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事件から手を退くこと。

蓮見が何を隠しているかは知らないが真意はそこにあるのだろう。


だが朝宮誠は高校を卒業してから刑事一筋で14年間勤めあげてきたのだ。

他の同僚たちのように中途半端な事実だけを掴まされて"はい、そうですか"と引き下がることはできなかった。


まだ何もわかっちゃいない。

蓮見リリ。

お前がいかにクラスメート達を殺し、何の目的があって凶行に及んだのか俺が必ず突き止めて見せる。



朝宮は清霜高校を訪れていた。

事件をイチから洗い直すためだ。

おかしな事に蓮見の言った真実とやらを聞かされてから事件の記憶が、いや吉岡という教師に関する記憶が日に日に薄れていくのだ。


"魔法少女、ですよ"

人を喰ったようなことを言いやがる。

そんなものこの世に存在するわけがない。


「お忙しいところすみませんね。なるべく手短に済ませますので今一度ご協力を」


事件の第一発見者、青井信二。

この男はあの日、事件現場に居あわせた唯一人の第三者だった。


証拠は消え、当事者は消え、加害者は真相を語らない。


当時、青井はずいぶんと錯乱した状態にあった為、朝宮たち捜査官も突っ込んだ話を聞くことはできなかった。

そもそも蓮見は容疑を否認することはなかったし、事件は明白だった。

その時、詳しく証言を取らなかったことを責められる者はいないだろう。


「あの、事件は解決したはずですよね。私共としましてもいつまでも警察関係者に校内を歩き回られるのは」


「承知してますよ、先生。これで最後です」


朝宮は少し威圧するような声で青井の言葉を遮った。

どんなときでも相手より優位に立つこと。


人はそれが大したことでなくても痛くもない腹を探られれば物事を隠したくなる生き物だ。


だから朝宮は必ずどんな人間を相手にするときも対等の立場を崩さない。

相手に弱味は見せない。

付け入らせる隙は与えない。


こういう振る舞いをするから葦月には"怖い"などと茶化されるのだろう。

だがそれでいい。

警察官に対するイメージなど少し畏怖を覚える程度が調度いいのだ。



「ではもう一度、事件を発見した時のことを教えてもらえませんかね」


「教えるも何も前に話した通りですよ。私が駆け付けた時にはもう全ては終わった後でした。血だらけの生徒たちが床に倒れていて、教室の真ん中には蓮見が立っていました。私と眼が合うと彼女は笑ったんですよ。思い出すだけでも身の毛がよだちます。あの子があんな恐ろしい事をするなんて」


蓮見リリは成績も優秀。

学校での態度にも問題は無し。

同級生の間では目立つ存在ではなかったが教師のおぼえはよかった。

まあ、典型的な優等生タイプだ。

それだけなら極めて普通の学生だった。


しかしながら蓮見の家庭には少しばかり特殊な事情がある。

蓮見の両親は6年前に亡くなっている。

まだ幼い彼女の弟もだ。

それからの蓮見は天涯孤独の身だった。

家族の死因は不明。

そしてそれからの蓮見の経歴も実のところよくはわかっていなかった。

6年前といえば蓮見はまだ10歳だ。

それからひとりでどう生きてきたのか。

いずれにせよ、それが直接今回の件に関係しているとは思えなかったが。


「凶器は見ませんでしたか?被害者は刃物のようなもので切り裂かれていました。それについては心当たりは?」


「ありません」


「あなたは事件のほぼ直後に教室に入っています。蓮見には凶器を持ち去る時間はなかったはずだ。それでも心当たりはない?」


「私を責めているんですか?本当にわからないんですよ!私は何も知らない、何も見ていない!」


「確認ですよ、先生。興奮なさらずに」


ずいぶんヒステリックな反応だな。

以前会ったときとはずいぶん印象が違う。事件直後は青井も動揺していたということか。

だが少し引っ掛かる。

朝宮は普段、一度出会った人間の第一印象を変えることはほとんどなかった。


やはりこの事件、不自然な点が多すぎる。


「では質問を変えましょう。被害者について、吉岡康介についてお聞きしたい」


「吉岡?聞かない名前だな。すみません、学年主任もやっていたのに生徒の名前が頭に入っていないようで。お恥ずかしい限りです」


「ちょっと待ってくれ。吉岡だよ、吉岡。2年C組担任の。同僚だろ?ふざけてんじゃねえよ」


「はぁ、吉岡ねぇ」


「おい、いい加減にしろよ。てめえ協力する気はあんのかよ!」


朝宮は思わず机を殴り付けた。

もしここが取調室だったら即刻問題になるところだ。

だがここは署内じゃない。

誰にも気づかれなければ多少強引な手段を用いても構わないだろう。


青井のヤツ、とぼけやがって。

蓮見といいこいつといいこの学校にまともに会話ができる人間はいないのか。


「すみません、刑事さん。何だか事件のことを思い出していたら少し気分が悪くなってしまったようです。これで失礼させてもらってもいいでしょうか?」


「おい、あんたまだ何も」


朝宮が言い終わる間もなく口許をハンカチで押さえた青井は足早に応接用の教室を後にした。


挙動からして体調を崩したのは間違いなさそうだ。

まったくどうなってやがるんだか。


その後の聞き込み調査でも新しい事実が上がることはなかった。

否、むしろ奇妙な現象が学校全体を覆い尽くしているかのようだった。


"吉岡康介"

