ザック・トレイシー家の使用人たち②
「少し長くなるので座ってください」
「失礼します」
近くにあった椅子に腰かけるとヒーストは自身も椅子に腰かけ今まで持っていた資料を机に並べ始める。
「まず就業時間についてです。朝七時から夜の二十時まで。これはザック様が夕食を屋敷で取られる場合です。ザック様は昼は基本的に外で食べられますが夜も外で食べる場合には連絡をしますのでその場合は十八時に上がってもらって結構です。休憩は一時間となっていますが、皆適宜好きなタイミングで休憩をとっていますので仕事をきちんとこなしているのであれば休憩を一時間以上とっても構いません。ここまでで質問は?」
「あの、そんなに好待遇なのには理由があるのですか?普通は朝早くから夜遅くまで働くのが侍女なのでは」
メアリーがこれまで勤めてきた屋敷でここまで働き手にとって好待遇だったことはない。
「ザック様は軍での生活が長かったので基本的に一人で何でもできます。服の脱ぎ着も、食事も自分で調理場から私室に運ばれます。私がやると言っても、子ども扱いするなと言われるのでそのあたりは諦めました」
「はぁ」
「もちろん客人がいるときは別ですがザック様の身の回りに関してメアリーに頼むことはほとんどないと思います。あなたには屋敷の掃除や洗濯、その他家事などを任せたいと思っています」
「はい」
「これまで私たちが分担してきた仕事についてはここにまとめています。これらをあなたに任せようと思っています。いかがですか」
そこに書いてるのは先ほど言われた屋敷の掃除に始まり、必要なものの買い出し、花をいけること、洗濯、とごくありふれた内容だった。
「問題ありません」
「結構。では給金と休日についてですが。給金はこのくらいで考えています」
そっと差し出された紙にはメアリーが以前に勤めていた屋敷よりも高い給金が書かれていた。
「いかがですか?」
「是非にとも言いたいところですが、いささか高額な気が」
「他の家に比べればそうかもしれないですが、ここは使用人の人数も少ないですしこちらとしては正当な金額だと思っていますが」
「・・・ではそれでよろしくお願いいたします」
よろしい、と言いながらヒーストは金額に丸をつける。
「あとは休日についてですが、基本的に一か月に四日は必ず休みを設けています。金を持っていても使うところがなければ意味がないというザック様の方針です。今は月曜日をロコ夫妻が、火曜は私、水曜はモリス、木曜はハリスと順番に休みを取っています。メアリーは金曜でもいいですか?どこか休みたい曜日があれば変更できますが」
「いえ金曜で問題ありません」
「ではそのように。数日休みたいときはあれば一ヶ月前までに申し出てください。休みを調整しますので。あと土日に休みたい場合もそのように」
「はい」
「休憩は今いるここが休憩室となっているのでここでもいいですし、屋敷の敷地内であれば好きにとってください。食事についてはロコ夫妻が三食作ってくれるので調理場へ貰いに行ってください」
「なんだかすごく好待遇な気がするんですが本当にいいんでしょうか」
「良いも悪いもザック様の方針がこの家の方針です。他の家の事は気にしないで良いと思います」
「そういうものですかね」
あまりにもこれまで働いてきた環境と違いすぎて少しめまいがするほどだった。この環境が当たり前だと思ってはいけない、そう心の中で呟く。
「必要事項は今のところこんなものですかね。質問はありますか?」
「ザック様の事は屋敷の中では何とお呼びすればいいでしょうか?」
「そのままザック様で結構です」
「承知しました。あともう一つ、侍女としての制服はありますか?」
「それはこれから用意する予定です。とりあえずは今着ている服で仕事をしてもらってもいいですか?エプロンは後で渡します」
「問題ありません。よろしくお願いします」
「他に質問は?」
「今のところはありません」
「結構。ではこれから屋敷の案内をします」
ヒーストが立ち上がったのでメアリーもそれにならって立ち上がる。
扉を開ける前にヒーストはメアリーの顔をじっと見つめる。
小柄な女だな、その細い首など簡単に折れそうだとヒーストは思う。
こんな女に何ができるとも思わない。けれど警戒しておくことに越したことは無い。
「私とモリスとハリスはもともと騎士団の出です。ザック様の引退に伴ってこちらにやってきました」
三人を見た時からそんな気はしていた。その立ち居振る舞いから街の人間とは違う威圧感や圧迫感がある。
モリスは三人の中で一番人当たりがいいがその目は獰猛な獣のようだった。周りをよく見、何か起きる前にそれを対処するのがモリスのやり方なのであろう。
「そうですか」
「つまりですね」
「はい」
「あなたがザック様に危害を加えようとしたら命はないと思ってくださいね」
こちらを観察している目だ。メアリーがどう返答するのかそれ次第ではこの場で切り捨ててもいいと思っている目。
決して高圧的な言い方ではない、日常会話をするような喋り方だ。だからこそ何も考えずに返事をすれば命取りになる。
こうやって話しかけられたら普通ならば震えあがるか苦笑いをしてやり過ごす。
実際、ヒーストの周りはそんな人が多かった。どうせ目の前の女もそうだ、多少馬鹿にした気持ちでヒーストは目の前の女を見る。だが。
「・・・っ!」
目の前の女は笑っていた。
それはヒーストのよく知っている苦笑いではない。その顔には焦りも困惑もない。
ヒーストは自分が身震いするのを感じた。久しく感じていなかった恐怖。それもただの恐怖ではない。死を覚悟した時の恐怖に似ていた。
「その時は」
女が口を開く。
「その時はためらわずに一思いに殺してくださいね」
気味が悪い。
女の答えを聞いたときヒーストの頭の中に浮かんだのはその言葉だ。
そんな風に笑いながら言うことがそれか。
まるで亡霊のようだと思った。死んでもなお何かに執着してこの世をさまよう死人。
そんな感想を抱くほど目の前の女は不気味だった。
「あなた気味が悪いですね」
思わずヒーストがそう返すと嫌な顔を一つせず「よく言われます」と女は答えた。
あぁこの女とは相いれないかもしれない、そんな思いを隠すように「中を案内するのでついてきてください」と声をかけた。
「はい。よろしくお願いします」
従順なそぶりを見せているがこの女、腹の底が見えない。十分に警戒せねばとヒーストは思うのであった。