を食らったような顔をしたあと、ふいっと目を反らした。
そして窓の方を見ながらもう片方の手で自分の顔を隠すように髪を掻き回す。
「やだ照れてる〜」
「うるせぇ」
「あいたっ!」
頭を小突かれた。痛ったいなぁ。
だけど耳が真っ赤になってるぜ、お兄さん。かわい……はっ!
私は今、レオンを、かわいいって思った……? 可愛いとの対極に位置しているゴツい筋肉男を? 超重量級筋肉系男子を? どうかしてるぜ。大脳さん仕事して。そうかブドウ糖が足りないか。ご飯が、米が食べたい。
「だーっ! さっさと夕飯食いに行くぜっ! まーた誰かさんが腹減ってぶっ倒れたらたまんねーかんな」
「む。私は誰かさん達が飲み過ぎないように見張らないと」
「……頼む」