この教員に関する記憶が誰にもないのだ。同じ2年を受け持つ教師、同期、校長、果ては無理を通して話を聞いた生徒たちのだれひとりとして、吉岡の名前を聞くと首をかしげた。


青井のように体調を崩すものまでいた。

現に生徒のひとりなど質問した瞬間にその場で嘔吐する始末。

おかげで朝宮はそれ以上、学校にいられなくなった。


少々、疲れた。

頭を整理したくなった朝宮は近隣の喫茶店に入るとブラックでコーヒーをひとつ注文し、煙草を吹かした。

最近はどこも禁煙、禁煙とうるさい。

気兼ねなく煙草を吸うには昔ながらの喫茶店が一番だった。


雑誌の棚から新聞を引き出そうとして手を止める。

隣の週刊紙の見出しが気になった。


"少女Aの真実!清霜高校クラスメート皆殺し事件に隠された悲しき闇とは!?"


ゴシップ好きが喜びそうな記事だ。

事件から1ヶ月程度では世間の関心はまだ他には移らないということか。


何となくそれを手にすると朝宮は席に戻った。


何度も繰り返し書かれたのだろう、簡略化された事件のあらましが面白おかしくまとめられている。


朝宮は苦笑する。

刑事にでもなったつもりか。

いっぱしの推理を披露してやがる。


適当に読み流すつもりだったがここでも学校での奇怪な現象を追体験することとなった。


吉岡に言及している箇所がひとつもない。


"クラスメート皆殺し"

"29人を殺害"


記事にはそう書かれている。

担任の教諭があの場にいたこと、殺された事には一切触れられていない。


記憶の改竄(かいざん)

無意識的に記憶が書き換えられ、上書きされている?


あり得ない妄想が朝宮の頭を駆け巡った。だが予感は確信に近づきつつある。


署に戻ろう。

事件に触れた新聞紙の切り抜きが確か資料として残っていたはずだ。

なるべく古い記事。

そこには吉岡の記録が必ず残っているはずだった。



降り始めた激しい夕立が視界をさえぎる。

朝宮は車の空調を入れるとネクタイを少しだけゆるめた。


署に到着し車を降りようとしたところで傘を持っていなかった事に気づく。

最近はすっかり天候が読めなくなった。

四季の移り変わりも感じ取りづらい。


情緒もなにもあったものじゃない。昔はこうじゃなかったはずだ。

人の心が荒んでいくのに比例して、環境まで変わってしまったのだろうか。

まったく世も末だ。


時計に目をやった。

時間は既に21時をまわっている。

多くの署員はもう帰宅している時刻だ。


調べ物をするにはちょうどよかった。

余計な横槍を入れられずに済む。



雨に降られながら署内に入ると葦月と鉢合わせになった。

最近では昇進試験の準備だとか何とかで行動を共にすることも少ない。


分厚い本を何冊も持っているところからすると今日も遅くまで残って勉強に励んでいたのだろう。

精の出ることだ。

朝宮には現場を外れてまで昇進にいそしむキャリアの思考が今一つ理解できない。


事件をひとつでも多く解決に導くことこそが刑事としての朝宮の生き甲斐だった。


その他のことに構っていられるほど自分は器用ではない。

顰蹙(ひんしゅく)も買った。

妻には逃げられた。


だがそれがどうした。

そんなことは些末(さまつ)な問題だ。


俺にとって心を燃やせるのは事件を追うことだけだ。


それができるのなら何を捨てても惜しくなどない。

そして今、この瞬間においては蓮見リリこそ朝宮の最大関心事だった。


「遅いお帰りですね、朝宮さん。あまり根を詰めすぎないほうが良いですよ。お体に障ります」


「お前こそな。ずっと部屋ん中こもってると勘が鈍っちまうぞ。たまには現場に顔出しな」


葦月は口許だけで笑うと軽く頷いた。


「まだ例の件、追ってるんですか?」


「ああ。面白いことがわかってきたぜ。蓮見にカマかけるネタも掴めそうだ」


「もうやめたほうがいいですよ。みんなあきれ始めてる。居場所なくなっちゃいますよ、朝宮さん」


「バカ野郎。刑事(デカ)ってのは諦めの悪さが肝心なんだぜ」


葦月の肩を叩くと朝宮は資料室へ向かって足を進める 。

吉岡康介に関するデータが事件の鍵を握っているはずだった。

自分の想像を越えた何かがあの事件にはある。


真相を掴みかかっている手応えに身が震える。この感覚こそ生きている実感だった。これだから刑事はやめられない。


「気を付けて帰んなよ」


「お疲れさまです、朝宮さん。忠告はしましたからね」


葦月と別れるとさらに気持ちが(はや)った。

焦っているのだろうか。

無理もない。

あり得ないことに朝宮は記憶が時間と共に薄くなるという事実を半ば認め始めていた。



ここで真実を掴まなければ永遠にたどり着けないのではないか。


その想いは徐々に大きくなりつつある。


資料室に着くと解決済みの棚から蓮見の事件を探し出す。


分類番号3000106D、通称 清霜高校女子高生クラスメート惨殺事件の資料はまだ新しい事もあって比較的目につく場所にあった。


スクラップブックから新聞記事の切り抜きを見つけると警察が事件を発表した直後の日付、7月23日付けの記事を引いた。


"16歳の少女は同じクラスの同級生29名と担任の吉岡康介教諭(27)を殺害し"


