2・ は、恥ずかしい。
私は勢い良く飛び跳ねて、立ち上がりました。
開発室に入って後ろ手で扉を閉めます。キノコは踏み台に乗って、焜炉にかけた大鍋に、木杓子を差し込んで、掻き混ぜていました。まるで拍節器のように正確に頭が、ゆら~ふら~しているのが可笑しくてたまりません。マリに視線を向けたまま、驚かせないよう軽く裏拳の要領で扉を叩きます。木槌で叩いたような乾いた音が響くと、マリが、おとぼけ顔で振り返りました。顔面の表情筋をどう動かしたら、あんな顔ができるのでしょう。可愛すぎます。
不機嫌オーラを可視化できる程度に醸し出して、腕組みをして扉にもたれかかって黙っていました。マリは掻き混ぜる手を止め、遮炎鉄版を閉じると、おとぼけ顔のまま、踏み台のうえから、じっと、こちらを見ています。何だか気が抜けてしまって、不機嫌オーラを引っ込めた途端です。
「ロキ~!」
機嫌が直ったとでも思ったのでしょうか、勘違いも、はなはだしいですが、どうやら一応まだ警戒しているようで、おっかなびっくりで近づいてきました。私の目の前でうつむいて、殊勝にしているかと思いきや、身体を沈めて、私の組んでいる腕の隙間から、頭をこじ入れて抱きついて来るではありませんか。
私は普通の方よりかなり背が高く、マリは普通の方よりかなり背が低いので、目一杯背伸びをして抱き付いてくると、私のお乳の谷間に、すっぽりと、マリの顔が収まります。
「あ゛ばばば」
私は、マリの頬をつねり上げて、引きはがすと、その手を離して、ひざまずき、マリの頬を両手の掌で優しく包み込んで、しっかりと目を見つめて言います。
「マリ! あなたの頭はキノコの仮装をする為にあるのですか? 私、言いましたよね。昨日ですよ。物事は階段を上るように、一歩ずつ登って行かないと、駄目だって、言いましたよね?」
「……うん」
「では何故カレーなのですか」
そうです。刺激臭の正体はカレーです。
「みんな大好き」
「それは、間違いです。少なくとも、マリの作ったカレーでは駄目ですね」
「マリのカレー美味しいよ!」
駄目だと否定されても、マリの自信は微動だにしません。
「当たり前です。美味しいのは重々承知です。執務室を出た瞬間、それこそ、胃袋を捩じ上げられて、ヨダレが垂れそうになりましたから。でも、それは、私がカレーの香りを、知っているからなのです。美味しい物だと、知っているからなのです。この香りを嗅いで、なんと、気分を害した方がいるのですよ」
「……!」
「マリは、初めてカレーを食べた時の事を覚えていますか?」
「……?」
「マリ。いいですか。私は日本人で初めてカレーを食べた時の事を、記憶している人はいないと思っています。それほど幼い頃から慣れ親しんだ味だという事です。何と素晴らしい事なのでしょうか。この世界では調味料と言えばお塩と魚醤、何種類かの香草と香味野菜。香辛料と言えば食べたことはないけれど、名前は知っている胡椒ぐらいでしょう。そんな世界の人々が、これだけ刺激的なカレーを食べたらどう思うでしょう? すぐに受け入れられるとは到底、思えませんが、ひとたび、口にして、この美味しさに気付いたら、それこそ香辛料をめぐる、血塗れの争いが始まるに違いありません。マリには、どうか、ゆっくりでいいですから、お願いです、お願いします。この国、いえ、この世界の事を良く知っていって欲しいのです」
私は、知らず知らずのうちに、マリを、抱きしめていました。




