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間一髪だった。

朝宮誠はまだ何が起こっているのか理解していないように思えた。


無理もない。

いきなりこちら側の世界に巻き込まれたのだ。

彼の刑事としての優秀さが今回は仇になったと言うことだろう。


「逃げますよ。ここにいたら危ない」


リリは朝宮の腕を掴むと駆け出した。

あの程度の攻撃はほとんど無意味だ。

葦月秀一はすぐにでも追跡を再開するだろう。


「おい!」


朝宮は何か言いたげにこちらを見たが説明している余裕はなかった。


リリにとっても今回の事態はあまりにも突発的すぎた。

朝宮が病院を訪れた時、彼の勘の良さには舌を巻いた。


同時に朝宮からわずかながら瘴気の臭いが漂っていることに気がついた。


彼の近くに悪魔がいる。


直感的に思ったリリは魔の者が動き出すのをあぶり出す為、あえて彼に事件に関するヒントを与え泳がせた。


だがそれが裏目に出てしまった。

結果的に間に合ったから良かったもののもう少し駆けつけるのが遅くなっていたら朝宮誠は死んでいた。


慎重に行動しなければ。

奴等はその気になればいくらでも大胆に、冷酷に我々を葬ることができる。


1階のエントランスまで駆けると朝宮はリリの腕を振り払った。


「もういいだろ。それよりこりゃ一体何の冗談だ。常識はずれなのは俺か?お前らか?どっちだ?」


言うまでもない。

今更ながら巻き込んだことに偲びないものを感じる。


「蓮見、説明しろ。魔法少女ってのは何だ?悪魔?何だそりゃ。葦月のあの格好はどういうことだ?あいつがお前のクラスの連中を殺したのか?」


矢継ぎ早の質問にリリは思わず苦笑する。


「お前、何でここいるんだよ。俺を助けにでも来たのか?」


「まあ、そんなところです」


実際のところ説明してわかってもらえるとも思えなかったし、そもそもリリにはこのような非常識を上手く説明できるほどの社交性は持ち合わせていなかった。


「で、何だ?葦月が終業式の日に学校に忍び込んでお友達を殺しましたってわけか。笑えるね」


ずいぶん混乱しているようだ。

今の朝宮からは刑事として培ってきた判断力が失われているように感じられた。


葦月秀一と吉岡康介の間には何の繋がりもない。

いや、ただ一点彼らが同じ人間をベースに擬態したということを除けば。


昔はこんなことはなかった。

奴等が我々、人間に干渉してくるのは趣味のようなものだったし、それこそ掃いて捨てるほど起こる殺人事件の影に隠れて奴等の存在が明るみに出ることもなかった。


もちろん人にその存在を悟られぬ為に奴等自身も己の存在を秘匿してきたということもあったが。


魔の者は人間とは異なる次元に住まう者達だ。故に普段、我々は彼らの存在を認知することができないし、仮に何らかの接触があったとしてもすぐに忘却作用が働き記憶に残ることはない。


