16.黒薔薇の貴族と人形少女の円舞曲
書斎の本棚をもとの位置に戻して探索を終えたシェリーは、寝室に戻り、一人でずっと物思いにふけっていた。
まるで、鋭い棘が何本も刺さっているように、心は痛む。
自分が許されない存在なら。この体が、罪の証だというのなら。
帰りたい。還りたい、空に。
でも、アデル様に二度と会えなくなると思うと――心が張り裂けそうなほど悲しくて、苦しくて、痛い。
どうすればいいのか、わからない。決断もできない。
窓の外では、迷い込んだ小鳥が黒薔薇の園に羽ばたいていた。
そうやって悩んでいるうちに夜は更け、館に帰還したアデルが寝室の扉を叩いた。
「ただいま。シェリー。……大丈夫か?」
寝室へと戻ってきたアデルは、ベッドに腰掛けると、隣にいるシェリーの肩を抱く。
温かな手。彼の鼓動、体温。それだけで少し心が静まって、どうしようもなくうれしかった。シェリーは彼の体に寄りかかって瞳を閉じる。
「……アデル様」
「今日はもう、どこにも行かない……きみが眠るまで、そばにいるよ」
その言葉に応える代わりに、シェリーはアデルの胸にそっと額をくっつけた。こんなことは、許されないのかもしれないからと、遠慮がちに。
すると、アデルは小さく微笑みながら、優しく問いかける。
「……二人で外に出ないかい? 僕たちの、黒薔薇の園に」
「今から……ですか?」
「ああ。少しだけでも、気晴らしになるかもしれないからね」
立ち上がり、差し出してくるアデルの手に、シェリーはおずおずと触れた。
人形少女の小さく冷たい手を壊さないように、彼は優しく握る。
そして、彼は少女の手を取り、エスコートしながら黒薔薇の温室へと向かった。
◆
ランプの灯火が、暗闇を照らす。
アデルとシェリーの眼前には、丁寧に育てられた黒薔薇の園。
昼に見る光景とは違う、物憂げな温室の景色に、シェリーは小さく感嘆の声を漏らした。
「美しいですね」
その様子を横目に見て、いつも落ち着いているアデルが、うれしそうに声を弾ませた。
「ああ、そうだね」
「あの……アデル様――」
喉の奥まで出かかった言葉が、心の中へと沈んでいく。
聞きたいことは、たくさんある。
でも、それを聞いたら――彼との、このしあわせな時間は、きっと終わってしまう。
何を口にするべきか迷ってシェリーがうつむいていると、代わりにアデルが言葉を漏らした。
「シェリー……人は皆、罪の子だ」
罪。その言葉に、シェリーの肩がびくりと震える。
「この街で暮らす人々も、僕も、皆……罪を抱えているんだ。生まれながらに」
彼の穏やかな横顔を見上げる。
人は皆、罪の子――その言葉に、シェリーも少しだけ――ほんの少しだけ、心が軽くなる。
だけど、だからこそ――。現世で犯した罪からは、逃れられないのだとも思う。
それは彼も、わかっているのかもしれない。彼の瞳の奥には、決して消えることのない、深い悲しみの色が沈んでいた。
「シェリー」
「アデル様……」
アデルはシェリーの正面に立ち、手を差し出す。
今度はシェリーが、その手を取る。
ゆっくりと――二人は踊り始めた。
そのさなか、アデルが温室の装置に触れると、天窓が全開まで開く。
吹き荒れるつむじ風に乗って、黒い薔薇の花弁が、いっせいに天へと舞い上がった。
「アデル様、花が散ってしまいます」
「……いいのさ。きっと黒薔薇も、この時のために――」
たとえ、終わるとしても、この瞬間、もっとも美しく咲き誇れるように。
舞い踊る花びらの中で、二人は踊り続けた。
ターンするたびに、二人の衣装の裾が揺れ、合わせるように花弁も舞う。
星とランプの灯りに照らされて、黒薔薇の祝福を受けながら、二人だけの舞踏会は続いた。
ああ。願わくば、この瞬間が、永遠になってほしいと――シェリーは、きっとアデルも、そう天に祈りながら。