"吉岡康介さん(27)は頭部を損壊し、即死した状態で発見された"


確かに記述があった。

当たり前の事実になぜか動悸が早まる。

これほどはっきりとした事実が関係者全員、いや週刊誌も含めれば全ての人間の記憶から消えてなくなるものだろうか。

そんなことが起こりうるのだろうか。


その疑問に意味がないことは朝宮自身が一番よくわかっていた。

現に吉岡のことを覚えていた人間は誰もいなかったのだから。


ただひとりの例外を除いて。

蓮見リリ。

自らを魔法少女と称するこの女だけは吉岡を記憶していた。

それだけではない。

彼女は吉岡に関する記憶が消えていくことを知っていた。


何故だ。

まさか本当に。

あり得ない。

いや、もはやあり得ないなどと言う言葉には何の力もなかった。


さらにページを捲る。

似たような記事ばかりが続く。

そのどれもに吉岡康介の名前は確かに記録されていた。


さらにもう1ページ。

捲ったところで朝宮の手は止まった。

その記事には被害者の顔写真が掲載されていたからだ。

クラスの集合写真だった。


蓮見の姿もある。

その写真の中央、生徒達に囲まれて座る男の顔に戦慄を覚えた。


「葦…月?」


その男は吉岡康介のはずだった。

だがその顔は紛れもなく葦月のそれなのだ。


朝宮の頭を激しい痛みが襲った。

何か、触れてはいけないものに触れてしまったという気がする。


"不都合な真実"


思い出されるのはまたしても蓮見の言葉だった。



「とうとうそれを見つけてしまいましたか、朝宮さん。だから辞めた方がいいって忠告したのに」


声に思わず資料を隠した。

条件反射のようなものだ。

もっともすでに気づかれた後とあっては遅きに失したが。


「葦月、お前まさか」


"吉岡先生は悪魔でした"


魔法少女。

悪魔。

そんなものの存在を認めろというのか。

理性が否を告げる。

しかし事実はその存在を裏付けるかのように不可解だ。



「これ以上、余計なことを詮索されるわけにはいきません。我々の存在は明るみに出てはいけないのだから」


葦月の体から紫色の湯気のようなものが立ち上ぼり始めた。

不気味にゆらめく影。

金色に輝く瞳。

額には二本の角。

鋭く伸びた爪はまるでナイフのように研ぎ澄まされていた。


惨殺された生徒達の死体が脳裏をかすめる。


凶器なき殺人。


嘘だ。

こんなことが。


葦月が一気に間合いを詰めた。

早い。


気づいたときには目の前にいたと思えるほどに。

明らかに人を超越した動き。


振り上げられた腕の先、鋭い爪が朝宮の頭上で光った。


光が朝宮に向かって落ちてくる。

紙一重だった。

葦月の足元をすり抜けた朝宮はもつれる足を引きずって資料室の扉へと急いだ。


背後では切り裂かれ、引きちぎられた資料の束が空しく舞い上がっている。


葦月が次の動作に入るのと朝宮がドアノブに手を掛けるのはほぼ同時だった。


足音が近づいてくる。


勢いよく外に飛び出すと即座にドアを閉めた。


また紙一重。

葦月の腕は壁とドアの隙間に挟まって嫌な音を立てた。



馬鹿な。

これは一体どういうことなんだ。

葦月が俺を殺そうとしている。


何が起こっているんだ。

冷静になれ。

冷静に考えろ。

刑事として思考しろ。


息が上がっていた。

心臓がはち切れそうな程に拍動を続けている。



足が震えていた。

今までどんな凶悪犯を目の前にしたって怯むことのなかったこの俺が恐怖を覚えているだと?


体が動かない。

蛇に睨まれたカエルの気持ちがわかったような気がした。


圧倒的な力の前には抗うことなんて無駄だ。


紫色の湯気が再び視界に入ってきた。

葦月の眼が放つ金色の輝きに吸い込まれていきそうだった。



刃が目の前に迫っていた。

魅入られるように朝宮はそれを見つめていた。


瞬間、葦月の体が宙を横に舞った。

側頭部に向けてしなやかな脚が伸びている。


吹き飛んだ葦月は廊下の脇に据え付けられた掃除道具入れのロッカーにぶつかって倒れた。



金属の擦れる不快な音を伴った轟音が耳に届くと朝宮は金縛りから解けるように我に帰った。


目の前に少女が立っている。

長い黒髪が風に揺れていた。

シャンプーの甘い香りが鼻腔を刺激する。



「お怪我はありませんか、刑事さん」


蓮見リリは優しく微笑んだ。


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