だがこのところ人間に擬態してまで我々に接触しようと試みる連中が現れ始めた。

彼らは巧妙だった。

偽りの記憶と人格を周囲の人間に刷り込み、いとも容易く人のコミュニティの内側に入り込む。


こうなってしまっては地道に探し当て、密かに排除するしか我々魔法少女には術がないのだ。


「まただんまりかよ嬢ちゃん。まあ、それもいいさ」


黙って思いを巡らせている内にどうやら無視していると取られたようだった。


悪い癖だ。

なんでも自分ひとりで抱え込み、解決しようとする。

周りの人間に自分のことをわかってもらおうなんて考えたこともない、余計なことを喋るつもりもないし、助けを求めるなんてもっての外。


おかげでリリはいつでもひとりだった。

魔法少女となってからは特に。


「なあ、俺は事件の真相が知りたいだけなんだよ。ここまで来たんだ、話せよ、お前の口から。誰が殺ったんだ、お前のクラスメートを」


「世間的には私ということになってますよ。刑事さんもそう思っていたのでは?」


「バカにしてんじゃねえよ。この状況見ていつまでもそんな推理に固執してたってしょうがねえよ。それに、あんた人殺しの目、してねえしな」


「ありがとう」


素直に嬉しかった。

この刑事は今のような非常識な状況にあっても、あり得ない事実を突きつけられても自分をひとりの人間としてちゃんと扱ってくれている。


現に彼だけはあんな街外れの精神病院まで私を訪ねてきた。

魔法少女などというたわごとを信じず、それでも自分を頭のおかしな人間だと決めつけることもせず。


そもそも何故あんな証言をしたのか今となってはリリ自身、理解できなかった。

魔法少女としての務めに少しばかり疲れていたのだろうか、膿んでいたのだろうか。


だがいくら辛くとも、孤独であろうともそれを選択したのは他ならぬ自分自身だ。

この刑事が己の職務に命を賭すように、私も魔法少女として自らの使命に命を賭けなければならなかった。


今回の事件は完全にリリの油断と慢心が引き起こしたことだった。

吉岡康介が悪魔であることはわかっていた。


彼が3年C組の本当の担任を殺害し、それに成り代わったことにも、そうと気づかせず周りの人たちの記憶を操作していったことも、自分だけは気づいていた。


外の誰を欺けても魔法少女だけは欺けない。


私たちは魔の者を処理するために存在しているのだから。その為だけに生きているのだから。


そう。だからこちらも手段を選ぶ必要なんてなかったのだ。

吉岡がいくら人間として上手く立ち回ろうと、決してひとりになることはなくとも、その場で処理してしまえば良かったのだ。


悪魔の忘却作用はその存在が消えた時からすぐに効力を発揮し始めるのだから。

朝宮のように執着しない限り、その記憶は3日も経てば都合のいいものに書き変わる。


何故それができなかったのか。

今なら何とでも言える。


でも私だって普通の生活がしたかった。

みんなと一緒に笑ったり、女の子らしい話がしたかった。



すべて取り返しのつかない過ち。

だから私はもう何も求めない。

もう誰も頼らない。


魔法少女としての務めを果たす。 その為だけに今がある。


「おしゃべりは終わりです、朝宮刑事。来ますよ」



階段の先に葦月秀一の姿が見えた。


瘴気がさらに濃く体から立ち上っている。


二本の角は渦を巻いて太くそびえ、顔付きは山羊(ヤギ)のように醜悪に変化していた。

肌の色は茶色く、長く伸びた爪は鋭く鉤爪と形容したほうがしっくり来る。


なりふり構っていられないのは向こうも同じというわけか。


「葦月、あれが葦月なのか?」


朝宮が腰を落とした。

いくら屈強な男性でもあの瘴気に当てられれば立ってはいられない。

ましてや近しいものが人ではなかったなど、その事実だけで打ちのめされても仕方がないだろう。


聖紅(ホーリールージュ)


リリはポケットから小さな口紅を取り出すと口許にあてがい紅を引いた。


古来より化粧には魔力が宿るとされる。

魔法少女が力を引き出すためにもそれは例外ではなかった。


身体を金色の光が包み込んだ。

優しい、大いなる力を感じる。


溢れだした光は蓮見の身体を覆い、衣服の形に変化を始めた。


漆黒のゴシックドレス。


魔法少女の正装。



葦月がこちらに向かって突進した。

空気を震わす雄叫びが鼓膜に届くと、少しだけ身震いする。


恐怖?

いいえ、武者震いよ。


リリは紅を引いた口紅を身体の前に構えると詠唱を開始した。


凶器なき殺人。


その二つ目の鍵がこれだ。


展開(ディメンション) 魔導鎚(マジカルメイス)


閃光と共に小さな口紅が形を変えた。長く伸びた柄の先には全てを叩き潰す棍と殺傷力を高めるための刃が組合わさっている。


少女の持ち物としてはおよそ似つかわしくない禍々しさ。

だが全てを捨てた私にとってはふさわしい武器だ。


「来なさい、化物」


葦月秀一を名乗っていた悪魔はリリの姿を捉えると、大振りの一撃を見舞った。

メイスの柄がそれを受け止めると衝撃でリリの身体は大きく飛んだ。


コンクリートの壁に打ち付けられた四肢が鞠のように弾む。


「蓮見!」


朝宮の叫び声が聞こえる。

リリは素早く体勢を立て直すと骨に異常がないかを確かめた。


特に問題はない。

痛みもない。

気分の高陽を感じる。

メイスを持つ手に力がこもった。


「おしまい?次は私の番ね」


笑みが(こぼ)れた。

リリは助走をつけて跳躍すると軽く悪魔の頭上を飛び越え、そのままメイスの一撃を頭頂部へと見舞った。


骨が砕ける感触が両腕を痺れさせる。

吹き出した鮮血が視界を真紅に染め上げた。


「もう一撃」


身体を回転させると横薙ぎの一発を浴びせる。悪魔の左腕がちぎれとび、絶叫がエントランス中を響き渡った。


「もう一撃」


倒れた背中にさらにメイスがめり込む。

破れた皮と肉片が周囲に飛び散って汚く跳ねた。


「もう一撃」


メイスを振りかぶる腕は頭上で止まった。


「やめとけ。もう死んでる」


朝宮が寂しげな表情で首を横に振った。


「あ、私…」


衝動を抑えられない自分にリリは気づいていた。

身体が震える。

今度は恐怖から。

奴等は化物なんだ。

殺らなきゃ殺られるんだ。

自分に言い聞かせた。


そんな顔で見ないでよ。

私だってやりたくてやってる訳じゃないんだ。

私だって。

私だって。


「ありがとよ」


武骨な刑事が始めて笑顔を見せた。

リリは目を丸くした。


「何かよくはわからねえがお前は俺を助けてくれた。そうだろ?世の中には訳のわからねえもんがたくさんあって、お前はそういう連中と戦ってる。納得はしてねえがそういうことにしておいてやるよ」


「朝宮さん」


この記憶も明日には薄れ、やがて消えてしまうのだろう。

それが魔の者と関わった人間が等しく辿る道だ。

そして私たち魔法少女は永遠に誰とも交わることなく孤独な戦いを続けていく。



でも、それでも戦った先に誰かの笑顔があるのなら。


蓮見リリは笑顔で答えた。

心の底からの笑顔。

それは彼女が見せた始めての少女らしい仕草だった。



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